紅(あか) 三
表通りに出ると、雪李の家の前に四頭立ての、下町には全くそぐわない貴人用の馬車が止まっていた。馬車の扉は開け放たれたままで、雪李の家の扉も開いているようだった。その中から変声前の声が陸王と雪李の名を交互に呼んでいる。
雪李は玄関に張り付いた。
「雷韋?」
その声に、家の中から声が返る。
「雪李、どこにいたんだよ。陸王は!?」
「俺ならここだ。お前、今まで何してた」
雷韋の声に陸王が姿を見せ、眉根を寄せる。
その姿を目にして雷韋はあからさまな安堵を顔に浮かべたが、すぐに捲し立てた。
「二人共、取り敢えず馬車に乗ってくれ。詳しい事は中で話す。翠雅……、エウローン卿のところに急いで戻る! 早く!」
「戻る? どういう事だ」
「だからそれは中で話すって。今は急いでここから離れなきゃ!」
話が飲み込めない二人の背中が掴まれ、そのまま馬車に向き直らされた。
その様に、陸王は今度こそ寄せた眉をはっきりと顰める。
「いきなり戻ってきて、今度は一体なんだってんだ。一言くらいあってもいいだろうが」
陸王のその言葉に、雷韋は今にも地団駄を踏みそうな勢いで、
「闇の妖精族だ!」
そう一言だけ叫んだ。
そのあと、陸王と雪李は雷韋に背中を押されて無理矢理に馬車へと追いやられた。二人が向かい合わせの席に座る前に雷韋も中に乗り込み、「行け!」と御者と従者に乱暴な声を投げつけて扉を閉める。
途端、馬車が走り出した。それも勢いをつけて。
車輪が地面を噛む音ががたがたと響いてきた。
陸王と雪李がその揺れに慌てて腰を落ち着け、馬車の内壁に手をかける。雷韋も陸王の隣に腰を下ろして、一息、二息と息をついている。その様子は酷く落ち着かなげだった。
「雷韋、一体これは何事? 闇の妖精族がどうしたって?」
雪李が馬車の激しい揺れに、舌を噛まぬように慎重に言葉を投げかける。
雷韋はそれに頷いた。いや、激しい揺れで頷いたように見えただけなのかは分からなかった。が、速度を上げ続ける馬車の中で口を開く。
「俺と陸王の事が闇の妖精族に気付かれた」
雷韋は問われて、それだけを呟いた。馬車の車輪の音に掻き消されそうな呟きだったが、その中にある焦りのようなものが、確かに二人に言葉を伝える。
「気付かれた? 居場所をか」
陸王が問うが、雷韋はそれに首を振った。それから馬車の窓から顔を突き出して、背後を確認する仕草を見せる。その雷韋の襟首を掴んで椅子に座り直させると、更に陸王は言葉を重ねた。
「一体、何がどうなったってんだ」
「エウローン卿がな……翠雅って言うんだけど、翠雅は俺の話を真剣に聞いてくれた」
話によると翠雅は深夜、雷韋の言葉に黙って耳を傾けてくれたのだと言う。雷韋が領民から耳にした什智に科せられた重税の話、それによって雷韋が何をしたか、什智が火の精霊が宿った珠玉を狙って陸王と雷韋を捜させている事、それで何をしようとしているかという事も洗いざらいぶちまけた。その上で、雷韋は陸王の推論を語った。
それらを聞いて、翠雅も語り始めたのだと言う。
元々、什智は国王からの覚えも悪く、近年では傍に侍る事も許されなくなっていたと。更には、領主だけの会合である『地領合議』でも末席を強いられていた。
什智は常に苦汁を舐めさせられていたのだ。
それを踏まえた上で、領民を虐げて懐を肥やすしか能のない男が精霊の宿った珠玉を手に入れれば、近いうちにもそれを暴発させてしまうだろう懸念も翠雅から出た。
第一、今回の件に関しては何事も手回しがよすぎた。たかが宝物庫に盗賊が盗みに入った程度で、すぐさま手配書が回ってくるのはおかしかったのだ。闇の妖精族まで雇うのは異常だ。
