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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

悪役令嬢、バッドエンドを避けるため男を目指す

作者: 翼弥






 この世界の人間は、両性体として生を受ける。性別を決める機会は、人生に二度。十歳の誕生日と、十八歳の成人の儀の時だ。

 十歳の誕生日で、まずはどちらになりたいかを決める。その後の八年間は準備期間とされており、実際に体が変わるのは十八歳の成人の儀の時となる。

 性別の決定は本人の意思が最優先されるが、家の意向が強く出る。特に貴族は初めの子供は男とすることが多く、二番目以降の子供は自由に性別を決めることが多かった。


 そんな世界で。私は前世の記憶を持って生まれ、自分が乙女ゲームの悪役令嬢だと、齢六歳にして気付いたのである。


 まぁ、ね。ぶっちゃけね、早く気付いてよかったよ。うん。乙女ゲームの悪役の結末なんて、ろくなものじゃない。バッドエンドを回避するために、できることなんて数知れている。

 だからこそ、十歳の誕生日。私は「男」として生きることを決意した。






















 「サファイア!」



 誕生日の翌日。いつものように、家でのんびりと本を読んでいた時だった。

 血相を変えてやってきた幼馴染に、いつものようににこりと笑いかける。



 「殿下。こんにちは」



 「こんにちは、じゃない! 君、男として生きるって本当なのか!?」



 開口一番。挨拶も何もなくいきなり本題を振られ、流石に少しだけびっくりした。



 「早いな。もう知ってるんですか」



 「君の父上が僕の父上に謝っているのを見たからな。父上たちが僕たちを婚約者同士に、と願っていたことは知っているだろう?」



 ああ、知っている。知っているとも。そのせいで、自分は悪役令嬢としての道を辿るのだということも。

 だからこそ、破滅への道を元から絶ったのだから。

 とはいえ、こんなこと説明できるわけがない。代わりに、父上たちにも告げた理由を口にした。



 「知ってるけど・・・婚約者じゃないほうが、殿下を支えるにはいいかと思ったんだ。女の身じゃついていけない場所も、任せられないこともあるでしょ?」



 我が一族は、代々王家に仕える侯爵家だ。公爵家には及ばないものの、爵位としては上のほうにあたるので、殿下と同じ年齢の子供が生まれた時はそれはもう盛大に祝われたと聞いている。

 ちなみに、殿下は王家の一人目の子供で、未来の国王陛下として男として育てられることが決まっていた。我が家にはすでに二人の子供がおり、三人目を娘とすることになんの問題もなかったのだろう。幸か不幸か、どの公爵家にも同じ年の子供は生まれず、私に白羽の矢が立ったのだ。

 そんなわけで、周りの大人たちの思惑により、私たちは幼馴染として物心ついたころから共にいた。お陰で自分が悪役令嬢だと気付くのも早かったのだが・・・うん。正直、迷惑である。


 というのが今までの経緯で、先ほど口にした言葉はこれからに対する思いだ。正直なところ、悪役令嬢にはなりたくないが、この幼馴染のことは気に入っている。悪役令嬢になりたくない、という理由だけで距離を取るには、あまりにも親しくなりすぎてしまった。

 悪役令嬢にもならず、殿下の傍にできるだけ長くいる方法。そう考えた時の答えなんて、一つしかなかった。



 「き、みは・・・」



 私の説明を聞いて、殿下は何かを言いかけて、ぐっと言葉を飲み込んだ。まるで泣き出しそうなその様に、私は苦笑を隠せない。



 「私は君の右腕になれるよう頑張るよ。だから、できるだけ長く傍に置いてくれると嬉しいな」



 「・・・こんなにも優しい幼馴染を、手放すわけないだろう」



 優しいんじゃなくて、生き残るための手段だけど・・・それを口にするほど、バカじゃない。

 交わされた約束に安堵した私は、全身から力が抜けた。その結果、かなり気の抜けた笑顔になったと思うが・・・

 殿下も同じような笑い方をしていたから、お互い様だろう。






















 あの約束から約七年。ゲーム開始の年齢を迎えた今も、私たちは一緒にいる。



 「サファイア、僕の挨拶、どうだった?」



 「聞きやすくてよかったよ。ちょっと噛んでたけど」



 「う」



 この世界には、二年制の学校が存在する。私たちはその学校の二年生で、殿下は生徒会長だ。かくいう私も副会長だが・・・今はそれは置いておく。

 今日は新年最初の日、新入生の入学式だ。式典で生徒会長として立派に挨拶をした殿下にこんな軽口が言えるくらいには、私たちの関係は良好だった。

 十歳の誕生日の後。私が男を選んだことで、同じ歳の貴族たちの子供たちは、こぞって女を選んだ。殿下の幼馴染は私だけじゃなかったし、そうじゃなくてもチャンスはあると思ったのだろう。ただ、女性になることを選んだ子供たちを、いつからか殿下は遠ざけるようになっていった。私も女を選んでいたら、殿下とは疎遠になってたのだろう。ゲーム開始時点で殿下と悪役令嬢の仲はいいとは言い難かったので、あれが分岐点だったんだろう。あの時男を選んでよかったと心底思っている。


 とはいえ、入学式ということは、今日からゲーム本編が開始されるわけで。私は無意識に神経を研ぎ澄ませていた。

 このゲームのヒロインは、今日入学する一般の女の子だ。特別な子ではない。ただ、努力と笑顔で周囲を和ませる、癒し系のヒロインだったと記憶している。朗らかな性格のヒロインと、貴族として傲慢に育った悪役令嬢。まぁ、勝負になるわけがない。

 思い出して思わずため息を一つ。いや、自分があの悪役令嬢と同じに育ったとは思わないが、それでも、うん。思うところはいろいろある。



 「サファイア、どうかした?」



 「いや、何でもない。ちょっと準備に疲れただけ」



 口からとっさに出た言い訳は嘘じゃない。自分たちは二年生、つまり、去年は式に参加する側にいたのだ。それが今年は準備する側になったのだから、不慣れなことに疲れたのは事実だった。

 現に殿下は疑う様子もなく、「そうだな」と苦笑する。今日は早く帰りたいなぁ、とぼやいた時だった。



 「きゃあああああ!!」



 唐突に響いた悲鳴に、私はイベントが始まったことを理解した。

 反射的に走り出した殿下を追いかけて、私も走る。少し走っただけで、一人の少女が無数の鳥に追われている光景が目に入った。

 ああ、間違いない。ヒロインのラピスだ。

 彼女の周りに群がっているのは、カラスだろう。この国のカラスは集団で人を襲うことがまれにある。食料目当てだったり、キラキラ輝く装飾目当てだったりと様々だが、見て見ぬふりをすることはできなかった。



