3 初心者狩り
3
私は人間に転生したらしい。
私が聖教会で説教を聞いていなければ今の自分が転生という状況にあることなど絶対にわかりはしなかっただろう。
もし私が自分の状態がわからないままだったらどうやっていたことやら。
おそらく私は自分が気が狂ったと考え、狂った自分の手による周辺への無差別攻撃を防ぐために自ら命を絶っていたはずだ。
いや、それがわかっていても、魂が次に移動するなんて未だに信じられない。
(わかっているのよ。受け入れるしかないことぐらい……)
ふと自分の体を見下ろせば、あばら骨の浮き出た胸が静かに上下していた。
人間はただそこに存在しているだけでも動いている。
人形はじっとしているとは静止しているものだから新鮮な感覚を覚える。
人形なら魔力さえあれば呼吸も食事も排泄も必要ないため、自身が運用される直前までは邪魔にならないように自分の化粧箱に入っていることが当たり前だが、人間は呼吸から栄養の摂取、睡眠しなければならないし、増えるために別性も必要だ。
人の生命維持において煩雑なことが多く、特に種の存続、繁栄において子供を産んだ直後の母子は外敵に対して完全に無防備になってしまう。
正直、人形としてはその繁殖の仕方には首をかしげざるを得ないが、なぜか賢い生物ほどその手順を踏むことも知識の中に入っている。
合理的、効率的を突き詰めて形を成す自然界においてそれが最適解だという結論に至った道筋がまるで見えてこない。多分、魔導の極致に至ってもそのあたりはまだ解明されていなかったのだろう。
自然生命の神秘な奥深さに頭が下がる。
私は自分の身を見下ろす。記憶を探る。
あるはずのない記憶が沸いてくる。
この記憶はこの私の記憶であるらしい。
どうやらこの身の産まれは小さな商隊だ。
三歳あたりから簡単な作業を任されるようになり、大きくなるにしたがって小間使いとして働くようになっていたが、ある日突然この廃墟に捨てられたようである。
貰う、買う以外で食料の入手方法を知らなかったこの私はその日から食べ物を探しまわる生活を送ることになった。
廃墟の先住民から暴力を振るわれたのは両手の指では足りない。
捕まって売られかけたことすらあったほど。
夜には物音に震えて眠り、他の住人の姿に怯えながら一日中必死に食べ物を探し回り、それでも十日以上川の水以外口にできないことも珍しくない、そんな生活を続けてきた。
結局、その終着が抗えない暴力を振るわれた後に道端に捨てられるとは。
しかも今際の際に思ったのが、よりにもよって「どうして私は商隊に捨てられたのか」という疑問。
自分で自分に答えるようであれだが、「邪魔になったから」だったんだろう。私が大きくなるにつれ必要な食事などの衣食住の人が一人生きるために必要な費用が大きくなっていたし、記憶を探る限り、小さな貧乏商隊では結構負担になっていたのだ。この私が気づいていなかっただけで。
この私の年齢は十歳。
人形の記憶を思い出さないまま十年たっている。
それだけの時間があれば戦況はなにかしら変化があってもおかしくはない。
アルターハーティ大陸中央部エヴォス大山脈のすそ野に広がるヴスゥトネス平野から遥か南西の海岸沿いにまで追い込まれていた人類はどうなった。
戦況は好転しているのか、あとは滅亡を待つしかなくなっているのか。
人間として十年を生きた私の記憶に呪魔の戦禍の記憶はなにもない。
■■■■■■■■
風が吹けば目の前の土塀の亀裂から砂埃が零れ、遠くのほうでなにかが崩れる音がした。
私は赤茶色の長い髪を押さえる。
汚れてごわごわした髪だ。
まともに水浴びもしていないようで髪だけでなく体も身に着けているものも匂っていた。匂いに鼻が慣れていても悪臭を感じるのだから相当ひどいことになっているだろう。
魔導体には体臭がない。返り血などで汚れても全身を火魔法で焼き、水魔法で洗い流したあとに少量の香油を塗れば最低限の清潔さを保てていた。
だが、人間の体は焼くことも激しい水流も耐えられない。十分な可動を維持するための香油もこの廃墟には実物自体が存在していないらしい。
