第25話 3月10日-11日 改変するかしないのか
今日の昼には母が帰ってくるはずだけど、私たちは学校に行かなければならない。
昨夜のことがあって、とても気まずい。
「おはよ」
「……おはよ」
紫苑が朝食まで作ってくれていた。
本当に優しい。
「……俺、先に行くから」
「……あ、うん」
紫苑が出て行った後、テーブルに突っ伏して、ため息をつく。
絵梨花として、妹として消えなくてはならないのに。
私がこんな気持ちになってしまってーーどうしたらいいのだろう。
あと一ヶ月もないのに。
テーブルに、小さなメモが置いてあった。
『昨日はごめん』
それより小さな文字で
『でも、好きなのは変わらないから』
「……私も、好きなんだよ」
朝食を食べ食器を洗い、一人で登校する。
いつも隣にいる人がいないだけで、こんなに寂しくなるなんて。
授業中、いつもはすんなり吸収できる内容なのに、ちっとも頭に入らない。
内容が右から左へと素通りしているみたい。
調理実習では鍋を焦がし(いつものことだが)、体育では突き指をした。
「絵梨花、どうしたの?」
鞠が心配そうにのぞきこむ。
「あはは、なんだか寝不足なの……鞠ちゃん、友達になってくれて、本当にありがとうね。鞠のおかげで、毎日、楽しかったよ」
「どしたの? 絵梨花がおかしくなっちゃった!」
ーー本当に、私はおかしくなっちゃってるよ。
短い間だけど、ありがとう。感謝しかないよ。
放課後、いつもなら待っててくれている紫苑がいない。
一人ぼっちの帰り道、涙が出てきた。
「絵梨花」
振り向くと、藤川くんがいた。
ーーこんな時に、また面倒なやつに会ってしまった。
「なにその、あからさまに嫌な顔。……ていうか、なんで泣いてんの?」
「放っておいてください」
ーーなんでついてくるのよ。
「兄と喧嘩でもした?」
「放っておいてってば」
どこまでもついてくる。
「知ってる? 絵梨花は俺と付き合ってることになってるの」
「誰が流した噂か知らないけど、嘘はやめて欲しいよね」
「俺は嬉しいけどね」
「訂正して下さいよ」
「……女泣かすような男より、俺にしとけよ。俺の方が優秀だし?」
「……泣かされてない」
と言ってる間にも、涙がこぼれる。
「やっぱり、兄のこと好きじゃん」
「……そうだよ。私は兄のことが好きなんだよ。悪い?」
胸の中に押し込めていた気持ちが、ついにあふれ出した。
「悪くないけど。最初から言えばいいのに。俺は他のやつに惚れてる女には、手を出さないことに決めてんの。もし兄にフラれたら、俺が慰めてやるよ」
「……藤川くんって、いい人だったんだね」
「今頃知ったの? 俺は全力で真っ直ぐに生きてるだけの男よ?」
「あはは。ごめん、超しつこいだけの男だと思ってたよ」
最寄りの駅まで、二人で笑いながら歩いた。
これを紫苑が見たら、どう思うだろう。
また心配させてしまうかな。
嫉妬してくれるかな。
紫苑のためには、誤解されたままの方がいいのかもしれない。
だけど、やっぱり誤解はされたくないよ。
本当は、大好きだよって伝えたい。
私のこと、ずっと好きなままでいて欲しい。
大人のくせに、私はなんて身勝手なのだろう。
こんな自分なんて、大嫌い。
出会わなければ、こんな気持ちになることはなかったのに。
ーーそうだ、最初から出会わなければよかったんだよ。
*****
次の日、私は新幹線に乗っていた。
窓の外を眺めながら、紫苑のことを思い出しては胸が苦しくなる。
これで、リセットできるだろうか。
駅に到着すると地下鉄に乗り換えて、通っていた塾がある駅に向かう。
今日は土曜日だから、午前中から塾に行っているはず。
昼休みに、塾のそばの公園でゲームをするのが常だった。
想定通りに、八年前の私が公園のベンチに座っている。
近くのコンビニで買ったのだろう、パンと飲み物の袋を横に置き、ゲームに興じている。
家では禁止されていたから、隠れて外で遊んでいたのだ。
八年ぶりに見る自分の姿ーー
雰囲気は、ちょっとだけ、絵梨花に似ているかもしれない。
本音を言えなくて、黙って我慢してしまうところとか。
勉強するのは嫌いじゃないけど、当時は義務感だけだった。
両親が高校教師だからって、そのレールに乗っていただけ。
私は、本当に教師になるべきだったのだろうか。
「……どうするにゃ? 今日を逃すと、ここにはもう来れにゃいよ? お金、もう残ってにゃいだろ?」
わかってるーーわかってるんだけど。
改変したら、今までやってきたことが無駄になる。
紫苑を好きな気持ちは消せるけど、全てなかったことになってしまう。
忘れたいけど、忘れたくないよ。
絵梨花の心残りも、晴らすことはできない。
あんなに優しい家族に、わだかまりを残したまま娘の死を迎えさせてしまう。
みんなに幸せになってほしいのに。
ーー絵梨花の願いを叶えるって、決めたじゃない。
「……これで、良かったのかにゃ?」
私は結局、過去の自分に接触するのをやめた。
思い返せば、悪いことばかりじゃなかった。
楽しいことも、たくさんあった。
教師になったのも、結局は自分の選んだ道。
この世界に来て、教えることが好きな自分に気付けた。
生きていられたとしたら、もう一度、教師をやりたい。
私がこのまま死んだとしても、紫苑の家族のわだかまりは解けている。
それだけで、私がここに来た意味はあったのではないか。
ーー私は最期まで、こちらの世界で生きることを選んだ。




