5話 崩壊
「俺達がそう呼ばれようとしていたわけではないのだが、そう呼ばれていた事実は変わらない」
「みゅ。その執行部隊さんと組織を統べる主様がどうして、裁くべき対象にこんな事するの?」
ミディリシェルは、ルーツエングを見て、そう問いた。
ルーツエングのした説明では、ミディリシェルは、裁かれるべき対象となる。だが、フォルは、ミディリシェルに対して、保護と言っていた。
「君はただの被害者だという事と、僕らにとって大切な子だから。っていうのが表向きの理由。後者はともかく、前者は前提条件でもあるけどね」
「ギュリエン、いいや、神獣の罪の証であるミディを処罰の対象にはできない」
「……昔のミディはすごい悪い人って事?」
悪人だから、裁く事ができない。それは、矛盾しているが、罪と言われて、そうとしか思えなかった。
「逆だ。今と変わらず、純粋無垢でいる事を強いられる、可愛い生き物だ。悪いのは、貴様の周りにいた神獣達。それを止める事のできなかった我々だ」
そう言った、イールグの右手が、ミディリシェルの頬に触れる。
優しいその温もりは、ミディリシェルが、ずっと欲しかったもの。だが、それを認める事ができなかった。
「今まで、ずっと一人で我慢してきたのだな。こんなに傷ついて。もう、我慢しなくて良い」
「……何の事なの。ミディはなにも我慢してないの。あそこで、婚約者さんと幸せになるの」
「そんな未来は来ない。知っているんだろう?」
薄々気づいていながら、それでも、気づかないふりをしてきた部分。イールグが、躊躇なく、その部分に触れた。
「ルー!」
ルーツエングが、イールグを止めようとする。だが、それをフォルが止めた。
「主様、止めなくて良いよ。本来僕がそう言わないといけなかった。この子は、ほんとは気づいているんだから」
涙を溜めた、ミディリシェルの瞳が揺れる。
イールグは、真剣な顔で、ミディリシェルを見つめる。無責任に、ミディリシェルの触れられたく無かった部分に触れた訳では無いのだろう。
「……幸せなの」
今のミディリシェルは、そう言うしかない。あそこ以外に、自分の居場所を見出せないのだから。
「すぐに受け入れる事などできないだろう。だが、考えてみろ。本当にそれで良いのか。その答えが出るまで、いつまでも待つ」
「……」
「イールグ、そろそろ話の続きを。まだ、伝えないといけない事はあるから」
「そうだったな。ミディの保護の概要だったか……これに載っている」
イールグが、一枚の紙を渡す。ミディリシェルは、ぬいぐるみを抱きしめつつ、恐る恐る、その紙を受け取った。
受け取った紙を、身体とぬいぐるみの間に挟んで、ミディリシェルは、書いてある内容を読んだ。
「……みゅ?……みゅぅ?……読めない……けど、それ言ったらきっと、馬鹿にされうるの。されなくても、子供ってされるの」
ミディリシェルには読めない文字。
五歳の時から、教育を受けていない。これは、魔法が効かない紙に書かれている。魔法が使えないとなれば、本来受けるべき教育を受けていなかったミディリシェルには、読む事が難しい。
ミディリシェルは、読めない文字の書かれた紙と、じっくり向き合う。だが、読めないものは、どれだけ頑張っても読めない。
読む事を諦めたミディリシェルは、困った表情で、フォル達を見つめた。
「大体はさっき言った事だけど、一つだけ。君は情報提供者になってもらう。その口実がある方が都合が良いから」
「……いっぱい本あるの。毎回いっぱい書いてるの。恋愛小説あって、興味いっぱいだけど、意味不明」
フォル達が求めているであろう情報。それは、ミディリシェルは持ち合わせていない。
ミディリシェルは、ぷぅっと頬を膨らませた。
「重要書籍は、あそこなかったと思うけど、他は何かあった?」
「知らないの。ミディも全部把握してるわけじゃないから。一番気になるのは、ミディが昔から持っている本なの」
「魔原書リプセグか。それは、君が持つべきものだから、大事に持っていて」
ミディリシェルは、こくりと頷いた。
魔原書リプセグ。その言葉は、懐かしくは感じるが、それが何故なのかは思い出せない。
「……悪い事したからってあの国がなくなれば、ミディの居場所ないないなの」
ミディリシェルにとって、それは重要な事。
現在、ミディリシェルは、十六歳。約十一年間もの間、そこ以外の居場所はなかった。その居場所を壊されてしまえば、どこに行けば良いのか分からない。
「それは君に任せるよ。ほんとに君があそこへいるというなら、僕らは止めない。どっちにするとしても、良く考えて答えを出して」
「……みんな、ミディにざんこくなの。分かってるくせに、全部知ってるくせに」
「そうだね。残酷だよ。これは君にあの国への未練を残さないように言っている事だから。婚約発表の日、なにが起こるか、ある程度把握はしているから」
フォルは、悲しそうな表情でそう言った。
ミディリシェルは、瞳に涙を溜めて、笑顔を見せた。
「嘘も隠し事もしないんだね。あの国の人達と違って」
リブイン王国で、ミディリシェルはずっと、本当の事を隠されてきた。本当は、何の感情もない。ただ、利用するだけに言っている嘘だと言う事を。
リブイン王国の、あの場所は、偽りだらけの居場所。だが、ここは違った。
「嘘をついて、それで君が信じてくれるなら、いくらでも嘘をつくよ。それで、君の心を守る事ができるなら」
「……ゼノンに、優しさを受け入れろって言われたの。ちょっとだけ、受け入れるように頑張ってみるの。だから、教えて?どうしてそんなに、ミディ……私に優しくしてくれるの?私が、罪の証だから?それが分かんないと、ミディ、優しさを受け取れない」
