アトリエ・ホルンの角職人 scene1
あらゆる種族が行き交う世界の交差点、『王都』。その中心街から少し離れた郊外の一角、石畳の続く古びた通りに、その工房はひっそりと佇んでいた。根を張るようにそこに在り続けながら、商人や冒険者を乗せた馬車が、ガラガラと、鈍く響く音を残して通り過ぎていくのを、ただ静かに聞いている。
工房の名は、『アトリエ・ホルン』。
これは、華やかな異世界物語の舞台裏、けっして表舞台には上がらない片隅で――それでも確かに息づいている、或る職人の譚/ハナシである。
―― HORN - 角の美容師 - ――
青々とした木々もすっかり色褪せ、やがて大地が白に沈む冬の始まり。入り口の扉に付けた鈴がカランと鳴り、そこから一人の少女が風を連れて飛び込んできた。くせ毛なボブの髪をふわふわと揺らしながら、胸にはパンの詰まった紙袋を抱えたまま。
「おはようございます!」
少女が元気よくそう言うと、工房の奥にいた男が短く「あぁ」とだけ返す。少女はそのそっけなさにすこし頬を膨らませつつ、紙袋を机の上に置いた。そして、肩から落とすように羽織っていた毛皮のコートを脱ぎ、椅子の背に掛ける。
少女は、エレナ。寮生活を送りながら王都の学校に通う大学生。この工房――アトリエ・ホルンでアルバイトをすることになったのは、校内の掲示板に貼られていた一枚の張り紙を、たまたま目にしたのがきっかけだった。それから採用され、働き始めたのは、まだほんの一週間前のことだ。
アトリエ・ホルンの主は、アーサーという名の無口な男。
彼は、この王都ではちょっとした有名人で。
『角の美容師』という呼び名で知られている。
――
エレナは、制服のエプロンに着替えながら、
カーテン越しにアーサーへと声をかけた。
「あっ。そういえば、アーサーさん。もうお客さん来てましたよー?」
「……ユーリアか。そういえば言ってたな」
作業の手をとめたアーサーは、そのまま工房の入り口へと向かっていく。
扉の前に立っていたのは、この王都の騎士団で一隊の隊長を率いる、ユーリアという名の女騎士だった。この世のどんな澄んだ水よりも清らかだと讃えられるほど、「誠実さ」を体現した性格で、まだ二十代という若さながら、すでに数々の勲章を授かっている。
ユーリアは、その額に二本の角を生やした『竜人族』だ。この世界では、彼女のような異種族は珍しくなく、こと王都においては、アーサーやエレナのような人族の方がむしろ少数派/マイノリティだった。
「すまない。すこし早かっただろうか?」
「いや、もう用意はできている。今朝は冷えただろう。中で待っててくれ」
「ありがとう。そうさせてもらうよ」
竜人族の女騎士、ユーリア。
彼女が今日一人目の、アトリエ・ホルンの客だった――。
着替え終えたエレナは、コップにホットミルクを注いで、客間で待つユーリアの前にそっと置いた。ユーリアは、物静かなこの工房に突然現れた陽光のような少女の存在に、驚いた表情を浮かべる。「君は……」、ユーリアがそう言いかけたところで。
「あ、はじめまして! アルバイトのエレナですっ!」
陽光のような少女は、春に咲く花のような笑顔で、まっすぐにそう名乗った。
「アルバイト? あのアーサーが……?」
「はい、ですです。もしかして意外、でしたか?」
「あぁ、ちょっとな。――、ユーリアだ」
「ユーリアさん、ですね! その胸に付けてるバッジって、もしかして」
「王都騎士団のものだ。君は、……エレナは学生か?」
「はい、大学生です――」
ふたりが言葉を交わしていると、アーサーが部屋に入ってくる。そして、手にしていた木製の箱を静かに開いた。中から彼が取り出したのは、『角当て』と呼ばれる、竜人族のような異種族の角を保護する、専用の防具だった。
ユーリアはそれを受け取ると、タコの出来た指先で表面を撫でる。ひんやりとした鋼鉄の感触が、じかに指先から伝わった。彼女の角の形にぴたりと合うよう、寸分の狂いもなく整形された防具の表面には、植物を模した繊細な彫刻が施されている。
「問題はないか?」アーサーが尋ねる。
「あぁ。……それじゃあ、このまま装着も頼めるかな」
その言葉に、短く「わかった」とだけ答えるアーサー。いつもと変わらないその無口な職人の瞳の奥に、一瞬、幽かな光が見えた気がして。その小さな変化に気づかないふりをするように、ユーリアは軽く咳払いをした――。




