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第12話 その血の味は今でも鮮明に、鮮烈に

 

(……私、絶対紅にはしたない女だと思われました)


 隣で眠る紅の寝息を聞きながら深夜に始まった自己反省会。

 今日の議題は電車で紅と密着していた時に起こってしまった吸血衝動について。


 私は八歳のときに吸血鬼としての本能が目覚め、以来定期的に起こる吸血衝動と付き合ってきた。

 吸血衝動は一定期間血を吸わなかった、または血を見たり匂いに反応した場合に起こりますが……今日のは言ってしまえば例外。

 私の自制心が甘かったことで起こってしまった事故のようなものです。


 吸血衝動には性的興奮が伴いますが、今回はその逆。

 性的興奮によって吸血衝動が誘発されてしまいました。


(…………でも、どうしようもなかったんですよ。大好きな紅があんなに近くにいて、しかも他の人から守ろうとしてくれてた――大切に想われていると考えたら、冷静でいるなんて無理です。脈が速くなりすぎて胸が張り裂けそうでした。しかもあの落ち着く体温と匂い……いえ、落ち着けなかったからああなってしまったんでしたね)


 今日の私の頭はまだおかしいままのようです。


 ともかく……私が原因となって紅に迷惑をかけてしまいました。

 それが酷く不快で、不安に感じてしまいます。


(紅はきっと私が求めれば何も言わずに応えてくれるでしょう。ですが、それではダメなのです。私が私自身をもっと律することが出来なければ、円満な家庭生活なんて見込めません。今はまだこの立場ですが……いつか、対等になるために)


 紅がお父様から実質的な許嫁としての扱いを受けてはいるものの、それはまだ確定した未来ではありません。

 私には紅を拒む理由がありませんが、紅は何らかの理由で答えを先延ばしにしている。


 ですが、あくまで先延ばしにしているだけ。

 完全に断ったのではないのなら、まだチャンスはあります。


(……初恋、なんですよ?)


 私が自分の気持ちを理解したのは、いつだったでしょう。

 その境界線がわからなくなるくらいには、私は紅と共に過ごしてきました。


 そして、今生きているのは紅がいてくれたからだと確信を持って叫ぶことができるくらいには、私は紅を信じています。

 紅がいない人生なんて欠片も頭に思い浮かびません。

 そんなものは味のない食事、音のない音楽、色のない世界と同じです。


(私はもう、紅がいてくれるだけでいいんです)


 目の前で眠る紅の背中へ手を伸ばそうとして、留める。

 手を伸ばせば届く距離にいるはずが、どうしてこんなにも遠く感じてしまうのか。


 それはきっと、何かのはずみに紅を失うことが怖いからでしょう。

 一度、自分の愚かな過ちによってそうなりかけた記憶が、紅へ手を伸ばすのを躊躇わせる。


 これではもう執着です。

 でも、諦めきれない。

 過去のトラウマ程度で諦められる軽い感情じゃないことくらい、とっくに理解しています。


 依存……そう言い変えてもいいかもしれません。


(時間はあります。少なくとも高校を卒業するまでに、私は紅にちゃんと振り向いてもらわなければならない)


 紅は私を見ているようで、見ていない。

 正確には、見ようとしていない(・・・・・・・・・)……でしょうか。


 けれど、私を(ないがし)ろに扱うわけでもなく、むしろ大切に、壊れ物でも触れるかのように接してきます。

 それは私の記憶が正しければ高校に入学して、お父様から許嫁であることを告げられたときから。


(……過去は変えようがありません。かといって、どうしようもない問題だとも思いません。幸い、原因の見当はついています。時間をかけて少しずつ、紅が自分を許せるようになってくれればいいのですが――)


 果たして私に、そこまでの影響力があるでしょうか。


 紅に頼って……依存して生きている私に。


 対等になりたいと言っておきながら、蓋を開ければこれです。


(本当に、私は弱いですね。紅の強さに隠れているだけの臆病者です。この間だって私に友達ができないなんて心配をされてしまいましたし……)


 正直、私自身も友達なら一人くらい出来るだろうと高を括っていたのは認めますが、それを一番近くで私を見ている紅に言われると心に来るものがあります。

 ……紅に心配をさせないためにも頑張ってみるべきでしょうか。


 無理に言ってこないのは私の過去が関係しているからなのでしょうけれど……それが出来たら苦労していません。


(情けない話です。家族と紅以外に触られるのが、あの事件から七年経った今でも怖いなんて)


 また(・・)何かの拍子に傷つけるかもしれないと考えると、人と親しくなることが途轍もなく怖いもののように感じてしまう。

 結局、私が一番私を信じられていないだけの話。


 七年前、私は初めての吸血衝動に見舞われ、一番近くにいた紅の血を抵抗する余地もないままに吸ってしまった。

 血だらけになった紅を吸血衝動が収まって冷静になってから見た私は、ショックで酷く取り乱しながらも紅を傷つけたことだけは理解していた。


 事件を起こした後は人と会うことが怖かった。

 食事も喉を通らず、血の乾きに喘ぎ、人間ではないなにかに身体が作り替わっていく気がして、自傷行為を何度もした。

 部屋に引きこもり続け、栄養失調と血を摂取しなかったことによる飢餓で死の淵を彷徨ったこともある。


 私に手を差し伸べてくれたのは家族と、自ら傷つけてしまった紅だけだった。

 怯え、拒絶する私を暗い部屋から再び外の世界に連れ出してくれた。

 家族よりも近い距離で、紅はずっと一緒にいてくれた。


 そして、私が吸血鬼だと知り、血を吸わなければ死んでしまうと知った紅は、迷いなく、完全に私を信頼して二度目の吸血をさせてくれた。


 その血の味は今でも鮮明に、鮮烈に、二度と忘れることが出来ないほどの深さで記憶に刻み込まれている。


(完全にあの日に覚えてしまいましたよね……紅の味を)


 私は紅の血以外を摂取できない。

 輸血パックなども試してみたが、紅ではない誰かの血だと考えるだけで反射的に吐き出してしまった。


 でも、紅の血だけは受け入れられた。


 紅のものしか受け入れられなかった。


 だから――


(……今の私は、紅に何かを示すことができていますか?)


 自らの価値に対する自問自答は、どれだけ悩んでも導き出せそうになかった。


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