そう問いたミディリシェルは、拳を強く握った。強く、ぬいぐるみを抱きしめて、不安な目をフォル達に向ける。
「今は多分信じられないと思う。でも、この時期を逃せば、暫く言う事もできないだろうし、良い機会なのかな」
「……」
「少なくとも、僕が君に優しくするのは好きだから。別れた方が、僕が君の側にいない方が、君は安全にいられると理解していても、側にいずにはいられない。触れ合いたいと思うほど、君を愛しているんだ」
フォルはどこか、寂しそうで、悲しそうな、笑顔でそう答えた。それが、ミディリシェルが、フォルに求める愛では無い。それは、何故か理解できた。
「俺にとって貴様は妹だ。優しいと言うなら、妹を世話する感覚だ」
「俺も、未来の妹になるから。今のうちに好感度を上げておこうと」
「……未来の妹?」
ミディリシェルは、訳が分からず、きょとんと首を傾げて、聞き返した。
「……主様」
「ミディに隠しておくつもりだったのか?」
「そうじゃないけど」
フォルが「はぁ……」と溜息をついた。
「騙すつもりはないけど、今の君に言うべきなのかと思って」
「みゅ?」
「僕は、管理者の統率、ギュゼルのって言った方が良いかな?フォル・リアス・ヴァリジェーシル。主様の陰で、実弟」
「ふにゅ。兄弟じゃないって言われる方が、謎なの」
ミディリシェルは、フォルとルーツエングを交互に見て、言った。
自己紹介の時、感じていた違和感。それは、フォルとルーツエングが他人だという事。ミディリシェルの目には、二人は兄弟のようにしか見えていなかった。
「今話せるのはこのくらいかな。ここにいる間、自由にして良いけど、何か欲しいものある?用意できるものなら用意するよ?」
肝心の未来の妹の部分には触れられていない。だが、ミディリシェルは、欲しいものの事で頭が一杯だった。
「……(じぃー)」
ミディリシェルは、物欲しそうに、じっとフォルを見つめる。
「……」
「もしかして、匂いついてるもの?」
「……」
ミディリシェルは、こくりと頷いた。
今のミディリシェルの二番目のお気に入り。一番のお気に入りは、あの時少しだけ香った、あの匂い。
今のフォルからは、感じない。
ミディリシェルがなにを渡されるか楽しみに、待っていると、フォルが笑顔で、ルーツエング達を見た。
「そう言うわけだから、今日分の仕事よろしくー」
「……みゅ?」
「……分かった。報告書以外は残ってないだろうから、代わる」
「ありがと。ミディ、それじゃ、二人で一緒にお散歩でもしよっか」
「ふみゅ」
ミディリシェルは、ぬいぐるみを抱きしめたまま、立ち上がった。散歩の時に、匂いがついたものを渡されるかもしれないと、楽しみにしている。
「……みゅ」
フォルの笑顔を見て、ミディリシェルは、ほんのりと頬を赤くした。
差し出された手を取り、ミディリシェルは、じっとフォルを見つめる。
「初めて、好きって言われたの」
五歳よりも前、その頃も、言われた事がない。一緒に魔法具技師として活動していた、ある人物は、ミディリシェルを大切にしていた。だが、好きとは一度も言ってはくれなかった。
リブイン王国で暮らす事になった後も、その言葉は、たまに送られてくる婚約者からの手紙ですら、見た事がない。
「そっか。それは良かったよ。君の一番になれたのだから」
「……みゅぅ。一番……ぽかぽかするの」
触れている手の温もり。今まで、意識した事どころか、感じた事すらない。それは、手だけではなく、ミディリシェルの心にまで、感じる事のできる温もりだ。
だが、同時に、寂しさと悲しさを覚えた。これは、いつかはここを離れるからだろうか。それとも、転生前に置き忘れてきた何か、だろうか。
今のミディリシェルには、それは、分からなかった。
「ふにゅ」
「嬉しそうだね」
「みゅ……ミディ……私、ずっと、こういう、なんでもない、温もりが欲しかったの。ずっと、誰かに見てもらいたかったの。愛してもらいたかったの。それって、いけない事だったのかな。頑張らないと、もらえないものなんだよね?ミディ、だけじゃ、ないんだよね?」
ずっと我慢していた。それが、たった一度の告白と温もりで、強がりと共に、崩壊した。
ミディリシェルの瞳から、大粒の涙が、ぼたぼたと溢れ落ちる。
「頑張らなくて良いんだよ。それで、愛してくれないとか言うなら、そんなの本物の愛情なの?」
「でも、みんな、頑張って、いっぱいいろんな事して」
「愛されるための努力は、あると思うよ。でも、君のそれは違う」
「……違っても、そうするしかなかったの。ミディは、ミディがきらい。だから、愛してもらうなら、それ相応の対価をあげないといけないの」
本当の自分の一部を知るミディリシェルは、自分を好きになどなれなかった。だからこそ、金を与えれば愛してくれるという、虚言をずっと、信じようとしていた。
幾つも言い訳を並べて。
「……今までずっと、辛かったよね。ごめんね、ずっとあそこにいさせて」
ミディリシェルは、フォルに抱きしめられた。
初めの頃は、それを信じた。だが、次第に、その愛情は、送られる事がないと気づいた。
その時は、何度も泣いて、泣いて、それでも、信じようとして、信じる事はできなかった。
そうしているうちに、自分を騙す言い訳をするようになった。
こうでもしないと、愛してなんてもらえないんだと、無理矢理納得させた。
その時間が長く、それは当たり前となっていた。
当たり前になり、気付けなくなっていたもの。ミディリシェルは、それに気づいてきているのだろう。
自分を守るための嘘が、次々と消えて、崩壊していく。