12話 温もりの夜明けと不器用な光
ミディリシェルは、皮膚を食い破られた痛みで、声を出しそうになるが、両手で口を押さえて、声を出すのを必死に耐えた。
穴の上からは、ゼノンの、「エレー」と心配そうに呼ぶ声が、何度も聞こえる。だが、ミディリシェルは、それに応える事ができなかった。
――安全に、穴さんも安全に、虫さんを遠ざけるだけの魔法……あるにはあるけど、エレの魔法だと……
ミディリシェルは、弱い魔法を使うのが苦手だ。使えなくはないが、こんな状態で使えば、間違いなく、失敗して、穴が崩壊するだろう。
「動かないで」
穴の上から聞こえた声。ミディリシェルは、その声を聞いて、ぴたりと止まった。
「……ふぇ」
ミディリシェルの身体にくっ付いていた虫が、全て一気に落ちていった。ミディリシェルは、動かなくなった虫を見て、瞳に涙を溜めた。
「……なんで、なんで、何も言わなかったんだよ」
穴の中のに降りてきたのはフォルだ。ミディリシェルの事をかなり心配しているようだ。
「ゼロが虫きらいだから。でも、エレが助けてって言うと、ゼロは迷わず来るから。それに、エレだって、自分の身を守るくらいは」
「できてないから、こんなに血だらけになってるんだろ!」
フォルが、ぽたぽたと、涙をこぼして、そう言って、ミディリシェルに、癒し魔法を使った。ミディリシェルの皮膚が、綺麗に治った。
「でも、ゼロにはもう百ホール作らすの」
「……」
「自分で助けたのに、自分で見捨てるの?このギュリエンの地で、また血を流すの?」
「……卑怯だ。そんな事を言い出すなんて。そんな事をできないって、知っているのに。分かってるから言ってるんでしょ。僕が、もうここを汚したくないって。それを分かっていて、ここを創ったんじゃないの?……卑怯すぎるよ」
「ふみゅ。エレは、フォルと一緒にいるためなら卑怯になるの。エレは、フォルに飼われるのもちょっと良いと思ったけど。ちょっと良いと思うけど」
ミディリシェルは、そう言って、笑顔を見せた。
「……流石に飼いはしないよ。こんな、何するか分からない猫なんて。飼うならもっと、従順な方が良い。目的が達成してても、恋人のようには扱っていたよ。外には出さなかったけど……僕の目的は、君らを御巫の運命から解放する事だったから」
「……ふみゅ。卑怯なの、そっちも一緒なの。おんなじなの。エレとゼロは、フォルと一緒にいたい。結婚はできなくても、その願いは叶うの……ううん。もし、エレ達を関わらせずに、御巫が、本来の役割でいられるようになれば、それも叶える事ができるの。それに、リミュねぇ達に、奇跡の魔法で可能性を与えて救った。エルグにぃとルーにぃに、御巫と一緒に生きられる未来を見せた。その目的が達成しても、願いが叶う事なく悲しむのはない。フォルを除いて」
ミディリシェルは、そう言って、泣きながら、フォルを抱きしめた。
「みんながなんて言葉使わなよ。ただ、エレはそんなのやなの。エレは、フォルに笑って欲しいの。そんな悲しい顔で、一緒にいて欲しくない。全部諦めて、一緒にいて欲しくない。フォルのために、エレのために、ゼロのために、諦めようとしないで。それで納得しないで。逃げようとしないで」
「……」
「ゼロもフォルも、エレの事をきらいだと思うの。だって、エレの事なんて、何も考えてくれない。エレが喜ぶ事違うの。こんなのじゃないの。それを分かってくれない。いつも、エレを一人にする。エレが一緒にいたいの聞いてくれない。ゼロとフォルが、こんな事ばかりするなら、エレは、エクリシェを出ってってやるもん!二人のところに帰んなくなるもん!」
そう言ったミディリシェルからは、聖星の紋章が消えていた。役割を終えて、消えたのだろう。
ミディリシェルは、フォルから、少し離れた。
「今回は、意識的に使ってたから、視てきたものの記憶もあるの。本当に悪いと思ってるなら、エレに、フルーツタルト五百ホール作って詫びるの。他はだめなの。ゼロと合わせて、フルーツタルト、七百ホールなの」
「……あのさ、君って、絶対感動シーンとかやるとぶち壊す才能あるよね?なんかもう、こんなわがまま姫を、箱に入れようとした事が馬鹿らしくなってくるよ。御巫の運命から解放して、三人で何も考えずにいられる未来をあげようとしたのに」
