4. 「いってきます」
ついに家を出る日になった。
昼食を家族でとった後。今、私は部屋で髪を切ってもらっている。
「うっ、うぅ〜…」「お嬢様が本当にいなくなってしまうだなんて……、」「ちょっと、泣かないで……?」
こんなにもみんなが泣くなんてことは想定外だった。それにしても、泣きながらも手は止めないのだから器用なものだ、と感心する。
「わたくし、死んでしまうわけじゃないのよ?」「……実は、死んでいただくことになっております」「…えっ!!?」
やっぱり私を家から出したくないという父様の陰謀なのだろうか。急いで逃げ出そうとする。
「待ってください、殺しませんよ」「あくまでも対外的に、ということです」
話を聞くに、これは父様と母様が練ってくれた計画らしい。
公爵令嬢イレーシュア・フェンゼルは、婚約破棄されて気が弱り、衰弱死したことにされるらしい。
葬式は行わないが、父様と母様は遺品として私の髪を使って作ったアクセサリーを身につけるそうだ。
…父様、母様、ありがとうございます…!
これで、貴族の自分としっかりお別れできそうだ。
髪を切り終わったようだ。鏡の中の自分を見る。
容姿にあまり興味がないからなんともコメントし難いが、頭が軽くて不思議な感じだ。
「わたくし、いえ、私はもう貴族のイレーシュアとしてではなく生きていけるのね…。最後まで支えてくれて本当にありがとう」
「お嬢様〜…」「もう、涙もろいんだから」
彼女たちとのお別れは私も寂しい。つられて泣きそうになる。
「イレーシュア様」「エリオット…」「寂しいですか?」「ええ、少し」
「今ならまだ引き返せますよ?」「いいえ」
そうだ、これは私が選んだ道。それに、私は一人じゃない。
「エリオットがいてくれるから安心なの、これからもよろしくね」「当然です」「ふふっ」
思わず笑いがこぼれた。エリオットもこちらを見て微笑んでいる。
「イレーシュア様、手を」エリオットのエスコートを受けて、玄関ホールに向けて歩き始めた。
「イレーシュア〜〜〜!!」「お父様、暑苦しいです」
ハグしようと駆け寄ってきたお父様を華麗に避ける。お父様がつんのめっている。非常に面白い眺めだ。
しかし、後始末のために色々と考えて動いてくれたことは事実だ。一応、立ち上がるのに手を貸す。
少し遅れてやってきたお母様がお父様の横に並ぶのを見てから、姿勢を正して挨拶をする。
「お父様、お母様。今まで育ててくださってありがとうございました。また、わたくしが貴族として生きるのを止めるにあたっての後始末、本当に助かります」
「いいのよ、これが親としてあなたにできる最後のことなのだから」
「辛くなったらいつでも帰ってきなさい。それと、こちらを」お父様に鳥かごを渡された。
「伝書鳩だ。何かあったらいつでも連絡してくれ」「ありがとう存じます」
「エリオット、イレーシュアを頼みます」「お任せください」
私は屋敷の皆を見渡した。両親、メイドたち、護衛騎士たち、料理人、下働きの人たち。
今まで、いかに多くの人に支えられてきたかが目に見える。
…これでお別れね。
この場の全員の視線が私たちに向いている。
最後の挨拶。背筋を伸ばして前だけ見据える。
「それでは、行きます」
「行きます、ではなくていってきますと言ってちょうだい」
母様の声。はっとして見る。
彼女の目は、『貴族をやめても、ここは貴女の居場所でありつづける』と語っていた。
深呼吸。寂しさ、不安、今までの感謝。
自分の全てを、この一言に凝縮して。
「いってきます」「いってらっしゃいませ」