 「サファイア、援護を」



 「了解」



 ヒロインの元へと駆け寄る殿下と違い、私は少し離れたところで足を止めた。胸ポケットに差していた小型の杖を取り出して、準備は完了。



 『風舞い上がれ』



 杖を掲げて、口にするのは魔法の呪文。ぶわりと杖の周囲に風が舞い上がるのと、殿下がヒロインの元にたどり着くのはほぼ同時。



 「失礼」



 「ひゃあ!?」



 殿下が脱いだジャケットで簡易的に鳥たちを追い払うと、その腕の中にヒロインを閉じ込めた。そのまま姿勢を落としたのを見て、私は迷わず魔法を放つ。



 『吹き飛べ』



 言葉と同時に、杖の周囲に集まっていた風が、カラスたちに一直線に向かっていく。鳥は空を飛ぶ生き物だ。自然の風ならばともかく、魔法で起こした風に逆らって飛ぶことはできない。私の起こした言葉通り、遥か彼方へと風と共に吹き飛んでいくカラスたちは、ちょっと可哀想だった。



 「終わったよ」



 何はともあれ、とりあえずの難は去った。殿下たちに声をかければ、にこりと笑う瞳と目があった。



 「相変わらず君の魔法は見事だな」



 言い忘れていたかもしれないが、この世界には魔法がある。

 そう、魔法。魔法なんて夢物語だった前世を知る身としては、なんとしても使いこなしてみたくて。日夜練習を重ねた私は、校内でも5本の指に入るくらいには、魔法の腕があがっていた。

 でもその5本の指には、当然殿下も入っているわけで。純粋に褒められただけだとわかっているけど、なんだか変な気分だ。



 「そりゃどーも。で、その子は大丈夫?」



 照れくさいような感情は軽く流して話題を変えれば、殿下も視線を腕の中へと落とした。被せていたジャケットを取り、そこでやっとヒロインを正面から見ることになった。

 ゲーム内だったらここで特殊なエフェクトが流れるのだが・・・うん。やっぱりリアルだとそうもいかないか。いきなりキラキラがどこかから湧いて出ても怖いもんな。

 というわけで、見た目としては、ただ二人の目があっただけ。そして殿下が、ふわりと笑っただけだ。ああ、これゲーム内ではスチルだったなー、と思ってる間に、二人の会話は続いていく。



 「怪我はない?」



 「はい。助けていただき、ありがとうございます」



 「嘘。ここ、血が出てる」



 「あ・・・」



 「保健室に行ったほうがいい。見ない顔だけど、新入生かい? 場所はわかる?」



 「い、いえ。まだ・・・」



 「そう。じゃあ一緒に行こう」



 うわーい、ゲーム内の会話そのまんまだぁー。なんてのんきなことを思いながら、私はただ成り行きを見守るのみ。いや、にしてもほんと、絵になるな、この二人。ヒロインとメイン攻略キャラの王子だから、当たり前といえば当たり前なんだけど。美男美女だわ、すごい。

 どうやら話はまとまったらしい。今までヒロインしか目にしてなかった瞳が、やっとこちらを見た。



 「サファイアも一緒に行くか?」



 「いや、私は別行動をするよ。二人共遅れるのもマズいでしょ」



 この後、まだ生徒会の仕事として入学式の片づけが残っている。片付けというか、報告書の作成というべきか。とにかく、生徒会の役員は生徒会室に集まる手筈となっているため、自分たちが揃って遅刻するのはまずいはずだ。

 そう判断したのは間違いではなかったらしい。殿下はこくりと頷いて、



 「わかった。じゃあ後で」



 そう言い残して、殿下がヒロインと肩を寄せ合って歩いていく。うーん、ほんと微笑ましいな。いい光景だ。

 私は元悪役令嬢だけど、元ゲームのプレイヤーでもあるので、ヒロインに悪い感情は持ってない。私が男を選んだことで殿下の婚約者の座は空いたままだし、ヒロインには是非とも殿下の攻略ルートに入ってほしいところだ。

 小さくなる二人の背中を見送った後、私もやっと本来の目的地である生徒会室へと歩き出したのだった。





















 あれから数日。なんでかな。私の隣には、なぜかヒロインがいます。



 「あの日、ちゃんとお礼を言えなかったから」



 そう言われれば、断ることもできなくて。えー、だからってなんで二人っきりでベンチに座っているんだ。意味不明なんだけど。

 困惑する私の前で、ヒロインはにこりと笑った。



 「細やかなんですけど・・・お礼にクッキーを焼いたんです。どうか受け取っていただけませんか?」



 「あ、ごめん。どんな理由でも、他人からの贈り物はもらわないことにしてるんだ」



 「・・・え?」



 いや、そんな意外そうな目で見られても。あー、うん。うぬぼれみたいに聞こえたら悪いけど、ちゃんと理由は話したほうがよさそうだ。



 「一人から受け取ると、他の人のも受け取らなきゃいけなくなるから。入学当初に痛い目を見てね。それ以来、誰からも受け取らないことにしてる。ごめんね。悪いけど、自分で食べてくれるかな」



 入学当初。殿下の傍にいる私は、目立つ存在だったのだろう。「授業で作ったから」なんてよくある理由で、とある女子生徒からクッキーを受け取ったのが運の尽き。なぜか女子生徒たちが山のように押しかけてきたものだから、それ以来一切のプレゼントは受け取らないことを明言し、実行してきた。

 ちなみに殿下は「毒の心配がある」という別の理由で受け取ったことがないはずだ。私も最初からそれを使えばよかった、と悔しがったら笑われたけど。

 とにかく、受け取れないと伝えたら、ヒロインはとても不服そうな顔をした。そして、



 「好感度がまだ低いのかしら」



 うん? 今何か呟きましたか?

 思わず聞き返そうとしたが、ヒロインの表情はすぐに申し訳なさそうな物へと変わっていた。



 「事情を知らずすみません。お返しがしたかっただけなんですけど・・・」



 「たいしたことはしてないし、気持ちだけもらうよ。じゃあ、私はもう行くね」



 「え!?」



 いや、だからなんでそんなに驚くの。こっちのほうが驚いたんだけど。

 けどまぁ、私はもうベンチから立ち上がっているし、要件が終わったんならここに残る意味もない。ヒロインのことは嫌いではないけど、元悪役令嬢としてはこう・・・あまり長く一緒にいたい相手ではないのだ。



 「それじゃあ」



 また、というのもなんだか嫌で、明確な別れの言葉だけを残してその場を立ち去る。背中に感じる視線は、あえて気付かないフリをして。























 「俺、最近1年に怖い子がいるんだけど」



 アンバーがそんなことを口にしたのは、あれからまた幾日か経った時だった。

 アンバーは貴族ではなく、一般家庭の出身だ。けれどその魔力量はすさまじく、将来は大賢者になるだろうと言われている。簡単に言えば、攻略キャラの一人だ。名前と同じアンバー・・・琥珀色の瞳を持った、生徒会の書記である。