「いらないの。三人で笑って一緒にいる未来が欲しいの。その周りには、みんながいる。みんなで楽しい未来なの」
「……そうか。なら、聞かせてよ。もう、どう答えられても、戻る事ないけどさ……それを聞く前に、そのみんなの中に、あの子らも入ってる?」
フォルの言うあの子らとは、かつて、ギュリエンで一緒にいたギュゼルのメンバーの事だろう。
ミディリシェルは、こくりと頷いた。
「ありがと。これだけ聞けば、もう、こんな事やめるよ。もう……あそこから逃げるのはやめる。ちゃんと、向き合うから。あれは、最悪の結果だった?君の視たものからして、君が望む、その世界からして」
フォルの問いに、ミディリシェルは、ふるふると首を横に振った。
「……一番良い結末だった。エレが、視た中で。エレの望みとしては、良いとかは分かんない。でも、他の選択をしてたらきっと、昔の関係は壊れてたの。どうして、自分達を守るためにって。フォルは、自分達を信頼してないんじゃないかってなってたと思う」
「……」
「最悪の結末って言えなくてごめんね。嘘、つきたくない。みんなが生きている未来はあっても、もっと悲惨な状態だったの。だからね」
ミディリシェルが、言葉を紡いでいると、フォルが「もう良い」と、言葉を遮った。
「ごめん。言いづらい事言わせて。それ以上言わなくて良いよ。教えてくれてありがと。それと、君の歌、とても良かったよ。曲名とかってあるの?」
フォルが、そう言って、今にも泣きそうな表情で、笑顔を作った。
「みゅぅ……みゅ⁉︎温もりの夜明けと、不器用な光。フォルは、エレにぽかぽかをいっぱいくれたの。ゼロは、いつも不器用で、エレに光を見せてくれたの。お礼は」
「ケーキは却下。ていうか、全部フルーツタルトとか飽きない?五百ホール作る気ないけど」
「まだ何も言ってないの⁉︎いつものフォルなの⁉︎」
「こういう時の君が言う事くらい分かる。それと、その驚きのポーズする必要ないでしょ」
「ふみゅ?単純だから?」
ミディリシェルは、ぷぅっと頬を膨らませて、そう言った。
「君は僕のお嫁さんらしいから」
フォルが、笑みを浮かべて、そう言った。
「そうなの。エレはフォルの」
「ほんとさ、記憶改竄してんじゃないの?君のその発言に嘘がないんだよ」
フォルが、呆れた表情で、そう言った。
「本当の事だから」
「君の記憶ってどうなってんの?もしかして、こうして会話してんのも全部、それ系に変換されてんの?」
ミディリシェルは、きょとんと首を傾げた。
「エレー!抜け駆け禁止つっただろー!」
上から、ゼノンの、叫び声が聞こえた。
「ふみゅ⁉︎なんで分かるの⁉︎」
「エレ、もしかしたら、紋章消えた事で、共有が」
「みゅ?ふにゃ⁉︎そういえば、紋章中だけ切るようにしてたの⁉︎ふみゃふみゃふみゃ」
ミディリシェルは、穴の中で、あわわと、その場でぐるぐると回った。
「ふみゃぁぁ」
「大丈夫?少しは大人しくしておけないの?」
「しんらつなのぉ」
ミディリシェルは、目が回り、フォルに、抱きついた。
「エレ抜け駆け」
「ゼロうるさいの」
「……そうだね。そろそろ戻ろうか」
「みゅぅ」
ミディリシェルは、むぅっと不機嫌になった。
**********
穴から出ると、ゼノンが、瞳に涙を溜めて拗ねている。ミディリシェルは、ゼノンの頭を撫でて、慰めていた。
慰める間に、フォルから、ナティージェの事を聞いていた。
「従弟の話は聞いている。ナティーなら、大丈夫だけど、従弟はそうじゃないみたいだから」
「みゅ。エルグにぃが言ってたの。従弟さんは、保護したんだって。だから、それ伝えれば良いの」
ミディリシェルは、ゼノンに頬擦りをしながら、そう言った。
「……」
「ふみゃ⁉︎ゼロのご機嫌は解決できないの⁉︎」
「それは君がやりたい放題やってるからじゃないの?」
ゼノンが、拗ねたまま。ミディリシェルが、どれだけご機嫌取りをしていても、全然効果がない。
「ふみゃ⁉︎忘れてたの。いっぱい堪能したから、これ返すの」
「返さないで。今返されたら、虫に破られたぼろぼろの服だけになる」
「ふみゃ⁉︎フォルが選んでくれたのに……」
「また選ぶよ。今度は、君を着せ替え人形にしながら。その時は、買ってあげる」
「みゅ」
ミディリシェルは、こくりと頷いた。
「……むぅ」
