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犬人に会う  作者: 園山制作所
第6章 一人と一匹の冬
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59話

「あけましておめでとう。小春」


 一月十四日。実験個体204こと──小春の殺処分決行まで残すところあと約二ヶ月に迫った朝。暗く寒い地下牢に、研究員の朗らかな声が響いた。

 牢の中にいる当の犬人の少女はというと、毛布にくるまってベッドの上で寝ている。少女は研究員の姿を見るなりすぐに体全体を毛布で覆い隠してしまったので、外から様子は伺えないが、この調子だと随分と訪問者を忌み嫌っているようだった。


「大晦日以来だな。顔を見せてくれ。元気にしてたか?」


 研究員──城崎は、柔和に少女を呼んだ。だが返事はない。

 何度かしつこく少女に声をかけ続ける。やがて少女は毛布から腕を出したが、何か近くの物を掴んで素早く研究員へ投じた。それが格子に当たった衝撃で耳障りの悪い音が地下一帯に木霊する。


 咄嗟に身を守る姿勢をとった城崎は、格子から床に落ちた投擲物をおそるおそる見た。それはクリスマスイヴのプレゼントに自分が少女に与えた、犬の研究に関する書籍の一冊だった。受け取った当時の少女の笑顔が城崎の頭の隅で湧いては消え去る。


「小春、本は大事にしなきゃ駄目だぞ」


 格子の隙間から手を入れ、本を拾って埃を払う。格子に叩きつけられたものの、読むに支障はないようだ。

 手にした本のページには何ヶ所か開いた癖がある。興味本位で覗いてみる。大抵は犬の異常行動や病気に関する項目だった。鉛筆で線が引いてあったり、ポイントと思わしき箇所をぐるぐると囲うチェックが入っている。古本ではなく新品を買い与えたはずなので、これは少女が記入したものだろう。


「勉強熱心だな。僕も昔は犬関連の本をありったけ読んだよ」


 本を閉じて、それを牢の中の床に戻した。

 未だに犬人の少女は一言も発していない。城崎は肩を竦めた。いつもの椅子に座って、格子越しに少女を眺める。


「頼むよ。小春。顔を見せてくれるだけでもいいから……」

「──もう来ないでって言ったはずだけど?」


 犬人の少女こと小春は、顔すら向けずに声を張った。少女の声のトーンには研究員の飼い犬だった頃の優しげなものは一切ない。あるのはただ、周囲への攻撃心だけ。それはまるで問題児扱いされていた──出会った最初期の彼女の言葉遣いに近かった。同時に、それは飼い主への依存行動が強まった時期の怒り声にも聞こえた気がした。

 幼少期に他の犬や人との関係が欠落していたり、環境と馴染めなかった犬が陥る「分離不安症」特有の攻撃性。このことが頭に浮かぶ城崎だったが、すぐにその考えを払い除けた。


「答えられないなら……って君は言ったろ?」

「ふぅーん。じゃ、答え、言えるようになったんだ」

「そういうことになる」


 それを聞いて少女はまたも黙り込んだ。城崎は少女の沈黙には構わず切り出すことにする。


「僕はな、小春──」


 ここ二週間もの間、城崎は考えていた。自分の犬に対する態度、しいてはシロや小春に対する感情そのものを。

 正月の間、城崎は誰も取り掛からない秋の試験データをまとめ、犬人のシリーズごとで昨年度の個体との能力値の比較や今後の予測を算出する研究員としての初仕事に追われていた。その多忙の中でも、彼の心には小春やシロ──「犬」のことだけが解くべき課題として常に眼前にあった。

