対 五
それを聞き、陸王は雪李から目を逸らして考え込む風に呟いた。
「普通、他の土地の領主が別の領地の領民に危害を加える事も、干渉する事も禁じられている。それをすれば、手を出された方の領主は国王にそれを奏上する事が出来る。ここの領主が什智の悪政を知っているとしても、絶対にグローヴに干渉する事は出来ない。逆に什智がエウローンに干渉すれば、ここの領主は国王にそれを奏上する事が出来る。そうなれば、グローヴに国の査察を入れる事が出来る。国の査察の結果、グローグの領民が苦しんでいる事を知られれば、什智はその地位を剥奪されるだけに留まらず、罰されるだろう。あまつ、そこに雷韋が聞いたという什智の計画が発覚すれば、どうだ。国家反逆罪で什智は確実に処刑される。什智の計画を知らずとも、ここの領主も奴が悪政を敷いている事は知っている筈だ。他領地の雪李でさえ知っているんだからな。それを知っていて、尚且つ手を貸しているって事は、俺と雷韋を手配した事と繋ぎ合わせて什智の尻尾を掴みたがっているとも考えられる。それで敢えて協力する振りをしている、と考えれば納得もいくんだがな」
自分でそこまで言っておいて、厄介だな、と最後に溜息混じりに吐き出した。
「厄介? 何が」
雷韋が怪訝そうに陸王に問う。
「色々とだ」
「なぁ、陸王、考えてもみろよ。あんたの今の例え話が本当なら、俺達には出来る事がある。元々俺が什智の邸に忍び込んだのは、グローヴの領民が重税に苦しんでるって聞いたからだ。ちょっとは懲らしめてやろうかって。什智が国家転覆を謀ってるってんなら、尚更それを曝いてやればいい。国に査察に入らせて、悪の根を取り去るんだ。そうしたら俺達はもう賞金首じゃなくなる。俺達のほかにも、助かる人だって沢山出る。みんなが幸せになれるんだ」
「なんだって俺が人助けなんぞしなけりゃならんのだ。なんの得にもなりゃしねぇ」
それを聞いて、しかし陸王は呆れたように首を振った。
「でも、それで助かる人が大勢いるんだぜ。それって嬉しい事じゃないのか?」
「他人の幸、不幸なんざ俺には興味もねぇし、関係もねぇ。俺は得になる事でしか動かないんでな」
「じゃあ、あんたの一番大切なものって金か」
面白くなげに、むっつりと問い返す。
「いや、生命だ。次に金だな」
「なら、どうしてその一番大切な生命をかけて闇の妖精族に立ち向かおうとするんだよ。無茶苦茶だぜ」
雷韋の言葉に、陸王は嫌らしく口端を歪めて言い返す。
「俺は負けねぇ。相手がなんであろうと。……随分前になるが、戦場で魔族が湧いた事がある。場は一気に混乱した。もう戦どころの騒ぎじゃねぇ。敵も味方も関係なく昼夜魔族と対峙した。そして、俺は只一人生き残った」
「魔族、を?」
雷韋は言葉を失った。雪李もまた碧の目を見開いて陸王を見ている。
魔族は全ての人族の大敵だ。絶対の敵と言っていい。その姿、異形。性は凶悪、凶暴にして、理性などない。能力は個々によって様々だと伝えられているが、人の為し得ない技を使い、人族を喰らうのだ。滅多に姿を現す事はないが、一匹でも姿を現したが最後、その地に住む人々は血の一滴、骨の一欠片まで残さず喰い尽くされる。
魔族は人の情理を知らず、決して知ろうともせず、ただ血と殺戮にのみ喜びを見出す種族だ。この世の中で魔族ほど恐れられている種は存在しない。大陸にも魔物と呼ばれる異形のものは数多く存在するが、魔族はそんなものとは根本的に違った。血の臭いを一里先からでも嗅ぎ付けてくると言われている。
その為、大量に血が流れる戦場では遺体を放置する事はない。戦闘は夕暮れまでだ。夜陰に紛れた攻撃はしない。夜は魔族の時間だからだ。魔族を呼び込まない為に、戦闘は夕暮れまでと大陸では暗黙の了解になっている。だから戦闘があったその日のうちに、敵味方構わず遺体は全て焼き払ってしまうのだ。
そして陸王はそんな化け物を相手に、只一人生き残ったと言うのだ。俄には信じがたい話だが。
「それ、ほんとかよ」
雷韋が呻くように声を絞り出した。