そこまでする理由は何かと思えば、領地一つを塵芥に帰してしまう危険な珠玉を手に入れた故かと翠雅は納得した。無論、什智がその真実を知る由もなかったが。
例え什智が何も知らずともそれを暴発させたとなれば領地は滅び、領民は死に絶える。それは翠雅にとっては許される事ではなかった。隣接する領地の領主として真実を知ってしまった以上、それを食い止めるのが責務でもある。
什智がしようとしている事はこの国への裏切り、延いては国王に対して弓引く事だ。それは決して許してはならない。
翠雅がそう考えるように、雷韋もまた什智を止めたいと申し出た。その為の仲間がいるという事も。出来る事なら、珠玉も欲しいとも。
そうして二人の考えを突き合わせれば、結果として共闘出来る。そう結論が出た。
しかも火の珠玉は今、雷韋が持っている。
これこそが国家転覆の何よりもの証だ。これを王都の宮廷魔導士に見せれば、どう扱えばいいか分かる。珠玉に秘められた威力も分かろうというもの。
どれだけ危険なものか。
どれだけ貴重なものか。
例えこれが雷韋によって盗み出されたものだとしても、本来の持ち主が誰かは分かる。什智が血眼になって探していた証拠、つまり手配書がその証拠となるのだ。たったこれだけで国を動かす事が出来る。翠雅はそう考えたらしい。
しかし雷韋は言った。
王都まで使者を遣わしても、それはおそらく阻まれるだろうと。何故なら、闇の妖精族がいるからだ。奴らが使者を襲って、託した珠玉を奪ってしまうに違いないと。
ではどうする?
それを考え詰めた先に、ここで迎え撃てばよいと話は決まった。そしてまずは、雷韋と陸王を翠雅の個人的な客として招き、砦に匿うと言う選択肢が現れた。什智の秘密を知る二人を保護しなければならないからだ。いや、この場合、正確には翠雅に付き従う青年の客としてだ。
何故なら──。
その解が引き出された時、室内に闇の妖精族の使い魔がいる事を知った。それはインプと同じ小妖精の召喚獣だった。しかしインプとは違って、その邪悪さを体現するかのような醜悪な姿をした存在。名をゴブリンという。闇の妖精族がよく使役するものだ。
普段の雷韋ならゴブリンがこの部屋に侵入してきた事に気付いただろう。小妖精は精霊に近い種族だからだ。いや、もしかしたら彼の召喚獣は端からこの部屋にいたのかも知れない。それでも気付いた筈だ。なのに気付く事が出来なかったのは、翠雅に会う事に集中していて、それ以外が疎かになっていたからだろう。
そして雷韋がゴブリンに気付いた時には、さっとその場から姿を消し去ってしまっていた。主の元に帰ったのだろう。見聞きした事を伝える為に。
「それで俺、闇の妖精族に見つかるとまずいって事で、今まで砦にいたんだ。陸王の事は話したけど、居場所まで言わなかったのは助かったな。じゃなかったら、今頃は……」
そう言って雷韋は、もう一度馬車の窓から通りの辺りを窺う。
「闇の妖精族はこの馬車を追ってきてないみたいだ。ゴブリンは飛べないし、きっと闇の妖精族のところだ」
言って、再び椅子に腰を落ち着ける。
その雷韋を陸王は見詰めた。
「だが、雷韋。俺達が領主のところに匿われる事は分かってるんだろうが。待ち伏せされねぇ保証はねぇぞ」
「そうだね。砦に近付けば、馬車に乗っていても危険に近付く事になるかも知れない」
陸王に続けて雪李も言った。
「でも、まずは匿って貰わなきゃ。陸王にも直接翠雅に会って貰いたいし、それに……」
そこで言葉を切って、雷韋は雪李を見た。