 そして、彼なりの結論に辿り着いた。


「その、やっぱり小春のことが好きだよ……でもそれは犬としてだ」


 城崎は続けて言葉を振り絞る。


「……犬の君のことが大好きなんだ」


 毛布の内側にいる犬人の少女がもぞりと動いた気がした。


「僕は酷い奴だよ。過去の犬が忘れられなくて、君にその代理を黙って押しつけていたんだから。認めるよ。けど誤解しないでほしい。今は小春が好きなんだ」

「犬として?」


 少女が牢から詰問するように冷たく言い放った。城崎は「そうだ」と告げる。


「犬として──言い換えるなら、犬人として君はこの世に生を受けた。そして育った。だから、そもそもの前提がおかしかったんだよ。君はどうしようもなく犬人なんだ。それなのに、純粋な人間として私を見れるかと君に聞かれても……僕は、首を横に振るしかできないんだ。だって君は生まれた時から犬人なんだから。人間だった頃とか、そういうのはないじゃないか。僕が君を知った時から君は犬人だったんだし……。僕の中では小春は単に犬人でしかないよ」

「……私が聞きたかったのはね?私が犬人じゃなくて、ただのフツーの女の子だったら、お前と仲良くなれたかって話」


 少女から「お前」と呼ばれて、城崎はこの関係の修復の難しさを改めて理解する反面、懐かしさで胸が詰まった。地下牢では、何故かやけに大人びて見える彼女との真っ向からの対峙は半年ぶりだった。

 ここで退く訳にはいかない。城崎にも飼い主としての矜持きょうじがある。すべての飼い主は、飼い犬を守り通すために飼い犬を躾する責任があるのだ。

 今度は暴力に頼ることではなく言葉で。犬に言葉は通じなくても、犬人は理解してくれるのだから。


「その前提はおかしい。だって君が生まれた要因は、第一に犬が壊滅したこんな凄惨な世界と社会なんだ。シロが死んで、犬のことだけを見るようになった僕という人間が育ってしまったのも、ドリームボックスができたこと自体、すべては感染症から始まったんだ。僕と君の繋がりは病から始まったんだ。分かるか?」

「じゃあ、感染症がなかったとしたら?」

「もしもの話なんてない。今は今の事でしかない。仮の話をして何になる?シロと仲良く幸せに暮らしてるとでも答えれば、小春は満足なのか?」

「ちがうよ。私はただ……ただね」


 小春の声は芯から震えていた。


「うん。なんだ?」


 優しく諭すように続きを催促すると、少女──小春はおずおずと毛布から顔を出した。彼女の顔は涙と鼻水で汚れていた。いたいけな少女は以前よりもやや痩せていた。地下牢にいる間、糧食をまともに食べていないのかもしれない。

 小春は研究員を一瞬だけちらりと見たが、決して目はそれ以上合わせようとはしなかった。


「怖かったの。それに嫌だったの」


「一体何が?」

「いくら今のしろさきが私のことを好きでもさ、シロのことを昔の犬にしたみたいに、いつかは私のことも過去の犬になっちゃわないのかって……」


 それだけ言った小春は、疲れたように再び毛布に埋もれて姿を隠した。泣き声が混在する微かな呟き。語調はいつもの彼女だった。

 城崎は立ち上がる。


「そんなことするもんかっ。小春は小春だ!分かってくれよっ」


 格子の太い柱を握りながら叫ぶように言った。だがその声は小春の心には届いていないらしく、彼女を包むゆったりとした布は動く気配はなかった。


「小春が怒る理由は分かる。言い方は悪いが──犬なら交換可能だとかつての僕が思っていたことが気に食わなかったんだろ?」


 その考えは、以前の城崎が犬人の少女に「シロ」と名付けて、愛犬の代理をさせようとしたことだ。しかし今の彼はこの考えは危ういものだと考えを改めている。小春は小春に他ならないのだ。犬も人も代わりなんて絶対に用意できない。


「それで君はなんとか人間になりたかったわけだな?代理のきかない人間に。犬人は犬と人の中間で、その遺伝子は固有で唯一のものじゃない。だから扱われ方次第で犬にはなれても……人間としては決して認められなかった。で、いつかは死んだ自分の代わりの犬を僕が探すんじゃないか……不安でどうしようなかったんだろ?クリスマスイヴに車の中で話した時も、君はそうお願いしてきたよな。“代わりはつくるな”って」