 「私もです。まさか同じ人物だったりしますかね」



 そう笑ったのはオニキスという会計だ。こちらも攻略対象の一人で、名前と同じ真っ黒な髪と瞳を持った、騎士団から派遣されている殿下の護衛だ。アンバーとは対照的に魔法はほとんど使えない代わりに、魔力を全部運動神経にぶち込んだんじゃないかと思うほど剣技に優れている。

 ・・・言い忘れたかもしれないが、この国では宝石の名前を持つ人物が多い。生まれた時に性別が決まっていないから、身体的な特徴を宝石に当てはめて名前とするのだ。ちなみに私は、目の色がサファイアだからサファイア。今まで口にしていなかったかもしれないが、殿下は髪色からジャスパーと名付けられている。燃えるような赤い髪・・・だったら目立つのだろうけど、炎というよりは深い夕焼けの色だと私は思っている。

 二人の会話を受けて、私は思わず殿下を見た。同時に殿下も私を見ていたようで、ぱちりと視線が交差する。



 「まさか、サファイアも?」



 「いや、私は1年生とはまったく関わりがないから・・・っていうか、その口ぶりだと殿下も?」



 「・・・いる」



 わーお、まじか。なんか嫌な予感がしてきたぞ。

 殿下もと聞いて、オニキスの目の色が変わった。まぁ、そうだよね。自分たちだけなら何とでもあしらうんだろうけど、殿下が相手となると要警戒対象だ。殿下の身に何かあってからでは遅いのだから。



 「殿下、名前を聞いても?」



 「・・・・・・ラピス」



 あー、アンバーとオニキスがすっごい顔してる。ってことは、同じ人物に困ってるのね、君たちは。

 にしてもヒロインに困ってるのか。まぁ、ここにいるのは全員攻略対象だし、ヒロインとの接点が多いのはわかるんだけど・・・だけど、そんな嫌そうな顔するほどって、どうなってるんだ。こんな反応じゃ、好感度なんて上がりようがなさそうだけど・・・なんで???



 「その顔、お前本当に何もないんだな。いいなぁ」



 「ラピスって、入学式で殿下が助けた子でしょ? 可愛い子に見え・・・って、何なの、三人してその顔は」



 面白いほどお揃いの嫌そうな顔に、逆にこっちがびっくりする。思わず言いたかったことを中断すれば、



 「あれが可愛いなんて見る目ないな。騙されてるぞ、お前」



 「あれは毒花ですよ。近づかないに越したことはない」



 「今接点がないからといって、今後もないとは限らない。絶対に自分から近づいちゃだめだよ、いいね?」



 「えーー・・・」



 そこまで言われたら、逆に気になってきたんだけど。ちょっと偵察にでも行ってみようかな・・・なんて考えは、殿下にはお見通しだったらしい。



 「サファイア、命令。絶対に近づかないように」



 「え、ずるい!」



 まさかの命令! なんでこんなことで命令するの!?



 「ずるくていい。僕の命令なら、君は聞いてくれるだろう?」



 納得はできない。できないけど、こんな真面目な顔で言われたら、返事なんて一つしかない。



 「・・・わかったよ」



 渋々。本当に渋々だけど頷けば、殿下は満足そうな笑顔を浮かべた。くっそう・・・可愛い笑顔を浮かべやがって。ずるいな、可愛い。



 「じゃあ、あとは俺とオニキスで請け負うわ」



 「殿下にも近づかないよう、しっかりと釘を刺しておきます」



 「頼んだ」



 あー、私もそっちに混ざりたかったなぁ・・・と思っても、後の祭り。まぁ、仕方ない・・・うん。仕方ないよな。

 ちょっと後ろ髪をひかれながらも、この話題はもうこれまで。生徒会の本来の仕事に戻り始めた殿下たちを見れば、これ以上粘るわけにもいかなかった。






















 んだけれども。流石にこれは不可抗力だと言いたい。



 「あの、僕は大丈夫なので・・・」



 「心配なさらないで。手伝わせてくださいな」



 目の前で平行線のやり取りをしているのは、ヒロインと、1年生の攻略対象であるパールだ。状況から察するに、大量の本を運ぼうとしているパールを、ヒロインが手伝おうとしているらしい。

 ・・・あった気がするな、こんなイベント。だが、ぐいぐい攻めるヒロインに対して、パールは明らかに困惑している。イベントではあると思うが、明らかに好感度が足りてなさそうだ。

 さて、どうするか・・・と考えたのは一瞬で。



 「わっ!?」



 「きゃっ!」



 ヒロインが無理矢理本を奪おうとしたため、二人そろって体勢を崩した。高く積まれた本が崩れ、転ぶ二人めがけて落ちてくる。

 まずい、と思った瞬間、体は勝手に動いていた。



 『風よ』



 唱えた言葉に呼応して、風がふわりと巻き起こり、二人の体と本を浮き上がらせる。二人はそのままゆっくりと地面に、空に浮いた本は手元に呼び寄せれば、きょとんとした二対の瞳が私を映した。



 「まったく・・・この量を一度に運ぶのは危ないよ」



 何せ、ざっと数えただけでも10冊くらいはある。厚さはまちまちだけど、パールが持てば前が見えなくなるくらいの量だ。それを無理矢理取ろうとしたヒロインもヒロインだけど、心配になる気持ちは痛いほどわかった。

 私の言葉を聞いても、パールはまだ何が起きたのかわかっていないのだろう。私は杖をついと動かして、その頭の上に本を三冊、ゆっくりと落とす。



 「った」



 「次からはこれくらいの量にしなさい。欲張りすぎても、身にならないよ」



 パールはいわゆる優等生キャラだ。ガリ勉・・・というと語弊がありそうだけど、まぁ、体を動かすよりも勉強するほうが圧倒的に好きな子で、これくらいの量ならば一晩で読み切ってもおかしくはない。

 ただし、それは睡眠と引き換えだ。学園の図書館には見慣れない本もあるだろうから、興奮するのはわかるんだけど、睡眠を疎かにするのはよろしくない。成長期なのだから全くよろしくない。

 とはいえ、これらはすでに図書室から借りてきた本だ。というか、返しに行くところのはずだ。本当なら、ここで半分こずつ持っていくわけだけど・・・先ほどの現場を見てしまっては、イベント通りに進めさせるのは気が引けた。



