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なろうの片隅で能書きを垂れる

ハーレムってッ!クソだよねええええええええ!

客寄せ&某クソアニメのパロとはいえ、こんな攻撃的なタイトルにしてしまって、本当に申し訳ない。


*感想欄で特定の作品に関する愚痴はご遠慮ください。


突然の自分語りだが、僕は幼稚園児の時に「ギャラクシーエンジェル」を見て育ち、中学時代には龍騎云々を通して知った「まどマギ」で百合豚になった。


同時に「インフィニット・ストラトス」で現在に至るまで解消されずにいるハーレムものへの不信が出来上がった。


「萌え」を当たり前に享受してきた世代の人間としては、「萌え」それ自体を頭ごなしに否定する、男らしさを履き違えた連中の肩を持つつもりはない。


一方、僕は現在のなろうのハーレムものについては「萌え」ってものには好意的でいるが、いやだからこそ不満を抱いている。




かつてなろうでバズったエッセイが言うにはなろうのハーレムとは「全ヒロイン救済二次創作の発展系」であるとのことだ。


かの人はハーレムを含めてなろうテンプレの全てを肯定していたが、僕はこのハーレムものの「進化」に大分問題があると感じた。


創作の世界においての影響の与え合いとは伝言ゲームのようなもので、かのエッセイがまさにその伝言ゲームの経過を説明していたのだ。


しかし伝言ゲームとは必ずしも全ての情報が伝わるとは限らない、当初あったはずのものが無くなり、逆に本当なら無かったはずの何かが付け足されている事が往々にして起こる。


僕はヒロイン関係やハーレムからこの「伝達の行程で失われたもの」は「魂」だと思っている。


まず「既に設定がある」二次創作から紛いなりにも「一から設定を作る」一次創作へとハーレムのフォーマットが移植されるにあたって攻略対象のヒロインズはバックホーンとなるものを失う。


この時点でハーレムものの大部分の「うまあじ」は消滅したと思っているが、これだけじゃ不親切だと思うので具体的に説明して行こう。


まず「ハーレムルートの二次創作」にあった「本編での負けヒロイン」「可哀想な設定のヒロイン」に対するフォロー・救済措置と言う醍醐味がこれで消滅した。


二次創作の場合、用意されているヒロインについて彼女らを待つ運命の苛酷さが設定、そして読者間でのヒロインに対する憐憫や感情移入が共有されている事が大きい。


ハーレムが歓迎された一因として「原作での有様に比べたら」と、求められていた「幸福な姿」の需要を満たしている、例えヒロインの人物描写が拙くとも、余程ひどいキャラブレを起こしていない限りは、既に情報が共有されているからキャラを立てると言う手間がだいぶ省ける。


しかしこれを一次創作に持ち込んだ場合。


ユリアだかゼリアだかロリアだかユリ本だか分からん○バズレがなんか惚れてなんかいちゃついてるだけの「そう…(無関心)」で終わる話である、そのヒロインが独自のキャラクターを確立しているなら希望はあるが、生憎大半のハーレムにそれは期待できない。


特に設定はまだしも「彼女は可哀想な人である」という前提が感情と共に共有されていないのは結構痛い所である。


二次創作と同じ「ヒロインが幸せになる事が受け手から非常に強く期待されている」もっと言うなら「ヒロインの持つ属性ではなくヒロインそのものが価値を持つ(=受け手から愛される)」状態に持っていくには二次創作では免除されていた「人物描写」や「掘り下げ」が再び書き手に課題として降りかかるのだ。


上手い人はこの辺を各々のやり方でクリアしているのかもしれないが、僕の知るハーレムものの大半はこれをクリア出来ず、結局「属性だけのすっからかん」の域を出ることのなかったものが多数だった。


ハーレムものあるあるでネタになる「ヒロインの名前が皆して似通ってる問題」があるが、まさに名は体を表すとはこの事だ。


ゴリアだかテリアだかバリアだかョルアだか、全部同じじゃないですかー(中川並感)


僕が最初に「魂」と雑に括ったものとは「書き手がこの展開を採用した当初の目的」と「読み手がハーレム展開に求めていた魅力の一部」、そして文字通り「ヒロインの人間的な部分」である。


僕がハーレムを嫌うきっかけになった「IS」でさえまだ「キャラは良かった」との擁護はある、キャラすら見所のないハーレムっていよいよ何を楽しめばいいんだ?

