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漫画:湾岸ミッドナイト……から

"ポエム漫画"とも呼ばれている漫画からの名言。(・_・;)

 今回の名言は、漫画:湾岸ミッドナイトより。

 タイトルの通り、首都高速湾岸線を深夜に走る物語。


『その車は・・・まるでくるおしく、身をよじるように、走るという・・・その悪魔と呼ばれる車は、事故をかさねてもかさねても、走り続けようとする。魅せられた者たちは・・・もう・・・いくところまでいくしかない…』


 機械でありながら、まるで生き物のように、古くはならないと拒否するように走る、時代を超えて走り続ける奇跡のマシン、悪魔と呼ばれる初期型フェアレディZ……。

 最初の3,4巻ほどは、悪魔のZというマシーンに惹かれ、振り回される者達の話しだった。

 だが、以降は乗り手の成長。乗り手と悪魔と呼ばれる車に心惹かれて、車を駆ってを追いかけ、走り合うことでなにかを悟り、首都高から降りていく者達の物語となっていく。


『誰がいつ走り出してもいい・・・すべては自由・・・約束事なんか何もねえ・・・そして、おりるのも自由だ。永遠に勝者なんかいねえ、おりるヤツと残るヤツ・・・それだけだ』


 Zと出会い、それを追うために首都高速という場を走り、走りあった者達は、なにかを見つけて降りていく……。

 おりるヤツと、残るヤツ……社会、学校、会社、人間関係。何にでも当てはまるような、言葉。

 どこか突き放した様でいながら、それを許容する訓戒が多々ある『湾岸ミッドナイト』より・・・。



・親と子


『お前がもっと大きくなって、学校とか行くようになったら、先生や友達はいろんなコト教えてくれるヨ。

 いいコトもあるし、悪いコトもある。そしてお前はそれを自分でわかっていかなきゃならない。

 いつもお前がキメるんだ。そしたら転んでも、自分で立ちあがれる。


 いろんな人が、いろんなコトを教えてくれる。

 いいコトが正しいとは限らないし、悪いコトがすべてダメなワケじゃない。

 お前がキメるんだ――すべて』


 嘗て"幻の最高速ランナー"と呼ばれた走り屋の父親(故人)とその息子。死んだ父を子が思い出すワンシーンより。

 父親を追いかけるように、最高速のステージに登った息子。走りの中で父の言葉を反芻する。


 "お前がキメるんだ――すべて。"

 冷たく聞こえるかも知れないが、子の意志を尊重している親のあり方を表している。自分で決める。自分で知る。これらの言葉は何度もこの漫画に出てくる。

 "キメるのはいつだって自分自身。――そうすれば自分で立ち上がれる。"

 立ち上がるには、自分で決めなければならない。自分で決めたのならば立ち上がれるんだ。……と、幼い子供に、立ち上がり方を教える優しさが伺える言葉。


 この走り屋の友人・地獄のチューナーと呼ばれる男が、回想の中でこう頼まれたのを思い出している。


『オレはもう、(チューニングは)愚かな行為とわかっていて、やめられない人間になっているから(息子がハマっていたら、その愚かしさを息子に教えてやってくれ)』……と。


 愚かしい道を行くことを決めたから、自分はそれでも歩むから……でも、子供には来てほしくない。来るならば自分で決めろ。そんな情を伺える。そんな子への想いが先の言葉には秘められている。


 なにも、キメることは、首都高を改造車で走ることだけじゃ無いだろう。

 学校・職場・人間関係・社会。人生のすべて――



・わるいことから……


『わるいコトから覚えていく、どうでもいいコトから身についてゆく』

『教えたいコトはヤマほどあるのに、伝わるのは違うことばかり。アレか、勉強しに学校行くのに、ワルサばっか覚えてきて・・・』


 湾岸ミッドナイトの作者の作品では、先達が教えようとすること、伝えたいことがあっても、嘗ての自分や後進が悪い事、どうでもいいことばかりを覚えていく。そんな文脈がよく使われる。


