交錯 四
雷韋の周りから火の玉が消えた事によって、衛士達が近付いてくる。手に手に封珠縛を持って。
身体の自由が奪われ精霊さえも奪われる中、封珠縛まで掛けられたらもうどうする事も出来ない。ここはどうあっても封珠縛だけは掛けられて堪るものかと、更に左手に意識を集中した。
その途端、左手がかっと熱くなる。いや、左手から腕を伝って、そのまま額へと火の力が走ったのだ。
額が熱くなったと思った瞬間、身体に力が漲る。
息苦しさも、身体がねじ切られるような痛みも何もかも全て忘れて、雷韋は我知らず額に意識を集中していた。
途端、どぉん、と轟きが走る。
雷韋にも何が起こったのか分からなかった。ただ耳の奥に炸裂音が響き、一時的に耳がきかなくなったが身体は軽くなっていた。
何が起こったのかと辺りを見回すと、人々が倒れている。近付いてきていた衛士は勿論の事、魔導士も、動きを見せなかった衛士達も皆。
たった一人だけを除いて。
倒れている人々の中で一人佇んでいたのは、闇の妖精族だった。
今、雷韋には何が起こったのか分からなかったが、倒れている人々の中でたった一人、闇の妖精族だけが悠然と立っているのだ。
「流石は神の系譜。火の力を風の力に転化して、しかも風の力を爆発させるとは」
闇の妖精族は雷韋を見詰めて、感心して呟くように言った。
雷韋は闇の妖精族が何を言ったのか理解出来ず、思わず問うていた。
「なんだって? 火の力を風の力に変えるって……どう言う事だ。俺はみんなに何をした」
「無意識か」
雷韋の問いを無視して、またも呟く。
「無意識って、何が!」
雷韋が怒鳴ると同時に、少年の足下から地面を突き破って茨の蔦が吹き出した。そしてそれは雷韋の手足を雁字搦めに絡め取る。その途端、腕や足から鋭い痛みが走った。茨の巻き付いた場所から血の滲む感触もする。
「痛っ」
その痛みに思わず声が上がった。無理に動くと、茨が深々と突き刺さってくる。
妖精族の守護精霊は植物だ。地から植物を呼び出す事など造作もない。しかも雷韋の精霊魔法など歯が立たないのだから始末に負えなかった。無理矢理この拘束から逃れるには、身体を傷付けてでも茨の蔦を引き千切るしかない。けれど痛みが酷くて、思うように手足に力を入れる事が出来なかった。
その様子を見遣っている闇の妖精族のその顔は、口端を嫌味に歪めて灰色の瞳は弓のように弧を描いている。嬲るのが楽しいとでも言いたげに、闇の妖精族は更に茨を雷韋の身体に巻き付けた。
「くっそ……っ」
雷韋はなんとか茨から逃れようと身を捩った。それでも拘束は緩むどころか、更にきつく締め上げてくる。汚泥に汚れた服は、今度は血で赤く染まっていった。
「これでどうかな?」
闇の妖精族が再び呟いた途端、首に茨が巻き付いた。鋭い棘が雷韋の柔肌に深く突き刺さる。それに伴って、首からも血が溢れた。
だがその時、雷韋の警戒色の黄色い瞳が更に光を増した。興奮によって、細く尖った瞳孔は完全に開かれている。
「こ……の、野郎!」
雷韋が声を張り上げた瞬間、少年の左手に新たに炎が顕れた。
雷韋の手に顕れた火は闇の妖精族に奪われるよりも早く、すぐに形を変えた。
炎かと思われたものは、赤い石を細く削ったように変貌し、その両端からは赤い刃が長く伸び上がっている。
それは火の精霊が凝った武器『火影』だった。
柄に当たる石の部分には組紐が巻かれて、それが風に煽られて宙に揺れている。
火影はかつて、雷韋の故郷であるセネイ島にある火の神殿と呼ばれる遺跡に眠っていたものだ。それを手にしてから火影は、雷韋にしか扱う事が出来ない武器となった。それは精霊達が望んだからだ。契約したのではなく、精霊達の望みによって、自ずから雷韋だけのものとなったのだ。そして火影は雷韋の意思次第で斬るも斬らぬも決定し、刃も伸縮自在。炎を纏わせる事も、小規模な爆発を起こす事も出来る。それを命ずる事が出来るのは雷韋だけだ。いくら闇の妖精族が甚大な魔力を有していようとも、火影は決して従わない。
火影だけは頑なに雷韋のものなのだ。同時に主人である雷韋を、雷韋が意識せずとも護る。
火影が現れ、闇の妖精族が己の意志に従わない事に驚愕する中、火影は炎を発して雷韋の身体を包み込んだ。次の瞬間には、雷韋の身体を縛めていた茨が灰と化す。
その出来事に闇の妖精族は一度目を閉じ、再び開けると、意外な一言を発した。
「去ね」
闇の妖精族は口元に笑みを湛えて、囁くように雷韋にそう告げた。いきなりの言に雷韋がぽかんとすると、続けて言った。
「今はその珠玉を預けおく。欲深な人間族に預けておくよりもいいだろう。だが……」
そこまで言って目を眇めると、
「お前が去ったなら、すぐに追っ手を放つ。せいぜい逃げ回る事だな」
鋭い目で睨み据える。
「お、俺を見逃すって言うのか?」
睨み据えられても物怖じせずに雷韋は問うていた。あまりの事に頭が追いつかない。いきなり精霊魔法で絡め取られたと思ったら、今度は去れと言う。何がなんだか分からなかった。
「そうだ。お前を逃がす。皆の意識がない今のうちに」
その言葉に、思わず周りを見渡した。
大勢の衛士達も数人の魔導士達も倒れ伏したまま、呻き声一つあげようとはしなかった。完全に意識がなくなっているのだ。
何が起こったか分からないが、確かに逃げるのなら今のうちだった。
それにしてはおかしい。周りにいた者達が何某かの原因で意識を失おうとも、ここは砦だ。他にも兵士や召使いなどが大勢いる筈なのに、誰一人たりとも集まってこない。姿を見せない。大きな爆発音に似た轟音が響いた筈なのに、だ。
それでも雷韋は、兎に角逃げ出す事にした。倒れている衛士達の間を縫って、砦の城門を目指した。




