政略結婚で結構です。
慣らしのために書いた短編です。
視点が途中で変わります。
二十年ほど前、マグノリア王国にて一組の男女が婚姻を結んだ。
当時まだ王太子であったエドモンド王と王妃マリア。長い歴史を誇る国の王族と町娘であった平民の、圧倒的な身分差を乗り越えた結婚であった。
国民は皆、この結婚をロマンス小説や人気の歌劇のような"真実の愛を貫いたふたり"として盛大に祝福した。
そして現在。
国王エドモンドと王妃マリアの治世へと変わって早数年、多くの若者がふたりに憧れるように、"真実の愛"を求め始めたのであった。
端的にいえば、政略結婚ではなく自由結婚に憧れた若者たちが、家同士で結ばれた婚約を破棄する、"婚約破棄騒動"を起こし出したのである。
そんな騒がしい社交界から距離を置きたがるように、春先の庭でティータイムを楽しんでいる若者たちがいた。
亜麻色の波打つ美しい髪を背に下ろし、碧い瞳を細め、涼やかな表情で紅茶を楽しむうら若き女性。
そして、その隣に座り、膝の上で拳を握り込んではオリーブ色の瞳を地面へと落とす、まだ年若いブリュネットの髪を持つ青年。
シアーズ伯爵家のルクリアと、ウッズ伯爵家のダニエル。ふたりは、領地が隣同士の幼馴染であり、婚約者でもあった。
「…グレシャム公爵家のバーナード様も婚約破棄したらしいよ」
「あらそうなの」
「なんでも想い女と結婚したいらしい…」
「あらあら、そうでしたの」
どこか言葉を探るように話すダニエルとは違い、ルクリアはあっさりとした口調で、興味がまるでなさそうな素っ気ない答えばかりを返す。
「ルクリア、」
ルクリアを呼ぶダニエルの声に緊張が走り、真剣な色を映した瞳が隠しきれない不安で揺れる。
「君は、婚約破棄についてどう思うの?」
微かな花の香りを纏った風が、ふたりの間を駆け抜けていく。
ダニエルの問いかけを受け、ゆっくりと伏せ目がちだった瞼を上げたルクリア。彼女は、真っ直ぐにダニエルの瞳を見つめ返す。
「何?貴方も婚約破棄したいの?」
相手の考えを明るみにしようとするかのようなルクリアの直球な投げかけに、ダニエルは目を丸くして慌て出す。
「ちがうっ、違うよっ!ただ、なんというかその、ルクリアも"真実の愛"に興味があるのかなって…」
手を身体の前でブンブンと振り、誤解しないでと全身で表したダニエルの言葉が、次第に自信なさげなものへと変わっていく。
ルクリアとダニエルの婚約は、一応政略結婚だ。
治める領地が隣同士。
海風により温暖なルクリアの家の領地と、森と山により涼しいダニエルの領地。どちらかが日照りで、あるいは冷害で作物がダメになった時、片方は必ず助けになれるから良いのではないかと酒の席で誰かが言い出したのがきっかけだった。
元々、父親同士が寄宿学校での同級生というのもあり、互いの家を行き来していた両家。
そして会うたび、誰に言われるわけでもなく自然と一緒にいるルクリアとダニエル。
これだけ仲が良いのなら本当に問題ないのではないかと、冗談のつもりだった婚約があっさりと決まってしまったのだ。
以来、ふたりが成人を迎えて一年を過ぎた今でも、婚約関係は続いている。
ダニエルは不安だった。
ダニエルから見てルクリアは、自分にはもったいない、素晴らしい女性だった。
事実ルクリアはとても人気がある。
柔らかな亜麻色の髪にアクアマリンすら霞んでしまいそうな美しい碧の瞳。甘いというより涼やかな印象を受ける整った容姿は、"白薔薇の乙女"と呼ばれるに相応しいものだ。
そして何より決してブレることのない芯の強さと、誰にも媚びることもへつらうこともない、真っ直ぐな物言い。気が強いとも取られかねない、白黒ハッキリとしたルクリアの性格は、物静かそうな容姿とギャップも相まって、多くの人々から好かれていた。
