第一話 最悪の出会い
完全オリジナル世界の物語『獣吠譚 覇界世紀』シリーズ第一弾!
公募で箸や棒には引っ掛かったものの、大賞が取れなかった作品を公開です。
第二弾からは書き下ろし(ただし、一話まるっと書いてからの公開となりますのでお時間を頂きます。その代わり、連載を始めたら『了』まで毎日更新! また、公募用に原稿を並行して執筆しておりますので、その辺りもご承知おきください)。
長いシリーズになりますが、宜しくお願いいたします!!
【追加】
この物語は、2021年12月から2022年1月末頃まで連載されたものです。
その頃の一話の文字数は二千から三千文字以内でしたが、この度、改めて一話の文字数を調整して増やさせていただきました。
また、頭から再読したところ、あまりにもいらないルビが多かったりなどしたので、そこらは取っ払いました。必要最低限のルビになになっております(だって、幌馬車の『幌』にさえルビ振りって……)。
多少の文章変更、一部に追加したりなどしましたが、物語全体としては全く変更などありませんのでご安心ください。ただし、一話分の文字数を増やしたので、話数が15話分減っています。あと変更になっているのは、一話一話にサブタイトルをつけたことくらいです。違いはそれくらいになっております。
ここから続く第二弾『禍事』、第三弾『対の物語』などもそのうち一話分の文字数を弄ると思います。ですが、それはそのうちです。また気が向いたらと言うことで。
では、『はじまりの物語』をお楽しみください。
重たい雨音と重たい無数の雨滴が、夜の暗い街道を支配していた。
霞んだ視界の向こうからは、馬車のがらがらと足場の悪い道を行く音が響いてくる。
アルカレディア大陸西方の一王国、イシュダール国。その中の一つの領地、コレエーン領の街を夕刻に出た今日最後の乗合馬車だ。これが夜をなべて街道を行き、翌朝にはグローヴ領、エウローン領を越えて、ローラン領の街へと到着する。
馬車は昨日から続く激しい雷雨の中を進んでいた。雨でぬかるみの多くなった街道を、乱暴なまでに揺れながら走っている。
馬車の中には十人ほどが乗り込んでいて、皮の幌を形作る木枠に吊されているランタンの仄暗い明かりが乗客達を照らしていた。
連れなのか、それとも居合わせただけの者なのか、幾人かの者がひそひそと言葉を交わしている。
時折、車輪の耳障りな音と激しい揺れのせいでか、若い女に優しく抱かれた腕の中で赤ん坊がぐずった。
風はほとんどないが、幌の厚い皮面を雨滴が嬲る音と遠鳴りに鳴る低い雷の音は、聞く者を自然と不安にさせる嫌な音だった。
馬車の入り口近くにいる黒髪の若い偉丈夫も少し疲れた顔をして目を閉じている。男は二十四、五だろうか。大陸ではあまり見かけない細身の剣を抱えるように肩に凭せているのが酷く印象的だった。
その男には連れがいないのか、馬車に乗っている誰とも言葉を交わしてはいなかった。隣に座る老爺も彼とは少し間を置いている。
いや、老爺は彼と関わり合いになりたくなかったのだ。男には少し異様な雰囲気がある。風変わりの剣を持っているところからして、老爺には彼がアルカレディア大陸の東の果てにある島国、日ノ本から流れてきた雇われ侍なのだと分かっていた。
雇われ侍とは、傭兵と同じに金を貰って国に雇われる侍のことだ。
だが、それだけの理由で避けているのではない。
大陸には傭兵はごまんといるし、これまでの人生の中でやはりごまんと傭兵を見てきた。質のいい悪いも含めて様々な傭兵をだ。その中には侍もいた。
しかし隣の男はこれまで目にしてきた侍達と何かが違っていた。金のために動く者ではなく、殺すことを求めて動く男のように思えたのだ。だから残念なことに隣り合わせてしまった今も、老爺は男と距離を置いていた。
悪戯に刺激さえしなければ何もしないだろうと思って。
不意に入り口を覆っている麻布の間から雷の真っ白な光が射し込み、瞬間、幌の中を明るく照らした。そして同時に馬車が止まる。誰ともなしに幌に隔てられた御者に注目が集まった。
何かよからぬことが起こったように感じたのだ。