(私が死んでから戦争はどうなったのか。今、戦争はどうなっているか。皆は大丈夫なのか。呪魔はどうなったのか。砦は、主戦場はどこか。ここはどこか。知らなければならないこと、考えなければならないことが多いのに)
人の体が不衛生なのは病気や寄生虫など後々重大な問題が発生するし、逆に体を清潔にして良い状態を保つことは病気予防や活力向上などに繋がる。
いろいろ調べる前に自分の維持のためとはいえ、必要なことが多い。
憂鬱だ。
私は軽く飛び跳ね、腕をぐるぐると回し、足を思いっきり延ばした。
だいたい自分の体がどこまで動けるかを把握しなければならない。
次に魔力量や魔力強度を計るため基礎魔法を使って自身の魔法力を計る。
最後は疲労や栄養、怪我や病気の有無を探知。
(ひどいものだわ)
怪我病気は治療魔法のおかげで癒えたようだが、運動能力、魔法力ともに恐ろしく低い。
戦えるような体ではない。
呪魔と戦うなんてもってのほか、下手すれば目が開いたばかりのコボルトにも殺される。
これまで空腹が我慢できなくなると危険な森へ入り最低限の果実や果物を採って食べる生活をしていたからか。常に栄養が足りていなかったせいで体が本来の年齢に比べて全く育ってない。
いや、そんな生活をしていてよく今まで生き残ってきたというべきか。
おおよそ今の自分を把握した私は当面のことを考える。
食生活と生活環境の改善、そして以前の力を取り戻すための鍛錬。
食べる物も街外の森からおそらく簡単に入手できる。
自前の魔法力では普通の魔法を使うのは難しいが、呪いによって使用自体が難しくなって廃れようとしていた外気の魔力を利用する自然魔法を魔法力を鍛えるまで使えばいい。
前世に近い力を最短で取り戻し、それまでに現状を把握して最前線に帰還する。
当面はそれを目指す。
――焦るな、と私は自分に言い聞かせた。
そういえば、自分の性能を計っているときに思いがけない発見があったことを思い出した。
救世人形には人類に反旗を翻さないように、大雑把に言えば「人を害してはならない。反すれば自死を行う」という魔術的な仕組みを人形の魔核に刻まれる。
その魔術がこの体に刻まれていなかったのだ。
人間なのだから当たり前だと思うかもしれないが、救世人形にとっては生まれたときから刻まれているものであり、自分の一部のような魔術なのだ。
物以下の扱いをされ、ばかばかしい都合に振り回され、理不尽な命令に従い、何度も人を殺してやろうと思ったがしなかったのはそれがあったから。
それが今はない。
必死に押し殺してきた気持ちにもう正直になってもいいのだろうか。
もし自分の意思で人を傷つけたなら、どのような気持ちになるのだろうか。
呪魔を殺したときのように僅かな安心感や充足感を感じるのか。
それとも、もう助からない仲間を介錯した後の胸が潰れそうな思いを味わうのか。
想像できず私は顔をしかめる。
わからない。
たしかに何度も殺してやると思ったが、人類に変わって戦い、守っているのも私たちなのだ。
前世、破壊と献身という相反する気持ちが常に胸の中に渦巻いていた。
そんなことを考えていた私に、突然、少年の声が降った。
「ウヒャヒャヒャ! おいおい、こいつマジで生きてんぞ!」
脳に刺さる癇に障る声だった。
声のした方へと向けば、少し離れた場所の土塀を乗り越える少年たちの姿があった。
三人の少年たちだ。
背の小さい赤髪の少年、伸ばすがままの長い黒髪の少年、くすんだ灰色の髪をした少年。
その中で先頭だった背の小さい赤髪の少年が私の顔を見て笑っている。
ここで生きていた私の記憶には彼らについての記憶があった。
ここでは異質な三人組である。
普通、ここの住人は誰もが他の住人には近づこうとはしない。
なぜなら、自分以外の人間は裏切るか、いつか背中から一突きされることをよく知っているから。ここに住む人間はお互い顔だけを知っているという距離感で生きるのが当たり前だ。
だが、そんな場所にあってこの三人は違った。
いつもなにもするにも三人で協力し合ってことに当たっていた。
技術もコネも力もない者の掃きだめであるここでは一人よりも三人のほうが有利だが、普通はある程度たてばだまし討ちや殺し合いが始まり、自然と協力関係は崩壊し、死人が出る。
