私の話を聞いて欲しい
私の話を聞いてほしい。
「可もなく、不可もなく」
こんな言葉をご存知だろうか?もちろん知っていると信じたい。
これを座右の銘にしたいなどという酔狂な輩とはなかなか巡り会わないし、巡りあったとしてもそんな言葉を座右の銘とするくらいなのだから、大して個性的でなく、印象に残らず、昔の同級生から「〇〇って覚えてる?ほら、座右の銘が可もなく、なんとやらって人」って言われて、ああ、そんな奴もいたなぁと回想しようとするが、彼とのエピソードが一つも思い浮かばない。うーんうーんと唸っていると、目の前の同級生が「わたしも思い出すの手伝ってあげる!」と宣って、結局いい大人が顔を付き合わせて、天井を見上げ、45度首を傾け、小一時間ほど時間を無駄にして、「まあ、もういいか」と先に言い出してくれたことに安堵を覚えながら、久々の再会を祝して、乾杯!
といったところである。つまりは、「可もなく、不可もなく」などという言葉を座右の銘にしたところで、誰も幸せにはなれないし、いつまで経っても戦争は終わらない。
かくいう、「私」もそんな言葉を座右の銘にしてなどいない。だが、親しい人から言われたことがある。「あなたの座右の銘は 可もなく、不可もなく でいいんじゃない?」と。とてもふんわり、くちどけのよい。メレンゲでできたお菓子を、人差し指と中指でつまんで、舌にひょいと乗せるくらい軽い感じで言われた。
私はそのことを根にもつつもりなど全くなく、言われたそのときも「おいおい、なんだよそれ。それはまるでおれが街頭でアンケートをお願いされて、 [はい][いいえ][どちらともいえない]で答えなければならない10問足らずの用紙すべてに、どちらともいえない と回答してしまうってこと?」と、メレンゲとはいかないも、プッチンプリンのように軽くてウィットに富んだレスポンスに成功したほどだ。
しかしだ。実際には三年二ヶ月と3週、4日と8時間12分43秒経過した今日においても、その言葉は私の脳に残留し、ことあるごとに、呪いのように、思い起こされる。
ぜんぜんメレンゲではなかった。潰れかけた田舎の喫茶店が、今日のレトロブームが追い風となり、ただただ年月とともに風化しただけの店内に人がぽつぽつと集まるようになった、ここを逃してはならない、、!と齢80を超える店主が最後の気力と胆力を振り絞って、三日三晩の熟考の末生まれた、その名も「キングパフェ」。お値段4800円。
そのくらいのインパクトをもって、刻まれてしまっていたのだ。
そして、なぜに今日も今日とて、その言葉に打たれてしまったのかと申せば、眼前で眉間にこれでもかというほど皺を寄せて、私の書いた渾身の論文を読んでおられる教授。
彼が、最後の原稿を読み終え、机の上に些か乱暴に私の渾身を放りだし、シワの寄りまくった眉間を右手で優しくマッサージして元々の顔に戻ろうとしている最中に言い放った言葉のなかにもそれが含まれていたからに他ならない。
「読ませてもらった。なんというか、とても君らしい。」
私らしい?私らしいとは、なんだろう、、わたし。いけめん?大変おおらかで、とんびにサンドウィッチを盗まれてもキレなかったところ?
「可もなく、不可もなく」
私はこれ見よがしに、肩を落としてしまった。また一段と呪いが深くかかってしまった気分だ。
可もなく、不可もなく。いっそのこと、不可ならよかった。
だめだと言われたら、それをなおせばいい。
いいねと言われたなら、それを讃えればいい。
可もなく、不可もない私は、いったい何をすればいい?
教授は、肩が膝よりも下に下がった青年を初めて見たのか、目をまんまるとさせていた。
が、しばらくすると落ち着いたのか、不憫な若者に対して、道を示してやりたい気になった。
「君のそれはね、美徳だよ」
青年の肩はまだ膝の下だ。履いているコンバースのスニーカーとキスをする間近。
「世の中には、どうという事柄ひとつひとつに白黒つけようと躍起になるものがいる。これは、君が思っているよりずっと多くの人間がそうなんだ。この政治家は正しい。宇宙人は存在しない。子供は産まない方がいい。これがいい、あれは悪い、なんてな。」
教授は机の上に自らが放り出したA4容姿の束を整え始めた。
「曖昧でいいこともある。可もなく、不可もない状態が最良であるというのは、この世の事象には意外と多いもんだ。だから君は、この世の中に相応しい」
どさっ、と背中が少し重たくなって、丸まった私の背にa4用紙の束が置かれたことがわかった。
私はそれを両手を後ろに回して受け取り、下を向いたまま小さくありがとうございましたとつぶやいた。
教授はそのまま部屋を出ていこうとして、出口の手前で足を止めた。
「あ、ただな」
ただな?
「その論文は、私が『可』をだすまで、何度でも書き直してもってきなさい。」