街道とは言え、夜になれば旅人を襲う夜盗が出ることもある。
夜通しの乗合馬車は、彼らの格好の標的だった。個人的にはそれほど金目のものを持っていない乗客だが、複数人ともなると話が違ってくる。ある程度のまとまった金が手に入る上に、上手くいけば女や子供も乗っている。それを人買いに売れば相当な儲けになるのだ。
だから嵐の中という絶対的な不安感も手伝って、乗客達は肝を冷やして御者の様子を窺っていた。
異国の剣を持つ男でさえ、うっすらと目を開けて様子を窺っている。
けれど幸いなことに、起こったことは彼らの予想したものとは違うものだった。
馬車の中から見えるはずのない御者が、落ち着いた様子で何事かを話している声が聞こえてくる。何を言っているのかは分からなかったが、
「悪いねぇ、ほんと!」
と言う変声前の少年の声が声高に乗客達の耳に飛び込んで、場に満ちていた刺々しい緊張感を薄れさせた。
そして程なく届いた遠雷の低い轟きと同時に、麻の布を跳ね上げて乗り込んできたのは御者と話していたのだろう小柄な少年だった。
年の頃は十四、五。長い飴色の髪を高く結い上げた、見目も珍しい深い琥珀色の瞳をした少年だった。
いつから雨に当たっていたのか、羽織った外套もその役目を果たさぬくらいに彼は哀れな濡れ鼠の風体になっている。雨に打たれたせいで巻きが強くなっている髪が頬に張り付いているのも、見る者に余計な哀れさを誘った。
しかし馬車に乗り込んできた少年は人間族ではなかった。異種族特有の尖った耳をしている。幾人かの人間達はそれを見るなり露骨に嫌な顔をしてみせた。
人間族は昔から他の人族を嫌っているのだ。
人間族を創造した光神・天慧を崇める宗教、『天主神神義教』の教えが酷く差別的だからだ。
――主は唯一であり、神の生み出しし子は人間族だけである。他の人族は混沌から生まれ出でた種であり、交わることを禁じる――
それが人間族に根付く教えだ。
いや、それだけではないのかも知れない。もしやすると、それは嫉妬なのかも知れなかった。
人間族は魔術が少々苦手なのだ。それに比べ、異種族は魔術を思いのままに使うことが出来る。それに寿命も人間族に比べると長く、美しい姿もしていた。
目の前に現れた少年も子供ながらに相貌は美しく整っている。吊り目気味の大きな琥珀色の瞳を更に際だたせるように、目尻には紅を刷いていた。そして少年にはそれがよく似合っている。
だから彼を嫌がる者達には余計気に障る存在になったのだ。
そんな人間のくだらない思惑の中で、しかし少年は全く何を構っている風もなかった。
少年は自分を野卑の如く見る者達を気にする様子もなく、屈託のない笑みを向けてくる。
「いやぁ、助かったよ。街に着くまでこの雨の中、延々と歩かされるかと思っちゃってさぁ」
言う言葉が誰に向けられているのか判然としなかったが、彼は着ていた外套を脱ぎ、幌の間から出して外套が吸った水を絞り出した。途端、ばしゃばしゃと派手な水音がする。
その様に、一体どのくらいの間この雨の中を彷徨っていたのか、その場の者は誰も想像などしたくもなかった。
その時、馬車がまた耳障りの悪い音を立てて街道を進み始めた。
がたつく車輪の音と振動が舞い戻る。
動き出した馬車の中から少年は、申し訳程度に自分の髪も幾度か絞った。
少年は唯一空きのある男と老爺の間に割り込み、小さな手荷物を足の間にぽんと置く。
荷物を置いて一息つき、少年は滴の滴る髪を落ち着きなげに弄りながら、彼を無視するように元の状態に戻っている周囲の客を見渡した。始めに隣に座っている異国の男に目を遣り、それからもう片側の老爺を見、幌を支える骨組みに吊された暗いランタンの明かりに浮かび上がる人々に目を向ける。
辺りを一様に眺め回し、最後に少年はもう一度隣の男に目を向けた。
「なぁ、あんた。あんた、大陸の人じゃないよな」
声変わりもすんでいない声が男の頬を打つように響く。全く屈託のない声だった。なのに少年の目は男を見てはいなかった。彼の目に映っているのはただ一つ。
男の持っている刀だった。
