第29話 似た者同士ってことか
残りのGWも本邸で過ごし――学校が再開する一日前に俺と那月は家に帰ることになっていた。
どうしてか本邸の使用人総出で見送られ、水越さんの送迎で帰れば、数日離れただけなのに懐かしさを感じてしまう。
帰ってきたのは午後の三時過ぎ。
からりと晴れた空は先日の大雨が嘘のように輝いている。
二人で帰ってくるときに持たされた荷物を部屋まで運び、揃って「ただいま」と言ったところで、ようやく帰ってきた実感が湧いてきた。
俺も那月も一年住んだこの部屋を自分の家のように感じているのだろう。
「過ごした時間は圧倒的に本邸の方が上なのに……なんでしょう、この妙に落ち着く感覚は」
「それはちょっとわかる。こっちで暮らしてわかったけど、本邸は広すぎてそわそわするんだよな。あの規模の屋敷なのは舞咲が権威を示すためなんだろうなってのはわかるんだけどさ」
舞咲は人ではない者たちを庇護する立場。
であれば、大袈裟なくらい力を示しておいた方が世間一般へのアピールにもなる。
「至れり尽くせりで何もしなくていいとなると時間も余ってしまいますからね。私は紅と一緒に家事をしている時間が結構好きなんですよ?」
「確かに部屋の掃除とかをしてる那月は楽しそうだな」
「二人で過ごす空間なんですから、なるべく綺麗に保っておきたいじゃないですか」
「一理ある」
「というわけで……帰ってきて早々ですけど、お掃除しちゃいましょう。家を空けていた間に埃も溜まってしまっているでしょうし」
俺も那月の意見には賛成だった。
ほんの数日ではあるけれど、掃除はするに越したことはない。
荷物を一旦片付けてから、手分けをして掃除をすることになった。
とはいえ、あまり埃も汚れらしい汚れもなく、普段通りの掃除をするだけでじゅうぶんだった。
時間にして一時間くらいだろうか。
一仕事終えた俺たちはお茶を淹れて休憩することにした。
「お疲れさま」
「紅もお疲れ様でした。お茶もありがとうございます」
「本邸でちゃんとした人が淹れたものを飲んだ後だと味が落ちるとは思うけど」
「そんなことありません。私のために淹れてくれたと思うと、とても美味しく感じます」
そう言いつつ、ほんのりと湯気のたつ紅茶の入ったティーカップを傾ける。
貰ってきたいい茶葉を使っているからか当然のように美味しいのだが……やっぱりまだまだだな。
茶葉の美味しさを完全には生かしきれていない。
コツとかは聞いてきて実践しているつもりだけど……こればかりは練習あるのみか。
そんなことを考えていると、那月がふとため息を零した。
「那月がため息なんて珍しいな」
「……なんだかこっちに帰ってきて気が抜けてしまったみたいです。あの屋敷も好きですし、使用人の皆さんも良くしてくれて過ごしやすいのですが……あっちにいる間の私は舞咲のお嬢様なわけじゃないですか」
「期待されてる感じがして困るって話?」
「困るというよりも、戸惑うの方が正しいですかね。期待を向けられるのは嬉しいです。ただ、自分には不相応な気がして、勝手にプレッシャーを感じてしまうと言いますか」
苦笑を零しながら那月が語ったことには、少なからず共感できる部分がある。
自分が大した人間だと思い込むことができるのは少数派だろう。
俺も含めて、自分の価値は過小評価することが大半だ。
だけど那月は舞咲のお嬢様……彼らが仕える対象だから、自然と耳目を集めることになる。
幼いころからその環境に身を置いていた那月は多少慣れているだろうけど、プレッシャーを感じることに変わりはない。
「その点、こっちにいる間に私を見るのは紅だけですから」
「学校とか色々あるだろ」
「上手くやっているつもりです。そうでしょう?」
「コミュ障で友達がいない……いや、明日香がいたか」
「もうぼっちとは呼ばせませんよ……っ!」
「友達一人で威張って空しくないか?」
「やめましょうよ、紅。正論は時に人を深く傷つけるんですよ……?」
途端に虚ろな目になってしまう那月に若干の憐れみを覚えながらも降参のポーズをとると、それで溜飲を下げてくれたのか、ため息をつきつつティーカップへ手を伸ばす。
那月は言及しなかったけど、俺も人のことを言えないんだよな。
友達と呼べるのは治孝くらいなものだし。
