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二人の少女 下

 イェンアン連邦は世界でも最大級の国土と人口を有する国家だ。国内は25の州にわかれ、それぞれの州には政府から党幹部が派遣され、長官職についている。

 都市の住人と農村の住人は厳然と分けられ、戸籍によって管理されている。これは農民が都市へ流入するのを避けるためだ。

 南西にあるロイピン州は都市化がなされておらず、住民はほぼすべて農村部戸籍。例外は党の役人と憲兵のみ。

 長官の屋敷は州の役所と隣接してある。

 ランファンはリビングで長官である父と向かい合っていた。

「ランファン、頼むから倉庫から食料を持ち出すのはやめてくれ。あれは党の持ち物なんだ」

「おかしいです、そんなの! 倉庫の底では古い作物が腐っていってる。なのに農村部では餓死者が出ている! 去年だって一千万人もの餓死者が出た。党首のやり方はまちがっています」

「ば、バカ、お前!」

 長官は慌てて娘の口をふさぐ。家は半ば公的な場所でもあるので、客人も出入りするのだ。

「めったなこと言わないでくれ。……イェンアンでの話は聞いているだろう」

 イェンアン、国の首都にして、最悪の都。

 かつて党首に逆らったとして、党幹部7千人が粛清された場所。ただ殺されたのではなく、陰惨な拷問のはてに大量の協力者を自白したあとに首を斬られた。

 拷問中に名前が出た人々も、家族もろとも殺された。民衆も誤った思想に汚染されているとされ、大規模な再教育プログラムが行われたという。今やイェンアン市民はみな、まったく同じことを考え、党の出版した書物の言葉だけを使って会話するようになった。

 反対者たちが糾弾された理由はひとつ。党首の地位を揺るがす‘可能性がある‘というもの。

 粛清に洗脳、これら一連の事件は清浄化運動と呼ばれ、全国に報道された。恐怖による支配を確立するため、残酷な処罰は大体的に報じられる。

 だから当然、ランファンもそれは知っている。

「それでも……だからこそ、私たちが動かなければ変わらないじゃないですか! 少なくとも私は、恐れて何もしないより人間になりたくありません!」

「わかってる、わかってるよ。私もかわいそうだと思う、農村の人たちは。けど、仕方ないんだ。帝国主義者たちに勝つためには資金が必要だ。我が国に輸出できるものは作物しかない。だから党が目標を達するまでは我慢するしか……」

 ノックの音。

 長官は扉に視線を向ける。ランファンは恨めし気な目をしながらも口を結んだ。

「どうぞ」

 入って来たのは若い男。副長官のリーウェイ。

「お取込み中でしたか?」

「いや、いや、大丈夫だ。すまないね、ランファン。この話はまたあとで」

 ランファンは悔しさに拳を握りしめながら、部屋を出ていく。すれ違いざまリーウェイが話しかけた。

「ごきげんよう、お嬢様。本日も美しい」

 社交辞令を返そうとしたが、リーウェイのぞっとする笑みを見て寒気がし、そのまま部屋を出た。


 裏口から倉庫に入ろうとしたが、警備の人員にとめられた。

「あら、前の方は?」

 昨日まで、警備は別の兵がついていた。その兵のことは説得し、食料を持ち出すことを見逃してもらっていたのだ。

「首になりました。党の財産である税収を盗み食いしたとかで」

 ランファンはその発言の真意に気づけないほど鈍くはない。

「リーウェイ様の命令です。何人たりとも、党首の持ち物に手をつけてはならないと。お引き取りください」

 取り付く島もないもない対応。

 とはいえ、前の警備もすぐに説得できたわけではない。時間をかければまた理解してもらえるはずだ。

 食料を持っていけなくともやることはある。農民たちの現状を知り、支持を取り付けることで政策を変えることにつながるはずだ。

 今日は差し入れを諦め、手ぶらで畑へと向かった。


 ランファンが顔を見せると、村人たちがわっと押し寄せた。餓鬼のごとくやせ細った農民たちは我も我もと食事を求めて手を伸ばす。

「ごめんなさい、今日は食事を持ってこれなくて……お話だけでもと思ったんですけど」

「そんなこと言わないで、パンのひとかけでいいから恵んでおくれよ。昨日から体調が悪くて」

「長官さまの娘だもの、持ってないはずがねえ。頼む、子供の分だけでも」

「おいらは昨日も一昨日ももらい損ねたんだから、最初にくれなきゃずるいや」

 ランファンが空っぽの両手を見せても、群がる人々の勢いがとまることはない。

 ついには短気な男が声をあらげた。

「おらあ、知ってるぞ! あんな豪華な屋敷に住んで、何が幹部だ! おらたちの十分の一も働いてねえくせに!」

 男の声を皮切りに、人々の哀願調は贅沢暮らしをする幹部たちへの怒号に変わる。ランファンは本当に申し訳なく思っているらしく、何度も何度も謝り、それでも対話を試みることをやめない。

 メイはいつも通り、遠巻きにランファンの様子を見ていた。

 憲兵は馬上で退屈そうにあくびしている。最初の三日間は熱心に食事を受け取った人間をメモしていたが、毎日来る人間は同じなので次第に興味を失っていった。

 憲兵から群衆へと視線を移す。今日も初日からほぼ変わらない顔ぶれが集まっている。違うのはパッと見ても6人だけ。

(あいつらもなかなかしついこいな。まあ、気持ちはわかるけど)