 コレはおそらく、作者が高校時代に留年して、遊び呆けて、馬鹿をやって……という経験則だろう。


 私も否定しない。勉強そっちのけで悪い事を覚えていたし、何より40年ほど前、私の中学の母校は『日本一荒れる学校』と呼ばれていたのだから、そんなものなのだろう。

 いつだって後進の者は、子供達は、先人や親を無視して、余計なこと、悪い事……そんなものばかりを先に覚えていく。

 だから、結局の所、それを目の当たりにして、自分はどうするか……それは自分でキメる。そう促すしか無いのかも知れない。



・子を見守る親。大事なことは教えられない……


『もうリカコは足入れちゃったもんナ。だったら知ってるコトみんな教えてやんなきゃ・・ナ。でも教えられるコトって限界あるよナ。しょせん人からの話だし・・・やっぱ経験だよナ自身の。

 頭の中で組み立てたリクツじゃあなく、自分の目で見て自分の体でわかっていく、大事なことは教えられない。経験でしかわかっていけない』


 湾岸ミッドナイトという世界でトップレベルと言われるチューナー:大田の言葉。

 チューナー。悪く言えば車の改造屋。

 車の改造は今でこそ合法。だが、かつては危険で非合法なモノとされた。そんな世界に入ってきた娘を案じる父親のセリフ。改造車=即違反キップという時代から生きてきた世代の言葉故に重いものである。

 他にも、『教えられるコトはなにもない・・・もし何かがわかるとしたら、それはお前しだい。自分しだいだ……』という言葉が作中にはある。


 経験でしか、理解わかっていけない。……では、知識を与える。教えることは無意味だろうか?

 ――そうは思わない。

 人の言葉、人の記録・伝聞……それらを心の片隅で置いておくことで、経験した時、教えられた言葉は一段と輝きを増す。その時こそ人生の杖に成る。だから、心の片隅にでも置いておいて欲しい。その時にわかってほしい。そう思って書くのだろう。あるいは親は子に教えようとする……。



・キャパシティ


『ああ結局、幸せは、それを享受きょうじゅする本人の容量次第。キャパなんだなって。

 受け止められないから自滅していく。それだけだと。

 乗り手とクルマ、たがいがうまく噛み合う。つまり容量が一致する。それが大事だ。

 人と人もそうだろ。どんなに魅せられても、それが手に余る相手なら、いつか必ずドコかで、破綻するんだよ』


 先日、人に会って、そのなかで感じ、思い出した言葉。

 キャパシティ――容量。

 すごくいい人だった。ネットで語っている、コメントしている印象そのままだった。でも、離婚したことがある――という。そこで、この言葉が思い浮かんだ。

 どちらかが、あるいは両方が、うまく噛み合わあなかったのだろうか……と。

 容量、器の問題なのだろうか?あらゆる要素を含めてのキャパシティがなければ破綻するのだろうか?