だが、この三人はそうなることなくずっと協力し合い、いつの間にか廃墟を支配する額からほほにかけて大きな傷のある壮年の顔役に顔を覚えられ、何人か存在する顔役の御用聞きのような立場を手に入れていたようだ。
(三人についての私の一番新しい記憶は、いきなり私の前に現れて問答無用で何度も何度も殴って蹴って、動かなくなった私を道端に捨てたことね。前世を思い出すきっかけになった三人。私を殺そうとした三人)
考えてみれば、生まれ変わった驚きがかって、なぜこの私が死にかけていたのかという問題が完全に頭の中から消えていた。
今また現れるなんて、なんという星の巡りあわせなのだろうか。
足まで届く長い黒髪の隙間からぎらついた目で私を見る長身の少年が口を開いた。
「……さっさと終わらそう」
くすんだ灰色の髪をした少年が馬鹿にしたように答える。
「まさかあれでまだ生きてたなんてね。人間ってたまにすごいね」
「いやいや、さすがに手を抜きすぎたんだよ。一発殴ったら死んだと思ったぐらいだぞ。さすがに本気でやって殺せねえとかありえないって」
先頭にいた背の小さい赤髪の少年が嫌な笑みを浮かべて私を見てくる。
さっきの声はこの少年のものだ。
(この子たちは運がない)
運は様々な状況、場所において大切な要素だ。
戦場ですら運が悪い者は簡単に死ぬし、運が良ければどんな災難が降りかかってきても生き残る。運は能力や才能、努力を容易く飲み込んで人に現実を突きつける。
体を鍛えたことすらないやせぎすの子供三人が人類最大最高の殺害兵器として生み出された私に戦いを挑むなど、一矢報いることはおろか逃げることも無理だろう。
彼らの道のりの先にあったのはもはや死以外なにもない。
そこにもう運が絡む要素がない。
「おっさん何食わせてくれるかな」
灰髪の少年が口角を上げて言った。その表情を見るに、彼は頭の中ですでに私を殺しているか、それに近い状態を想像しているようだった。
外見だけ見れば私は今も抵抗できるようには見えないし、そう思っても仕方ない。
三人が私を襲うというよりも逃がさないように大きく広がって近づいてくる。
私は三人の言葉から自分の殺害が暗区の顔役の依頼であることを察する。
(手を抜かない、油断しない、がここでの正しい生き方、か……。私みたいな子供にすら侮らない。いや性分なのかも)
私にはこの廃墟を支配する顔役と呼ばれている者--顔に大きな傷のある壮年の男から殺される心当たりがある。
あの日、私は見てはいけないものを見ていた。
偶然だったとはいえ、ガラの悪そうな冒険者のくたびれた男がこの廃墟を実質支配している顔役の男の屋敷に入っていくのを。
私がそれを見てはいけなかったと思ったのは、男が脇に抱えていたものがなにかを理解したからだ。
それは小柄な少女。
気絶しているのか身動き一つせず、脱力して手足がだらりと伸びていてまるで引きずられて運ばれていた。非常に細微に織られた服で身を包んだその姿は一目で街の人間の中でも上位に位置する者であることが見て取れた。
そう、街の人間だ。廃墟の先には街がある。いや街の一部が廃墟なのか。それはおいおい調べなけばならないが。
話を戻すが、ここでは目を合わせるだけで襲われる。
見てはならないものを見れば殺される。
今回、たまたま通りかかった私を三人が襲撃した可能性も十分考えられたのだが、彼らの会話からそれもなくなった。
やはりこういう場所で頂点に登るのにはそれにふさわしい性格を持っているのだなと思った。
だらだらと近づいてくる三人に私はうつむく。
表情を読まれるのはまずい。相手は子供なのだから心配しすぎとは思うが私が三人を待ち構えていると気づかれて逃げられたらことだ。
人形の時の表情は完全にコントロールする必要があったが、感情と連動して表情を作るというのはなかなか厄介だ。考えが読まれる。相手に考える材料を与えてしまう。
(気づかれてない。……じゃあね)
十分に三人を引き付けた私は風の自然魔法を生成し、一番後ろにいた灰色の髪の少年の首を斬り飛ばした。
宙に飛ぶ少年の首。他の二人は気づいていない。
間髪入れず順番に首が空を飛ばしていった。
私の心にはなんの感情も浮かばなかった。