2話 居心地良い場所
一人になったミディリシェルは、部屋の中でぼーっとしていた。
ぶるん
突然、緊急用連絡魔法具から音が鳴る。
ミディリシェルは、突然の音に驚き、ぴょんっと跳ねて、ベッドから身体が浮いた。
ミディリシェルは、記憶にある限りでは魔法具を扱った事はない。ミディリシェルが常時つけている髪飾り型のある特殊な魔法具を除いて。自分で扱う事は一度もなかった。
だが、扱い方は知っている。ミディリシェルは、緊急用連絡魔法具を手に取り、通話ボタンを押した。
『ごめん。言い忘れていた事があったんだ』
「みゅ?」
通話の相手はフォルだ。
『服着替えたいと思うから、クローゼットの中の服を自由に使って。それと、そこに置いてあるスープは、できれば飲んで欲しいかな。不味くはないと思うから』
「ありがと」
伝えたかった用件は言い終えたのだろう。フォルからの通話が切れた。
「やっぱり、違うの」
リブイン王国で意識を失う前、ミディリシェルが会った相手。
それはフォルのはずだが、ミディリシェルは別人だと感じている。あの時感じていたものを、今のフォルからは感じる事ができない。
「……」
ミディリシェルは、自分の服を見た。真っ赤な液体がべっとりとついている。服を着替えた方がいいと思い、ミディリシェルは、服を脱いだ。
服を脱いだ後に、クローゼットを開け、中に入っている服を適当に取り出す。
取り出して着てみるが、どれも、身長的にも体型的にもぶかぶかで、脱げないか心配になるレベルだ。
これでは、着る事はできないだろう。
「……どうしよう……裸で過ごそうかな……とりあえず、散らかしたのお片付け」
ミディリシェルは、ベッドの上に、服を脱ぎ散らかしている。
その服をクローゼットに片付ける。
「ふきゃ⁉︎」
クローゼットの服を片付けている最中、ミディリシェルは、何もない場所でつまづいて転んで、足を机にぶつけた。
奇跡的に他のものは無事だったが、ぶつかった拍子に緊急用連絡魔法具が机の上から落ちた。その衝撃で、緊急用連絡魔法具からぶるぶると音が鳴る。
「ふきゅぅ」
だが、ミディリシェルは、緊急用連絡魔法具の事にかまっている余裕はない。
ぶつけた足を両手で押さえ、涙目で誰がどう見ても分かるほど痛そうにしている。
カチャン
扉が開く音がする。
「……どこを突っ込めば良いんだ?俺、こういうの慣れてねぇから」
ミディリシェルの事を、人間の国の姫だからというだけの理由で冷たくあしらっていたゼノンが、連絡を受けて部屋を訪れた。
ゼノンは、ミディリシェルを見て、呆れと憐れみが混ざったかのような表情を浮かべている。
「頭は大丈夫なのー!」
「そう。なら、とりあえず服着ろよ」
「……しゃぁ」
「……サイズが合わなかったのか。なら、先に片付けるか」
そう言ったゼノンが、服を片付けるのではなく、ミディリシェルを抱き上げ、ベッドの上まで連れて行かれた。
ベッドの上で座らされたミディリシェルは、ゼノンに布団ぐるぐる巻きにされる。
「大人しくしてろ」
「……」
ミディリシェルは、ゼノンが服を片付けているのを見ながら、ベッドの上で大人しくしている。だが、表情から、不服なのが滲み出ている。
――優しいのかも。でも……不満。
「自分でできるの」
ミディリシェルは、頬をぷぅっと膨らませて、そう言った。
「向こうでも、なんでもこうやって人にやってもらってたんだろ。大人しくしてろ」
「……知らないの。やってもらってないの。お洋服だって、これしか持ってないんだから」
「は?」
「……」
ミディリシェルは、布団に視線を向けた。
――ふかぁ
「……スープは、溢れてねぇな。おかしいだろ。緊急用連絡魔法具は落ちてんのに、スープは一滴も溢れてねぇなんて。つぅか、まだ入ってるって事は、先に服を着替えようとしてたのか?」
「……スープさん知らない。人から出されたものは何も食べないの」
「……薬も」
「あれは見るからに、にがにがさんだったから」
ミディリシェルは、嘘を吐くという事を考えず、正直に答えた。
ゼノンが、その答えを聞いて、手を顎に当てた。
「……」
「ふみゅ⁉︎」
ミディリシェルの口の中に、スープの入ったスプーンが入った。
