約束 上
宣言通りランファンはしつこくやって来た。
いまだに憲兵は傍観に徹している。それはメイにとって安心できる要素ではなく、かえって不安を増大させた。
今日も懲りずにランファンはやってくる。草むしりをしていたメイの横にしゃがむと、なぜか袖をまくった。
「……なにしてるの?」
「手伝おうと思って」
ランファンは華奢な手で草をつかむと、ちみちみ抜いていく。
「ねえ、メイってなにか好きなことある?」
「別に」
「じゃあ、やりたいことは?」
「特にないかな」
「えー、何かはあるでしょー」
にこやかに笑う。しかしその奥には決して引くまいという決意が感じられた。
根負けしたのはメイのほう。
「……しいて言うなら、山に」
「え、なになに? 山?」
こくりとうなずく。
「墓参り用に、花を」
「よし、行きましょう!」
「ちょ、待って、今は!」
制止の声も聞かず、ランファンはメイの手をとって走り出す。連れだって歩く二人の姿は複数の憲兵に見られていた。
ロイピン州の南半分は山地だ。広大な山地は複数の州にまたがり、深い木々は航空機の視界を妨げるため、戦争中は歩兵部隊が盛んに活動していた。
メイの住む村はその山裾のそばにあり、歩いて一時間ほどで到着。二人して未舗装の山道を登る。
「あー、もう! あんたって行動力ありすぎ!!」
「え、ありがとう?」
「ほめてない! 今度からはせめてあたしの言うタイミングで動いて。絶対憲兵に見つかったじゃん。あーもー、最悪」
「だ、大丈夫だよ! 別に何も言われなかったじゃん!」
「それが問題なの!」
「ええ!? どういうこと!?」
ランファンは頭を抱えるが、説明するのも面倒だった。
とぼとぼと歩くメイの頭がそっとなでられる。
「なんのつもり?」
「落ち込んでるみたいだったので、元気出るかなって」
「だれのせいよ」
「ごめんなさい……次からはメイの言うこと聞きます」
「そうして」
答えると、ランファンはなぜかぱあっと表情を明るくする。
「次もあるってことでいいんですよね!?」
「人の言葉尻をとらえて……ああ、もう、わかったよ。あんたにはかなわん」
「やった」
上機嫌に笑うランファンを見て、何がそんなにうれしいんだかと首を振る。
憲兵のことはひとまず置いておき、歩くことしばし。
「ちょ、ちょっと待ってえー…置いてかないでー…」
ランファンの体力が尽きた。
しっかりお嬢様だった。
木陰に座って休む。
「あんた、体力ないわね。あたしらより栄養あるもん食ってんでしょ」
「ランファンです」
「は?」
「名前、ランファンです。あんたじゃないです」
「クソザコランファン」
「なにをお!」
「ちょ、やめてって! 元気あんじゃん!」
飛び掛かってくるランファンに抵抗するも、咄嗟のことだったので押し倒されてしまう。ランファンが上から乗ってきた。負けじとひっくり返し、上下逆転。ランファンを押し倒す。
「こっちは毎日力仕事してんの。農民なめんな」
してやったりと笑う。
ふと、鼻孔をくすぐる香り。
数センチ先には整ったランファンの顔。緑色の絨毯に横たわり、つややかな瞳でメイを見上げてくる。
「……綺麗」
「なにがですか?」
「うえあ!? い、いや、なんでもない! ごめん」
飛び上がってランファンから離れる。
座り直すと、ランファンがにじり寄って来た。
「……なに?」
「メイって、意外とちょろいですね」
「やかましい! 回復したなら行くよ!」
「はーい」
ランファンは元気よく返事するも、やっぱりすぐに歩けなくなった。そのたびに足を止めたが、メイの機嫌が悪くなることはなかった。
日暮れごろ、ようやく目的地に達する。そこは山の中腹にある泉だ。色とりどりの花弁とオレンジ色に染まった水面が幻想的な光景を描き出す。
メイはしゃがみ、青色の花を選んで手折る。
「なんでここのお花なの?」
「お母さんが、好きだったんだ。20年前に戦争がはじまるまではよく来てたって。党の支配になってからは夜明け前から真っ暗になるまで働いてて来る暇もなかったから。せめて花だけでもって」
そっと、ランファンがそばにしゃがんだ。またぞろ手伝うつもりなのかと顔をあげると、頬に手を添えられ、キスされた。
先ほども嗅いだ甘い芳香が口いっぱいに広がる。
こっちは悲しんでるのに、なんなのこいつ、意味わからない、お父さんとお母さんもきっとここで…、いくつもの思いが去来しては消えていく。最後に残ったのは、ただ美しいという思い。黄昏の光を吸い込んだ琥珀の瞳が、ただただ美しい。
「私、直感でメイと一緒なら戦えると思ったって言ったでしょ? あれ、嘘だったかも」
「どういうこと……?」
「自分でもわからなかったの、はじめてだったから」
「だから、なにが」
「一目惚れ。それに、恋も。はじめてだったの」
わけがわからない、相変わらずこのお嬢様の言っていることは意味不明で、なのになぜ自分はこんなにも胸が満たされて、泣きたいくらいにうれしいんだろう。
「悲しそうな顔してるメイを見て、すっごく胸が締め付けられた。それで気づいたの、ああ、私この人のこと好きなんだ、愛してるんだって」
ランファンはメイの正面にかがみ、手を握る。
「好きとか……女同士だし、ていうか、あたしの戸籍は農村部で」
革命政府は都市部と農村部をわけ、婚姻を禁じている。土地と人を固定するための政策だ。
「そうね。たしかに、それじゃ困るね」
「でしょ。だから、離してくれないかなーって」
「だから変えよう。この国も、世界も」
何度も聞いた言葉。会って一月も経っていないのに、聞きなれてしまった言葉。
だというのになぜ、心臓はこんなにも強く脈打つのか。
「もう一度言うね、メイ。……私と一緒に、変えよう、全部。手伝ってくれる?」
メイは視線を泳がせる。けれど琥珀の魔力に抗えず、すぐにとらえられてしまった。
「……ほんとかなわんよ、ランファンには」
曖昧な言葉でごまかそうとしても、ランファンはまっすぐに見つめてくる。
もう小賢しい打算も、自分をごまかす言葉も出てこない。全部がどうでもよくなってくる。
ぼんやりとしびれる頭にはあるのは目の前の少女のことばかり。
メイはゆっくりとうなずいた。