帝国の忘れ物 下
二人は川で水を浴びる。
メイが体をこすると見る見る綺麗になっていく。
「……あたしって汚れてたのね」
サバイバル生活中のマヤより汚れてるのは驚いた。
「衛生状態が悪いと病気がはやって部隊が丸ごと戦えなくなるからな。ちゃんと洗っとけよ?」
「あたし、別に軍人じゃないんだけど」
「それだけ風呂入るのが大事ってことだ」
マヤは笑いながらメイの頭をわしわしとなでる。
「ねえ、マヤさん」
「なんだ?」
「党内部での権力争いで、負けた側は常に粛清されてきました」
「……あー、なんだ」
言いよどみ、どうしたものかと髪をかき上げて間を持たせる。
「友達をなくすのはつらいよな。わかるよ。私らの仲間も大勢死んだ。戦ってる間も、戦いが終わってからも」
「自決ってこと?」
「そうだな。負けたって聞いて、降伏するくらいならって死んだやつも多いよ。まあ、今までずっと敵だと思ってた相手に下るのはな。生き恥さらしてる私らよりいさぎいいよ」
マヤは励ますようにメイの背中を叩く。川を上がり、体を拭くともとの軍服に身を包んだ。メイも軍人たちが手作りした麻布の服を着る。
しっかりと武器まで整備し、マヤは振り向いた。
「戻るか。今日はもう寝ろ」
「……ねえ、もうひとつ聞きたいんだけど」
「なんだ」
「なんであなたたちは自決しなかったの? 死ぬのが怖いから?」
それまで愛想のよかったマヤの顔がぴくりと引きつる。
「生き恥をさらしてるって言うくらいだし、負い目はあるんでしょ? なんで立派に軍人として死ななかったの」
「なにが言いたい」
その質問には答えず、マヤの目をまっすぐに見る。
たぶん、これで合っている。合っていると思うのだがめちゃくちゃ怖かった。
そもそもメイは人と目を合わすのが得意ではない。ましてや目力の強い軍人なんて恐怖でしかなかった。額にじんわりと汗がにじむ。手が震える。
それでも引いたらダメだ。助けたい人がいるから。
メイが視線を受け止めると、マヤは小さく舌打ち。
「負けを認めたくない、ってのはあるんだろうな。まして私らは軍事面では勝ってた。同盟関係の樹立に失敗したっていう、政治的な要因で負けたんだ。戦えば勝てるって思いは捨てきれないんだ、バカなことにな」
「あなたは、マヤはどうなの。負けを認められない? それとも、部下たちの意見に流されただけ?」
「夢があったっていいだろ。生きる理由が」
「そう。そういう」
メイはゆっくりとうなずく。
「けど、それは幻よ。決してかなうことはない。このままだとあなた達はゆっくりと死んでいくだけ。願っていたってなにも変わらない。動かなければ何も変えられない」
「じゃあ、どうすればいいんだ? 大隊の生き残り百人足らずでイェンアンに特攻かけるか?」
冷静さを取り戻したマヤは肩をすくめて言う。
だがメイは少しも目をそらさず、一歩踏み込んだ。
「なら、軍を集められれば? この部隊以外にもいるんでしょう、取り残された部隊。イェンアン連邦中に分散している帝国軍人を集められれば?」
マヤはすぐには答えない。だが明らかにメイの言葉に反応していた。
「奇策だな。それはただの奇策だ。たった一度の奇策で勝てるほど戦争は簡単じゃないよ」
「そうね。部隊を結集させただけじゃ勝てない。だから、これは最初の一手よ」
今度はマヤがメイの顔を見つめる番だった。メイはさらに一歩踏み込む。
「私があなたたちを勝たせてあげる。もう一度、生きる理由を与えてあげる。だから」
言って、手をさし伸ばした。マヤの瞳を見つめ返す。黒曜石の瞳。冷たく澄んだ、濁りのない瞳。
マヤは諦めたように、メイの手を叩いた。
「話だけなら聞いてやるよ」
あり合わせの素材で作ったログハウスに戻ると、二人は話す。
イェンアンを崩すための戦略。部隊を結集させるための作戦。
マヤはすべてを聞くと、ただ笑うことしかできなかった。
「とんでもねえお嬢さん拾っちまったもんだな」
メイはぱっと顔を上げる。
「ああ、やってやるよ。負けて故国の土を踏むより、勝つために敵地で死のう」