それに対して男は何も返してはこなかった。
再び閉じた目を開くことさえしない。
「なぁ、その剣さぁ、何? 見たこともない剣だな」
その言葉が終わらぬうちに、少年は刀に手を伸ばす。
だが、少年のまだ細い指先が刀の鞘に触れるか触れないかの僅かばかりのところで、急にそれは拒絶するように位置を変えた。
少年の大きな琥珀色の瞳が恨みがましく男を見る。それでも拗ねた声音が刀に注がれた。
「見せてくれるくらいいいじゃんか。別に減るわけでもないだろ」
ぶつぶつと不平を言う少年を、男の黒い目が鬱陶しげに捉える。
そして互いの目が合った瞬間、二人の周りから全てが消えた。
それは不思議な感覚だった。
宙に浮くような、沈むような、奇妙な感覚だ。
がたつく馬車の中で、振動も車輪の回る音も乗客のひそりと話す声もなくなり、少年の琥珀色の瞳と男の黒い瞳がかち合って間が開く。
まるで空間に感情がそのまま流れ出るような、そんな不思議な感覚だった。
その間はほんの僅かばかりだったが、互いに永遠のように感じていた。感覚だけが一人歩きしているような感じだ。
少年がぱちりと瞬いた瞬間、それまでなくなっていた周りの音も馬車の振動も舞い戻ってきた。
先に我に返ったのは少年の方だった。
「なぁなぁ、俺、雷韋ってんだ。あんたは? 出身はどこさ。俺も大陸出身じゃないんだよな。大陸の南の海にあるセネイ島ってところが俺の故郷。時々あるだろ、盗賊組織が治めてる街って。俺の島もそうなんだ。それでさぁ……」
一方的にべらべらと喋ってくる少年――雷韋を見て、男は何を言うでもなかった。話の内容はどうでもいいことばかり。その中でしつこいほどに刀を見せてくれるようにせがみ、そしていつまでも濡れた前髪を手持ち無沙汰に弄っている様がやけに気になった。
男は何故か、雷韋というこの少年に既視感を覚えていた。けれどそんなはずはない。こんな見目も珍しい少年なら一度会えば忘れるはずがないからだ。
そんなことを思いながら少年に一方的に話しかけられ続けて、いい加減うんざりしてきた時だ。
口を開こうとしたその瞬間、馬車が耳を覆うほどの軋みを上げ、激しい衝撃と共に停止した。乗客達も大きく均衡を崩し、幌の中に悲鳴が溢れる。
中でもとりわけ激しかったのは赤ん坊の声だった。若い母親の腕にしっかりと抱かれてはいたが、馬車が傾いだのと同時に火がついたように泣き出したのだ。これまで受けたこともない衝撃を感じたのだろう。それは無理からぬことだった。
男も馬車の激しい揺れのために少年を抱えるように床に手をついていた。その拍子に少年の濡れた髪が頬に触れる。
その瞬間、男の中にまた新たに奇妙な感覚が走った。
まるで胸の奥底にしまい込んだ回顧の念がくすぐられたような感じだ。
けれど彼がそれと相対する間もなく、次の瞬間にはぱちんと弾けるように消え去っていた。
馬車が傾ぎ、御者の馬を御する声が聞こえてきた。それに続いて御者が降りてくる気配に、
「おい、一体どうしたんだ」
同乗している客の中から苛立たしげな声が上がる。
「すみません。車輪が溝に落ちちまったようで」
それに応えるように御者の声が幌の外から返ってきた。
「動かないの?」
「えぇ、大丈夫です。すぐに出ます」
そんな遣り取りがあって、御者の足音がばしゃばしゃと前方へ向かって響いていく。
それを聞きながら日ノ本の男は、雷韋を抱えるように傾いでいた身体を元に戻した。
その途端、弾かれたように雷韋は手にした外套と小さな荷物と共に馬車の外に飛び出して行ってしまった。
男には馬車が止まったそのことよりも、雷韋のその行動の方があまりに突飛であまりに奇妙で不思議に映った。
少しの間、彼は呆然として揺れる布を見詰めていたが、不意に得物がないことに気付き、はっとした。辺りを見渡したがどこにも彼の刀はない。
反射的に布を跳ね上げ、馬車から身を乗り出す。雷韋が盗んだのだと気付いたからだ。
しかし既に求めた姿などどこにもなく、霞んだ視界だけが眼前に広がっていた。
「……やられた」
舌打ちと共に零した呟きは暗い雨の中に吸い込まれていった。