特に見目の良い、年上の高位貴族の男性に。
-こんな素晴らしい女性が僕なんかの婚約者でいいのだろうか。
少年から青年へと成長し、己の立場とか色んなものを理解していけばいくほど、ダニエルは不安になった。
ダニエルは平凡な男だ。
華の世代と呼ばれる、恐ろしいほど見目の整った人間が多く同世代に生まれたその中で、ダニエルの容姿はあまりにも霞んで見えた。
別に不細工なわけじゃない。ただ優しげな垂れ気味の目元以外、これといって特徴がないように見えてしまうのだ。
それだけダニエルの周囲には目立つ容姿の者が多かった。
-せめて容姿でなくても、特筆したものが僕にあればよかったんだけど…
ダニエルは武術も勉学もそこそこ優秀止まりであった。音楽や絵といった芸術のセンスもない。誇れることがあるとすれば、地道な努力が苦ではないこと。
だからダニエルはいつも思う。
ルクリアは、平凡な自分にはもったいないと。
ルクリアが、他の人に惹かれても仕方がないと。
本当に自分といて、ルクリアは幸せになれるのだろうかと。
「つまり私が、真実の愛を求めて貴方と婚約破棄するかもしれない…と考えたわけね?」
「うん。だって僕、こんなんだし…」
そう言って申し訳なさそうに眉尻を下げて笑うダニエルに、ルクリアは小さくため息を吐く。
「貴方は…なぜそんなに自信がないのかしらね」
「事実僕はそんな誇れるような人間じゃないしね」
そう自分を卑下するダニエルに、ルクリアはムッとしたように、眉を僅かに釣り上げる。しかし、それもすぐに、いつもの静かな表情へと戻っていった。
「そもそも、"真実の愛"とはなんだと思います?」
「えっ?」
突然のルクリアの問いに、ダニエルはキョトンと瞳を瞬かせる。
先の見えない話題の展開を不安がるように、庭の木々がカサカサと音を立てる。
「皆さん、真実だ、運命だって騒ぎますけど、どうやってそれが"真実の愛"だとわかるのでしょうね」
「それは…」
-そう、わかるはずないのよ。
「物語の主人公のようなドラマチックな恋をすれば良いのかしら。幼い頃から築いてきた信頼を大切にして、婚約者と穏やかな愛を築くのは真実の愛ではないのかしら」
-そんなわけないわ。だって、政略結婚した貴族の中にも確かに、幸せな夫婦は存在しているのだから。
瞳を伏せれば、ルクリアの脳裏に浮かぶのは平民の身で国母となった、温かな笑みを浮かべるマリア王妃の姿。
「私も、マリア妃のこと尊敬しているのよ。憧れじゃなくて、尊敬だけど」
平民の身でありながら、誰からも尊敬され、憧れられる、完璧な王妃様。
「あの方の素晴らしいところは真実の愛を貫き王妃になったことではない。たったひとりの人のために、元平民という不利な出自も物ともせず、血の滲むような努力をして、誰の目にも完璧な王妃として微笑んでいることよ。並大抵の覚悟ではないわ…」
-絶対味方と言えるのは国王ただひとり。それでも貫く愛は、確かに"真実の愛"なのでしょうね。
ルクリアにはそれが、どれほど過酷な道なのか想像することしか出来ない。しかし、ルクリアは地道にコツコツと何かを積み上げ続けることが一番大変なことだと知っている。
他でもない。努力家のダニエルをずっとそばで見てきたのだから。
「だからといって、他の人たちが騒いでる"真実の愛"は、本当にマリア妃の貫いたものと同じなのかしら?」
リチャード王子が、婚約破棄してまで結ばれたいと望んだ男爵令嬢。
アークランド侯爵令嬢が、駆け落ち同然で身分も捨てて結婚した吟遊詩人。
幼馴染の許嫁を捨て、相手の婚約者から奪ってまである子爵令嬢と結ばれた若き公爵。
それら全てを否定するつもりはルクリアにはないが、だからといってそれら全てが真実の愛だとは到底思えなかった。