 「残りは私が運ぼう。もう大丈夫だから、君は帰りなさい」



 空に本を浮かせたまま言えば、パールの目が大きく見開かれた。が、彼が何か言う前に、ヒロインが声を張り上げる。



 「そんな! 先輩の手を煩わせるわけには・・・!」



 「これは図書室の本だろう? 私も用事があったからついでだよ。それに、ほら」



 手を伸ばしてヒロインの髪に触れる。ああ、やっぱり。



 「本のページで切ったんだね。早く手当てしたほうがいい。庇いきれなくてごめんよ」



 髪に隠れてはいるけれど、首筋に赤い線が残ってる。今すぐに手当てをすれば痕は残らないだろう、と付け足せば、なぜかヒロインの顔が一気に真っ赤に染まった。



 「し、失礼します!」



 盛大なお辞儀をしたかと思えば、ヒロインは全力疾走でどこかに消えてしまった。あまりにも唐突な行動に、今度は私が困惑する番だ。



 「何だったんだ・・・?」



 何か怒らせるようなことしただろうか。あ、庇いきれなかったことか? うーん、でも魔法も万能じゃないし、大怪我しないだけでもよかったと思ってほしいところだけど・・・うん。元女だけど、女心はよくわからない。



 「あの、先輩・・・?」



 パールに呼びかけられて、はっと我に返る。そうだ、今はこっちの方が最優先。私は彼と目を合わせてにこりと笑うと、



 「本、好きなんだね。私もこれ読んだよ」



 「・・・え?」



 「歴史小説、好きなんだよねぇ。周りには「お前の趣味はわからない」って言われるんだけど・・・面白かった?」



 「は、はい・・・はい!」



 「そっか。良ければ図書館まで感想を教えてくれないかな。実はそれ狙いなんだ」



 「喜んで!!」



 笑顔も笑顔、満面の笑顔で頷かれれば、こちらだって笑顔が零れるというものだ。それからは会話が弾む弾む。図書館についても会話はまったく終わらなくて、気が付けばベンチに座って日が暮れるまで話し込んでしまった。





















 そんな楽しい時間から、数日後。



 「サファイア。そこに座って」



 私の前には、なぜか笑顔の、だけど誰がどう見ても怒ってる殿下がいます。

 え、なんで。何した私。殿下すっごく怒ってるじゃん。



 「聞こえてる?」



 「はい、聞こえてます」



 返事をすると同時に、指示されたソファに腰かける。ここで床とならないのが素晴らしい。現実逃避じゃないよ、うん。

 私が座るのを見計らってから、殿下も向かい合わせのソファへと腰を下ろした。そして、テーブルを指でとんとんと叩きながら、



 「謝るべきことがわかってるなら、今聞こう」



 「・・・・・・うー・・・ん・・・?」



 そうは言われても、思いつくことなんて何もない。当然何を言われているのかわからず言葉に詰まれば、殿下はこれ見よがしに深いため息をついた。



 「1週間前。僕は君に命令したことがあったはずだ」



 「あーー・・・?」



 あれか? ヒロインに近づくな、というやつだろうか。



 「近づいてないよ?」



 「本当に? 一度も? 言葉を交わしてないと、僕の目を見て誓えるかい?」



 「・・・・・・・・・・・・ごめんなさい」



 さすがにそこまで言われたら謝らざるを得ない。いや、ため息つかないで。酸素全部吐き出してそうな深いのやめて。



 「言い訳があるなら、一応聞くけど」



 一応!? 一応なの!? いいますけどね!!



 「両手いっぱいに本を抱えた一年生に絡んでて、転びそうになっててさ。怪我したらまずいと思って、二人とも助けました」



 「その一年生って、白銀の髪の子?」



 「そうそう。パールって名前なんだけど、綺麗な髪色だったなぁ。見惚れちゃった」



 「・・・・・・」



 え、なんでそこで黙るの。ちょっと待って。怖い怖い。眉間にすっごい皺が寄ってる。王子がしちゃいけない顔してるんだけど。

 思わず私も言葉を飲み込んでしまったので、沈黙が重い。重いよ。重すぎて助けを求めるように室内にいたアンバーに視線を送れば、



 「よそ見しない」



 「はい」



 失敗しました。くっ、アンバーの笑い声が聞こえてくるのが悔しい。後で覚えてろ。

 よそ見するな、と言われたけれど、殿下はまだ何も言わない。腕組みをして、ソファに深く腰掛けて。何かを考えてるんだろうけど、何を考えてるのかはさっぱりわからない。

 やがて、アンバーの笑い声がやっと収まった頃。



 「最近、ラピス嬢が君のことを調べて回ってるそうだ」



 「へあ?」



 殿下が口にしたのは、あまりにも予想外すぎる内容だった。思わず変な声が出てしまったが、殿下は不機嫌を隠そうともしないまま、



 「君はもっと自覚を持った方がいい」



 「自覚?」



 「君に夢中な令嬢は多いってこと」



 「・・・・・・は?」



 君に夢中? 夢中ってなんだ。夢の中? なんだ、それはどこだ?

 殿下の言ってることがわからなすぎて、たぶん、すごく間の抜けた顔をしていたと思う。馬鹿みたいな顔をしている私と違い、殿下はいたって真剣だ。



 「君は誰にでも優しいから」



 そう付け加えられても、まったくピンとこない。だって、こちらは元悪役令嬢。自分の命最優先に行動してきた私のどこが優しいというんだろう。まったく理解できない。



 「優しいっていうなら、殿下やオニキスのほうが絶対優しいでしょ。私を優しいなんて、見る目ないな」



 殿下はレディファーストが徹底しているし、オニキスは騎士道精神を遵守しているので、どちらも女性に対してとても優しい。というか、人類全般を保護対象と認識している。ヒロインを迷惑そうにしているのが信じられないくらいには、二人は万人に平等だった。

 だから、優しいから令嬢たちにモテるというなら、殿下のほうが当てはまるはずだ。一部の人物だけを見て、変なこと言わないでほしいと、そう思うんだけど。



 「君は優しいよ。現に、今も僕の隣にいるだろう」



 ・・・は? なんだその言い分は。



 「そりゃいるでしょ。私は君の右腕になりたいんだから」



 「僕が王子だから、じゃないだろう?」



 「そうだね。君が大好きな幼馴染だからだ」



 「・・・ほら、優しい」



 「はぁ? 何言ってんの。誰だって幼馴染は大事でしょ」



 これくらいで優しい認定なんて、どれだけザルなんだ。もっとハードルを上げたほうがいい。

 そう続ければ、なんでか殿下がくしゃりと表情を歪めるものだから、反射的に立ち上がって手を伸ばしていた。



 「え!? 泣くところじゃないでしょ!?」



 「泣いてない! 泣いてないから、今は触るな!」



 強く言われたので手は引いたけど、全然落ち着かない。嘘だよ、これ絶対泣いてる。もしくは泣く寸前でしょ。殿下のこういう顔は心臓に悪いんだよ!

