手折られる命 下
そこからメイとマヤは分かれる。マヤは送信機のある部屋にリーウェイを引きずっていった。メイは四人の兵とともに監禁部屋へ。
監禁部屋はいくつかあり、一番手前にあった部屋に入る。中にはひとりの男性が横たわっていた。髪が薄く、全身傷だらけの四十男。唇は破れ、涙の痕が残り、床には血が飛び散っていた。
メイは男の肩を叩く。
「大丈夫? あなた、長官よね? ランファンは?」
男は衰弱しているが意識はあった。咳込みながらメイの顔を見上げた。
「あの子の、友達かい?」
肯定しようとし、咄嗟に思いとどまる。迷いながらも喉を震わせた。
「いえ、その……恋人、です」
長官は若干動揺したようだが、すぐに飲み込んだ。
「そうか。助けに……。ありがとう、おそらく隣の部屋に」
メイは兵士に長官を頼むと、隣の部屋に駆け込む。
同じ間取りの部屋。壁際に小さな体が横たわっていた。服ははがされ、血に汚れている。
メイは恐る恐る近づいた。少女の体を抱き起す。顔は原型がわからないほどに腫れ、爪ははがされ、体には幾筋も切り付けられた痕。
「……ランファン? ランファン」
体をゆする。相当衰弱が激しいのだろう。ついてきていた兵士がそばにしゃがむ。
「少し見るよ」
一言断り、呼吸を見る。気道を通してもう一度呼吸を確かめ、念のため脈も取る。
後ろにいた兵士に小声で「黒」と伝えた。
「メイ、残り10分だ。それまではここにいていい」
メイの背中をぽんと叩き、扉の外に出て廊下を警戒する。
だがその言葉もメイには届いていなかった。ただぼんやりと「黒」という単語だけは聞き取った。
あくまで現場でのトリアージだ。まだ可能性はある。
あるはずなのだ。
だというのにランファンの体は冷たくて、情熱的だった唇は紫色に変色し、抱き寄せても拍動は感じられない。
「ねえ、約束通り来たよ。ランファンが言ったんじゃん。私、ちゃんと助けに来たよ。……ねえ」
顔の血を拭う。琥珀色の瞳には光がなく、虚ろ。
「……嘘つき」
涙が落ちた。
「嘘つき、嘘つき、嘘つき、嘘つき! 言ったじゃん、死にに行くわけじゃないって、あたしが来るの待ってるって、いつかデートしてくれるって、世界を変えるんでしょ!? こんなとこで寝てていいの!? ねえ、答えてよ、ランファンが言ったんじゃん、全部。……あたし、嘘つきは嫌い……」
声が震え、視界がぐちゃぐちゃになって、理性が感情の制御を手放す。
鞄から髪飾りを取り出した。
「ランファンのでしょ。宝物も、ちゃんと持ってきたよ? あたしは約束守った。だから、ランファンも守ってよ」
額を押し付ける。少女の体に弾力はなく、押し付ければどこまでも沈んでいくような感じがした。
目を開ける。ランファンは何も答えない。視界の隅で銀色の櫛が光っている。五センチほどある、金属の櫛。先端は鋭利で、手に押し当てると簡単に血が出た。
もう一度ランファンを見る。最後に琥珀色の瞳を目に焼き付け、瞼を閉ざした。
櫛の先端を喉に押し当てる。じんわりと血がにじむ。あとは地面に倒れ込めば貫通するはずだ。
ランファンと出会ったのはほんの一か月前。なのにこの少女はメイの奥深くに入り込み、メイのすべてになってしまった。
だから、この少女を失った未来に希望なんてない。
ランファンは目を閉じる。
瞼の奥に浮かんできたのは、ランファンを傷つけるリーウェイの顔。
憎い。
生まれてはじめて感じるほどの、激しい憎悪。
リーウェイが、リーウェイという化物を生み出した党が、こんな世界を作った党首が。
――だから、メイはもう一度目を開けた。ランファンの背負い、立ち上がる。
メイが廊下を歩いていくと、放送を終えたマヤたちと合流した。
「そっちも終わったようだな」
うなずくと、撤退の指示を出し始めた。
マヤの視線は部下へ向かっている。リーウェイは縛られたまま、無造作に壁際に置かれていた。
メイは速足でリーウェイに近づく。拳銃を抜いて額に押し当てた。
「ひっ! やめっ」
ぱん、と銃声がリーウェイの言葉をかき消す。
脳漿が飛び散り、リーウェイが倒れた。
「なにしてる!?」
マヤがメイから拳銃を取り上げた。だがもう遅い。メイを睨みつける。
「幹部は使えるから生かしとくって言ったよな?」
「メイのお父さんがいる。情報源はひとりで十分よ」
マヤはこめかみを痙攣させる。言いたいことは山ほどある。だが、今は敵地だ。
「撤退するぞ。人員と残弾をあたれ」
マヤの指示で、兵は機敏に動く。
部隊が動き出したのを確認するや、マヤはメイの肩に手を置いた。負ぶっている少女を見る。死んだ人間か、意識を失っただけなのかはすぐに判別がつく。今まで何度も見てきたから。
だから、はじめて友達を失った人間も、山ほど見てきた。
とはいえ、メイは軍人ではない。今回はランファンを助けるためにともに動いたが、そのランファンは死んでいる。
「どうするつもりだ」
「言った通よ。この国を壊すって」
温度のない声。
そう、メイはまだ死ねない。死ぬ前にやることがある。
ランファンは言った。この国を変えると。
メイは誓った。この国を壊し、党首を殺すと。
それはきっとランファンの望んでいたこととは違うのだろう。けれど、もはやメイの行動理由はランファンのためではない。自分のため。自身の復讐のためだ。
それがメイにとっての、新しい生きる理由だった。