「そんな熱に浮かされるように、何もかも投げ出して手に入れるのが真実の愛なら、私はそんなもの要らないわ」
-いつ消えるかもわからない情熱なんかより、私は、ずっと積み重ねた信頼と誠実を大切にしたいの。
そう口には出さず、ルクリアは静かに微笑む。
ルクリアにとってダニエルは、ずっと隣にいた男の子だった。
それがかけがえのない、尊い人なのだと気がついたのは、随分と時間が経ってからだ。
ダニエルには、実直という言葉がよく似合う。
誰に対しても、何に対しても、真面目で誠実。努力を苦と思わず、小さなことでも地道に続けていける、それがダニエルだった。
数年前まで、ルクリアはどうしようもないほど傲慢な少女であった。
事実それをして許されるだけの美貌と優秀さがルクリアにはあった。要領も良く、大抵のことはすぐできるようになった。
だから、何かを苦労する人の気持ちはわからなかったし、何かを努力するなんて馬鹿らしいとさえ思っていた。
ダニエルのことも、大切な幼馴染なのにつまらないと見下していたこともある。
しかし、寄宿学校に行き、社交界に顔を出すようになってようやくわかった。
ダニエルのように、誰にでも分け隔てなく誠実さを配れる人間は本当に稀有な存在なんだと。
無意識に刷り込まれた選民意識を持つ貴族の中では、偽りの公平さは存在しても、心からそれを行える人は少ない。いや、たとえそれが平民であったとしても、多くは存在しないとルクリアは思っている。
ダニエルは、相手が王族や高位貴族だろうと、自分より下位の貴族だろうと、平民だろうと、決して相手への誠意を忘れない。
街で出くわした盗人を捕まえた時だって、『荒っぽく掴んでしまって申し訳ない。後で警邏の方に手当てしてもらってくださいね』などと眉を下げて言うほどだ。
そんなお人好しとも言えるダニエルに、どこか呆れながらも皆、ルクリアと同じように居心地の良さを感じているようだった。
そのせいかダニエルの交友関係は、同世代の誰よりも広く、老若男女問わず多くの人たちに慕われていた。
ルクリアの、戒めていたはずの傲慢さが顔を出しかけた時、それを止めるのはダニエルの存在なのだ。
-今の自分は、この実直で誠実な人の隣に立つのに相応しくあるのか。
そう常に自分を顧みることができるからこそルクリアは、傲慢で鼻につく御令嬢にならずにいられる。
逆にダニエルがいなかったら自分はどうなっていたのだろうと、ルクリアは恐ろしくてたまらない。
「だから私は貴方が良いのよ」
-違う。私が、ダニエルでなければならないの。
脳内を駆け抜けた思い出も感傷も、何もかも顔には出さず、ルクリアは小さく微笑んで手の内のティーカップに口をつける。
香りにも味にも癖のないそれは、いつの間にかルクリアが好んで飲むようになったものだ。
-たとえ貴方が私を、"大切な女の子"としか思ってなくても、私はもう、貴方を手放せない。
「…ダニエル。貴方はもう少し自信を持つべきだと思うわ」
「うーん、持てるような何かが僕にあれば良いんだけどね」
そう言って困ったように笑うダニエルを真似るように、ルクリアも眉を下げて笑う。
-ほんと何も分かってない…おばかな人。でも、そこもダニエルの良いところなのよね。
「じゃあ、もう結婚する?」
「………………えっ?」
唐突すぎるルクリアの提案に、ダニエルは随分と間を開けてから気の抜けた声を零した。
その茫然とした顔が、幼い頃のダニエルと重なって、ルクリアは思わず小さく笑ってしまう。
「貴方が馬鹿なことを言い出さないように、もう結婚するのもありかなと思って」
「何言ってるのルクリアっ!」
「あら、驚くことかしら?私たち、婚約してるんだし、成人だってしてるんだから結婚しても問題ないわ」