ミディリシェルとフォルの会話を聞いているゼノンが、頬を膨らませている。
「まだご機嫌斜めなの。なんなの、この生き物」
「いつもの君……こうすれば、機嫌直るんじゃないかな。どっかのお姫様もこれで直るから」
「……むぅ」
フォルは、ゼノンを、抱きしめる。ミディリシェルは、それを見て、ぷぅっと頬を膨らませて、ぷぃっと顔を逸らした。
ゼノンの機嫌は良くなっている。
「……ねぇ、どうすれば良いの?」
「ゼロじゃなくて、エレをぎゅむぎゅむするの」
「エレじゃなくて、ゼロをぎゅむぎゅむするの」
「……僕、ナティージェに伝えてくるよ」
フォルがそう言って、すたすたと、洋館の方へ歩いて行く。
「待ってー」
「行かないでー」
ミディリシェルとゼノンは、一人で行くフォルを、走って追いかけた。
**********
洋館の中に入っても、ミディリシェルとゼノンの喧嘩は続いていた。
「歩くの速いの。エレ置いてくのだめ。ゼロは良いの」
「ゼロ置いてくのがだめで、エレは良いんだ」
「……記憶が戻ったのに子供になるってなんなんだろう。エレ、ゼロ。そんな事ばかり言ってると、面倒だから置いてくけど良いの?というか、ゼロ、エレにそんな事ばかり言ってると、そのうち君から離れるんじゃない?僕いれば良いとか言って」
「エレ好きー」
「……しょくりょぉ目的丸見えなの」
ミディリシェルは、ゼノンに抱きつかれて、顰めっ面をしていた。
「……なんだかいやぁな雰囲気なの。エレこういうところきらい。フォルにくっ付きたい」
「ここは昔使っていた施設だからね。古くなっているんだろう……そうだ。エレ、帰ったら、僕が持ってる記憶を返すよ。君が、自分から封じていなければ、その記憶の中にこの施設の意味を知るものがあるだろう」
「ふみゅ」
薄暗く、歩く度に、ギシギシと音が鳴る床。今にも抜けそうで、ミディリシェルは、恐る恐る、一歩一歩を歩んでいる。
古く、雰囲気のある洋館。
ミディリシェルは、隣にいるゼノンの手を握った。
「ふぅ、リーガ、じゃなくて、ヴァリジェーシル様」
――ふみゅ。懐かしいの。昔、フュリねぇ達は……
藍色のツインテールの少女。彼女が、ナティージェだろう。
「ナティージェ、何してるの?」
ナティージェを見ると、両手いっぱいに、素材となりそうなものを持っている。
「やられっぱなしは、性に合わないんで、ここにある素材を持てるだけ拝借しましょうかと」
「ほんと良いせっかくしてるね。せっかくだから、全部貰ってきな。収納魔法使って」
フォルが、笑顔でそう言った。
「仲間なの」
「うふふ、こっちが、エレ姫とゼロ姫ですか。噂以上に可愛らしいです。こっから、姫の声が聞こえていました。ありがとうございます。従弟の事を教えてくださって」
「ふみゅ。初めまして、ナティーねぇ。エンジェリルナレージェでちゅ」
「初めまして、ナティーねぇ。ゼーシェリオンジェロー……でちゅ」
「エレのお仲間さんなのー」
ミディリシェルは、笑顔でそう言った。
「ふみゅ……ふみゅ」
「楽しそうだな」
「ふみゅ。なんかね、さっきから、変な音がするの」
ミディリシェルの耳には、洋館へ入ってから、チッチとリズムの良い音が聞こえている。徐々にそれが大きくなる。近づいてきているのだろう。
「どっかで聞いたの」
「不吉な予感しかしない。ゼロ」
「共有で聞こえてはいるが、普段聞いてねぇような音で、何か分かると思うか?」
「……ふみゅ」
「どういう音かくらい分からない?」
「高くて重い感じでチッチって、一定のテンポ。なんか、心地良いな。これ聞いてると、良く寝れそうだ」
ゼノンが、そう答えると、ミディリシェルは、こくこくと頷いた。
「そうなの」
「……実際に聞かないと分からないな」
「みゅ。音魔法で聞けると思うの。普通には聞こえないと思うけど、音魔法なら聞こえるの」
「やけに詳しいね。僕らが聞こえてないから?」
ミディリシェルは、ふるふると首を横に振った。
「なんとなく」
「……聞いてみよう」
「ふみゅ。聞いた方が良いの。おすすめなの。聞くべきなの。この前、エレが作った爆弾魔法具みたいな音」
「は?」
ミディリシェルは、笑顔で言った。それを聞いたゼノン達が、目を見開いた。
「今すぐここから……っ⁉︎」
フォルが、洋館から、脱出させようとするが、洋館に、爆発音が鳴り響いた。