02
王都を発って3日。そろそろこの旅も折り返しだ。
馬車から覗く景色を見やり、飽きる車窓に溜め息を漏らす。
夜は寄る街々の宿で睡眠をとるが、食事と寝る以外の時間はほぼ移動だけだ。体の節々が痛んできて、わたくしはついつい憂鬱になる。
「……シャルロッテ様」
「ごめんなさい、リエラ。わたくし、ちょっと疲れてしまっただけよ」
「移動時間が長いですから……少し、休憩にしますか?」
「うーん……大丈夫よ、ありがとう」
ふわふわな膝掛けを手繰り寄せ、わたくしは少しだらしなく木枠に寄りかかる。
「シャルロッテ様」
御者台の小さな窓に向かっていたリエラが、わたくしを振り返った。
「もう少し先に、小さな湖があるそうです。早いですが、お昼にいたしましょう」
「ほんと!?」
「ええ。なだらかな丘になっていて、景色も良いそうです」
立ち上がり、すかさず支えるリエラにがばりと抱きついた。ガタンと馬車が揺れ、2人して慌てて席に戻る。
「シャルロッテ様のお好きな、お茶も淹れましょう。前の町で、名物の果物も買いましたわ」
「わーい! ありがとう、リエラ!」
「うふふ。あと少し、頑張ってくださいませ」
大人しく椅子に腰かけたまま、わくわくと到着を待つ。
しばらくして馬車が止まり、安全確認が済んだと騎士が呼びにきた。
キラキラと光る透き通った湖と、一面に広がる草原。木々と馬車の間に幌を広げ、影で昼食の仕度が始まった。
「綺麗な場所ですね、リエラ」
「はい。お食事まで、もう少しかかるそうです。少し、周りを散策しますか?」
「ええ。素敵な景色ですもの。自分の目でじっくりと見てみたいわ」
さわさわと頬を撫でる風が気持ち良い。
綺麗な湖と、良く晴れた空。王都では味わうことのできない自然に、胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
リエラが差す傘の中から、広がる青を見渡す。
その、北方に。
「リエラ。あれ、何かしら?」
小さな黒い点々は、ぐんぐんと移動し、近付いているような気がする。
サッと顔を青くしたリエラは、わたくしを背に庇うと逃げるように馬車へと引き返した。
「王都から離れるにつれ、魔獣が現れると聞きます。シャルロッテ様は、馬車の中へ。騎士に指示を出します」
「まあ」
「いいですか。絶対に、ドアを開けないでください。リエラがお迎えに参るまで、絶対にですよ」
「わかったわ」
馬車の中へ押し込められ、ドアが閉じられる。ガチャリと鍵もかけられ、狭い小部屋に取り残された。
外からは慌ただしく動き回る気配と、人の声がする。
わたくしは御者台へ続く小さな窓をそっと開け、見える範囲で外を覗いた。
ドアを開けちゃダメとは言われたけれど、窓はダメとは言われていないもの。
「……シャルロッテ様」
外から、震えるリエラの声がした。しかしその震えは恐怖からではなく、どちらかというと興奮したような色合いだ。
「リエラ、リエラ。わたくし、鍵がかかっているからドアが開かないの。外の様子が分からないわ」
「! い、今開けますね。お待ちください」
がちゃがちゃとドアをいじるリエラが、かしゃんと鍵を落とした音がする。いつも何でも完璧にこなす、失敗知らずな彼女が、珍しい。
慌てるリエラをなだめつつ、鍵を開けてもらって外に出た目の前の草地には……。
「……竜!!」
見上げる程に大きな、空を飛ぶ生き物がいた。
「……シャルロッテ様。おそらく、アーヴィン・キュアノス様です」
声を落として、リエラがわたくしの後ろから囁いた。それにこくりと頷き返すと、竜から降り立つ男を待つ。
「……アーヴィン・キュアノスだ」
冷たく、鋭利な声が耳に届いた。
「初めまして、アーヴィン・キュアノス様。シャルロッテ・キュアノスと申します」
「君が、花嫁か……」
ぱちりと、視線が合う。男、アーヴィン・キュアノス様の、その瞳は--藍銀。
最敬礼をとり、深く頭を下げる。リエラや騎士達も、黙してわたくしに倣った。
「……継承権は放棄している。今はもう、クリュスタに住む、ただのキュアノスだ」
「それでも。わたくしは、初めてお会いいたします旦那様に、お礼を申し上げたく思います。この度はわたくしとの結婚をお許しくださり、ありがとうございました」
「……甥の、唯一で最後の頼みだ」
ふい、と目をそらされる。
「……長く馬車に揺れるのも大変かと思い、飛んできた。竜であれば、夕方には城へ着く。乗るか?」
「!! 良いのですか?」
「……怖くなければ」
思いもよらぬ提案に、わたくしは興奮してリエラを振り返る。彼女は困ったように眉を寄せていた。
「君が竜に乗るなら、騎士は最低限にしてクリュスタまで来てもらおう。馬車は飛ばせば2日で着く」
「わたくしがいなければ、ゆっくり走る必要はありませんね」
「ああ」
護衛をする者がいなければ、騎士はここで仕事は終わり、追従していた従僕の数も減らせる。荷を守る最低限の数と、減らした余力で馬車を牽けば時間も縮まるはずだ。
「お願いしても、よろしいですか? キュアノス様」
「……アーヴィンで良い。君も、キュアノス姓だろう」
「まあ」
元婚約者であるネストによる、彼の叔父であるアーヴィン様との、政略的な意図を多分に含むこの結婚--まさか彼の方から、歩み寄ってくれるなんて。
「ありがとうございます、アーヴィン様」
わたくしは、にこりと微笑んだ。