 党幹部が嫌いなのはメイも同じだ。パンだって喉から手が出るほど欲しい。けれど、命あってのものぐさだ。棒で殴られるくらいなら我慢できるが、党の方針から外れた行動をとっている幹部の関係者と関わるようなリスクは取りたくない。

 見ている間にも群衆感情はエスカレーションしていく。

「お、落ち着いてください! また必ず食べ物は用意しますから! 今日は話だけでも……」

「うるせえ! なら今すぐ帰って持って来いよ!」

(あの女もバカだな。飢え死にしそうな人間に対話も説得もないのに。……自分が都合のいい存在としか思われてないって気づいてないのか? だとしたら本当に、救えない)

 所在なさげにしていた憲兵が仲間に話しかけられ、別の区画へと向かう。しばらくは開けた農道を行き、高い草の壁の向こうに見えなくなった。

「なにが党の理念だ! お前らなんて昔の貴族と変わらねえ!」

 ランファンが突き飛ばされる。

「メシがねえなら別のもんをもらうぞ!」

 言葉とともに、手癖の悪い男がランファンの腕を掴む。党の方針で幹部といえども質素な服装。とはいえ、服も靴も、農民のものよりはずっと上等だ。

 靴を奪われ、上着をはがれ、腕時計もむしり取られる。さらにブラウスまで掴まれた時だ。

「ねえ、バカじゃないの、あんたたち」

 冷たい声が響いた。

 メイはそれが自分の声だと気づくまでに一瞬かかった。言ってすぐに後悔したが、すでに人々の目はランファンからメイに移っている。

 ここで引く方がまずい。

 メイはさらに一歩出る。

「長官令嬢に暴行したあげく追いはぎ? ……死ぬよ、あんたたち」

 党の支配方式はだれもが知っている。それまで頭に血が上っていた人々も冷や水を浴びせられ、互いに顔を見合わせた。

 その隙にメイはランファンの手を取る。

「行くよ、こっち」

「え、あ、はい」

 いまだに固まったままの群衆を置いて、メイはずかずかと人気のない林へと向かった。

「あの、なんで助けてくれたんですか?」

「さあ、なんでだろうね。バカなことしてると思うよ、われながら」

「えっと、いつも、食べ物を受け取ってくれなかった方ですよね、なんで……」

「あれ、あんたのポケットマネーで買ってるの?」

 問われ、ランファンはぽかんと口を開け、ゆっくりと首を横に振る。

「だろうね。党幹部といえども原則として私有財産は認められてないんだから。あれはあんたのものでも、長官のものでもない。党が管理してるものをあんたが勝手に持ってきただけ。違う?」

「そう、です……よくわかりましたね」

「ちょっと考えればわかるでしょう。ねえ、あんたバカなの?」

「それは、どういう」

「党の持ち物を勝手に持ち出すなんて命知らずにもほどがある。あんただけじゃない、それを受け取った人間たちだって。清浄化運動は知ってるでしょ? そういう半端なやさしさが多くの人間を殺す。……あんたらの創ったのはそういう世界だ」

 言ってから思う。これは違う、長官の娘に言ってどうにかなる話じゃない。

 メイは気まずくなって黙るが、ランファンは微塵も視線をそらさない。

「なら、半端でなければ?」

「は?」

「私はこの国を変えたいと思っています」

 メイは目を見開く。そして思った。本物のバカだ、救えない大馬鹿だと。

 戸惑っていると、急に距離を詰められた。

 至近距離で目が合う。

(まつ毛なっが。てか肌綺麗だな……って、いやいや、惑わされるな。ちょっと顔がいいからってこいつは関わっちゃいけない相手だ!)

「お願いします、手伝ってください」

「はあ? なんであたし」

「直観したんです! あなたとならきっと成功するって。私、頭があまりよくないので、何をしたらいいかわからなくて、近くにいる人たちをひとりでも多く救うことくらいしか考えつかなくて、けど……けど、えっと、お名前は?」

「メイ、だけど」

「メイと一緒ならきっとうまくいく。私に足りないものはあなたが持ってる」

「いや、わけわかんないでしょ。そういうとこがバカだって言ってんの! たった二人で、しかもあたしなんて、どうでもいい事考えてるだけで、別に何かをできるって人間じゃないし」

「そんなことありません! 目を見ればわかります! あなたは私より頭がいい!」

 そりゃあんたよりはね、と内心思うも口には出さない。

 ランファンはメイの手を握りしめる。顔をぐっと近づけた。メイは思わず視線を逸らす。

「いくら考えても、理想の世界を望んでも、動かなきゃ変えられない。そう信じて行動しました。お父様に反対されても、理解してもらえなくても。けど、ええっと、うまく言えないんですけど……私は、メイとならこの世界だって変えられると思ったんです。私と一緒に戦ってくれませんか!?」

 メイは手を振りほどいた。距離をとる。

「だから、そうやってあたしにまで迷惑かけないで! あたしは死にたくない。憲兵に睨まれるなんてごめんだ」

「そう、ですか」

「そうだ。だから諦めろ」

「いえ、諦めません」

「諦めろよ!?」

 叫ぶと、ランファンはくすりと笑う。

「私、よくしつこいって言われるんです。一度断られたって諦めたりしません。あなたを必ず落としてみせます。覚悟しててください」

 勝気な笑みとともに、ランファンは高らかに宣言した。

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