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白き伝承  作者: 道宮真澄
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白き伝承 それぞれの戦争 まえがき

歴史は、繰り返す。繰り返してはならないからこそ、学ぶ。

近代戦争というものが多量の犠牲を出したことを学ぶこともなく、二次大戦、そして新たな戦争の時代へ足を進めようとしている。どんな戦争か?…簡単な話だ、貴方はコントローラーを握って、ドローンを飛ばす練習をする。何も難しいことは無い、単純に飛んで、進んで、目標に当てるだけでいい。これほど簡単に、貴方は人を殺せる。人一人?いや、一両の戦車だ。貴方はそのゲーム機みたいなコントローラーで、いとも簡単に一日で戦車数両の戦果を挙げることができる。撃墜された?大丈夫だ、まだ在庫はたっぷりとある。貴方はこれからこう言うかも知れない。「やった!当たった!」と。

命というのは、戦争、国家という巨大な機構の前では数字に成り下がる。貴方が一人の戦死者の言葉に共感して泣いている間に、国家はきっとこういいながらほくそ笑んでいるだろう。「人数の規模に対して死者一人か、素晴らしい!完勝だ!」と。命の価値が戦争を前にすると、急に置物か荷物になってそこらへんに捨て置かれるのだ。あまりに人を殺しやすい戦争は、人にさえその価値を錯乱させる。「見ろ!敵国の兵士が逃げまどってる!遊んでやろう!」そう叫んで、貴方はドローンで兵士を追いかけまわすかもしれない。それが嘘だと思うのなら、貴方は恐らく戦争について常識的な立場にいる。

だが悲しいかな、戦争はそう単純ではない。多数の映像、記録が残され続けているウクライナ戦争を見れば、彼らのメンタリティーのセーフティーがどこかへ行ってしまったことが実感できるだろう。撃破した戦車の残骸を処分するため、ドローンで手りゅう弾を開口部に放り込む。彼らはこれをある種の遊びとして行っている節があるのだ。無論彼らがサイコパスだとか、大量殺戮者などと言っているわけではない。彼らさえも同様に、ドローンの音を恐れている。結局彼らも、敵国の兵士と同じというわけだ。

人は恐怖を感じると、それから逃げようとする。いたって当然の話だ。戦争があれば、それを恐ろしいものとして避けるように動いたし、核があれば、人類が滅んでしまうと恐れて避けようとした。だが、恐怖は薄れてしまうものだ。いつかは忘れてしまう。ことさらそれより小さい恐怖など気にすることもない。なぜか?避けるという反応のひとつとして「慣れる」ことが機構として存在するからだ。アメリカ人が日本でよくある小さい地震に驚くのと同じだろう。

…ところで、貴方は平和と戦争についてどう思うだろうか?不戦降伏?抗戦玉砕?なんだっていいが、戦争の目的がどれだけ理にかなっていてもまずは避けるべきというのが結論になるだろう。戦争というのは、常に近代国家では最終手段だったから。———途方もない死者が出たら?凄惨な情景と人を何人も生み出したら?結論的には「平和になろう」ということになるだろう。まさか、原因となる国家を一つ残らず殲滅しようとは誰も思うまい。…ここで一つだけ、仮説を立てよう。「戦争によって平和がもたらされる」。

いたって驚くべき、突拍子もない発想だろう。だが、「犠牲の多さが平和を望む声となる」という前提条件を設定すると、この理論はこういうステップを踏む。まずは戦争だ。戦争によってたくさんの死者を出す。何千万という、途方もない数字だ。最低限、二次大戦の死者は上回る必要がある。でないと、慣れによって受け流される危険性があるからだ。受け流されれば、平和は続かない。平和を提唱するほどの死者がないと、この理論は瞬間的に泡となる。死者が多ければ多いほど、恐怖によって人は平和を望むようになるだろう。たった一人の死を高らかに語って平和がもたらされるというのなら、貴方が国連のスピーチで感動する原稿を書いて欲しい。きっと誰も、その物語に涙を流すことは無い。

国家というのは、無慈悲なシステムたりうる。国民を戦争と犯罪、飢餓、病気、貧困から守るための構造体でありながら、国家の維持のためには優先順に切り捨てることも必要になる。一人の気持ちを優先するようでは、国家は存続し得はしない。具体的に最小限の損害に抑えるために、国家は「数字」という物差しを使う。戦争も同じだ。もし一人が死んで、彼の死にざまが悲劇的だったなら、これほど無残なことができるかと、戦争をやめる。ああ、殺した彼はそんな死にざまだったのか、申し訳ないことをした、戦争を終わらせよう、ということになればどれほど早く戦争が終わるだろうか。パレスチナで戦う人たちなんぞこの世にはいないだろう。

国家と戦争を比較することは本質的に間違いだが、戦争を語るうえで指揮者は必然的に国家たりうる。戦争の目的は必ず「話し合いでは解決しなかったことを解決する手段」であり、そこには勝ったか負けたかという二元論の世界が広がっている。敵に負けた?そんなことは嘘だ。負けたなら次勝てばいい。無論「その戦争がある限り」の話だが。言いたいことは結局、一人を殺せばその敵討ち、またそれの敵討ちと、物語は膨れ上がる。感情で止める手立てに期待するのなら、まずは彼らから憎しみを取り除く方が圧倒的に早い。

恐怖に支配されるまで、兵士は憎しみと興奮で戦場を荒らしまわる。逆説的には恐怖さえあれば彼らの士気は極端に低下していく。もちろん支配のしやすさもだ。これを一般人まで広げて適応するのはかなり簡単だ。兵士が人でないなら別だが。一般人に対して恐怖を植え付ければ、その恐怖は平和という種への栄養となる。「あんな恐ろしいことはもう嫌だ」と思う意思が平和へと彼らを導くというわけだ。

…どうだろうか?この理論が適応可能とするなら、救いようのない戦争まみれの世界に救いを与えられるかもしれない。平和という楽園の為に、一度世界を破壊する。化学反応のように一度結合を切ってしまえばいい。平和という着地点へ向かう反応は、勝手に進んでいくだろう。

さあ、この世界を変えよう。この救いようのない世界を。答えのない問題に、私は唯一、初めて、そして最後の回答者となるだろう。私の理論を、貴方はどう思うか。貴方の正義で、考えてみてほしい。たとえ意味なぞなかったとしても、それは考えを変えるきっかけにはなりえる。貴方が見る世界はこれから、変わっていく。それについていくためのアップだ。

そろそろ話を終わりにしようか。これから私は忙しくなる。では貴方も頑張りたまえ。

                ———道乃修也へのインタビューの記録

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