 涙を拭いたいけど、触るなと言われたからそれもできない。どうしていいかわからなくてあわあわしていたら、見兼ねたらしいアンバーが間に割って入ってくれた。



 「いや、ほんと、お前ら面白いな」



 「「面白くない!」」



 重なった言葉に、反射的に視線が交わる。ぱちりと瞬きをした途端に、殿下の頬に涙が流れた。

 うう、拭いたいけど、怒られる気がするから絶対できない。どうしようと思っている間に、アンバーが殿下の顔を隠してしまった。



 「かなり脱線してたけど、サファイアはしばらく1年の教室には近づくなよ。殿下、ラピス嬢は俺とオニキスで再度念押ししておきます」



 「・・・頼んだ」



 「・・・パール君に会いに行くのもだめ?」



 「だーめ。ラピス嬢が大人しくなるまで、我慢しろ」



 なんて理不尽。だけど、今のこの状況で、これ以上我儘を言う気はない。

 殿下が泣き止んでくれるのなら、それが最優先事項に変わりないのだから。























 それからは、比較的平和な日々が続いた。パール君に会えない代わりにヒロインにも会わないし、ヒロインに会わないせいか殿下の機嫌も悪くない。

 ああ、そうだ。この間テストがあったんだけど、なんと! 私! 学年一位でした! わー、どんどんどんぱふぱふぱふー!!

 一位のお祝いに、って殿下が何でも言うことを聞いてくれるというから、パール君には会ってきました! 一人だと何があるかわからないから、って言われてアンバーもついてきたけど、アンバーは読書家だ。私とパール君が本の話題で盛り上がってたら我慢できなかったようで、結局三人で盛り上がってしまった。おかげでアンバーもパール君と話す楽しさを理解したようで、これ以降、私たち三人で集まって話をする機会が増えた。うん、一位とれてよかった。

 パール君とは話すようになったけど、ヒロインとはあれから一切話していない。・・・いなかったのだが。



 「サファイア様!」



 私を呼ぶ声には、聞き覚えがある。無視したいところだけど、条件反射ですでに足を止めてしまった。ここから無視するのは、流石に無理があるよなぁ・・・

 仕方なく振り返れば、そこには思った通り、笑顔のヒロインが待っていた。



 「こんにちは!」



 「こ、こんにちは・・・」



 勢いに押されて、返事がどもってしまった。さらに言えば、思わず後退ってしまったけれど、気にせずヒロインは距離を詰めてくる。



 「やっとお話できた。ずっとお探ししてたんです」



 「そ、そうですか」



 「はい! 私、ずっとお聞きしたいことがあったんです!」



 聞きたいこと。なんだろう、嫌な予感がする。殿下の命令もあるし、撤退したほうがよさそうだ。



 「すみませんが、急いでいるので・・・」



 「前世って信じますか?」



 「・・・・・・はい?」



 なんだって?

 思わず聞き返したら、ヒロインは再度同じ言葉を繰り返した。



 「前世です。生まれる前の記憶って、信じます?」



 これは、答えを間違えてはいけない。直感がそう告げている。

 ゲームと違ってリセットはできないから、慎重に決める必要がある。だけど、時間をかければそれが答えとなってしまうのもわかっている。

 ああ、もう。なるようになれ、だ。



 「あったら面白いだろうな、とは思うけど、実際に持ってるって言われたら信じられない、かな」



 間違えたことは言ってない。本音だ。信じられないことが現実に起こることはこの身をもって知っているけど、それでも、他人が言い出したら信じないだろう。



 「君は信じるの?」



 逆に問い返してみたら、ヒロインはそれはそれは楽しそうな笑顔で、



 「はい! 前世の恋人同士が結ばれる、とか夢があると思いませんか?」



 「・・・ああ。そうだね。物語みたいだ」



 「だから・・・」



 「サファイア!!」



 ヒロインがさらに言葉を重ねようとした時、殿下の声が割って入ってきた。声だけじゃない。私たちの間に割り込んできた殿下に、「やばい」と思うが時すでに遅い。



 「サファイア、こんなところで何を?」



 殿下の目が笑ってない。久しぶりに見る感情の宿ってない目に、言葉がでてこなかった。



 「あー・・・えーっと・・・」



 「言い訳はいい。早く生徒会室に行くよ。急いで片付けなきゃいけない用件がある」



 手を握られ、そのまま歩き始める殿下に釣られるように、私もまた歩き出す。それでも礼儀だと思って、ヒロインに一言告げるのも忘れない。



 「すみませんが、私はこれで」



 「ええ、是非また」



 あれ、思ったよりすんなりだ。でもそっちのほうがありがたい。

 やがて、ヒロインの姿が完全に見えなくなった後。



 「こっわぁ! 殿下、連れ出してくれてありがとう!」



 なにあれ、めちゃくちゃ怖かった! あれ以上話してたら、何を口走ってたかわからない。殿下ほんとありがとう!

 全力の感謝を混めていえば、だけど殿下はやっぱり怒ってるようで。



 「だから近づくなって言っただろう! まったく、生徒会室に戻ったら、どうしてああなったのか聞くからな!」



 うわーい・・・殿下も殿下で怖いけど、ヒロインの底知れぬ怖さに比べたら100倍マシだ。生徒会室につくまで、少しでもマシな言い訳を考えよう、うん。





















 あれ以来、ヒロインはちょこちょこと話しかけてくるようになった。でもなんとなく怖くて、できるだけすぐに退散するようにしてる。ゲームを遊んでるときはこんなこと思わなかったんだけど・・・うん。勢いがある、って怖いよね。

 私が困ってることを察したのか、殿下やアンバーがついててくれることも増えた。アンバーはともかく、殿下に関してはなんとも申し訳ない。これくらい自分でなんとかできるようにならないと、右腕への道は遠いよなぁ・・・がんばろ。


 まぁとにかく、そんな感じで私の騒がしい毎日は過ぎていった。


 そして今日は、前期の終業式。明日からは夏休みに入り、二ヶ月弱の休暇を経て、また学校生活が始まる。まぁつまりプライベートを充実させる日々であり、ゲームの中では親密度を上げるチャンス期間なわけだ。

 ま、私には関係ないですけど!



 「サファイアは今年も領地に帰るのかい?」



 「うん!」



 そう。私は毎年毎年、この期間は我が家の領地へと避暑に帰っているのだ!