「でも、そしたらもし、君が他の人が…」
「できないわよ。私はこの先、ダニエル以外に結婚したい人なんてできないわ」
そう言ってルクリアが微笑めば、今度こそダニエルは固唾を呑んで固まった。まるで今初めてルクリアの気持ちを知ったような、青天霹靂とも言える表情だ。
そんな鈍感なところも愛おしいと感じてしまうのだから、もうどうしようもないと、ルクリアはまた小さく笑う。
「これからもずっとよろしくお願いしますね、ダニエル」
穏やかな笑みを浮かべるルクリアに、ダニエルもこれは堪らないと穏やかに笑った。
ふたりを包む日差しは、今日も柔らかくて暖かい。
☆ブクマや評価、本当にありがとうございます。後書きでまとめてとなってしまいますが、心よりお礼申し上げます。
ルクリア(17歳)
シアーズ伯爵家の長女。歳の離れた兄がひとりいる。
シアーズ伯爵待望の娘ということもあり、きちんと教育されながらも甘やかされて育ったため、幼い頃はとても傲慢で鼻につく少女だった。そして出会った頃はずっとダニエルを家来のように振り回していた。
寄宿学校に入ってすぐの頃、その性格が災いし問題を起こしたことがある。皆がルクリアから離れていった中、ずっと寄り添い支え、無意識にだが諌めてくれていたダニエルに心から感謝してると共に、想いを寄せるようになる。
己のことを顧みて、ダニエルの協力のもと他の人たちとも交流を再開できるようになってからは、"白薔薇の乙女"と呼ばれるほどの淑女へと成長した。
また異性にかなり人気があり、物語冒頭で出てきたグレシャム公爵子息の想い人というのもルクリアである。
見た目は、女主人公とたまに話す、融通の効かないクールな美人委員長をイメージして作りました。
ダニエル(17歳)
ウッズ伯爵家の長男。上に姉が三人いる。
良くも悪くも個性の強い姉三人に振り回されてきたせいか、自己主張の極めて低い、振り回され体質な少年へと育った。ゆえに、幼い頃のルクリアの我儘もなんてことないように受け入れていたといえる。
私の作ったキャラにしては珍しく、明らかな欠点が見えない"善良"にほど近いタイプ。
強いてひとつあげるなら、彼には執着するものがないこと。だからこそなんでも受け入れることのできる器があると言える。(関心がないからどうでも良いとも言えるけど)
ただそんな関心のないものの中で、唯一ルクリアのことは"大切にする女の子"と決め、優先して気にかけている。恋愛感情よりは家族愛に近い感情ではあるが、それでもルクリアが特別ではあるのは変わらない。
なので、ルクリアの幸せのためなら婚約破棄だって受け入れるし、彼女の幸せを祝福するつもりだった。
グレシャム公爵子息が婚約破棄したと聞いてから、彼の方がルクリアは幸せになれるのではないかと考え、冒頭のような問いかけをルクリアにした。
見た目は、女主人公に片想いしてる人の良い感じのクラスメイトをイメージして作りました。
想いの強ささえ考えなければ両思いな婚約者カップルです。
物語では決して主人公にならないし、サブキャラにすらならなさそうなカップルをテーマに書いてみました。
きっと彼らの外側では恋愛小説のような激動の物語が展開していることでしょう。笑
この2人、(ダニエルのせいで)安定しすぎてるので、連載とかなら絶対に書いても面白くないカップルなんですよね…
でも、大変私好みです。笑
あと平民が王族と結ばれるなら王太子が臣籍に降りるべきでは?と思った方、マリア妃は隣国の王族の御落胤という裏設定があったりするとお伝えしときます。
今回、久々に執筆したので、慣らしついでに短編だからこそ書ける好きなものを書かせてもらいました。
最後までお読み頂き、ありがとうございまました。