同じこと言ってるなぁ。と、思う言葉。
古今東西、時を越えて、同じようなことを言っているな。
そう思える言葉達。
あるいは自分の思考の暴露。はっきり言って混沌そのもの。(-_-;)
・過去と未来
『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』
オットー・フォン・ビスマルク(1815年4月1日 - 1898年7月30日)プロイセン及びドイツの政治家「鉄血宰相」
『過去に目を閉ざす者は、現在に対してもやはり盲目となる』
リヒャルト・カール・フライヘア・フォン・ヴァイツゼッカー(1920年4月15日 - 2015年1月31日)ドイツ連邦共和国:第6代連邦大統領
『受け継ぎ、そして伝える事が、未来を創造する唯一の手段である――』
アイザック・アシモフ 作家 (1920年1月2日 – 1992年4月6日)作品:ファウンデーションより
愚考・・・
温故知新という言葉が在るように、過去を知らなければ、何が良いのか、何が過ちか。それが、わからぬのだから、何をしたところで繰り返しにしかならない。それは古今東西、同じ考えの帰結のようだ。
しかし、頭で考えるだけの者。過去を知ろうとしない者。――そして、『新しいものほど優れいている』などと言う、かなり多くの者がハマる思考。(――私もあった)
これらの考えの者にとって、過去とは愚かなものでしか無く、その教訓から得るものはなにも無い。
果てにあるのは、『自分こそは優れている』という思索にしかならないから、同じこと、類似したことを繰り返すことに陥る。
良い例というのは、探しても見つかりにくい。――だが、わるい事、悪い例は巷に溢れている。歴史・過去はそれを教える。
過去に学び、思いを巡らせぬモノに、未来を作ることは出来まい。
・社会の中で生きるということ
『最も賢い生活は一時代の習慣を軽蔑しながら、しかもその又習慣を少しも破らないやうに暮らすことである。』
芥川龍之介 作家(1892年3月1日 - 1927年7月24日)
『多くの者は、自分たちの階級を軽蔑する様子をしながら、自分たちの階級から頭角を現す機会しか狙っていない 』
ロマン・ロラン フランスの作家。(1866年1月29日 - 1944年12月30日)
『首相に限らず現代人は、指導層であれ追随層であれ、おおむね実際主義を旨として、経済的利得や政治的権力や文化的栄誉にありつくべく、我欲丸出しで生きそして虚無のうちに死んでいるといってよいであろう』
西部邁 作家(1939年3月15日 - 2018年1月21日)。
愚考・・・
過去からの慣習に従ってしまったほうが、寄らば大樹の陰とばかりにあったほうが楽だし、その一部に成ってしまったほうが効率が良い。
こういう考え方、行動は、偏差値が高いもの・・・巷ではエリートだの呼ばれる者が多いだろうと思われる。だが、実のところ、不良――ヤクザと呼ばれるような者も同じだ。
優等生は効率の良いコトを行う。それを勉強の中で身につける。
不良はいじめなどで、相手を脅しつけるなど、楽なやり方を身につける。
コレがおとなの社会では、法律など公権力を用いてモノを得ようとする優等生――官僚・政治家。
相手の泣き所を抑えて脅しつける不良――ヤクザ、アウトローとなって行く。
効率の良い。楽。……実のところ、これらの親和性は極めて高い。かくして癒着していく。
一見、離れた様に見えても、その世界を垣間見ると、近いことがよく分かる。
そんな中で生きるには、ここに挙げた言葉達のように、そのシステムを軽蔑しながらも、唯々諾々と従ったほうが楽である。効率がいいから、虚ろになって従い、歯車に成ってしまえば良いのだ。いずれはそのシステムの頂点に立つことを夢見て……。
歯向かったところで、押しつぶされるだけなのだから、いずれ壊れるにしても、自分のときでなければいいのだから……。
そうだろう?コレまでも、これからも……。
三島由紀夫は
『どうして自分を否定する憲法のために、自分らを否定する憲法にぺこぺこするんだ。これがある限り、諸君たちは永久に救われんのだぞ。』
――と、自決前、自衛隊に檄を飛ばしたが、その場の自衛官達に否定された。今が続いたほうが楽だからだ。クーデターを起こしてリスクなど取りたくなかったからだ。
あるいは、太宰治が
『雛段をくつがえす勇気がないのか。君たちにとって、おいしくもないものは、きっぱり拒否してもいいのではあるまいか。変らなければならないのだ。私は、新らしがりやではないけれども、けれども、この雛段のままでは、私たちには、自殺以外にないように実感として言えるように思う。』
――と【如是我聞】にて文壇の窮屈さを嘆いたが、表現の世界は今もなお苦しい。
何も、変わらない。皆そこで利益を得ようとするのだから。それを軽蔑しながらも、自分の番が来るのを待っているのが正しい。
―――そう、それが正しいんだ……。
・愚者と賢者。罪人と義人。
『「わたしは愚かである」と認められる者こそ、賢者である。
逆に「自分は賢者である」と思っている者こそ、愚者と呼ぶにふさわしい。』
