第24話 3月9日 二人きり
「ねぇ、絵梨花。藤川くんと付き合ってるって本当?」
前の席の鞠が振り向き、話しかけてきた。
「はぁ? そんなわけないじゃん!」
ーー寝耳に水の話で、驚きと同時に怒りが湧いた。
「だって、この前、一緒に帰ってたんでしょ? いつもは紫苑くんと一緒なのに、藤川くんと二人で帰ってるところを見たって子がいてね……」
「あれは、別にそういうんじゃないの。なんで一緒に帰っただけで誤解されるかなぁ。それ、間違いだから、誰かに聞いたら訂正しておいてよ」
「ちぇー、ついに絵梨花が兄離れしたのかと思ったのにぃ」
「いいから、それ言ってる人がいたら、訂正してよ?」
「はーい(しぶしぶ)」
どこから湧いた噂なのかわからないが、やっぱり紫苑の耳にも入っていた。
「いい加減、はっきり断れよ」
「毎回、やんわり断ってるよ。この前も走って逃げたんだよ?」
「そのうち、事実にされたらどうするんだよ」
いつものように二人で帰宅中、急に母からのメールが届いた。
【お母さんのお友達に不幸があって、今から離島に行ってきます。お父さんも出張でいないけど、二人でなんとかできるかしら】
紫苑にも同じメールが届いているが、何と言ったらいいのかわからないといった表情で、固まっている。
「紫苑くん、ごはんどうしよう……何か買って帰る?」
悲しいかな、記憶が戻った私は思い出してしまった。
私は料理が壊滅的なのだと。
「……はぁ、お前はまず先に来るのが、飯の心配なのかよ」
紫苑がため息を吐きながら、呆れている。
私の心配をよそに、家に帰ると紫苑が夕食を作ってくれた。
「紫苑くん、料理までできるの? 本当に器用だね」
「お前、料理はできるんじゃなかったっけ? 再婚前は、家事は自分でやってたんだよね? ほら、父さんの料理が、あれだし……」
そういえば、絵梨花ってそういう子だった。
設定を忘れてた。
「ほら、お母さんのごはんが美味しすぎて、ずっと作ってなかったから、作り方を忘れちゃったみたいで」
咄嗟に誤魔化してみたけれど、さすがに無理があったかもしれない。
「洗い物は私がするから」
私は、たるんでいるのだろうか。
つい、素の自分が出てしまう。
紫苑と一緒にいるのが当たり前になりすぎて、甘えてしまっているのかな。
残り、あと半月もないのに。
「紫苑くん……今日もゲームと勉強……やるの?」
紫苑の部屋のドアを開けて、顔だけ覗かせる。
家に二人きりだと思うと、さすがに部屋に入るのはためらわれた。
「え、やんないの?」
あまりにも平然と言うので、拍子抜けする。
全く、紫苑というやつは、自分の好きなことには躊躇がないな。
ーーなんだ、緊張しているのは、私だけか。
このルーチンも、もうすぐ終わりかと思うと寂しいな。
せっかく仲良くなれたのに。
毎日、楽しかったな。
「じゃ、勉強しよっか」
今まで紫苑がつまづいてきた部分は、一通りできるようになった。
私がいなくなっても、この調子で受験まで頑張って欲しい。
問題を解いている途中、紫苑が口を開いた。
「あのさ……」
「ん? どこかわからない?」
「……俺じゃ、ダメなの?」
「何が?」
「藤川避け」
「あの噂のことなら間違いだって言うし、気にしてないよ」
「俺が気になるんだよ」
「そうは言ってもねぇ……まったく、心配性な兄なんだから」
今日の勉強タイムはここまでいいかなーー
私はペンや消しゴムなどを片付け始める。
その時、紫苑が私の右手首を掴んだ。
消しゴムが床に落ちて転がる。
「まだわかんねぇの? 俺は、お前のことが好きなんだよ」
紫苑が真剣な顔で見つめるから、目を逸らしてしまった。
自分の顔がどんどん熱くなるのがわかる。
「……だって、妹だし……」
「俺の中じゃ、もうとっくに妹なんかじゃないよ。一緒にいると楽しいし、何をするのもかわいい。他の男に渡したくないし、俺だけのものにしたい」
紫苑からの告白が、嬉しかった。
私も同じ気持ちだから。
認めたくなくて、見ないふりをしていただけ。
「……嫌?」
紫苑の優しい手が、私の頬に触れる。
「……嫌……じゃ……ない……」
紫苑の息がかかるほど近付いて、目を逸らせなくなる。
君が望むなら、私の全部をあげたって構わない。
ーーだけど。
「……ごめん……私じゃ、ダメなんだよ」
いつの間にか、涙がこぼれていた。
私は君に、何もしてあげれない。
こんな気持ち、知りたくなかった。
「ごめんなさい」
紫苑を押しのけ、急いで部屋を出た。
絵梨花の部屋に戻っても、胸の鼓動がおさまらない。
いつもさりげなく優しい紫苑のこと、私も好きだよ。
毎日楽しかったのは、私の方だよ。
おかしいな、大人のくせに。
私も好きって言えたら、どんなに楽だろう。
でも、この体は、絵梨花のものだ。
それに、もうすぐこの世界から消えてしまう。
紫苑と別れることがーー苦しい。
「猫又さん」
「何にゃ?」
現れた猫又は、太い尻尾をゆっくりと揺らしながら、窓辺に横になっている。
「もし、過去の私が進路変更をしたら、どうなると思う?」
「どうなるかは知らないにゃ。教師になってないんなら、オイラのマブダチ神サンの社には行ってないし、オイラに会うことも、事故に遭ってもないだろ? 別の場所で幸せに暮らしていたかもしれないし、もっと早くに死んでた未来もあったかもしれないにゃ」
未来が変われば、私は紫苑に出会うことなく、別の人生を送ることができるだろうか。
心をかき乱されることのない、平穏な毎日をーー送れていただろうか。




