約束 下
帰りは下り道。気温も涼しいのでさして時間はかからない。
メイは左手には摘んだばかりの花束を抱え、右手はランファンのほっそりとした指が絡み合い、夜だというのに顔が火照ってしょうがない。
隣を見ると、人形のように美しいランファンの横顔。
「ん?」
「な、なんでもない」
「そっか」
平地に降り、なるべく目立たない道を通ってメイの家へと向かう。
村に近づくにつれ、何やら騒がしい音が聞こえてきた。
夜風が火照った頭を覚ます。二人は顔を見合わせ、身を隠した。慎重に村の畑まで来ると、茂みの中に潜んで様子をうかがう。
数十人の憲兵が馬を駆り、農民を追い立てていた。すでに何人かは捕まっており、トラックに詰め込まれている。
指揮をとっているのは副長官のリーウェイ。
「あの男!」
「待ってよ!」
飛び出そうとするランファンの腕を掴む。
「さっき私の言うこと聞くって言ったばっかりじゃん! お願いだから、危ない事しないで……」
「あ、……ごめんなさい」
ランファンが落ち着いたのを見て、メイもまた深呼吸して頭をクリアにする。
「今見てわかる限りのこと教えて」
ランファンはうなずき、リーウェイのことを説明する。略歴、州における立場、父との関係。
聞き終えたメイは頭の中で情報を整理。だいたいの事情を察する。
「やっぱり出ていかないほうがいい」
「でも、あの人たちが」
「リーウェイの狙いは州を乗っ取ることだ」
「どういうこと?」
ランファンは首をかしげる。
「党の設立以来何度も同じパターンの陰謀が起こってる。自分の上司を粛清対処にして、自分がその後釜に座るってやり方。長官の娘が党の管理している食料を持ち出して、農民に与えた」
「ですが、それだけで粛清なんて!」
「農民とパイプを作って党首に対するクーデターを準備してる、これなら粛清するには十分。もちろん、娘が動いたのは長官の指示があってのことってことにして。だから今まで憲兵も動かなかったんだ。準備が完璧に整ったとき、一挙にことを決するために」
「私のせい、ってこと?」
メイは否定しない。否定できない。代わりに言ったのは別の事。
「だから、ランファンが出て行っても仕方ない。リーウェイはもう長官の娘の言う事なんて聞かない。逆に言うと狙いは長官だから、ランファンのことをしつこく追って来ることもない。二人ならきっと逃げ切れるよ」
ランファンの手に自身の手のひらを重ねる。ランファンはメイの手を握り返すも、視線はすぐに村へと向けられる。
ひとりの男がリーウェイの前に引き出された。憲兵が棍棒で殴りつける。
「同志ランファンの行方を知らないかな? この辺りにいるはずなんだけど」
「し、知りません! 本当です! あっしらのとこには来てません。最近はずっと同志メイの家に行っていたようで」
「その家は空だった。逃がしたのだろう、んん?」
男の顔を蹴りつける。男が倒れると、持っていたサーベルで男の足を刺した。
「早く白状してくれないかね。ここにはあまり道具がないからね、殺さず痛めつけるのが難しいんだ。死ぬ前にさっさと教えてくれ」
「知りません! 本当です、同志リーウェイ! 本当に知らないんです!! 許して!」
「おい、次の同志を用意しておけ。死んでもすぐに尋問を再開できるように」
リーウェイに命じられ、憲兵は無造作にトラックに手を突っ込むと、ひとりの子供を地面に投げつけた。逃げないように足で踏みつける。
「悲しいね。次に死ぬのは若い命か。その子のためにもさっさとしゃべったらどうだね?」
言いながらも、男の頬を刺し、切り裂く。
声にならない悲鳴があがる。男は傷を抑えながら地面をのたうちまわった。
「この傷なら話すには問題ないはずだ。さあ、教えてくれ」
「くそ、くそ!! あの疫病神め! あの女とさえ関わらなきゃ! クソ、地獄へ落ちろ!!」
「聞いていないことをしゃべるな、豚」
つま先に金属のプレートが入ったブーツで男の腹を蹴る。男は腹を抱えてうずくまった。
リーウェイは舌打ち。
「使えないな」
男の首にサーベルを振り下ろす。
「次の同志を」
血をぬぐうリーウェイの前に、先ほどの子供が突き出された。
「ねえ、メイ」
耳元でささやかれた言葉に、はっとしてメイはランファンを見る。
「えーっとね」
言いよどみ、「そうだ」とポケットをまさぐる。
「これ、持っててくれない?」
渡されたのは髪飾り。銀製の本体にエメラルドのはめ込まれた上等なもの。
「小さいころ、お父さんに買ってもらったの。私の宝物。今はおしゃれが禁止だからつけれないけど」
「……ランファン?」
「騒ぎに巻き込まれてなくすと嫌だから、預かっててよ」
「なに、言って」
唇をふさがれ、言葉は途切れる。
「ちょっと行ってくる。ごめんね、約束守れない恋人で。けど、リーウェイは知り合いだし、殺されたりはしないと思うからさ。メイは来ちゃだめだよ。逃げて、生き延びて、それから確実に私のこと助けて? メイならできるでしょ」
メイは考えるより先に首を横に振っていた。
「やだ、なんで、さっきあんなこと言ったばっかりじゃん。……嘘つき、バカ、嫌い。嫌いだよ、……行かないで」
「だーかーらー、死にに行くわけじゃないって。メイは頭いいけど、リーウェイの性格は私の方が知ってるからね」
話している間にも、子供の悲鳴が聞こえてくる。ランファンの拳に力が入った。
「メイ、約束。いつかその髪飾りをつけて、目いっぱいおしゃれして、二人でデートしよう。だから今は、ちょっとだけお別れ。私はリーウェイを説得する。メイは逃げて」
子供にサーベルが向けられた。ランファンは最後にもう一度キスすると、茂みから飛び出す。
「リーウェイ! 私のこと探してるんでしょう!?」
「おやおや、隠れてたんですか? 悪い人だ。さあ、車に乗って」
ランファンは促されるままトラックに上る。
「お前たちは関係者をさっさと探せ! 俺は早く帰って眠りたいんだ」
憲兵たちは慌ただしく人狩りを再開。
トラックの幌がめくれ、一瞬ランファンの横顔が見えた。
メイは飛び出そうと一歩踏み出し、固まった。
怖い、足が、喉が、体が震える。涙がにじむ。息苦しい。死にたいくないと思ってしまう。
髪飾りを握りしめた。ランファンのくれた逃げ道、優しい優しい言い訳。
メイは走った。絶対に見つからないルートを選んで、後ろに広がる惨禍から目をそむけて、連れ去られる恋人に背を向けて、走り続けた。
約束を守るためだと嘘をついて。
ただ生き延びるために、走った。