 何せこのゲーム、舞台がファンタジーな設定なので、クーラーというものが存在しない。風の魔法を使えば扇風機代わりにはなるけれど、冷風じゃないし。氷の魔法は、私は使えないし。それなのに、半袖短パンなんて格好はマナー的にできないので、夏は本当に過ごしづらいのだ。

 その点、領地は山中にあるので、まず全体的な気温が低い。そして自然の風がよく吹くので、王都に比べると圧倒的に涼しい。暑がりの私にとっては、天国のような場所だった。

 私が帰るのは毎年の事なので、殿下たちも特に気にする様子はない。ただ苦笑で見送られるのみだ。

 とはいえ、ね。流石に一ヶ月以上も音信不通になるのはどうかと思うので、気が向いた時には手紙を出すことにしている。毎年毎年、二通ずつくらいだろうか。返事が来たことはないけど、まぁ、返事が欲しくてやってるわけではない。今年は何を書こうかなぁ、と思う程度の余裕はある。


 そして、私が領地に籠って、二週間ほどが経った頃。



 「サファイア、助けてくれ!!」



 「は?」



 なぜか殿下が、我が領地に転がり込んでまいりました。

 さすがにこれには我が家も大慌てだった。だって、相手は一国の王子だ。次期国王だ。それが連絡も何もなく一人で・・・正確にはオニキスと二人でやってきたのだから、慌てもするというものだ。

 それも「助けて」ときたものだから、領地を治めてる祖父の目付きが明らかに変わった。



 「えっと・・・とりあえず、中に入ってくれ。皆、殿下たちにお茶の用意を。お爺様、客間の準備もよろしいでしょうか?」



 「かまわん。儂も同席したいところだが・・・まずはお前たちだけで話せ。事の次第は後で聞こう」



 「はい。ご配慮、ありがとうございます」



 お爺様としても、流石に王子を追い返すわけにもいかないのだろう。まぁ、王子じゃなくても追い返すような人ではないけれど、殿下もほっと肩を撫で下ろしているようだった。

 殿下とオニキスを応接室に通して、メイドさんたちからお茶を受け取ってから、扉を閉める。室内に三人だけになったところで・・・殿下がぐったりとソファに倒れ込んでしまった。



 「疲れた・・・」



 「流石に今回は私も疲れました」



 三人掛けのソファを占領している殿下と違い、オニキスは立ったままだったけど、明らかに肩が下がっている。いつもは背筋を伸ばして歩く人だから、少し意外だ。よっぽど疲れているのだろう。



 「オニキス、こっちに座れば」



 「・・・では、お言葉に甘えて」



 ぽんぽんと隣を叩けば、これもまた珍しく大人しく従った。殿下も意外そうな目で見ているけど、誘った私もびっくりだ。

 オニキスは貴族ではない。親が剣ひとつでのし上がった実力派で、貴族たちからも信頼は厚い。厚いのだが、あくまでも立場は「騎士」の域を出ない。殿下や私のような貴族に対して、常に礼節をわきまえている。なので、別の椅子ならともかく、同じソファに座るのは本当に珍しいことなのだが。

 それだけ疲れてる、ってやばくないですか。これ。



 「えっと・・・何があったの?」



 なんだか聞くのも怖いけど、聞かないわけにもいかない。二人に紅茶を入れながら聞けば、



 「・・・例の令嬢さ」



 「へ?」



 例の令嬢。ぱっと誰かわからなかった私だが、すぐにオニキスが補足してくれた。



 「ラピス嬢ですよ。休みに入るなり、なぜか殿下に付き纏うようになりまして・・・一度、王城にまで忍び込んで、大騒ぎになりました」



 「うっわぁ・・・」



 なんだ、それ。そんなイベントあったかな。いや、なかったな・・・流石に勝手に王城に忍び込むのは、犯罪行為だ。人としてマズいだろう。

 なんかどんどん知ってるヒロインからかけ離れていくなぁ。もはやあちらが悪役っぽくなってきたぞ。



 「アレでも一応、学園の者だ。父上に話して今回だけは目を瞑っていただいたが、二度目はない。そして二度目を見るのも嫌だったから、城を飛び出してきたというわけだ」



 「陛下の許可はとってるんだよね?」



 「もちろんです。陛下からは、地方の視察、ということで了解を得ています」



 なんだその口実は。あ、いや、だからオニキスが一緒にいるのか。オニキスは殿下の護衛、どんな理由であれ、殿下が外出するならついてくるだろう。ヒロインが原因だというなら、彼女のいない場所に逃げるのに、反対する理由なんてなかっただろうしな。



 「アンバーは置いてきたの?」



 「あれはもう王都にいない。誘いようもなかった」



 「ああ、なるほど。じゃあ仕方ないね」



 アンバーは放浪癖があって、休みの度に地方に出かけては、意味の分からないお土産を買って帰って来る。お土産には困ることもあるけれど、どこかに行く度にいろんな魔法を習得して帰って来るから、充実した旅を送っているんだろう。



 「父上には、様々な場所へ赴き、感じたことを報告するように言われている。サファイア、お前も来るだろう?」



 「急なお誘いだなぁ」



 「いいじゃないか。学生最後の夏なんだ。たまには遊んだってバチは当たらないさ」



 遊ぶって言っちゃったよ。まったくもう。まぁ、断る理由もないけどさ。



 「わかった。お爺様に相談してみる。たぶん許可は下りるだろうけど・・・君たちには、その前に療養が必要そうだね。二・三日はこの屋敷でゆっくりしてからにしよう」



 王都ではヒロインに悩み、王都を出てからはまっすぐにこちらに向かってきたのだろう。二人とも、別れた時とは比べ物にならないほどげっそりした顔をしている。目の下の隈はすごいし、頬も若干痩せこけたように見える。そうじゃなくても立ってられないほど疲れているのだ。これでは旅をしても、途中で体調を崩すだけだろう。

 そう思っての提案は、意外とすんなりと受け入れられた。



 「助かる」



 「ありがとうございます」



 素直でよろしい。話も決まったことだし、お爺様に報告しに行こうかな。





















 殿下たちがやってきたその日は、旅の疲れもあるだろうから、と夕食も三人だけで食べて、そのまま眠りについた。

 次の日、オニキスはさすがに朝からちゃんと起きていたけど、殿下が起きてきたのはなんと昼過ぎ。流石に笑って、だけど、殿下がゆっくり寝れたのならそれでいいかな、とも思って。軽食だけ食べてから、三人でゆっくり過ごして、夕食はお爺様も一緒に和やかに過ぎた。

 三日目は、殿下たちの顔色もすっかりよくなってきたので、街に降りてみた。いろんな場所をめぐるのなら、我が領地から回ったところでおかしくないもんね。三人で行儀悪く買い食いしたりして、楽しい一日を過ごした。

 四日目に、本来の目的である旅行・・・もとい、視察に出発。いろんな領地をめぐる旅は、正直なところ、ものすごく楽しかった。

 海ではこの世界で初めて船に乗ったし、漁師に交じって釣りをして、そのまま漁師飯をごちそうになった。移動中に見たひまわり畑は綺麗だったし、川遊びも堪能した。正直なところ、自分が貴族で、同行者が第一王子だということをすっかり忘れて、心から楽しんでしまった。休みが終わらなければいいなぁ、とちらっと思ってしまったほどだ。

