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魔力のない街の魔物の食堂~横綱栃木山と最強の客~

掲載日:2025/09/01

 大正時代に栃木山という力士がいました。第27代の横綱で、近代相撲の最強力士と言われています。


 1925年。圧倒的な強さを誇っていた栃木山は、突然、引退を発表しました。力が衰えたわけでもなく、怪我や病気が理由でもありません。

 「今が華だと思う間に引退するのがかっこいい」という自身の美意識に従ったというのが本人が表明した引退の理由ですが、頭部が薄くなったのが本当の理由だという説も根強く囁かれました。


 噂の真偽はともかく、引退するしないに関わらず最強だったのは事実で、引退から6年後、力士・親方を問わずに参加できる「第1回全日本力士選士権」では、春日野親方(マゲなし、毛髪なし)として出場し、現役の横綱・大関を破って優勝しています。


 私がなぜ、そんな昔の話を知っているかというと、食堂を経営していた大相撲ファンのおじいちゃんが、お酒を飲むと必ずその話をしたからです。数え切れないほど聞いたので、栃木山についてはこの世界の誰よりも詳しいと断言できます。

 おじいちゃんの頭は元栃木山の春日野親方(見たことはありませんが)みたいに、ツルツルでした。


 おじいちゃんは1915年生まれで、78歳まで店の厨房に立ち続けたのですが、引退後もいたって元気で、店を手伝うようになったお母さんと入れ替わりで家族用のごはんを作っていました。

 その味は、食堂を継いだお父さんよりも美味しく、おまけに引退して研究の時間が増えたため、イタリアンやフレンチ、エスニックまでも作り始め、2016年に101歳でぽっくり逝く直前まで、その腕を上げ続けました。


 幼いころからおじいちゃんのごはんを食べ続けた私の舌は、いつの間にかとても鍛えられていたのだと思います。


「あんたん家のごはん、おかしすぎる」


 というのは中高時代の友人が口をそろえて言っていた言葉です。


 呼んでもいないのに遊びに来て、おじいちゃんが「メシ食ってくか?」と言うまで帰らないくせに、何を言ってやがるんだろうと思いましたが、おじいちゃんのご飯を食べてとろけそうになっているのを見ると私も嬉しかったので、褒め言葉と解釈して「ありがとう」と答えていました。


 「俺の腕は死ぬまで上がる」と豪語していたおじいちゃんの言っていたとおり、引退したからといって、力が衰えたとは限らないのは事実です。


 25歳で事故死し、異世界にも関わらず魔力の全くない町で魔物として生まれ育って、前世を思い出して、その前世でたったひとつ覚えた専門知識を使ってお店をはじめ、それから5年。

 今頃になって前世のおじいちゃんのことを、または横綱栃木山のことを思い出したのは、今、窓際のテーブルでご機嫌に酔っ払っているふたりのお客さんのせいです。


 さっき、常連のおばさんたちのグループが帰ったので、今日最後のお客さんです。


 フードのラストオーダーはなく、さっさと厨房の片付けを終えた私は、カウンターの端の席に座って、店内を眺めています。スタッフの女の子たちは、ドリンクのラストオーダー前なのでまだお仕事中です。

 閉店近くのいつもの光景です。


 ふたりは、常連さんです。1年前くらいにフラッと顔を出して、それからちょくちょく使ってくれるようになりました。

 外からの人が来ることのないこの町を訪れるよそ者は、このふたりだけです。


 おじいちゃんを彷彿とさせる輝かしい頭部を持つ大男が、オリさんことオリエ・メッツガー。元勇者です。

 巨体、鍛え上げた筋肉、こだわりの白いタンクトップ、日に焼けた肌、輝く白い歯、陰りを知らない陽気さ、大きな地声。これでもかと盛られた脳筋のアイコンは、「暑苦しい」のゲシュタルト崩壊を引き起こしそうです。


 対照的に豊かな金髪ロンゲ、細身のイケメンおじさんが、ゴーちゃんことゴランダル・ギラドス。正式な名前はその後に色々付くらしいのですが、本人すらよく覚えていないらしいので私が知る必要はありません。

 サイケなシャツと短パンがおちゃらけた性格を的確に表しています。元魔王です。


 なぜそんなふたりが一緒にいるのかというと、親友だからです。


 歴代最強魔王と歴代最強勇者。そう評されたふたりは、緒戦でお互いの軍の幹部を戦闘不能状態にした末に直接対決し、それ以来20年に渡り数え切れないほど死闘を繰り広げてきたそうです。

 実力の伯仲した闘いは、何度やっても決着が付かず、お互い手の内を知り尽くしたあたりからは、闘う前から引き分けが予想され、マンネリイベントして人々の興味から完全に外れてしまいました。