ゼノンが、スープの入った器とスプーンを持って、ミディリシェルに近づき、スープをスプーンに掬って無理矢理ミディリシェルの口の中に入れた。
「毒なんて入ってねぇよ」
「ミディ……私、何も言ってない」
ミディリシェルは、考えている事を読まれたようで、警戒を強めた。
「警戒の仕方だ……悪い。全部勘違いだったんだな。あの国で、わがままで、贅沢三昧で悠々自適に暮らしている。そういう噂があったんだ。それを、疑わなかった。けど、実際に会ってみて、こうして話していて、違うのが分かる」
ゼノンは、本当に申し訳なさそうにしている。
ミディリシェルは、黙って聞いていた。
「こんなに警戒ばかりして、何も与えられていなかったみたいで。俺、すぐにおかしいって気づけたはずなのに、知ろうとしなかったんだ。気づこうとしなかったんだ。それで、あんな態度とって、悪かった」
ゼノンは、謝罪しつつも、スプーンを持った手だけは止めていない。
それもそうだろう。
ミディリシェルが、一口だけでそのスープの美味しさに釘付けとなったからだ。
早く早くと口を開けて待つ雛鳥のような姿を見せるミディリシェルに、ゼノンが餌を与える親鳥になっている。
「気にしてないし、謝られても迷惑なだけなの」
「……その理由は、今は聞かないでいてやる」
「……そんな事言わずにほっといて」
「ほっとけるわけねぇだろ。少しでも目を離せば怪我しそうなのに」
「なら早く帰して!今すぐに帰して!」
今までの態度を反省して優しくするゼノンに、ミディリシェルは、優しさを受け入れず、ベッドの隅で、膝を抱えてゼノンを睨む。
「だったら、苦くてもちゃんと薬飲んで症状を安定させろ。苦いの嫌なのは分かるが。今のまま帰せるわけねぇだろ」
「……いらない。にがにがさんやだし。それに、もうこれ以上何も受け取りたくないの」
「なら、時間はかかるが、薬飲まずに安定するまで大人しくしてろ」
「やなの!早く帰して!そうやって、優しくなんてしないで!」
「だめだ。俺は、一旦自分の部屋戻って、昔使っていた服を持ってくるから、そこで大人しくしてろよ」
ゼノンがそう言って、部屋を出た。
**********
何かに怯えて、人の優しさを全て拒絶する。何かは知らないが、何かに縋っている。自分に嘘を吐き続けている。
ゼノンの目から見たミディリシェルは、そんな感じだった。
「ここに来る前の俺に少し似てるな」
「警戒心は、この以上だけどね」
ゼノンが部屋に戻り、ミディリシェルが着れそうな服を探していると、フォルが部屋を訪れた。
「ゼノン、あのこの様子は?」
「早く帰してくれって言ってる。どうするんだ?あのまま、納得させずにいさせる気か?」
「それはしたくないけど……ある程度症状が安定するまでは帰せないって言うのは、納得して欲しいかな。あとは、本人次第だけど」
今のミディリシェルの状態は、いつまた酷い発作が起きて倒れてもおかしくはない状態だ。
ゼノンが勝手に帰さないと言っていたが、フォルも同意見のようで、ほっと胸を撫で下ろした。
「そういえば、ゼノンって正装は持ってたっけ?」
「多分」
「持っているんなら良いけど、もし持ってないなら言って」
「ああ」
なぜ正装があるのか聞くかは分からないが、それについては何も聞かない。いつか必要になるんだろうとしか思っていない。
「それより、さっきから何を探しているの?」
「リミュねぇが選んだ服がサイズ合わなかったみたいなんだ。だから、俺の昔の服で代用しようと思って探してる」
ゼノンは、フォルにそう説明しながら、クローゼットの奥にしまってあった昔の服を発見した。サイズを確認するが、これであればミディリシェルが着れそうだ。
「俺、服渡し行ってくる」
「僕も一緒にいくよ」
ゼノンは、見つけた服を大事に持って、フォルと一緒に部屋を出た。隣の、ミディリシェルのいる部屋へ向かう。
**********
ミディリシェルは、ゼノンが服を探しに部屋を出て一人になった後も、一人でベッドの上にいた。
「婚約者さん、王様さん……ミディがいなくなっているって事に気づいてくれるのかな?心配してくれてるのかな?」
ミディリシェルのいた部屋は、人が来ない。本当に稀にだが、本の回収をまとめてする時に来るくらいだ。
