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去りし者 二

          **********


 二ヶ月が過ぎ、エウローン領もグローヴ領も落ち着きを取り戻し始めたある晩の事だった。邸内を巡回していた陸王りくおうの前に、雷韋らいがひょっこり姿を現した。それは夜もすっかりけた深夜の事だった。


 所々にかかげられている松明に照らされて、雷韋の髪は金色のような飴色に輝き、瞳は深い琥珀色を晒している。

 陸王はすっかりもとの姿に戻った雷韋をちらと見たが、特に用もないのでそのまま少年の前を素通りしようとした。が、雷韋は陸王の隣に並んで歩き出す。そして小首を傾げて見上げてくるのだ。その様が横目に入って、知らず陸王はしかめっ面をしていた。


 そんな陸王の様子が分からない筈はないのに、雷韋は以前と変わらぬ風に気軽に声をかけてくる。



「久しぶりだな。どのくらいぶりだっけ?」

「知るか」



 陸王は素っ気なく返した。



「あんたさぁ、いつまでここにいるわけ?」

「さぁな。今のところ、俺の君主は翠雅すいがだ」

「護衛として雇われたからか?」

「まぁな。報酬の分だけは働く。何しろ、侍にとっての君主の命とは絶対だからな」



 陸王の答えに、雷韋は意外そうに顔を覗き込んでくる。



「へぇ、ほんとに雇われ侍ってそんなもんなんだ。でも、護衛してるだけじゃないよな」

「なんだってそう思う」

「だってさ、夜もこうして見回って翠雅の護衛してるのに、昼間だって兵士の訓練見てるじゃん。それもやっぱ報酬のうちか」

「身体を動かすのは嫌いじゃねぇ。ただ単にそばで護衛だけするのも性に合わん。それに訓練を受ければ、一兵卒でも使えるようにはなる。それも翠雅の護衛に繋がるってもんだ」

「そっか」



 存外あっさりとした返答を返してくる。



「それより、お前はいつまでここにいるつもりだ。もう役人は王都に戻っただろう」

「ん~、俺はなぁ。よく分かんね。でも、いつかは出て行くよ」



 陸王を覗き込んでいた目を宙に移し、雷韋はぼんやりと答えた。



「そうかよ。もう寝ろ。ガキの起きてていい時間じゃねぇぞ」

「ガキ扱いすんなよ」



 雷韋がむっとして返すが、



「ガキだろうが、どう見ても」



 陸王は言って、雷韋の頭を軽く叩く。叩かれて雷韋は、「いってぇ」と唇を尖らせた。大して痛くもない筈なのに、わざとらしく頭をさすっている。



「兎に角、もう寝ろ。ガキはちゃんと寝とかねぇと背が伸びんぞ」



 そこで二人共、口を閉ざして黙々と内廊下を歩いた。

 二人並んで邸内の角を幾度か曲がった時、不意に雷韋が口を開く。



「あのさ、雪李せつり影香えいこうの事なんだけど……」

「今更蒸し返すな。面倒臭ぇな」

「何が面倒なんだよ。俺、気になってた事があるんだ」



 陸王は嘆息して口をつぐんだ。それでも雷韋は続ける。



「あの二人って、五十年前に二人に分かれたんだよな」



 雷韋は言うが、陸王は正直、そんな事は忘れてしまっていた。



「初め、影香を見て有翼族だと思ったから、なんか変だと思ったんだ。有翼族は人間族とあんまり寿命は離れてないってさ。だから五十年も前に二人に分かれたって聞いた時、おかしいって思った。見た目のわりには生きすぎてるって。そんなに時間が経ってたら、とうに狂死してるよ。いや、その前に寿命が尽きてるかも知れない。けど、あれは天使だったからなんだな。有翼族と天使族じゃ、寿命が違いすぎる」



 あまりにもつまらない内容に、陸王は渋面じゅうめんを作った。

 そこで雷韋は、何かを言いたげに、けれど不意に言葉を切ってしまう。



「なんだ」



 まだ何かありそうで促すと、雷韋は戸惑った風に口を開いた。



「ん。でもさ……、でも、綺麗だったんだよな」

「何がだ」

「あの時、雪李が倒れたあと、あんたの瞳が一瞬だけあかく見えたんだ。それが凄く綺麗で。きっと、残光の影響だったんだろうけどさ」



 その言葉に、陸王は雷韋から目を背けた。だが雷韋は、陸王の顔を覗き込むようにして真正面から見据える。



「それとさ、あれ以来、俺、やけに落ち着いてんだよな」

「落ち着く?」



 意外な言葉に足を止めた。

 それにならって雷韋も足を止める。



「うん。あのあとさ、王都から役人が来たじゃん。俺、役人に縛り付けられてたけど、全然普通だったんだ。凄く落ち着いてた。何度も同じような事、繰り返し聞かれたのに苛々しなかった。なんだろうなぁ。あんたがここにいるって思うだけで落ち着く、……いや、安心する、かな」



 雷韋の言う言葉に眉間に皺を寄せたまま、陸王は何も答えなかった。


 この二ヶ月の間、陸王は考えていた。雷韋の存在には惹かれている。魂の条理だからそれは仕方ないだろう。だが、本当にそれでいいのか? そう思ったのだ。雪李によれば、鬼族は魔族の食料だと言う。だから魔族の自分が雷韋の傍にいていいものかどうか、深く考えざるを得なかった。雷韋は陸王にとって、魂の半身だ。それは自分でも確信がある。だから傍に置いておきたいという気持ちは当然ながらある。


 それが対にとっては当たり前の感情であり、当然の結果なのだから。


 けれども思う。このまま魂の条理に従って、諾々(だくだく)と流されるままに流された先で、いつか雷韋を傷付けてしまう事はないだろうかと。それを深く、深く考えた。対としては種族が最悪の相性だからだ。


 けれど結局、考えたところで妙案は浮かばなかった。

 最後には陸王は考える事を放棄した。全てを投げ出して、今はただ翠雅の護衛としてせわしく過ごし、それを言い訳に雷韋をける。


 陸王に選べる選択肢はそれだけだった。


 そんな陸王の懊悩おうのうを知らない雷韋は、吐息を零して言うのだ。



「命の恩人の雪李が死んだのに、なんでだろう。こんなの初めてだ。清々してるんだよ。なんでかな」

「知るか」



 そこで雷韋は首を傾げた。



「なぁ、あの話、本当だと思うか」

「どの話だ」



 陸王はまるで興味がないと言いたげに、髪を掻き上げながら問い返す。

 その態度に、雷韋は地団駄を踏みそうな勢いでわめいた。



「だから、俺とあんたが対だって事さ!」

「はっ。どうでもいいな、そんな事ぁ。第一、俺の対がお前みたいなガキだってのか。しかも男だと? 巫山戯ふざけろ。俺の対はいい女って決まってんだよ」



 魂の本能に反して、陸王は乱暴に言い遣った。



「だって、俺はいんだ。そんで、あんたはようだ。それに、あんたが市場で追われてる時もあんたの事、すぐに見つけられた。宿にいる時から、あんたがそこにいるような感じが……」



 陸王は答えるでもなく、雷韋の言葉を遮るべくその頭を引っぱたいた。

 すぱん、と大きく景気のよい音が内廊下に響く。



「いってぇ!」

「寝ろ、ガキ」



 無感情にそれだけ言って、陸王は雷韋を置いてさっさと歩いて行ってしまった。

 陸王のあとを追って、雷韋の喚き声が内廊下に木霊する。


 けれども陸王は、敢えてそれを無視した。

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