「死んだらダメよ、生きなきゃ。死にに行くわけじゃないもの」
そう、死ぬわけにはいかない。生きてランファンを助ける。それが今のメイにとっての生きる理由だ。
二人で作戦計画を作り終えると、各指揮官たちを集めた。
前置きもそこそこにマヤは説明を開始する。
「作戦計画の前に、お前らスピーカーを知ってるか?」
「スピーカー? ああ、あの日に三度不快な言葉を発してるあれですか」
小隊長のひとりに言われ、マヤはうなずく。
「あれは同じものがイェンアン中にある。それらすべては物理的な回線で繋がってる。党首の言葉以外にも、党の報道にも使われたりするからな。録音を流すだけじゃなくリアルタイムの放送もできる。で、放送を行うための送信機は各長官が持ってる」
ここまではバックボーン。ようやく部隊としての行動の説明がはじまる。
「大隊の目標は長官宅の占拠だ。そこにある送信機を使い、国中に散らばってる帝国陸軍の部隊に結集を呼び掛ける」
大隊の目標を達すると、次は各小隊の目標、行動区分、前進経路などに移る。
マヤは内心では不安だった。戦いはもう終わった。もう一度彼らに戦えと言うのは酷ではないのか。
かつては皇帝の言葉があったから戦えた。だがこれは、マヤの指示ではじまる戦い。マヤの責任ではじまる戦争。
すべての説明を終えると、部下たちの顔を順繰りに見る。
「質問はあるか?」
問われ、ひとりの部下が手をあげる。マヤは先を促した。
「勝てますか、今度の戦いは」
「ああ、勝つさ。勝って家に帰ろう」
堂々と言い放つ。
言下に起こる歓声。部下たちは拳をあげ、喜色をあらわに雄たけびをあげる。
「よっしゃ! ようやくこの時が来た!」
「ああ、今度こそ、勝つんだ、俺たちは!」
マヤは隣で聞いていたメイに視線を向ける。メイは苦笑。気がいいというか、単純というか。
「で、その子は?」
「メイだ。情報を提供してくれただけじゃなく、お前らと違って頭もいい」
「そりゃ俺たちは筋肉で戦うタイプですから」
軽口を叩き合う。
末端の隊員にまで命令を伝えると、宴会がはじまった。
メイにはここで宴会をはじめる理由がまるっきりわからない。わからないのだが軍人たちは酒を持ち出して来て肉を食う。
「酒なんてどこから……」
「普通に盗んできた」
「普通に盗むな」
マヤもまた、酒瓶片手に顔を赤らめている。見れば確かにこの国で売っているものだ。ていうか酒を飲まないメイでも知ってる酒造で有名な町のものだ。
マヤはメイに絡んで来る。
「メイ、お前も飲めよ」
「いや、あたしはお酒は…」
「んだと!? 私のついだ酒が飲めねえっていうのかよ!」
「あー、はいはい、飲みます飲みます」
「わかりゃいいんだよ」
コップを渡され、それに並々と液体が注がれる。コップは盗んだものではなく土を固めて焼いた手作りのもの。
「じゃ、かんぱーい」
マヤの掲げる杯に、メイは控えめにコップをぶつける。
「なあ、メイ。こういうときお前らの国では義兄弟になるんだっけ?」
「義侠ものの小説なんかだとね」
「よし、じゃあお前は私の妹だ」
「なんでよ」
「んだと!? 私の妹になれねえってのか!」
「お酒つぐノリで妹を作るな」
だが、とメイは内心思いとどまる。
「そうね。それもいいかもしれないわね」
「だろ? よし、じゃあ決まりだ」
二人は古式にのっとり、義兄弟の契りを結ぶ。腕を交差させて酒を飲み干すと、周囲から歓声があがった。
「よっ! 帝国一!」
「大将の妹なら俺らの妹だ! 仲良くしようぜ!」
「メイちゃーん! こっち向いてー!」
なぜか帝国人たちは妹というワードにやたら熱狂していた。メイにはわからない文化だ。
とはいえ、これで新参者の疎外感も薄れた。作戦をともにするのだから、関係は密にしておくに越したことはない。
一晩中騒ぎ、翌日は朝から準備。日が暮れるのを待って出発。夜闇の中、軍人たちは山を下りた。
建物が見える場所にまで行くと、現地の地形に合わせて計画を調整。最後の戦術指導を行う。
そして、迫撃砲が火を噴いた。