第8話 ……欲を出してはダメですか?
「休日はやっぱり混んでるな」
最寄り駅はそれなりに人が多く、電車に乗り込む人と降りる人が混沌とした流れを作り出している。
とはいえ目的地の方が混んでいるだろうと考えると、どうしようもないとわかっていてもため息が零れてしまう。
それにしたって……行きかう人がみんな那月を見るのはどうにかならないだろうか。
珍しい銀髪というだけでも目立つのに、これほどの容姿だ。
注目を集める理由も理解はできるのだが、まるで監視されているようで落ち着かない。
はっきり言って不快だ。
隣にいる俺でもこれだけわかるのだから、本人はもっとだろう。
人が多ければトラブルが起こる確率も比例するように上がっていく。
いつも以上に気を配っておく必要がありそうだ。
「はぐれないでくれよ。この歳になって迷子探しは御免だ」
「どうして私が迷う前提なんですか」
「切符の買い方も知らなかった那月に言われたくはないな」
「経験がなかったのですから仕方ないでしょう? 今はばっちりわかりますから」
むくれたようにする那月だったが、不注意で周りを歩いていた人とぶつかりそうになっていたので、間に腕を滑らせて那月の身体を引き寄せる。
意図せず近づいた距離で、驚きからか僅かに見開かれた那月の瞳と視線が交わって、
「っ、と。大丈夫か?」
「……ありがとうございます」
こくりと小さく頷く那月の顔はほんのりと赤くなっていた。
「やっぱり危なっかしいから手繋いでおくか」
「……そうしましょう。はぐれる心配もなくなりますし、こうしていたら私たちに近づこうとする人も減るでしょうから」
那月は俺の左手を取って、右手の指を絡めてくる。
密着した手と手。
ひんやりとした那月の手に、俺の手の熱がじんわりと溶けていく。
「普通に繋ぐものだと思ってたんだけど」
「このほうが離れません。合理的な理由です」
「私欲が全く混ざってないって自信を持って言えるのか?」
「……欲を出してはダメですか?」
上目遣いで懇願するように言われては、反論する気も失せてしまう。
しかも那月が隠す気はないと白状してしまっているせいで、こちらの気分は複雑だ。
とはいえ、恋人繋ぎだとしても断る理由がないのも事実ではある。
繋ぎ方を指定しなかった俺の落ち度でもあるし、したことがないかと聞かれるとそういうわけでもないし。
「まあ、いいか。離れないでくれよ?」
「紅こそちゃんと繋ぎ止めてくださいね」
顔を合わせ、ふっと笑い合い、そのままの足で切符を購入してホームで電車が到着するのを安全のために引かれたラインの後ろで待つ。
やがてアナウンスが流れ、すぐに電車が停車して中から乗客が溢れるように降りてくる。
区切りがついたところで乗り込んだが空いている席はおろか、吊り革も全部埋まっていたため、二人で扉近くに陣取ることにした。
なるべく安全なように那月を扉の方に立たせ、俺は正面から向き合って周囲へ目を光らせる。
去年、初めて電車に乗った時に那月が盗撮被害に会いそうになったため、その対策だ。
扉が閉まり、がたん、と揺れたかと思えば、電車がゆっくりと走り出す。
速度に乗った電車が数分で次の駅に到着し、下車の為に扉が空いたので那月と一緒に邪魔にならないよう隅に避けておく。
降りた人よりも乗客が多く、そのまま隅で動けなくなってしまった。
スペースを作ろうにも身じろぎすら難しく、那月を押し潰さないようにするので精一杯。
意図せず密着するような体勢になってしまった那月の耳元に小声で、
「……人が多いな。少しきついかもしれないけど我慢してくれ」
そう伝えると、ぴくりと肩を一瞬跳ねさせたが、二度小さく首を縦に振っていた。
間近で銀色の頭が震え、ぎゅっと握ったままの手に力が込められる。
那月の華奢ながら女性的な柔らかさのある身体が押し付けられていて非常に落ち着かない思いをしながらも、その場で那月を守りながら目的地の駅まで何とか切り抜ける。
流れに沿って電車を降りた俺たちは人がいなくなったホームで、揃って深いため息をついた。
「……めちゃくちゃ混んでたな。大丈夫だったか?」
「紅が守ってくれましたから大丈夫ですけど……ある意味、大丈夫じゃありません」
息を整えた那月の顔はどこか赤い。
目もとろんとしていて、妙な艶やかさがあった。
まるで、吸血衝動に駆られているときのような――
その予想を裏付けるように、那月は目を伏せがちにしながら躊躇いがちに口にする。
「…………すみません。少しだけ、貰ってもいいですか?」
はあ、はあと熱っぽい吐息を挟みながら、那月は俺の胸に寄りかかってきた。
「……俺の記憶が正しければつい数日前に吸ったばかりのはずなんだが」
「紅も知っているはずですが……吸血衝動はあくまで衝動です。きっかけがあれば、私の本能が求めてしまうんです」
伸びてきた那月の細い指が鎖骨をなぞり、そのまま首へ添えられる。
那月の視線は首元へ注がれていて、僅かに本能の方へ理性の天秤が傾いているように窺えた。
これは……ダメそうだな。
放置していては他の誰かに危険が及ぶ可能性がある。
それは俺も那月も望むところではないし、その危険を排除するために俺がいる。
「……わかった。場所を変えよう。我慢できるか?」
「あまり待てそうにはない、かもしれません」
那月の言いたい意味を理解し、俺はすぐさま周囲を確認する。
運よく無人のエレベーターがあったので駆け込むように乗り込み、ボタンを押して扉を閉じながら唇を噛み切り血を出して、瑞々しい那月の唇を塞いだ。
すると、唇を割って那月の舌が入ってくる。
嚙み切った部分から溢れた血を求めて那月の舌が腔内を舐っていく。
吸い付くような舌の動きは官能を高めるにはじゅうぶんすぎるもので、しかし、それに呑まれてはいけないと理性を強く保つ。
あまり悠長に続けてもいられない。
エレベーターが移動するのは一階分だけなので、もう到着してしまう。
まだ足りないと示すように舌を絡めてくる那月を半ば無理やりに引き剥がし、
「っ、はぁ」
新鮮な空気で息を継ぐ。
たらりと那月との間にかかっていた透明な橋が落ちると、名残惜しそうに那月は視線で追っていた。
直後、間を見計らったかのようにエレベーターの扉が開いて、がやがやという喧騒が耳に入ってくる。
「……応急処置としてはじゅうぶんだろ?」
「…………助かりました。ちゃんと消化するための場所を探す猶予はありそうです」
「やっぱりそうなるのか……」
吸血衝動を解消するにはちゃんと吸血する必要がある。
唇を噛み切った程度の血の量では那月の衝動を満たせない。
それに……発情という問題もある。
「場所を探そう。このあたりにあるといいけど……」
「任せてください。こんなこともあろうかと付近のスポットは頭に入っています」
「……準備がいいのか悪いのかわからないけど、まあいいや」
出先ですることになるのはいつ以来だろうかと考える俺の袖を那月は控えめな強さで引っ張っていくのだった。
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