ミディリシェルを心配しているかどうかの前に、ミディリシェルがいなくなった事にすら気づいていないかもしれない。
「……ミディががんばれば、みんな、愛してくれるって言っていたの。だから、早く帰って、本の復元をいっぱいいっぱいがんばらないといけないの」
もし、いなくなった事に気づいていたとしても、心配なんてしないのではないか。どうでも良いと思われているのではないか。
一人でいると、不安が膨れ上がる。
その不安を打ち消すように、ミディリシェルは、一人でそう呟いた。
「ふにゅ。ベッドさんはふかふかで、お部屋はとっても広いの……ミディも、がんばってお金をいっぱい稼いで、結婚したらこういう広いお部屋で婚約者さんと二人で過ごす事になるのかな」
ミディリシェルは、婚約者との婚約発表を控えている。その婚約発表が済み、結婚しても良いという許可が出て、結婚する事となれば、ミディリシェルは、あそこで過ごす事はなくなるだろう。
今までは、部屋なんてどうでも良いと思っていたが、こうして実際に見てみると、少しだけ憧れる。
「ふにゅ」
この部屋を出る事になる前に、目に焼き付けておこうと、ミディリシェルは、きょろきょろと部屋を見渡した。
「ソファじゃなくて、ふかふかのベッドが良いの。寝心地すごく良さそう……良かった?……良いの」
ミディリシェルは、今まで硬いソファで寝てきた。しかも、狭く寝返りすると落ちる。
寝転んで、ベッドの上で寝るという体験をしていると、二度とあのソファには戻れなくなりそうな寝心地。
ミディリシェルは、思う存分ベッドを堪能している。
「……服持ってきたんだが」
ゼノンとフォルが部屋を訪れる。ゼノンは、気まずそうにしている。
ミディリシェルは、何事もなかったかのように、ベッドの上に座った。
「そんなにそのベッドが気に入ったのか?」
「知らないの」
「服」
「いらないの。着せようとするなら裸で過ごすの」
「さっきよりも警戒されてる」
ミディリシェルは、服を受け取らず、ぷぃっとゼノンから顔を逸らす。
見られたくないものを見られて、警戒心が限界突破している。
「ゼノン、服貸して」
「あ、ああ」
ゼノンがフォルに服を渡す。
ミディリシェルは、誰が相手でも着ないのという目で二人を見る。
「ミディ、大人しくこれを着れば、早く帰る事ができるかもしれないよ」
「……着るの」
ミディリシェルは、渋々、服を受け取った。
「みゅ?……なんか……違う気がする」
ミディリシェルは、ボタンに苦戦している。
「お前、そのくらいはできるようになれよ。ボタン付きの服着た事なかったとしても」
ゼノンが、呆れながらそう言って、ミディリシェルが着ている服のボタンを付け直した。
「このくらい一人でできるの。子供じゃないんだから」
ミディリシェルは、ぷぅっと頬を膨らませてそう言った。
「(くんくん)……これすきかも……すき」
ミディリシェルは、手を顔に近づけて、ゼノンから借りている服の匂いを嗅いだ。
「……その手があった。ゼノン、部屋戻ってて」
「……ああ」
ゼノンは、訝しげな表情を浮かべて、部屋を出た。
ゼノンが部屋を出ると、フォルがミディリシェルを抱きしめた。
「……(くんくん)……みゅみゅ⁉︎こ、これは」
現在のミディリシェルの一番のお気に入り。それの次の次くらいにフォルの匂いが気に入った。
「ふにゅぅ」
「ミディ、一緒に寝ても良い?」
「ふにゅふにゅ」
「すき?」
「ふにゅふにゅ」
ミディリシェルは、匂いが気に入って、上機嫌で、フォルの言いなりになっている。
「良くなるまで、ここで大人しくしてくれる?」
「ふにゅ……ふしゃ⁉︎早く帰して!」
「……話す理由はないの」
匂い効果が消えたミディリシェルは、フォルを睨んで、そう言った。
「……じゃあ、ほんとは、明日にする予定だった、本題に触れよう。ミディ、君は、管理者って言葉を聞いた事があるかい?」
「……」
「今回、僕は、管理者として、あの国がやっている事をほっとくわけにはいかない。君も、それについて心あたりがありんじゃない?あの国がしている、悪事について」
フォルにそう聞かれて、ミディリシェルは、一瞬、動揺を見せた。