 結局、聞くのが怖いし、聞かずじまい。

 できるのは、言葉を、事象を手繰り寄せて、かき集めて、何が起こったのだろうかと想像して見ることだけ……。



・知っているということと、学の関係


『お前、なんでチューニング、ヤメたのヨ』

「イヤんなったんだよ。正当化するコトが・・・走り屋という言葉で、暴走行為を正当化することが」

『フン・・・相変わらず青くせーナ。中途半端に大学出て、この業界にいっから、アレコレ理屈が出るんだヨ』

「だよな。オレも暴走族あがりならよかったかもな」

『そりゃーーひにく!?』

「いやいやマジだよ。大マジ。だってお前ら直感で知ってるもの。ガキの頃から自分たちのやってる、愚かな行為を」


 迷惑だから学校に来るな。と追い出されるように卒業して、暴走族をやって、車を改造して、いつの間にかチューナーをやっている経営者。

 同じくチューナーと呼ばれる車屋だが、国立の大学・機械工学を学んで、自動車メーカーに入り、退社してチューナーをやっている経営者。

 そんな者たちの会話。

 裸一貫で業界を歩んできたものと、知識を得て業界に入ったもの、お互いにもっていないものを少しだけ羨みながらも、認めあっている一幕。


 在るユーザーさんが、両親の片方は中卒、もう片方は大卒。それでも、中卒の親が、大卒の親を唸らせる様なコトを言っていた。という言葉から、思い出した話。

 学があろうが無かろうが、わかろうとすれば、わかる。わからないのは、わかろうとしないから。

 わかろうとするならば、学なんて関係ないのかもしれない。



・わかってほしい


『「人ってホラ、ただ生きてるだけじゃ辛いだろ 意味とゆーか、そーゆうの。

金持ちになりたいとか、女にモテたいとか、正直に生きたいとか

それぞれ 求めるモノ あるだろ、人って。

で、【オレは何かなって考えた時、わかって欲しいってコトかな・・と】

【チューニングという行為を介してオレという人間をわかってほしい―と】

金も欲しい、有名にもなりたい、だけどそれよりもわかって欲しいなんだ。

【それも ただ誰でもってワケじゃない。誰にわかって欲しいのか、それが大事だとこの年でやっと気づいたんだ】」』

チューナー:富永


『オレが20代でアメリカにいった時・・・オレは多くの人に、自分の技術を認めてほしいと思っていた。

一人でも多く認めてもらう。それが正しく、成功と思った。でも・・その考えにはムリがあるとすぐ気づいた。

 ・・・たとえば、広く理解を求めていくと、やはり妥協が出る。でも「わかる奴がわかればイイ」その考えもイヤだ。

 アレコレと考えて出た答え・・・それが「誰にわかってほしいか」だったんだ。

 誰にわかってほしいのか。誰に認めてほしいのか。そう考えれば、自分の行動。進む方向は見えてくる』

チューナー:吉井


 この『わかってほしい』という言葉、少なくとも作中で両手で数えるくらいにはあったと覚えている。

 新たに入ってくるものに対して、チューナーは己の技術で伝えることしか出来ない。また、ドライバーは、走り合うことでしか伝えられない。

 作られた車で、走り合うことで、技術、行為、それらの中で……それまでに語り合うことが積み重なって、気がつけば走り合いが語り合いになり、何かをわかり、わかったものは離れていく。



・わかるもの。わからないもの。違う人間……


『オレが中学の時、担任が言った言葉だ。"人は、聞く、見る、やる・・。"てな

 聞いたことは忘れるが、見たことは覚えてる。そして、やったことは理解していく。


 ――で、オレはある時、ふと気づいたのよ。(ああ、先生の言葉に続きが在るな)・・て

 先生の言葉は、他のやつをはぶいている・・・と

 聞こうとしない、見ようとしない、やろうとしない奴。そりゃわかりっこないって・・


 わからない奴に、わかってもらおうと時間を費やすほど、人生は長くない・・

 違う人間はいる。ただ、それだけだ・・・』


 それなりに生きると、自分の考えていること、危機感を訴えても理解してくれない人が多い。

 むしろ、訴えたことをなかったコトにして、なおも下らないモノにしがみつこうとするものがいる。

 しがみつくために、聞こうとも、見ようとも、ましてや体験しようなどと決してしない。

 ここで云われる、違う人間に変わっていってしまうのだろう。そんな実感と共に腑に落ちた言葉。



・機械と人・・・あるいは、人と人・・・


『ひとつにはなれない―――お前がキカイだからじゃあなくて・・・・

 どんなに求めても、最後の最後まではわかりあえない。

 それでいい―――最後の最後で心許せなくていい―――

 ―――Z。ずっとお前をわかろうとしてきて、お前を完全に手の内に入れて乗りこなすコトが、お前をわかるコトだと思ってきた。

 だがちがう。お前は誰の支配下にも置かれない。どこまでいってもお前はお前なんだ―――

 ――そして、オレはそれでいい』


 主人公:朝倉アキオ+悪魔のZ

 登場人物達が追うマシーン"悪魔のZ"の乗り手。ここで言う"お前"とは"悪魔のZ"。

 機械と人。分かり合うということは出来ない。支配しているように見えて、持ち主の心が離れれば、あっさりと機械が裏切る事がよくある。

 しかし、どうだろう。この言葉……人にも当てはまる。そうは思えないだろうか?