「実際にあった話だ。影に潜む奴もいたからな、自分の影でさえ油断ならねぇ。夜は昼間以上の地獄になった。あちこちから悲鳴が上がって、骨を噛み砕く音が響いてきやがる。襲い掛かってくるのも、襲っている奴も全部斬った」
「そんな中で、あんただけが?」
「あぁ」
あの戦場で陸王は、七日七晩、寝食なく戦った。いつ、どこから魔族が襲い掛かってくるのか分からない中で。目につく魔族を斬って、片っ端から斬っていって、最後の一匹を斬ったと気付いたのは襲撃を受けてから八日目の夜明けの事だった。
その時にはもう陸王の心身は疲労と飢餓、精神の摩耗でがたがたになっていた。それでもこれ以上魔族が湧かないように、倒れそうになる身体に鞭打って屍に火をつけて戦場だった場所を歩いた。
そうして一人帰還した陸王だったが、その後、暫く神経が高ぶって眠れぬ夜が続いた。小さな物音にも身体が反応し、短くない間、幻聴や幻覚にも悩まされた。それから解放されたのはいつの事だったか、今では思い出そうとしても思い出せない。もしかしたら今でも続いているのかも知れなかった。
何故なら、陸王は酷く眠りが浅いからだ。ちょっとした物音でも目が醒める。それは未だに続いているという証ではなかろうか。
陸王は訥々とそんな事を語り、自嘲するように唇の端を引き上げた。
「そんな思いをしてきたんだ。俺から見れば闇の妖精族は所詮人族だ。それ以上でも以下でもねぇ。魔族と対峙した時の事を思い返せば、怖くもなんともねぇな。魔族に奪えなかった生命を奴らに奪われるとも思えん」
雑魚だと、ばっさり言い切る。
雷韋も雪李も陸王の言葉を眉を寄せて聞いていた。雷韋は不安げに、雪李は何かを思い悩む風に。
そして口を開いたのは雷韋だった。
「陸王が……闇の妖精族を怖がらない理由は分かった。あんた、凄く強いんだな。でもさ、やっぱり一人じゃ危険だよ。わざわざ危険を冒す必要ない。さっきも言った通り、もし陸王の言うみたいにエウローン卿が什智の足下をどうにかして掬おうとしてるんだったら、俺達が手を貸せばいい。それであんたが得にならないって言うんだったら、手を貸す代わりに金を要求すればいいじゃんか。諸悪の根源を取り除けば、俺達すぐ自由の身になれるんだぞ。それじゃ駄目か?」
「よしんばその案に乗るとして、お前はその前にどうやって領主に会おうってんだ。何か考えはあるのか」
陸王は難しい顔をして腕を組んだ。
「それは……」
「俺もお前も一介の旅人だ。そんな連中が領主に会いたいと申し出ても、追い返されるのがオチだろう。例え領主に会えたとして、もし俺の推測が外れていたとしたら? その場合は什智に引き渡されるだけだ」
それを聞いて雷韋は、う~んと唸ってしまう。そのまま椅子に腰を下ろすと、両肘をついて考え込んでしまった。こちらも陸王に負けず劣らず難しい顔だ。
その雷韋に代わって雪李が口を開いた。
「陸王は会いに行くべきじゃないね。会いに行くなら雷韋だ」
「何故だ」
即座に陸王が返す。
「雷韋は無欲だし、本気で人助けだと思ってるから」
「それが?」
「そんな子供が追われている身で、髪の色も瞳の色も変えて直々に領主に訴え出るんだ。それを無碍にするほど、エウローン卿は狭量な領主じゃない筈だよ。少なくとも真面目に話は聞いてくれると思う」
一領民の意見だけどね、と最後に付け加える。
「話は聞くが、それで終わりかも知れん。什智に引き渡さないという保証はないだろう。第一、どうやって領主のところまで潜り込む。真正面から会いに行って、それで謁見出来るほど敷居は低いのか?」
「どうやって会いに行くかは雷韋に任せるさ。それにしても君は疑り深いな」
言って、雪李は小さく笑んだ。
「そういう性分なんでな」
雪李の笑みを透かし見るように見た。見ようによっては睨んでいるようにも見える。
その眼差しに、雪李は軽く息をついた。
「やっぱり、これは陰と陽の運命なのかな」
「あ?」
いきなりの言葉に、陸王の目つきが怪訝そうに変わる。わけが分からないという風に。
そして同時に、雷韋の目も雪李を捉えた。




