去りし者 二
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二ヶ月が過ぎ、エウローン領もグローヴ領も落ち着きを取り戻し始めたある晩の事だった。邸内を巡回していた陸王の前に、雷韋がひょっこり姿を現した。それは夜もすっかり更けた深夜の事だった。
所々に掲げられている松明に照らされて、雷韋の髪は金色のような飴色に輝き、瞳は深い琥珀色を晒している。
陸王はすっかりもとの姿に戻った雷韋をちらと見たが、特に用もないのでそのまま少年の前を素通りしようとした。が、雷韋は陸王の隣に並んで歩き出す。そして小首を傾げて見上げてくるのだ。その様が横目に入って、知らず陸王は顰めっ面をしていた。
そんな陸王の様子が分からない筈はないのに、雷韋は以前と変わらぬ風に気軽に声をかけてくる。
「久しぶりだな。どのくらいぶりだっけ?」
「知るか」
陸王は素っ気なく返した。
「あんたさぁ、いつまでここにいるわけ?」
「さぁな。今のところ、俺の君主は翠雅だ」
「護衛として雇われたからか?」
「まぁな。報酬の分だけは働く。何しろ、侍にとっての君主の命とは絶対だからな」
陸王の答えに、雷韋は意外そうに顔を覗き込んでくる。
「へぇ、ほんとに雇われ侍ってそんなもんなんだ。でも、護衛してるだけじゃないよな」
「なんだってそう思う」
「だってさ、夜もこうして見回って翠雅の護衛してるのに、昼間だって兵士の訓練見てるじゃん。それもやっぱ報酬のうちか」
「身体を動かすのは嫌いじゃねぇ。ただ単に傍で護衛だけするのも性に合わん。それに訓練を受ければ、一兵卒でも使えるようにはなる。それも翠雅の護衛に繋がるってもんだ」
「そっか」
存外あっさりとした返答を返してくる。
「それより、お前はいつまでここにいるつもりだ。もう役人は王都に戻っただろう」
「ん~、俺はなぁ。よく分かんね。でも、いつかは出て行くよ」
陸王を覗き込んでいた目を宙に移し、雷韋はぼんやりと答えた。
「そうかよ。もう寝ろ。ガキの起きてていい時間じゃねぇぞ」
「ガキ扱いすんなよ」
雷韋がむっとして返すが、
「ガキだろうが、どう見ても」
陸王は言って、雷韋の頭を軽く叩く。叩かれて雷韋は、「いってぇ」と唇を尖らせた。大して痛くもない筈なのに、わざとらしく頭をさすっている。
「兎に角、もう寝ろ。ガキはちゃんと寝とかねぇと背が伸びんぞ」
そこで二人共、口を閉ざして黙々と内廊下を歩いた。
二人並んで邸内の角を幾度か曲がった時、不意に雷韋が口を開く。
「あのさ、雪李と影香の事なんだけど……」
「今更蒸し返すな。面倒臭ぇな」
「何が面倒なんだよ。俺、気になってた事があるんだ」
陸王は嘆息して口を噤んだ。それでも雷韋は続ける。
「あの二人って、五十年前に二人に分かれたんだよな」
雷韋は言うが、陸王は正直、そんな事は忘れてしまっていた。
「初め、影香を見て有翼族だと思ったから、なんか変だと思ったんだ。有翼族は人間族とあんまり寿命は離れてないってさ。だから五十年も前に二人に分かれたって聞いた時、おかしいって思った。見た目のわりには生きすぎてるって。そんなに時間が経ってたら、とうに狂死してるよ。いや、その前に寿命が尽きてるかも知れない。けど、あれは天使だったからなんだな。有翼族と天使族じゃ、寿命が違いすぎる」
あまりにもつまらない内容に、陸王は渋面を作った。
そこで雷韋は、何かを言いたげに、けれど不意に言葉を切ってしまう。
「なんだ」
まだ何かありそうで促すと、雷韋は戸惑った風に口を開いた。
「ん。でもさ……、でも、綺麗だったんだよな」
「何がだ」
「あの時、雪李が倒れたあと、あんたの瞳が一瞬だけ紅く見えたんだ。それが凄く綺麗で。きっと、残光の影響だったんだろうけどさ」
その言葉に、陸王は雷韋から目を背けた。だが雷韋は、陸王の顔を覗き込むようにして真正面から見据える。
「それとさ、あれ以来、俺、やけに落ち着いてんだよな」
「落ち着く?」
意外な言葉に足を止めた。
それに倣って雷韋も足を止める。
「うん。あのあとさ、王都から役人が来たじゃん。俺、役人に縛り付けられてたけど、全然普通だったんだ。凄く落ち着いてた。何度も同じような事、繰り返し聞かれたのに苛々しなかった。なんだろうなぁ。あんたがここにいるって思うだけで落ち着く、……いや、安心する、かな」
雷韋の言う言葉に眉間に皺を寄せたまま、陸王は何も答えなかった。
この二ヶ月の間、陸王は考えていた。雷韋の存在には惹かれている。魂の条理だからそれは仕方ないだろう。だが、本当にそれでいいのか? そう思ったのだ。雪李によれば、鬼族は魔族の食料だと言う。だから魔族の自分が雷韋の傍にいていいものかどうか、深く考えざるを得なかった。雷韋は陸王にとって、魂の半身だ。それは自分でも確信がある。だから傍に置いておきたいという気持ちは当然ながらある。
それが対にとっては当たり前の感情であり、当然の結果なのだから。
けれども思う。このまま魂の条理に従って、諾々と流されるままに流された先で、いつか雷韋を傷付けてしまう事はないだろうかと。それを深く、深く考えた。対としては種族が最悪の相性だからだ。
けれど結局、考えたところで妙案は浮かばなかった。
最後には陸王は考える事を放棄した。全てを投げ出して、今はただ翠雅の護衛として忙しく過ごし、それを言い訳に雷韋を避ける。
陸王に選べる選択肢はそれだけだった。
そんな陸王の懊悩を知らない雷韋は、吐息を零して言うのだ。
「命の恩人の雪李が死んだのに、なんでだろう。こんなの初めてだ。清々してるんだよ。なんでかな」
「知るか」
そこで雷韋は首を傾げた。
「なぁ、あの話、本当だと思うか」
「どの話だ」
陸王はまるで興味がないと言いたげに、髪を掻き上げながら問い返す。
その態度に、雷韋は地団駄を踏みそうな勢いで喚いた。
「だから、俺とあんたが対だって事さ!」
「はっ。どうでもいいな、そんな事ぁ。第一、俺の対がお前みたいなガキだってのか。しかも男だと? 巫山戯ろ。俺の対はいい女って決まってんだよ」
魂の本能に反して、陸王は乱暴に言い遣った。
「だって、俺は陰だ。そんで、あんたは陽だ。それに、あんたが市場で追われてる時もあんたの事、すぐに見つけられた。宿にいる時から、あんたがそこにいるような感じが……」
陸王は答えるでもなく、雷韋の言葉を遮るべくその頭を引っぱたいた。
すぱん、と大きく景気のよい音が内廊下に響く。
「いってぇ!」
「寝ろ、ガキ」
無感情にそれだけ言って、陸王は雷韋を置いてさっさと歩いて行ってしまった。
陸王のあとを追って、雷韋の喚き声が内廊下に木霊する。
けれども陸王は、敢えてそれを無視した。