ハーレムものが好きだという人には是非ご教授いただきたいものである。


ひいてはこの部分が、なろう外部でテンプレの構成要素たるハーレムが拒絶されている一因である。


時折言われていたのが「時代は『エモい』『尊い』に移行した」との言説。


曰く、美少女に記号だけを求める時代が終焉を迎え、キャラクター同士の関係性や内面の描写こそが意味を持つ時代なのだと言う、なろうハーレムのヒロインズに立つ瀬がないのは言うまでも無く、一部の話題作においてはやれbotだキャバ(びょう)だと「魂を持たない」キャラクターはどんなに外面が良くてもノーサンキューとの事である。

















最後に言っていく理由は、完全に個人的な嗜好の問題である、故にだいぶ下の方に配置した。


文字数稼ぎじゃないぞ!誰が何と言おうと文字数稼ぎじゃないからな!




僕がハーレムものを楽しめずにいるのは、多分僕が持つ「魅力的な主人公」像や「好きなヒロイン」像に対して、ハーレム要素が根本的に噛み合わない事だ。


先にヒロインについて言うと、僕がタイプなのは「強いヒロイン」である。


戦闘能力が、という訳じゃなく、芯の強さ、気高さ、信念を貫く様、そんな女の子に殺してもらいたいものだ。


これがなんなのかと言うと、必然的にヒロインが主人公と対等以上になる事のないハーレムでは基本的に見ることが叶わないものだ。


大抵の場合、主人公を立てる事が期待されているハーレムものの傾向からして、下手をすれば主人公の助けを待たずに自ら逆境に打ち勝つヒロイン自身の「強さ」は噛み合わないのだろう。



次に主人公。


誠に勝手な話だが、僕の持つ「かっこいい主人公像」的な美学には、「ハーレムの形成」はタブーである。


三下に多い、情婦だかを侍らせたギャグみたいな好色キャラがどうしてもチラつくのだ。


それに反した奴は全否定という訳でも無いが、少なくとも僕は彼らを真面目に捉えられなくなり、本気でヒーローと評する事は無くなってしまう。

(戦国武将とかは「まあそういうもんだし」「作らん方が社会的にまずいし」で割り切っているが)


もっと言うなら僕の惚れ込む主人公は「孤独であるべき」という我ながら実に面倒臭い拘りがあるのだ。


特撮ドラマ「牙狼」の冴島鋼牙、マイナーな作品だが同じ雨宮慶太監督の「人造人間ハカイダー」に登場したハカイダーのイメージである。


敵は強い上に多いわ、世間からは疎まれてるかそもそも知られてないか、この二名においての「ヒロイン」は(ちなみに両方とも名前が「カオル」)主人公が孤高であり孤独だからこそ(前者の鋼牙には相棒の指輪や親切な執事もいるけど)淋しい彼らの人生のハイライトとなるのだ。


ハーレム作る奴が「孤高であり孤独」かどうかは言うまでもない。

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― 新着の感想 ―
[一言] 小説でもありませんが、ドイツ史の大家阿部謹也の『ヨーロッパを見る視覚』が参考になると思います。 この書では、中世騎士道が恋愛の始まりになったこと述べてます。 古代ギリシャ神話ですと、愛した人…
[良い点] 自分はハーレムは好きですが、ヒロインが主人公に惚れる理由に共感できなかったり、ハーレムをヒロインが簡単に受け入れられたりするとさめてしまうので気持ちはよくわかります。 そうなってしまう理由…
[良い点] >三下に多い、情婦だかを侍らせたギャグみたいな好色キャラがどうしてもチラつくのだ。 わかりみ。 某超長期毎日連載作品みたいに肉体関係がないハーレムものなんてまず無いですしね。
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