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第9話 いつもみたいに全部受け止めてやるから


 舞咲グループが抱える事業の幅はとても広い。

 銀行、アパレル、不動産、通信キャリア、食品など枚挙にいとまがないのだが、その中にホテル事業というものがある。

 誤解がないように断っておくと、これはいわゆるビジネスホテルや富裕層向けなどのことで、間違っても性的な目的でつかわれる場所ではないと言っておこう。


 とはいえ――舞咲は人ならざる者たちの傘となっている都合上、少々特殊な目的で活用されることも珍しくない。


 俺は那月の案内で舞咲が経営するビジネスホテルを訪れていた。

 午前の早い時間ということもあってか、ロビーにはあまり人の姿はない。


 那月は吸血衝動に抗っているとは思えない、普段のような表情を作ってから受付へ向かい、


「すみません。私はこういう者なのですが、今すぐに部屋を用意することは可能でしょうか?」


 黒いカードを受付係の女性に差し出して告げた。

 そのカードは舞咲に連なる者だと示すもので、受け取った女性が驚いたのか一拍遅れて「少々お待ちください」と返して端末を操作する。

 少し待つと「お待たせしました。こちらのお部屋になります」と部屋の鍵を渡してくれる。


 それを那月が受け取り、エレベーターを使って部屋に向かう。

 用意された部屋は十一階の角部屋。

 部屋に入り、きちんとロックがされたのを確認すると、すぐに那月が抱き着いてきた。


「……もう、いいですよね?」


 蕩けた目と声での上目遣い。

 少しだけ開けられた唇、その隙間から覗く赤々とした舌先。

 柔らかな身体を服越しに押し付けられていれば、何度としていても精神的にくるものがあった。


「立ったままじゃ危ないからベッドいくぞ」

「……連れて行って欲しい、です」

「いつからこんな甘え方をするようになったんだか」


 呆れたようにため息をついて見せるが、それが本心ではないことは伝わっている。

 那月の背を(さす)って落ち着けてから膝裏に左手をまわし、右手で背を支えるようにして横抱きにした。


 細身の那月は相応に軽い。

 改めてそのことを実感していると、那月の腕が首に巻き付いてくる。

 万が一にも落ちないようにするためだろう。


 お互い示し合わせたように無言のままベッドへ向かい、那月の身体を優しく降ろした。

 軽く軋むベッド。

 純白のシーツに白銀色の長髪がふわりと広げられる。


 それはさながら天使の翼のようで、一種の清廉さを感じてしまう。


「――来て、ください」

「……ああ」


 天井……正確には俺に向かって両手を伸ばしながら発した声に従って、俺もベッドへ身体を乗せる。

 二人分の重量に金具がさっきよりも大きな軋む音を立てるが、そんなことは意識の外で全く気にならない。


 仰向けに寝転がる那月に覆いかぶさる形で体勢を整えると、那月の手によって身体が引き寄せられていく。


 俺の胸と那月の慎ましいながらも膨らみを持つ胸が触れあう。

 距離は吐息がかかるほど近く、心臓の音まで聞こえてしまいそうだ。

 那月を押しつぶしてしまわないよう慎重に隣へ身体を横たわらせると、こてんと首を傾けて微笑んでいた那月と正面から顔を合わせることになる。


 その微笑みは普段の楚々(そそ)としたものとは一味違う、何かを覆い隠したような――どことなく悲しげで希薄な微笑み。

 聖母のような慈しみと、禁忌を犯す背徳とが混ざり合った、人間としては許されざる蜜の味。


「……それでは、いただきます」


 囁くように断りを入れた那月の顔が首元へ近づいてくる。

 すんすんと鼻を鳴らし、すぐに生暖かくぬるりとした感覚――たっぷりと唾液を纏わせた舌が首を舐めていく。

 唾液を塗りたくるように、じっくりと。


 その間にも抱き合う力は強くなっていて、首を舐めるだけでなくキスをしているのか吸い付かれるような感覚があった。


「……これから出かけるんだからあんまり痕はつけないでくれよ?」

「…………じゃあ、これくらいにします」


 名残惜しそうに首筋へ口づけをした那月は、ふぅーっと吐息をかけてから――本番と言わんばかりに鋭く尖った八重歯を突き立てる。

 ぷつり、と皮膚と肉を割られる痛みは那月の唾液に含まれる麻酔作用と分泌されているであろう大量のアドレナリンによって鈍化されているため、耐えられる程度の痛みにまで抑えられていた。


 とはいえ、普通の人からすれば激痛なのに変わりはない。

 しかし、それを誤魔化すかのように、呑み込まれてしまいそうなほどに強い快楽が襲ってくる。

 人が吸血を拒まないようにするための、飴。


 反射的に身体へ力が籠ってしまうも、抱きしめている那月を壊してしまわないように意識を逸らし続けた。


 逆に那月の指が獲物を逃さないようにと背中に立てられているが、彼女もまた俺の存在を見失わないようにしているのだろう。

 それほどまでに吸血衝動というのは抗いがたく、理性を揺るがす強い衝動なのだ。


 しばらくの間そうしていると、


「――はぁ、っ」


 那月が埋めていた八重歯を抜き、色っぽさを伴った息継ぎをして、口の周りについていた血を赤い舌がぺろりと舐め取ってしまう。


 恍惚(こうこつ)とした微笑みと、蕩けた緋色の瞳。

 そこに映るのは間近にいる俺だけで。


 曝け出された本能的な感情に、鼓動が僅かに早まった。


「満足、したか?」

「……血の方は、大丈夫そうです。でも、やっぱり、お腹の奥が(うず)いて仕方なくて……その。…………いい、ですか?」


 那月にしては珍しく、恐る恐る口にする。


「……気を遣おうとか考えなくていいってこの前も言ったよな。第一、それを鎮めないと、どの道外に出れない。変なのが寄って来ても困る」

「…………他の誰ともこんなことはしませんよ。したく、ありません」

「だったら遠慮なんてするな。いつもみたいに全部受け止めてやるから」


 安心して身を任せろ、と伝えれば、ふにゃりと表情を一度崩して身体を起こし、服を躊躇うことなく脱いでいく。

 目の前で繰り広げられるストリップショーに、どうすることもできず視線が釘付けになってしまう。


 ポンチョ、ネックレスと続いてワンピースも脱ぐと――精緻な刺繍が施されたライムグリーンの下着とソックスだけが那月の身体を隠すものになっていた。


「……なんで靴下脱がないんだ?」

「この方が興奮してくれるかと思って」

「そんな特殊性癖はない」


 その言葉を信じたかどうか定かではないが、渋々といった様子で靴下も脱ぎ捨てる。


 そして、自らの下着姿を見せつけるかのように背筋を伸ばしてから、四つん這いで仰向けになっていた俺を押し倒されるような形で、腹の上に那月が馬乗りになった。


 ライムグリーンのショーツはその場所が濡れて色が濃く変わっていて。


「――お願いします、紅」


 深いキスを開戦の合図代わりに交わした。


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