英雄の片鱗
スティール達が密航してそれぞれの人生をはじめた八年後のことである。
トリスタニア共和国の同盟首都星トランターのとある街角。
一人の少年が、木陰で大きな紙を広げて、集まった周りの友人達に説明をしていた。
彼の名は、アレックス・ランドール。
エメラルド・アイを持つ涼しげな表情の少年である。
彼らは全員孤児院で暮らしていた。
近くには裕福な少年が通う学校もあり、両者は毎日のようにいざこざを起こしていた。いわゆる喧嘩なのであるが、貧しい孤児院育ちの少年と、毎日三食欠かさず食している裕福な少年とでは、体力に歴然とした差があった。
まともに戦っては勝てないのは必定であった。体力に勝る相手に勝つためには、綿密なる作戦計画が必要であった。
そこで孤児院で人気者となっており、策謀にたけるアレックスが、知恵を絞って作戦計画を練っていた。
さて、今日の喧嘩の陣取りは、小高い丘の上に裕福チームと、低湿地帯を選んだ孤児院チームである。
戦いの基本は、より高い場所に陣取った方が圧倒的に有利というのが常識である。
しかしアレックスは自信満々に、チームに対して確実必勝法となる指示を与えていた。
やがて戦いがはじまる。
湿地帯に陣を張っていた孤児院チームは、葦の根元に隠していた泥団子を、いきなり裕福チームに向かって投げかけた。
見る間に泥だらけになって、たじろぐ裕福チーム。
洋服を汚して帰ったらママに叱られてしまうとばかりに退散をはじめてゆく。
そこへ勇気百倍の孤児院チームが襲い掛かった。
「汚い手を使いやがって!」
と、悪態をついて逃げ出していく裕福チーム。
確かに汚い手だったかもしれない。しかしそれを予想できなかったことを悟るべきである。元々喧嘩には作法などない。どんな卑怯な手を使ってでも勝てばそれで良いのである。
とにもかくにも、今日の喧嘩はアレックスの見事な作戦勝ちである。
そんな両者の戦いぶりをじっと眺めていた人物がいた。
アーネスト・トライトン。
孤児だったアレックスの身元引受人であり、養父といったところである。
独身で子供を育てた経験がないために、養育を孤児院に預けて任せていた。
八年ほど前に、銀河帝国とバーナード星系連邦との間に横たわる国際条約中立地帯周辺を警備する艦隊の司令官だった。
当時、中立地帯を近辺を荒らし回る海賊が横行していた。
海賊達は略奪を繰り返しながら、警備艦隊などの追っ手を撒くために、国際条約で軍艦の進入及び戦闘が禁止されている中立地帯へ逃げ込んでいた。そうなれば警備艦隊は追跡不可能、討伐もままならなかった。
デュプロス星系ミストを母港とする警備艦隊司令官トライトン中佐は、苦々しい思いで中立地帯へと逃げ込んでいく海賊艦隊を見送るしかなかった。
「また、逃げられましたね」
艦橋の正面パネルに投影された海賊艦隊を見つめながら、副官のアーネスト・カミンガム中尉が呟くように言った。
「くやしいですね。ここから先は奴らの自由地帯です」
「我々は国家という組織を背に負っているからな。条約を守らなければ、国際紛争となり果ては戦争状態となる可能性もある」
「そういえば、国際救助活動という事情があれば、救助のために戦艦が中立地帯へ立ち入ることが許されますよね。人命を尊重するための特別条項が」
「ああ、人命は大切だからな。救助信号を受信すれば、身近にいるすべての船乗りが救助に来てくれる。商船だろうが連絡船だろうが、そして戦艦であろうともな」
「大昔からの船員魂は、永遠に続いているということですね」
じっと正面のパネルスクリーンを見つめるトライトン中佐だった。
次なる指令を待って静寂となった艦橋だったが、それを打ち破るようにオペレーターの乾いた声が響き渡った。
「右舷二時の方向に、何かが漂流しているもようです」
「漂流? パネルスクリーンに拡大投影できるか?」
「やってみます」
オペレーターが機器を操作して、スクリーンにその映像を捉えた。
そこに映し出されたのは、救命艇というよりも航行能力のない緊急脱出ポットと呼ばれるものだった。微弱ながらも救助信号が発信されていた。
「どこから流れてきたんだ?」
「わかりません。ともかく拾い上げましょう」
「そうだな。そうしてくれ」
「判りました」
早速、救命艇が出されて漂流している方角へと向かった。
戻ってきた救命艇が回収した脱出ポットの中にいたのは、生まれたばかりの三ヶ月ほどの赤子だった。
「赤ちゃん?」
副官のカミンガム中尉が怪訝そうに見つめている。
すやすやと眠っている赤子のあどけなさ。
「身分の判るものはないか?」
「そうですね……。首から掛けられている首飾りが重要な手掛かりになりそうですがね」
「ネックレスか。結構大粒のものが付いているな、たぶんエメラルドだな」
「本物でしょうか?」
「イミテーションだろう。これだけの大粒は見たことがない。本物なら国宝級として政府が管理しているよ」
「そうですよね。あ! 見てください。よだれ掛けに何か書かれているようです。アレックス……。この子の名前のようです。刺繍ですね」
「アレックスか。男の子ということだな」
ベビー服を着ていては、男女の区別がつかない。赤子は中性的な顔立ちをしているから、おちんちんがあるかないかでしか性別を確認できない。そして男の子なら男の子らしい名前と服を着せられ、女の子なら女の子らしい名前と服を着せられる。
「他に所持品は見つからないか?」
「ありませんね。この首飾りとよだれ掛けが身元を決めるものとなります」
その赤子は警備艦隊によってトリスタニア共和国同盟首都星トランターへと移送されて、いろいろな面から身元調べが行われたが、結局調査不能という結論となった。
親のないみなしごとなれば、必然的に養護施設へと入れられることになる。
「私が、身元引受人になりましょう」
この赤子とは何か深い因縁で、自分と繋がっているような気がしてならなかった。そこで自ら進んで身元引受人になると決めたのである。
トライトンの申請は政府に認められて、アレックスの養父となった。