閑話. 娘と騎士
お父様視点の閑話です。
「お父様、わたくしはもう身分や婚約に縛られたくございません。どこか、人のいないところで静かに暮らしたく存じます」
我が最愛の娘はそう言った。生まれたときから決められていた婚約者、皇太子アリウス殿下に婚約破棄された翌日の朝だった。
…イレーシュアは、アリウス様を愛してはいなかった。大人の都合で押し付けた婚約が立ち消えたことは喜ばしい。
しかも、だ。誰の目から見ても頑張り屋で愛らしいイレーシュアと、どこからどう見ても無責任でやりたくないことからは逃げ回ってばかりのアリウス様。
どう考えてもイレーシュアの方がいい子だし、アリウス様には釣り合っていなかった。
…イレーシュアが本当の幸せを掴めるように、父親として援助は惜しまない!全てはイレーシュアの為に!!
けれど、娘を一人で外にやるなんて、非常に危ないし不安だ。
「大丈夫です、エリオットを連れてまいりますので」
………!!!!!!
エリオット。ある雪の日、我が家の門の前で凍えながら眠っていた子供。
当時3歳で、自分の名前しか知らず、何も持たず一人で震えていた幼子を、1歳の娘を持つ私と妻は捨て置くことができなかった。
それ以降、彼のことは息子のように可愛がって育てた。
いつからかは分からないが、彼が娘に特別な感情を抱いていることには気づいていた。
だが彼はとても理性的で、自分の心を抑えて娘に尽くしてくれていたし、私達も彼が娘の側近くに使えることを認め、二人で部屋で過ごすことも黙認してきた。
…そうだな、二人にとって今回のことは大大大チャンスだもんな。こうでもしなければ、主と騎士という立場を超えて結ばれることはできない。
個人的には、イレーシュアには愛する人と結ばれてほしいが、貴族である以上身分の釣り合いは考えなければならない。
ただし、貴族としての「イレーシュア」を捨てれば話は別だ。
この手段を使えば、二人は結ばれることができる。
…いやしかし。寂しいものは寂しいぞ!父様はイレーシュアを外にやるなんて嫌なのだ!!
「…何を一人でぶつぶつ言っているのです?」冷たい目を向けられたのであった。
「はあ、イレーシュアが家を出るなんて……」「しつこいですわよスタニック」
寝室で愚痴っていたら妻にまで呆れた目を向けられた。
「しかしエミーリア…ずっと目の届く場所で大切に大切に育ててきた娘が、家を出ていくんだぞ…しかも男と二人で暮らすんだぞ……」
「エリオットならイレーシュアのことを大事にしてくれるでしょう?何も心配はいらないのではないかと思いますわよ」
「しかし……」「はいストップ。そうやってぐだぐだ言っている暇があったら、イレーシュアがいなくなった後、対外的にどう誤魔化すかを考えましょう」
「…そうだな」
翌日の朝食の席で。
「お父様、お母様。わたくしがエリオットと一緒に家を出ると聞いたメイドたちの反応がおかしいのですが、なにか知っていませんか?」
「…変、とは?」「目を輝かせて、どうか末永くお幸せにと言われました」
…え?二人はずっと恋仲でいたのではないのか…?
屋敷中の暗黙の了解が、当事者の一人の発言で、揺らいだ。
「イレーシュア。君に聞きたいことがある」「なんでしょう?」
…ああ、私の娘は今日も実に美しい。小首を傾げた姿がとてもあざとかわいい。さすがイレーシュア。
……という場合ではない。理性を取り戻すため、一度咳払いをして姿勢を正す。
「イレーシュアにとって、エリオットはどのような存在なんだい?」
「それはもちろん、頼りになって優しい、素敵なお兄様のような存在です!」
…………………。
娘が恋をしていなかったことへの安堵と、息子を応援したい気持ちと、娘の無防備さへの不安が渦巻いて、私は頭を抱えたのだった。