 けれど当然、時間の流れを止めることなんてできるはずもなく、休みは終わってしまうわけで。旅を楽しんでいたらあっという間に時間は過ぎ、私は領地に戻る暇もなく、殿下たちと一緒に王都へと帰ってきた。


 そして、今日からが新学期。ゲームで言う、後半戦の始まりだ。


 本来であれば、休み期間中に絆を深めた攻略キャラの中で一人を選び、その人とのルートに入るのだが・・・少なくても、殿下とオニキスは私と一緒にいたし、アンバーも王都にはいなかったはず。残るはパール君だが、



 「サファイア様、お久しぶりです」



 久しぶりに会ったパール君は、少し背が伸びただろうか。ゲームだとわからなかったことも今ならわかる。ああ、生きているなぁ、という感じがするので、こういう気付きは大好きだ。

 けれど、近寄ってくるときの笑顔は変わらない。にこにこと嬉しそうなパール君に、こちらも自然と笑みが浮かぶ。



 「お久しぶり。いい休みだった?」



 「はい! 王立図書館への入館証を殿下がくださったんです。毎日そちらにお邪魔していました」



 「そっか」



 王立図書館、というと、あれか。王城にある魔法陣を使って、許可証を媒介に行ける秘密の図書館。本を借りるだけなら申請すれば誰でもできるが、入館するとなると厳しい審査を通過する必要がある。つまりは、ヒロインでは絶対にいけない場所、ということだ。そこに毎日入り浸っていたのなら、ヒロインが攻略する隙などなかっただろう。

 きっと殿下が気を回してくれたんだろうな。後でお礼を言っておかなくちゃ。

 ご機嫌なパール君と別れて、足は自然と生徒会室へ。そこで変わらないアンバーと再会し、殿下にパール君のお礼を言って。新学期は、穏やかに始まった。


 それからの生活もつつがなく過ぎていき。学生生活の中で起きる各種イベントも、悪役令嬢側から見ると全然違う話になっていて、とても面白いまま終わっていった。正直なところ、こんなに楽しくていいのかな、と思ったほどだ。

 そして、卒業まであと一ヶ月ほどになったころ。それは起きた。



 「サファイア様、少々お時間よろしいでしょうか」



 「・・・げっ」



 まさかのヒロインとの遭遇! 思わず本音が零れたけど、ヒロインは構わず話を続け・・・



 「あなた、私と同じ転生者でしょう」



 「・・・・・・はい?」



 爆弾を、投下してきた。

 転生者。私と同じ。え、何を言ってるのか、さっぱり理解ができないんだけど!?

 困惑している私の前で、ヒロインはなおも言葉を続ける。



 「おかしいと思ったのよ。悪役令嬢のはずのサファイアが男を選んでる上、仲が悪いはずの殿下たちと一緒にいるし。あなたが私と同じだというのなら、すべて説明がつくわ。ゲーム内のサファイアがしないことをすれば、殿下に嫌われることはないものね。男になるなんて、その最たる例だわ」



 「待って、いったい何の話をして」



 「誤魔化しても無駄よ。男になれば、殿下の気を引けるとでも思ったの? ああ、それとも、死ぬのが怖かったのかしら。私が攻略に成功した場合、悪役令嬢は処刑されるものね」



 「っ!」



 なんで、それを・・・彼女は本当に、自分と同じだというのだろうか。

 思わず言葉を飲み込んだ私を見て、勝ち誇ったようにヒロインは笑う。



 「図星ね。あなたのおかげで、私の攻略はめちゃくちゃよ。どう責任を取ってくれるの?」



 「そ、れは・・・」



 知らない。だって、殿下たちは初期の段階で、ヒロインに対する好感度はゼロに近かった。地道な上昇を目指さなかったヒロインが悪いと、そう思うのに。

 なぜか言葉が、出てこない・・・!

 ヒロインが、反論できないでいる私を蔑むような目で見ている。本当のヒロインも、悪役令嬢を断罪するときはこんな目をしていたのだろうか。ゲーム内のサファイアは、どんな気持ちであの瞬間を耐えていたのだろう。

 私は・・・



 「サファイア!!」



 慣れ親しんだ声が、私を呼ぶ。目の前に現れた見慣れた背中に、だけど、今の私は、その名を呼ぶことさえできない。

 それでも殿下は、私を庇うようにヒロインに相対してくれた。



 「サファイアに何をしている?」



 低い声。悪役令嬢の、断罪イベントの時と同じ、怒りに満ちた声に。

 心臓を、握りつぶされるんじゃないかと思った。

 そんな私を置いて、二人の会話は続いている。



 「サファイア様の計画について話していただけです」



 「計画?」



 「ええ。この人は未来を知っている。だから、貴方に好かれるための方法を知っているんですよ」



 「・・・気でも狂ったか?」



 「あら。ならどうしてサファイア様は、そんな顔をしているんです?」



 ヒロインの言葉に、そこでやっと殿下がこちらを見た。

 そして、ぴしりと固まった。



 「サファイア?」



 ああ・・・そんなにもひどい顔をしているのか。ヒロインの言葉を否定できないほどに。



 「・・・ごめん」



 それだけでも言えた自分を、心から褒め称えたい。そのまま回れ右をして、私は必死に駆けだした。

 自分を呼ぶ声には、耳をふさいだままで。






















 それから私は徹底的に殿下を避けた。幸いにも、卒業が近い私たちはすでに生徒会の仕事も後輩に引き継ぎ済みで、少し意識するだけで殿下に会わないことは簡単だった。



 「喧嘩でもしたのか? 珍しいな」



 「長引くと仲直りもし辛くなりますよ」



 アンバーとオニキスにはそう言われたけど、なんて答えればいいかもわからなくて。適当に誤魔化した私を見て、二人は何を思ったのだろう。それからは二人とも話すことが減ってしまった。

 何とも言えない気まずさを抱えながらも、時間は止まってはくれない。三人と距離を置いたまま・・・卒業式の日がやってきた。



 「はぁ・・・」



 会場について、出るのは深いため息だ。順調にいっていると思ってたけど、破滅フラグはすでに立っている。出来るものなら来たくはなかった。でも、立場上そういうわけにもいかない。生徒会なんて引き受けるんじゃなかったな・・・

 重たい足を動かしながら、控室の隅に潜り込む。卒業式と言っても、今日のメインは性別の確定となる「成人の儀」だ。控室と簡単に言ったが、そこは貴族の通う学園。ちょっとしたパーティーホールくらいの広さがあり、待っている間は自由に過ごせる。そして、名前を呼ばれたら階段を上って祭壇の間へと向かい、そこで祭司様に希望を伝えて、神様の力を借りて性別を確定する・・・らしい。その後、正装に着替えて、お披露目パーティーが始まることになる。

