異世界に行きたい?なら探すしかねえ!
昔から、僕には憧れているものがあった。憧れというのには、おぞましく、熱烈で、二日目のカレーをグツグツと煮込んでいるのかと、思うぐらい濃い。そんな憧憬を常に心に抱いている。
改めまして、おはよう、こんにちは、こんばんは。この僕の頭の中を覗き込んでくれているであろう諸君に向けて毎度のことながら、挨拶をさせていただく。カレコレ、こんな挨拶を何百回と続けていると、人間、朱に交われば赤くなるということで、当たり前のようになれてくる。どうしてこんな平均平凡中背中肉のフツメンである僕の脳の中の奥を覗き込んでくるのか。未だ理解ができない。神様も困った人だ……
ピンポーン
「らっしゃいませー」
その音で現実に、深夜のコンビニバイトマンの気持ちに引き戻される。ちょうど入ってきたカップルの暖かそうな雰囲気と、僕の横にある肉まんの暖かさの違いを感じさせられた。若いカップルが、度数の弱いお酒と、電子レンジで簡単にできるおつまみを仲睦まじく買っていく様を見届けた後、僕はゴミを捨てに行く。いまだに理解していないのだが、どうしてコンビニはわざわざゴミ箱を設置しているのだろうか。目を向けると、明らかにこのコンビニで買ったものではない謎の容器や、大量のペットボトルなどが、蓋の締め口からあふれ出している様を見て、ため息をつく。だが、僕はゴミを捨てにいくのが好きだ。
深夜のコンビニバイトには、夢が詰まっている。
異世界転生において、多くはトラックに惹かれるか、コンビニバイト中に摩訶不思議な出来事に出会うことが多い。某ゼロから始めようとしている人も、コンビニバイトで突然神隠しにあっている。そんなことから、俺はいまだにコンビニに夜勤専用の人として働いている。
フィクションにいくために。
何を隠そう、僕はロマンチストだ。理想論者であり、夢を追いかける小学校高学年ぐらいの子供の気持ちである。子供のころの夢の大半は、中学生あがりたての頃に、折れるものだ。
僕は今年で二十六になる。周りにいた友達たちは、生活が安定し、同棲や結婚などを始め、人生においての土台、安定性を築き始めている。冗談じゃない。人生、一度は異世界転生、もしくは、何か特別なこととかに巻き込まれたいものじゃないか。皆の者よ、立ち上がれ、こぶしをかかげ、天を睨め。人生は一度だぞ。童貞を捨てるなら異世界のお姫様か、訳あり女性と決めている。妥協はしない。勇者になって俺TUEEEEしたいし。賢者になって世界を旅したい。追放系もいいし、才能を持つ成長系も熱い。どうして諦められようか。
妥協はしない。だから、もしかしたらこの俺の頭の中を覗いているかもしれない神様がいると信じて、俺は脳内で語りかけ続ける。まあ、バイトの暇つぶしでもある。電車に乗りながら、ビルに棒人間を走らせるのと一緒だ。
夜は基本的に、バイトをしているが、午前中は探索がメインだ。探索?当たり前だ。基本的には街の人通りが少ないところを自転車で走りまくって、怪しい人、困っている人がいないかを確かめる。ビル街の路地裏、駅のホーム、古びた建物の屋上、橋の下まで、隅々まで探索する。午前中は探索、午後はコンビニバイト、それが今の俺の生活だ。
この生活を高校生になってからほぼ毎日、十年間ぐらい続けている。学生の頃は時間があまりなかったので、放課後だけだったが。それでもずっと続けるぐらいには、この日々が好きだ。ロマンを、夢を、自分の人生に新たな可能性を求め、ひたすらにチャリをこぎ続けるこの時間だけが、僕の人生を満足させる。
バイトが終わり、家に帰ると郵便ポストに手紙が届いていた。バイトの資金で暮らすためには、節約した生活をしなければいけない。ボロボロになったポストを回す。もちろん鍵なんかついていない。駅からチャリで二十分。二階建て、六部屋の小さなオンボロアパートには、変な人ばかりが住んでいる。一生原稿が完成しないライター、いつも腰に刀を差している初老の侍に、帽子を深くかぶっている軍服お姉さんに、とてつもなく元気なばっちゃん。そして、逆に足音気配生活音が全くしない若い大学生のお兄ちゃん。
こんな変人があつまるアパートが俺は大好きだ。
今もアパートの前では、刀の素振りをしている老人がいる。……銃刀法違反とは、何なのだろうか。なぜ、誰も通報しないのだろうか。
