3Kダンジョンの下見②
それから匠はポニカの案内に従い最奥のダンジョンコアを目指しながらも、スライムの這っている天井や壁に光魔法による光源を設置していた。その際にカメラのような形状をした物でダンジョン内部を撮っている彼に、ポニカは尋ねる。
「それは、写真機ですか?」
「よく知っているな。ドワーフたちに作成してもらった物だ。これがなければこのダンジョンを綺麗にしたという客観的な証拠が残らないからな。ここまで小型化するには相当な金が掛かったが、仕方がない」
「ということは、ドワーフ語も喋れるのですか? 凄いですね」
「掃除用具を作ってもらうために何年か滞在していたからな。だからここまで来るのには苦労した」
主にドワーフが在住しているドーラン国は、今の現在地である公国から真逆に位置している。まるでダンジョンの壁と同化しているように積み重なったスライムの死骸を撮影しながら、匠は疲れたように言った。
「しかし、見慣れてくれば案外悪くないのかもしれないな。照明の位置を調整すれば綺麗に見えるかもしれない」
スライムの死骸で形成された柱や壁は遠目から見る分には鍾乳洞のようであり、匠から見れば芸術的な価値を認める人も出るのでは、という考えも浮かんだ。しかしポニカは苦笑いしながら否定した。
「もう少し近くでご覧になってみて下さい」
「…………」
匠はポニカの言う通りにスライムの死骸で形成された柱に近づいてみると、すぐに踵を返した。
「近くで見るものではないな」
スライムの柱にはおびただしい数の小さな虫たちが内部保存されていた。普通の大人なら鳥肌が立つであろう光景に匠はげんなりとしながらそれも写真機に収めた。
「ここから先はスライムだけでなくゴブリンも出るので、物陰や死体の振りをした奇襲に注意して下さい。それとスライムによる虫取り壁もなくなるため、飛んでくる虫にも注意を」
「なるほど。それで死臭が漂う割に虫の気配がなかったのか」
生物としての生存本能で近づくことに拒否感を覚える死臭がする割に、それを生きる糧とする虫の姿がほとんど見当たらないのはスライムのおかげだったようだ。よく見てみれば壁などに引っ付いているスライムが多くの虫を食べているようで、体内には消化しきれていない虫の破片などが見える。
スライムの死骸が重なって壁になるまでに至った原因は、ダンジョンの奥でゴブリンやコボルトの死体を糧に増えた大量の虫を餌として異常なまでに増殖していたからだ。そのおかげでダンジョンの浅い層ではスライムによる自浄作用が働き、その奥から流れてくる異様な死臭を除けばまだ冒険者が潜れるようにはなっている。
「その代わりにこの奥は大分悲惨なことになっているのでご注意を」
「あぁ、問題ない。虫除けの魔法はかけてある」
二人がそう話しながら進んでいくにつれてスライムの数は減っていき、段々と蝿が飛び回る音が聞こえ始めてきた。だが匠が事前にかけていた魔法によって見えない壁でもあるかのように蝿は近づいてこず、地面で蠢いていた虫たちも散っていく。
そして壁に寄りかかるように絶命していたゴブリンを前に、匠は立ち止まる。
「……まるで蛆虫の巣だな」
ゴブリンの眼窩には眼球の代わりに白い蛆虫で埋まっていて、尖った耳からは虫除けの魔法から逃れるためか何十匹もの塊がぼとぼとと落ちている。
その先々にはそこにゴブリンの死体があったことがありありとわかるような、生々しい体の痕が体液によって描かれていた。肉は大部分が同族かコボルトなどに持っていかれ、その残りは虫やスライムによって消化されたのか、ゴブリンの骨だけがいくつも転がっている。
そんな光景を匠は眉一つ動かすことなく写真機に収めていた。ポニカも既にその光景には慣れているのか特に感情を動かすこともなく眺めている。
「ふっ」