 魔族と人間の未来をかけて必死に戦っているにも関わらず、です。


 酷い話かもしれませんが、魔族は、そしてきっと人間も、日々の暮らしに忙しいのです。たとえ頂上戦であっても、引き分け、つまり現状維持と決まっている闘いのことなんて興味がありません。


 そんな周囲の反応に、闘う当人たちもジワジワとメンタルを削られ、モチベーションを維持することが難しくなっていったそうです。自身も技や魔法のマンネリ化を確かに感じていたこともあり、20周年を期に後進に道を譲ることにしたのだそうです。


 全部初耳でした。


 この街に外の情報は一切入ってきません。

 戦争のことも、魔王のことも、人間の国のことも、その存在すら知らなかったのです。

 外の世界には魔力も魔法があるという情報は、特に衝撃でした。

 魔力のないこの町から出たことのない私には、物語の話としか思えません。


 あ、でも言われてみれば、街の人たちが使う技術に、魔法だと言われればそうかもしれないと思えるものはあるので、私が気づかなかっただけなのかもしれません。

 

 そんな外の世界の有名人ふたりが、揃って自分の店に来るとは思ってもみませんでした。

 まあ、有名人であることなど知らないので、お店にとってはただの一見さんだし、知っていたとしても、特別メニューを出せるわけでもないんですが。


 ふたりはたいてい早めの時間に来店して、閉店までいます。頻度は3日に1回。

 引退してヒマなのはわかりますが、他にやることがないのでしょうか?

 第三者が同席することはめったにありません。最初はふたりがデキでいるのかと疑ったこともありました。


 美形金髪細マッチョのチャラ系と男全開の褐色ムキムキオヤジ。

 前世だったら萌えの対象として大いに妄想を膨らませたところですが、残念ながら今の私は弱っちい兎の魔物で、そのあたりに反応する触手は転生の時にどこかに置いてきてしまいました。

 従業員の人気ナンバーワン、テンタクル族のゲレレちゃん(かわいい)の13本のリアルな触手も一切反応しません。


 でも、私たちが興味を失うより早く、疑いはすぐに晴れました。

 今も、前魔王のゴーちゃんがこの街のワインっぽいお酒の新しいボトル持っていったアラクネ族のファラノちゃん(美人)に一緒に飲もうと声をかけています。

 断られました。ゴーちゃん、嬉しそうです。史上最強の魔王は多分Mです。


 でも、特に問題はありません。接客についての従業員教育はきちんとやっているし、このやり取りは断るところまでが双方にとってのお約束なので、私も普通にスルーします。


 前勇者のオリさんはゲレレちゃんファンです。ファンクラブ(非公認)の会長として、ノータッチルールの徹底に目を光らせているため、ゲレレちゃんの好感度は意外と高いです。

 バトルマインドが折れてしまったふたりは、どちらもちゃんと紳士なので、経営者としては安心しています。


 新魔王も新勇者も、前任者より弱いそうです。

 それぞれ引継ぎの儀式を行って、前任者の強大な力の半分ほどを譲られてもなお、です。

 儀式によってオリさんとゴーちゃんの力が半分になったと仮定すると、譲られた残り半分に元々自分が持っていた力を加えた今の代の方が強いはずなのですが、そんな単純な話じゃないんだそうです。


 オリさん曰く、「場数がちげーからな!すげーがんばったら、10年後にはモノになるかもな。がはははは」だそうです。ゴーちゃんも頷きながら「うふふふふ」と笑います。


 何が面白いのかはわかりませんが、元ナンバーワンの実力がとんでもなかったことだけはわかります。ふたりは、人族と魔族それぞれの春日野親方みたいなものです。

 でも、相撲界を離れれば、それはビックリするようなことじゃありません。前世でも社長より会長が強い会社、いっぱいありました。


 多分、新魔王も新勇者も、一般的な魔王と勇者としては、普通の力があるんだと思います。

 じゃなきゃ、次の代を託されるはずはありません。きっと、ゴーちゃんとオリさんが規格外なせいでなんか可哀想な感じになっちゃってるだけなのです。


 どんなに力があっても、先代が居座る会社組織は、やがて時代に取り残されるのが運命です。前オーナーが現場に顔を出してあれこれ口出ししたら、うまくいくものもいきません。


 おじいちゃんは引退してから、店には顔を出しませんでした。それが信頼というものです。お父さんも、おじいちゃんに追いつこうと一所懸命でした。

 なのに、私の修行していた老舗レストランの先代ときたら!