 宥めるように訊ねると、少女──飼い犬の方はひっそりと尻尾を出した。尻尾の機嫌は平坦そうだ。


「うん」


 ぶっきらぼうな返事が来た。それでも城崎は彼女が会話してくれるだけで嬉しかった。彼女の犬の勘でこの心情を汲み取ってくれるなら嬉しいのだが、と城崎は神妙な顔つきを若干笑みに綻ばせる。


「それでも君は……まだシロに成り代わることを厭わなかった。なんでだ?」

「……なにがなんでも、しろさきに愛してほしかったの」

「やっぱりそうだったのか。で……あの時、僕はそれを拒絶した。それが小春にはショックだったんだな。シロの代わりにもなれないのかっていう失望が……君には痛かったんだろ?」


 煩悶とした声を捻り押し出した。彼女は無反応だった。


「──たしかに僕は今まで、君のことを犬として扱い過ぎてたよ。君の異常な言動をすべて犬の行動学で見ようとして……君自身の尊厳や感情にまで考えが及ばなかった。犬人はあくまで人と犬の中間の生命だってのにね。ほら、だからさ。これはそのお詫びだ」


 城崎は白衣の裏ポケットから小さなプレゼント箱を取り出して、さきほど牢内の床に置いた本の上にそっと載せた。


「言っとくが、もので釣る訳じゃない」


 城崎は白衣の襟をきちりと直しながら言った。


「『星の王子さま』の時と同じことだよ。純粋に僕からの謝罪の気持ちだ。受け取るも拒否するも小春に任せるから。それじゃ、またな」


 そう言って、立ち去ろうと踵を返す城崎の後ろで、収監した犬人を拘束する首輪のリードが動いた音がした。

 振り返ると、小春がベッドから出てきていた。服装は前にここに閉じ込められたのと同じで病衣に似た簡素な物だった。彼女の髪はぼさぼさで、目元には隈ができていた。ひたりと裸足で彼女は床を進み、格子の方へと近づいた。プレゼント箱を拾い上げて見つめる。


「しろさき、なにこれ?」

「見てのお楽しみ」

「開けていいの?」

「ああ」


 小春がリボンを解いて箱を開けると、茶色で小粒の何か綺麗な物が中央にひとつだけ入っていた。

 宝石にも思えるその美しい塊を前に、小春の目が見開いていく。彼女はそれの正体に薄々気づいていながらも飼い主の方に「なにこれ」と重ねて聞いた。


「チョコレートだよ。バレンタインにはあと一ヶ月待たないといけないが、そんな悠長にしてられなかったから。今日、渡そうと思って」


 チョコレート、バレンタインの単語を耳にした小春の頬にさっと朱が走った。


「え、あ、でもさっ。私……犬だよ?前にしろさきが言ってたじゃん。本でも読んだことあるよ、犬ってチョコレートがダメなんじゃ?」

「──そうやって犬として僕から扱われるのがずっと嫌だったんだろ?」


 城崎がそう言うと、小春はやがて俯くように頷いた。何度も強く。口をへの字のように曲げ、今にも泣き出しそうな心細い顔で。

 小春の中で限界まで堪えていた感情が一気に溢れて止まらなかった。

 彼女はずっと我慢してきたのだろう。どれだけ仲良くなっても、自分のことを犬としてしか見てこない最愛の人が向ける、犬への言動や犬への深い思いやりを。それが今ようやく取り払われた気がして、胸のつかえが途端に蒸発したのだ。


「……うん」


 小春はおずおずと言葉を紡ぐ。


「私……私ね、人間になりたかったの。しろさきから、犬じゃなくて女の子として見てもらいたかったから」

「ごめんな小春。今まで君のこと、ただの犬としてしか……シロの生まれ変わりのようにしか捉えてなかった。けど小春は小春だ。半月前にここから君に追い返されてからずっと考えて、ようやくそれに気づいたんだよ」

「それでチョコレート?」


 遥か以前に、犬はチョコレートを摂取すると生命に関わるということで、彼女が羨望の眼差しで食べたそうにしていたチョコレート菓子やチョコがかかったドーナツを絶対に与えなかった。彼女を犬としか捉えて観察していなかった最たるもののひとつだろう。そう城崎は考えて、今回の謝罪の代物を選んだのだった。小春もそのことは分かったようで苦笑した。