そして暗がりから奇襲を仕掛けようとしてきた糞まみれのゴブリンをポニカはつま先で蹴り飛ばし、その一撃で内臓と身体の骨を粉砕して倒した。そんな光景を目の当たりにしたゴブリンの仲間たちは警戒するような声を上げながら退いていく。
「腕もいいな。助かった」
「いえいえ、金階級のタクミさんには負けますよ。それに私がいなくても魔法で対処できたでしょう」
「俺は少し特殊な魔法が使えるから金階級に上げられただけだ。それにギルドへ就職しても尚、実力を落としていないのは尊敬に値する」
「ここ一ヶ月ほどはこのダンジョンのモンスター掃除をしていましたからね。雑魚の処理に慣れているだけですよ」
光源を設置しながらそう言う匠にポニカは謙遜しながらも、ゴブリンの腐乱死体とそれを苗床とする虫が目立つようになったアルタロスのダンジョンを二人は進んでいく。
そしてダンジョンコアのある最深部近くまで辿り着くと、床に獣の毛が散見され始めた。壁には爪でも研いでいるのか引っ搔き傷も見られ始め、ゴブリンと違い排泄物が無造作に放置されている。
「コボルトは実力の差が理解出来ているようだな」
「ゴブリンより生存能力は高いですからね。とはいえ犬のように躾けることも出来ませんでしたが」
暗闇の中からその双眼を光らせて二人を注視しているのは、基本的には狼と同様に四足歩行で行動している低級のコボルトである。このダンジョンでは群れを成し食物連鎖の頂点に位置するコボルトはポニカの強さを知っているためか、手出しをしてくることなく警戒に努めていた。
「そろそろダンジョンコアのある広間に到着します」
「了解した。そこの様子を写真機で収めたらダンジョンの内見を終了する」
「その後は一度帰還しますか?」
「あぁ。それからは掃除用の魔道具を準備した後、明日から清掃に入る」
「私の中ではゴブリンの死体が虫袋になっている中盤が一番強烈でしたが、ダンジョンコアの広間も中々酷いのでご注意を。まぁ、タクミさんのおかげで臭いを嗅がずに済むので大分マシだと思いますが」
いつもなら死体の腐乱臭と排泄物の臭いが入り混じった地獄を我慢しなければならないが、今は匠の魔法によって鼻呼吸が出来るほどまで改善されている。それに虫もほとんど寄ってこないため、蝿が入らないように耳へ小さく千切ったスライムを入れたりなどして気を遣わなくてもいい。
金階級の冒険者に対する尊敬、というよりはその防臭、防虫魔法に感激している様子のポニカはスキップするような勢いでたまに襲ってくるゴブリンをなぎ倒しながら進んでいく。その後ろからコボルトの排泄物を避けながら匠も早歩きで付いていくと、通路のようだった道が開けていく。
そしてポニカの言う通り広い空間に辿り着くと共に、見上げるほど大きい球体がその奥に鎮座していた。
「……あれがダンジョンコアで間違いないか?」
「はい」
「……まるで糞のモニュメントだな」
コボルトたちは今もダンジョンコアに向けて後ろ脚を上げて用を足していたり、妙に深刻な表情で踏ん張っている。しかしポニカを目にすると一目散に奥の穴倉に引っ込んでいった。
どうやらコボルトはダンジョンコアを主なマーキング場所にしているようで、その周囲には特に排泄物が多かった。更に排泄物は尿をかけられてコーティングされて堆積し、それを目当てに虫たちが蠢いている。
そんなモニュメントも撮影した匠は写真機を大きいポケットにしまった。
「ダンジョンの状況は概ね把握した。スライムに関しては予想外だったが、特に問題はない。今日中に魔道具の準備を行い、明日から清掃に取り掛かろうと思う」
「了解しました。本日は本当にありがとうございました」
「他にもいくつか聞いておきたいことはあるが、一先ずここから出てからにしたい」
「畏まりました。ではギルドでお話し致しますね」
その表情自体は特に変わっている様子はないが何処か嫌そうな匠の様子に、ポニカは含み笑いをしながら答えた。