明日香は……どうなんだろうか。
そもそも友達の基準が曖昧だし――って言いだすとキリがない。
「でも……友達っていいものですね。学校に行くのが楽しみになります」
「それはよかったな」
「屋敷にいるときも雫さんとメッセージのやり取りをしていましたし……なんていうか、こう、すごくいいなって」
とても楽しそうに微笑む那月。
明日香には感謝しないとな。
俺じゃない人の話題を出すのは、これまででは考えられなかったことだ。
間違いなく、那月も少しずつ前に進んでいる。
「その調子でクラスメイトとも打ち解けられるといいな」
「頑張ってみます。まずは挨拶からでしょうか……?」
「言われて嫌な顔をする人はいないだろうし、いいと思う。初めは驚かれるだろうけど、毎日続けていれば周りもそういうものかと慣れてくるから」
那月が孤立気味だったのはクラスメイトが自分たちの差を感じて気後れしてしまうからだろう。
それでも入学当初に人が殺到していたのは、現代ではおよそ珍しい本物のお嬢様に対する興味関心の部分が大きい。
だから、那月の方から歩み寄る姿勢を見せたなら、クラスメイトも快く応えてくれるはず。
邪な考えを抱いて近づいてくる人は俺がどうにかする。
那月との平和な学校生活を守るためなら手を抜く気は一切ない。
「ちょっとだけ、不安ではあるんですけどね。一年経って今更? って感じじゃないですか。反感を買ったらと思うと、いざ学校に行ってから怖気づきそうで」
「……そのときはそのときさ。邪見にされることはないと思うけど、それで諦めないのが那月だ。勇気が出ないなら……手でも握ってやろうか?」
「いいかもしれませんね。一人じゃなく二人なら、前に踏み出せる気がします」
ふっと笑って、那月が俺の膝に手を置いてくる。
ほんのりと冷たいその上に俺の手を包むように重ねた。
「やっぱり、あったかいです」
「那月のはいつも通りに冷たいな」
「吸血鬼ですから」
「……そういえば手が冷たい人は心が温かいなんて聞くけど、本当なのかな」
「外国の文化じゃありませんでした? 日本には握手の文化がないから――とか、なにかで見た気がします」
「そりゃよかった。それが正しいなら俺は心が冷たい人ってことになるからな」
手の温度で人の優しさが判別できるとは信じていなかったけど、それを知っているだけで気にはしてしまいそうだし。
もし仮に那月の手が温かかったとしても優しくないとはならないはずだから、本当に気にする必要がない迷信だとは思うけど。
だけど、そんな心境を察してか、那月がもう片方の手で俺の手を両側から挟んだ。
冷たくて細い指と、薄くも柔らかな手のひらの感触に、自分の手の感覚が溶けていく。
ぐい、と下から覗き込むような体勢になった那月と、視線が交錯して。
「――紅の優しさはこの世界の誰よりも私が一番知っています。だから……冗談でもそんなこと言わないでください」
泣きそうなほどに真剣さを帯びた声音で、言い聞かせるように告げた。
……本当に、なあ。
那月の純粋さには裏がない。
だからこんなにも言葉が響くし、想いが伝わる。
しばらく無言のまま目線を合わせ続けていたが、先に逸らしたのは那月の方だった。
俺の方もそろそろ限界だったし、心臓の鼓動は早いまま。
体温も心なしか上がってしまった気がする。
「紅っ! そろそろ夕食のことを考えた方がいいんじゃないですか?」
「そう、だな。冷蔵庫に仕えるような材料は残してなかったし、作るなら買いに行くか……それか出前を取ってもいい。屋敷ではいいもの続きだったから、ちょっとジャンクなものとか食べたくないか?」
「たまにはいいかもしれませんね。ハンバーガー、ピザ、チキンあたりでしょうか。このラインナップだったら……紅はどうします?」
「那月が――いや、ここはいっせーので決めるか。合わなかったらじゃんけんで」
「望むところです」
那月とタイミングを合わせ、
「いっせーのーでっ「ピザ!」」
言葉が重なり、二人で笑い合う。
「合わせてくれたんですか?」
「まさか。那月がピザを美味しそうに食べてる姿が一番先に頭に浮かんだからな」
「……実は私も、紅と一緒にわけあって食べる光景を考えていたので」
「似た者同士ってことか」
「それはまあ、許嫁ですから」