ゴータマシッダールタ または ブッダ 仏教開祖
『人間には二種類しかない。一つは、自己を罪人だと思っている義人であり、他の一つは、自己を義人だと思っている罪人である。』
ブレーズ・パスカル
愚考・・・
釈迦。パスカル。どちらも人類史において偉大な業績を残した偉人であるが、これらの言葉、言ってることの本質は、まったくもって変わらないと思う。
自分を絶対、特別と思うものほど、醜悪に成る。この手の人間はよくあらわれる。うんざりするほどに。
それをわかっているから、私は賢者・・・。などと言った瞬間、私は彼らに肘撃を入れられることだろう。
・2,500年の時を超えて、なおも望まれる人の心――思い上がりへの肘撃。
『王となろうと試みる者はいかなる時においても殺されるべき』
プブリウス・ウァレリウス・プブリコラ(? - 紀元前503年)政治家:古代ローマ執政官
「救済の名の下に日本を支配して、自らその王になることを空想し、それを現実化する過程で一連の事件を起こした」
オウム真理教:教祖:麻原彰晃。本名:松本 智津夫〈まつもと ちづお〉(1955年3月2日 - 2018年7月6日)の裁判。
その論告求刑、検察側の論告より
愚考・・・
まず、プブリウス・ウァレリウス・プブリコラについて・・・
この『王となろうと試みる者はいかなる時においても殺されるべき』という法律。
成り立ちは、プブリウスが政敵や同僚の死後、唯一の執政官となった時のこと、プブリウスは人々を見下ろす丘の上に家を建て始めた。それを見て、人々は(――彼は王位を狙っているのでは)と、恐れ始めた。
それを知ったプブリウスは屋敷を解体し、この法律や、現代の控訴権に当たる法律を盛り込んだ【ウァレリウス法】という法律を制定する。
その死後、ローマ夫人達は一年間、喪に付したと言われている。【概ねWikipedia参照】
後に、アメリカ合衆国の憲法解説の連作論文『ザ・フェデラリスト』今では『ザ・フェデラリスト・ペーパーズ』と呼ばれるもの。
この執筆者達:アレクサンダー・ハミルトン、ジェームズ・マディソン、ジョン・ジェイはペンネームに「パブリアス」(Publius)という共通の匿名を用いる。プブリウス・ウァレリウス・プブリコラの引用だ。
アメリカにおいて、銃を持つのは『自分の身を守る』以上に『悪政を敷くものへの』に対する、抵抗権、革命権、あるいは反抗権……という権利は、このプブリウスの法律を下敷きにした上で立っている。そう見ることは、邪推だろうか?
よくよく考えれば、こういうのは、アニメだの特撮だの、子供が好きな作品でもよく描かれる。
特別な力を持っているから、科学が、信念が……。
ありふれた悪党。アクション・活劇などの主人公に対する敵は、この様なファクター・要因・因子・力をもって支配を正当化する。
現実でもよくある。
ほら、選挙で勝ったから、次の選挙までは好きにできる。なんて考えのオバカさん。いるでしょう?
試験に受かったから、特別な人間だから、何をしても赦されるという、大馬鹿者。いるでしょう?
そうやって、人は腐るんです。
『王となろうと試みる者はいかなる時においても殺されるべき』
この法律は、私にとっては、絶望の中の希望の一つ。(アイツラ、殺していいのかね?)なんて過激思想の肯定で在るから。
ただ、誰が殺していい。――とは書いていない。民主主義ということだろうか?ならばロベスピエールのようなことになりかねない。物騒な話。
やれやれ、まったく……こんな物騒な思考のオモチャは、危なっかしいから納屋にしまっておくに限る。実際に許したら殺し合いばかりに成るではないか。使わぬ時を祈るばかり。
だから、投票で落としたりできるだろう。
されど、上に立つものは、この法を畏れなければなるまい。
・前話に挙げた言葉とのリンク
『何かを聞いたからと言って、すぐに信じることはやめなさい。多くの人が話し、噂しているからといって、信じることはやめなさい。あなたの信じる宗教の経典に書かれていたからといって、信じるのはやめなさい。先生や年上の人など権力のある人が言ったからといって、信じるのはやめなさい。長い間受け継がれてきたことだからといって、信じるのはやめなさい。自分で分析し、あなたが同意した上ですべての人にとって良い影響をもたらすのなら、受け入れて尊敬しなさい。』
ゴータマシッダールタ または ブッダ 仏教開祖
愚考・・・
『自分でキメる』という言葉を先の話題で挙げたが、はるか昔にも言っているお方がいる。
ドコかで、人の思考は行き着くことは同じだろうか?
そんなコトを思うと、この言葉に突き当たる。
『なんだ、みんな同じことを言っていやがる。』
太宰治(1909年6月19日 - 1948年6月13日)作家【もの思う葦 その3】ふと思う より
そんなものなのだろう。みんな考え尽くせば、行き着くところは同じ。似通っている。
だからこそ、ここまで至ると、最初に挙げた言葉達に私は立ち戻る。
過去を知ろう――と。
荒削りに書き出したが、いつもこんな思索の堂々巡りです。(´-﹏-`;)
誰かここからの抜け方を教えてください。