 おかげで三代目はすっかり萎縮してしまい、次第に客足は遠のき、下っ端の私は人員整理の対象になりました。

 解雇を伝えられた当日、私はボーっとして赤信号を見落とし、トラックにはねられました。

 あの二代目ジジイのせいです!


 ……えと、すみません。話が逸れました。


 つまり、長い時間を共に過ごしてきたゴーちゃんとオリさんは、お互いに「最強」という立場を共有できる相手です。しかもウマが合うというのであれば、一般的に考える親友の条件を完全に満たしているわけで、これをソウルメイトと呼ぶのでしょう。


 孤高を分かち合うふたり。

 別の言い方をすれば、こうです。


 他に友達がいない。


 まあ、お店としてはお金持ちな上に金払いのいい常連が付いてくれてとてもありがたいですし、ふたりとも気のいいおじさんで、色々と店のことを気にかけてくれるので、チャラいのと暑苦しいのに目をつぶれば、何の文句もありません。


 私のお店の名前は「エスプリ・デ・ラ・ニュイ」といいます。フランス語です。

 意味は「夜の魂」。前世でいつか開店するつもりだったブラッセリーの名前です。


 「エスプリ」には、他にも、心意気・知性・活気・お酒・匂い・化け物・幽霊・根性など色々な意味があります。

 魔物だらけの街にあるお店の名前として、あるいは私のオーナーシェフとしての初心を示す言葉として、なかなかフィットするんじゃないかなと思い、この世界の言葉に翻訳することなくそのまま使うことにしました。


 街の人たちにとっては意味不明の店名ですが、私が転生者であることはみんな知っているので、たまに「前世ネタか?」と聞かれるくらいです。


 店名どおり、ゴーストのスタッフもいます。レジと経理を担当するモース君です。帳簿に念動力で几帳面な数字が書き込まれてゆく様は、芸術的ですらあります。

 あ、超能力かと思っていましたが、これが魔法かもしれません。


 頭の中に響く念話の声も素敵で、絶対に知的でクールなイケメンだと思うのですが、体が不定形な霧状のため、それを確認することはできません。残念です。

 今、ゴーちゃんに呼ばれて、お会計を伝えにふわふわと空中を動いています。


 ゴーちゃんもオリさんも、どんなに酔っ払っていても、閉店時間を越えて店に居続けることはありません。必ず閉店5分前には会計を済ませ、お店を後にします。

 こちらとしては、時々なら別に閉店時間が多少延びてもかまわないのですが、「俺たちは客としても最強だから」と、彼らなりの美意識を追求しています。


 「よく食う。よく飲む。他の客に絡まない。料理をせっつかない。暴れない。飲み食いが終わってから居座らない。ツケはしない。閉店時間にはきっちり帰る」が最強の客であるためのルールだそうです。

 確かに長時間お店にはいますが、言葉通りちゃんと注文し続けてくれるので、居座りには当たりません。

 すばらしいです。


「じゃ、ミドリちゃん、また来週ね」


 帰りしな、最強の客ゴーちゃんが振返り、私にタラシの魔王の微笑みを向けます。


「はい。え? 来週?」

「3日後は定休日だろうが。店やるっつうんだったら来るぞ。がははは」


 もうひとりの最強の客オリさんが勇者のパワーで爆笑します。

 脳筋の笑いのツボは永遠の謎ですが、そうでした。


「お休みです。また来週お待ちしてます。今日もありがとうございました」


 出口で私とゲレレちゃんとファラノちゃんが並んで頭を下げます。モース君の不定形な体もなんとなく45度くらいに曲がっています。

 これからどこへ行くのかは知ったこっちゃありませんが、ヒラヒラと手を振りながら、ふたりの背中が夜霧に消えてゆきます。


 ゲレレちゃんがテキパキとお疲れ様のお茶の準備を始めました。お茶請けは、前世のピスタチオに似たカジェルーのムースに木苺に似たポーの実を載せたタルトレットです。

 ポーの実をつぶして、タイムっぽいマルガノの花の蜜と合わせて裏漉ししたソースで仕上げています。そこに少しだけ混ぜ込んだ硫黄分を含んだ岩塩が隠し味です。


 ゲレレちゃんが淹れてくれたお茶は完璧です。こちらも仄かにマルガノの香りがします。お菓子に合わせて、ゲレレちゃんがアドリブでブレンドしました。

 できる子です。


 私は2個目のタルトレットに手を伸ばします。


 夜には、野良の石食いトカゲのボー君が、魚の骨をもらいに来るかもしれないので、待っているうちにきっと小腹が空くはずです。

 いつもこんなことをしていたら太りますが、一週間に一度くらいならバチはあたらないと思うのです。



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