交錯 二
「貴様のような下賤な者には分からぬ事だ」
「下賤だと? この世で偉いのは人間族じゃないんだぞ!」
先の什智ではないが、雷韋は鼻先に小さな皺を寄せて叫んだ。
什智の言葉は、絶対に許されざる言葉だったのだ。
アルカレディアというこの広大な大地には、人間族の他に雷韋のような異種族が数多く存在する。だが、その中のどれが偉いなどとは言えないのだ。どの種族であっても全てが平等であり、『人族』としてなんら変わる事のない位置に属している。それは世界創世の頃から全く変わらぬ理であった。
世界を創造した神々──原初の獣神・光竜、昼と夜、光と闇をアルカレディア大陸にもたらした光神・天慧、闇神・羅睺──は、決して人族の上下を作ったわけではない。それを作ったのは人間族であり、天主神神義教という宗教が作り上げた人間族上位の教えだった。
雷韋は神義教の教えが大嫌いだった。人間族上位を唱え、他の人族を排除する考え方にはどうしたって賛同出来ない。人間族は勝手に自分達の優勢を唱えているだけであって、それは世界の流れとは反するものだったからだ。
世界は原初神・光竜の『流れ』によって形作られている。精霊達の手に運ばれて。そして天も地も、すべからく人族を平等に扱っている。
それだからこそ、自然の驚異というものがあるのだ。嵐も地震も川の氾濫も、全ての自然の災いは意味を持っている。意味もなく、それが行われる事はないのだ。いや、自然界が起こす災いは本当の災いではない。いかに人の生命、獣の生命を奪おうとも、本当の禍というのは人間族だけが起こし得るものだった。
それを人は『戦争』と呼ぶ。
領土を拡大する為に起こす戦乱、他者を妬むがあまりに起こす戦乱、他者を屈服させる為に起こす戦乱、様々ある。しかもそれは人間族にしか出来ない事なのだ。
同族同士の殺し合いなど。
それから見れば雷韋のやった事など、世界の流れ的にはほんの些細な事でしかない。
第一、什智の邸に忍び込み、盗みに入った時に雷韋は誰も傷付けてなどいない。少しの魔術の力を借りて、宝物庫を見張る兵士の三人を眠らせただけにすぎなかった。
無論、盗みを働くのは悪い事だと雷韋も理解している。それでも什智の領民への多大な搾取が許せなかったから行動を起こしたのだ。ただそれだけの事だ。
だからこそ、什智の言葉に雷韋は小さくはあるが鋭い牙を剥き、唸り声らしきものさえ発した。
什智の言葉はそれほど許せないものだったのだ。そして『下賤』と呼ばれた事は、少年の誇りを著しく傷付けた。
異種族だから差別を受け、この汚らしい牢獄にぶち込まれ、己の生命が奪われようとしている。その全ては人間族特有の差別のなせる業だった。同じ人族として、それは許せる事ではない。
それはこれから行われる己の刑罰とは無関係の怒りだ。どうにもしがたい怒りが、雷韋の小さな胸の奥で大きく膨らんでゆく。
人間族は生まれてから背負い続けている業の為、醜い欲望がある。しかしそれは、他の人族にはないものだった。彼らは純粋なのだ。だから雷韋にも醜い欲望などない。異種族──獣の眷属には存在し得ないものなのだ。
それが人間族と、他の人族との完全な違い。それだけは相容れるものではなかった。
だから雷韋は腹を立てたのだ。
いや、それは腹を立てたとか不服だなどという容易なものではない。あまりの怒りの為に、少年は我を忘れそうだった。その雷韋の全身から、急速に甦る力が胸中にある。
それは魔法力だった。生命の根源。魔力と呼ばれるものだ。
それが急激に額の一点へと寄り集い、行き場をなくした力の収束は、最早爆発する以外に術はなかった。これは雷韋の意図するものではなく、本能的なものだった。
まさに獣の眷属のなせる業だ。
果たして、収束した力は額から少しずつ、静かに漏れ出していた。
雷韋の身体を束縛する封珠縛はみしりと音を立て、什智とその家臣の者にも微かに聞こえてきた。少しずつではあったが、封珠縛は一つ一つの宝玉にひび割れを起こしたのだ。
それから間もなく、少年の身体を縛り上げていた魔力を封じる数珠は一瞬にして弾け飛んだ。
もう雷韋は囚われの身ではなくなっていた。封珠縛が透き通った音をさせて破裂した途端、少年の身体を縛り付けている縄までも弾け飛んでいたからだ。
什智はそれを見て、思わず身震いして数歩後退った。一体これから何が起ころうとしているのか分からない。
束縛を消滅させた雷韋は、壁に掛かる炎の力を取り戻した。彼の眷属である火を、少年は容易く呼び寄せる事が出来るのだ。
「火よ!」
雷韋が叫んだと同時に、火の精霊達は主の命に応えて牢を照らす松明の炎を爆破した。そして錆び付いた鉄格子を飴細工のように溶かす。
これで雷韋は、完全に自由を手に入れたのだ。
「さて、どうする。俺はもう自由だ。魔術も使える。その俺をどうする気でいる。もう一度縄で縛り上げるかよ」
えぇ? と雷韋は什智に一歩詰め寄った。同時に、什智は後退る。彼の家臣でさえも主人から離れ、これから起きるかも知れない危機に怯えた。
「どうするよ! 俺はお前が大嫌いだ。人を不幸にしか出来ない領主なんて最低だ。それにあの火の珠玉。あれはあんたには悪影響しか与えない。人間が精霊を使っていい事なんてあるもんか。世界を支配しようなんて、俺は絶対に許さない。あれはあんたには危険すぎる。これ以上、黙って見ている事なんて俺には出来ない!!」
雷韋は一気に捲し立てた。強い怒りが腹の底から這い上がっていたのだ。