「駄目か?」

「その……うれしいけど、本当に平気なの?私がこれを食べて」

「うん。実は色々と調べてみたんだ。仕事の内容上、犬人のデータを見る機会が今年に入ってからは多かったし……。それくらいの小さなチョコレート菓子程度なら何も問題ないみたいだ。犬でもそこまでのサイズなら害はないから──人間の体がベースの犬人なら無害って結論が出た」

「ねぇ、じゃあさ。つまりそれって……しろさきが私のことを犬でも人でもなく、犬人って改めて認めたってことになるの?」

「そういうことだ。小さいサイズで申し訳ないけどな。君を本当に犬扱いしていたなら、チョコなんてあげない」

「少なくとも前よりかは、しろさきに人間の女の子って見てもらえてるってこと?進歩してる?」

「そう受け取ってくれて構わない」


 小春の言葉に曲解が混じっていないこともなかったが、城崎は下手くそなウインクをして微笑んだ。

 その不器用な笑顔に小春はつられて、ふふっと口角を上げた。


「やっと笑ってくれた」

「あんまりしろさきのウインクがヘタだったから」


 こら、と叱る仕草をすると、小春は飼い犬だった頃以上に無邪気に笑った。



 チョコレート菓子をすぐに食べ終えた小春は、口の中に残る初めてのチョコの味に舌鼓していた。幸せそうな彼女を眺めながら、城崎は椅子に無意味に座り直す。目の前の少女とは裏腹に、彼は緊張していた。


「これで仲直りってことでいい?」


 城崎が聞くと、小春は遠慮がちに首をかしげた。拒否の意思表示ではなく彼女なりの照れ隠しらしい。犬耳も尻尾も壊れたメトロノームのように元気よく揺れている。


「お互い腹を割って不満を解消し合ったし、いいよな?」

「んーん?うん、そうだね」


 小春は上機嫌に口笛(これっぽちも吹けていないが、城崎は指摘しなかった)を吹く真似をして、笑顔で頷いた。


「よかった」


 しかし確認が取れても城崎の緊張は留まる余地を見せなかった。というのも、彼が酷く神経を張りつめているのは、何も小春と仲違いしたことを無事に解消できるか否かの心配ではなかったからだ。


「……“答えられないなら帰って”と前に小春は僕に言ったね」


「もう。しろさきってば、まだそのこと怒ってるの?」

「いいや。そのことじゃないが、ちょっと聞きたいことがある。今からする質問に小春が答えられないなら、僕はここから帰らない」


 空気が変わったのを察した小春は、犬の部位のダンスをゆったりと静かに止めた。厚い特殊合金製の格子を挟んで、両者は十数分までと同じ緊張の檻に囲まれた。しかし小春は抵抗するように、無理に笑ってみせる。


「なにそれ?へんなの。なら、私はしろさきと一緒にいたいから、ずっと答えないかなー」

「それで困るのは君だろ。違うか?」


 お調子者な声をぴしゃりと弾き返すと、彼女は観念したように、むすっと頬を膨らませた。

 数秒、城崎は乾いた喉から声が出なかった。唾を飲み込み、やっとの思いで発しようと口を開ける。


「……小春。これまで僕らはお互いに散々……相手のためを思って、勝手にいっぱい嘘をついたり、黙っていたりしたよな」

「そうかもね」

「僕は誠心誠意、話せることは話した。遡れば異動の件のこととかも、前に白状しただろ?今回ならシロのことも、君を代理にしようとしてた見苦しいことも全部打ち明けた。洗いざらい全て白状して伝えた……けど──」


 声を少し大きくする。


「小春の方はまだ黙ってることがあるんじゃないのか?」


 城崎がそこまで言い終えると、小春は腰かけていた椅子から立った。彼女の瞳は強い不安感と諦観を主張している。

 両者、無言でじっと睨み合いが続く。しかし二十秒ほど経過したところで、小春の方が先に目を逸らした。


「……あはは。もう黙っていられそうにないね」

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