二階に上がり、部屋に入り、手紙を開けると
「タクトへ、話があるから一回実家に帰ってきなさい」
父からの招集命令だった。
俺の住む東京から電車で一時間ほどの郊外に、我が家はある。相変わらず立派な家だなあと玄関を見上げながら、俺はため息をつく。俺の父親は、あんまり知らないが世界を飛び回るエリート外交官をしているらしく、割と裕福なのだ。働いているところを見たところはないが、あのふざけた父親が真面目に働くのか心配である。あのふざけた野郎を思い出す。
とんでもないめんどくさがり屋で、怠惰で、なよなよしているのに、圧倒的に強い。何がとかは、ないのだが圧倒的に強い。信念があるのだ。自分の中にぶれない大きな柱があの人にはある。それだけは尊敬している。
はあ、さすがにそろそろ働けって怒られるのかな。
鍵を使って家に入ると、父親が難しい顔をしながら、母親がニコニコしながら待っていた。
「ヒェ」
俺は震える。
あれはやばい。母さんの後ろに刀を四刀流で持った鬼神みたいなのが見えた。
やべー、怒ってるよ。超怒ってるよ。あんなの僕が子供のころ、街中で母さんのスカートをつかんで下した時ぐらいやばい。いまだにあれから三カ月ぐらいの記憶がないんだよな。思い出そうとすると震えが止まらない。体が本能で拒否しているのだ。鬼に逆らうなと。
「おはようございます。お父様、お母さま。本日はお日柄――」
「座りなさい」
「はいっ」
僕は母親のその言葉の圧で、床に正座する。
「タクト、あなたまだコンビニでバイトしているの?」
「はい、そうでございます」
「もう二十六なんだから、そろそろ諦めたらどう。その異世界やらなんやらを探すの、もう疲れたでしょ」
「い、いやー。そうなんですけどねえ。これはもう染みついちゃっているというか、もう私の日常なもので」
僕はしどろもどろになりながら、答える。何とかやり過ごすんだ。
「なあ、本当にそろそろ諦めたらどうだ。一生に一度しかないお前の人生を棒に振ることはないだろ」
お父さんが俺に優しく語りかけてくる。それが、怒りや説教ではなく、優しさだということを知っている。
「うーん」
俺が悩んでいると、難しい顔をした父親が覚悟を決めた顔をしていた。
そして、流れるように地面に手をつき、頭を下げた。
「頼む。本当に諦めてくれないか。もう限界なんだ!」
「……ッ」
父親の土下座。頭を下げて息子にお願いをする父親の姿を僕は人生で初めて見た。
心に鍵をかけていたダムが、バリっと崩れる音がした。今まで抑えていた感情が少しずつあふれ出す。もうわかっていた。十年間探して、手がかり一つなかった。路地裏に入っても、ビルの屋上に行っても、困っている人どころか、人がいる気配もなかった。コンビニバイトだって、そうだ。ただ、自分が頑張っていることに満足していただけだ。頭では理解していた。フィクションの世界なんて、無いんだって。ここは地球で物理法則に支配されていて、人間は空は飛べないし、ゴブリンはいなければ、陰陽師なんかもいない。
自分のわがままで、両親にこんな思いをさせていたことは気づかなかった。
もう諦めてもいいんじゃないだろうか。フィクションにすがるのは。
もう忘れてもいいんじゃないだろうか。世界への希望を。
「……それでも俺は続けるよ。行くんだ。現実の向こう側へ」
俺は言い切った。清々しい。ため込んだ汚物を全部吐き出した気分だ。
今の父親はどんな顔をしているだろうか。彼は顔を上げて俺の顔をジッとみる。
そして十秒ほどたった後、あはは、と爆笑し始めた。
「な、俺が行った通りだろ?」
「はー、なんでこういう時に限ってあんたの言うとおりになるんだろうね」
「まあ、男にはわかるものがあるんだよ」
父親、アギトはニコッと笑い僕の肩をたたく。
「いいぜ、連れてってやるよ。リアルの向こう側へ」
その時の父親は世界で一番かっこいい男だった。
「まあ、なんだ。俺は勇者だよ。異世界を三つほど救ってきた」
「私は元第二王女よ。彼に連れられてこっちにきたわ」
「私も連れてって~、って可愛いくーー」
「次行ったら全力で殴るわよ」
「はいッ」
そんなコントのような一幕を見せられた、俺の第一声は
「はい?」
父親の最後の言葉と同じだった。