 支配下に置こうとする。

 コレは、大人がよくやることだと思える。特に、財力・地位・名誉……ステータスを持つものが……夫が妻に……親が子に……。強いものが弱いものに……。

『どこまでいってもお前はお前』コレを忘れてしまう者が、いつもどこかに居る。――私の心にも潜んでいる。


 理解できない。わかりあえない。

 それを理解して、それでもなお、『それでいい』――共に在りたい。と願い、走ることを求め続ける車の持ち主。

 不思議な魅力にあふれると共に、どこまでも走ろうと事故を起こし、度々にオーナーを死なせ、いつしか悪魔と呼ばれる様になった車は――ただひたすらに走ることを求めるクルマは、共に走るコトを決意する持ち主と共に走ろうとする。



・見返りを求めたら……


『覚えておけ、見返りを求めたら、大事なコトは手に入らない。人の気持ちも、そして車もだ。そこがポイントだろうナ。

 お前は、あのZからなにか見返りを求めているか?払ったコストやリスクのリターンを考えているか?

 考えてはいないよナ。ただあの車で走りたい。それだけだろ。

 だから、あの特異な機械はお前に応える。

 元を取ろうとか、何かを回収しようとか思ったとたん、あの車との絶妙なバランス感は崩れる。

 むこうが変わるんじゃないんだゼ。お前がだ――

 見返りを求めたとたん、むこうに対するお前の何かが少しかわる。その少しが大きく何かをかえていくんだ。

 たまたまや偶然じゃあないんだ。今のお前だから、あそこまでにあのZは走れる』


 ドラマ、小説、はては裁判所……そんな場所に出向いて、人の諍いを見ると、その原因はこの言葉に在るように、見返りを求めているからこそ起こるような気がする。

『出会った頃はただ一緒にいるだけでよかった』――こんなセリフを、夫婦の諍いを描く物語でたまに見かけるが、カップルが結婚して……あるいは友人関係などで、心が離れるのは何故だろうか?

 その一端は、この言葉に在ると思う。

 例えば、金を稼ぐ夫がいつの間にか(これだけの稼ぎをだし、金を渡しているのだから……)と夫婦で在る伴侶を雇った召し使いの様に考える。

 自分を優位に置き――一緒にいる。それ以上のなにかが当然であるように考え始めれば、少し変わる。

 その少しを相手は感じ取り、さらに変わる。段々と歯車が噛み合わないほど隙間が大きくなる。

 ――そんな人の変わり目を生む小さなキッカケと、結果をよく想像させてくれる言葉だと思う。


 そうだなぁ……だから、見返りを求めたくないから、自分を恐れているから、ドコかで人に対して線を引こうとして逃げ腰に成る自分がいる。



・シラケることの危うさ


『世の中ってけっこーシラけている奴多いだろ。だからこっちもついシラけたフリするのヨ。その方がラクだし。でも、そーゆーフリしてると、本当にシラけてしまうんだナ』


 シラけ……。それに迎合すればどれほどラクか……けれど、それを赦さぬココロがある。



・春の夜


『春の夜は値千金か・・春は花が咲き月もおぼろ。だが・・・雨も多く、霞もでる・・・

 春宵一刻値千金しゅんしょういっこくあたいせんきん

 それは、あまりに少なく、千金にも値する日々・・・

 次はいつあるのか、わからない。これが最後かもしれない・・・

 この春の一夜は、はかなく一瞬で、そしてなにものにもかえられず・・・』


 今の季節にちょうどよい言葉。

『春宵一刻値千金』

 この漢詩は素晴らしい表現だった。それを知るだけでも価値がある。


 昼間は陽気をもたらし、夜には程よい冷気で心地よい眠りをもたらす春の夜。

 外に出れば花が咲き、月が柔らかく、気温の変化がもたらす雨や霞が美しい。

 花が咲くことだけが美しいのではない。蕾が緑と花の色を混ぜて膨らむ様は、素晴らしい息吹を感じさせる。

 様々なモノを見せて、味わせる春の宵。それはまさに値千金だろう。


 それは季節のときだけではない。誰かと共に何かを……深夜の夜道を走るだけでさえ、変えられないもの。

何かを体験して、見直したりすると『ああ、こういうことなのか……』などと考えることになる漫画。

42巻+12巻(タイトル変更)で描かれますが、どの巻にも最低でも一つは唸らされるモノが在る。


まだ、まだ在るので、もう一回くらいは、この漫画からの名言をやると思う。

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