 自分が呼ばれるのを待っている間、何人かに話しかけられたけど、適当に返して場所を移動。一か所に留まってたら、殿下たちに見つかりかねない。出来るだけ隅っこで、端っこの隅っこで、殿下たちに会わないようにと気を付けていたはずなんだけど・・・



 「サファイア!」



 久しぶりに聞いた、自分を呼ぶ声に。体が硬直したのがわかった。



 「サファイア、やっと見つけた」



 固まっている私の前に、殿下が現れる。殿下の姿を認めた瞬間、体はやっと再起動を追えたようだ。動く、と思った途端、足が勝手に動いていた。

 くるりと180度回転して、殿下から逃げるために足を動かす。・・・動かそうと思ったのだけど。



 「はい、そこまで」



 「長引かせてもいいことはない、とちゃんと言ったでしょう」



 目の前には、アンバーとオニキス。くっそ、お前ら、殿下の味方か! それはそうか!

 ちっ、と舌打ちすれば、ふわりと体が風に包まれて浮いたかと思えば、殿下のほうを向いて降ろされる。アンバーの魔法だろう。目の前に殿下、背後にはアンバーとオニキス。そして、何事かと様子を窺っている無数の生徒の目。逃げ場はもう完全に失ってしまった。

 とはいえ、殿下を真正面から見る勇気はまだない。思わず視線を落としたら、今まで聞いたことのないくらい悲しそうな声が聞こえてきた。



 「・・・そんなに僕と話すのは嫌?」



 「・・・私じゃなくて、殿下が嫌でしょう。あの子にいろいろ聞いたんでしょ?」



 あの日。きっと、殿下はすべてをヒロインに聞いたはずだ。私が自分の事しか考えてない身勝手な人間だと、そう聞いているはずで・・・

 ずっと私を信じてくれた殿下に、どんな顔をすればいいんだと、そう思っていたのに。



 「ああ、あれ。聞いたけどどうでもいいよ、あんなこと」



 「・・・・・・は?」



 ・・・なんだって?

 思わず変な声が出た上、思わず顔を上げてしまう。久しぶりに見た殿下は、私がびっくりするくらいいつも通りの殿下で。あの日の殿下が嘘のように、見慣れた笑顔を浮かべていた。



 「君と出会って1年も経ってない人の言うことなんて、信じるに値しないでしょ。僕は優しい幼馴染を知ってる。10年以上も一緒にいて、君の真価がわからないほど馬鹿じゃない。君を疑うなんてありえないよ」



 「でも、それはっ!」



 自分の命のためだと。そう言いたいのに、言葉にならない。そんな私を見て、殿下は朗らかに笑った。



 「理由なんてどうでもいいさ。君の真意がどうであれ、僕はもう君を逃がしてあげられないから」



 「に、がす?」



 なんだ、それ。逃がすって何。ゲームの中でも、殿下がそんなことをいうイベントなんてあっただろうか。

 訳が分からなくて困惑していたら、トドメとなる言葉を放たれた。



 「好きだよ、サファイア。僕は君を愛してる」



 「・・・・・・・・・・・・へ?」



 ・・・・・・ナンダッテ?

 好き。誰が。誰を。愛・・・?

 困惑どころか、見事に思考が停止した。なのに、殿下は言葉を止めない。



 「君は知らないだろう。八年前、君が男を選んだ時に、僕がどんな気持ちだったか。君だけが僕のことを思ってくれた、親の意思なんて関係なく、僕との関係を優先してくれた。僕はそれがすごく嬉しくて、幸せだったのに・・・いつからか、君が女だったらよかったのに、って思うようになってしまった」



 「・・・うそ、だ」



 「嘘じゃないよ。君の思いを裏切ることになるから言えなかっただけ。でももう限界。君に距離を置かれて思い知った。僕はもう、君なしで生きるなんて絶対無理だ」



 「っ」



 な、んだ、それは。そんなこと、今まで一度も、そぶりさえも、見せたことなんて・・・



 「僕は女性になることを選べない。でも君を手放すことは到底できない。君が男性のままでも、女性になっても、僕に愛される覚悟を持ってくれ」



 心臓が、止まりそうだ。今でももう死にそうなのに、殿下は私の手を取って、それはもう、綺麗に微笑んだ。



 「愛してるよ、僕のサファイア。君がどちらを選ぶか、先に男になって待っている」



 ちゅ、と軽い音を立てて、柔らかなものが手に触れる。言いたいことを言い終えた殿下は、一人颯爽と歩き去ってしまった。

 その背を見送りながら、腰が抜けた私はその場にへなへなと座り込む。何が起きたのだろう。いや、ほんと、いったい何が起きた? 頭が全く働いていない。それでも、殿下が本気だというのは十分伝わった。

 つたわって、しまった。



 「公開プロポーズおめでとう」



 「先に話し合っておけば、もっと穏やかに通じ合えたでしょうに」



 オニキスとアンバーが何か言ってくるけど、正直全く頭に入ってこない。私はただ茫然と、遠ざかる殿下の背中を見送ることしかできなかった。





















 その後、私がどちらの性別を選んで、どうなったかは・・・・・・ちゃんとハッピーエンドを迎えた、ってことだけ、伝えておこう。




















(了)


世界観の補足をしておきます。


 ・男女の性別は生まれた時ではなく、本人の希望によって決定する。


 ・0~9歳の間は、男女の区別なく育てられる。

  ただし、周囲の影響により、どちらかに寄っていることが多い。


 ・10歳の誕生日に希望の性別を決める。


 ・10歳~18歳の間は、身体的な特徴は出ない。

  行動や精神的に、男女で分かれていく。

  例えば、男性希望の子供がドレスを着ることはないし、女性希望の子供が剣を握ることもない。

  また、異性候補に対して、恋愛感情を持つことは多々ある。


 ・18歳の成人の儀の時に、最終的な性別を確定し、身体的に男女に分かれる。

  この後身体的な特徴が徐々に出て、1~2年で成長が止まり、完全に大人となる。

  なお、学園に通っていない子供は、教会に行くことで成人の儀を行ってもらえる。

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― 新着の感想 ―
とりあえず貴族社会なんですよね? ヒロインさんは普通に牢屋行きでは?
[一言] BLは怖いので、ちゃんと女性になったと想像しました。 BLは本気で怖いのです。 ともあれ、乙女ゲームへの転生って色々と業が深いですね。 キーワードは婚約破棄と断罪ですかね。 でも、その二つ…
[一言] 【妄想劇場】 Q:ヒロインどうなったんですか? A:三度目は起こらない、とだけお伝えします。
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