パスカル先生から
台風の時おなじみhPaの単位の人。パスカル先生より。
ブレーズ・パスカル。
物理、自然科学はもとより、数学、神学、哲学あらゆる分野に手を付けた人。天才という表現を当てはめるなら、この人にふさわしい。この人に当てはめないなら、誰に当てはめろと……ダ・ヴィンチくらいしかいないと思う。
そんなわけで今回は天才:パスカルの備忘録・ノートをまとめた"パンセ"から……。
・『晩祷を聞くのと同じ態度で説教を聞く人が多い。』断章11
・『人は普通他人の精神の中に生じた理由によってよりも自分自身で発見した理由によって、いっそうよく納得する。』断章10
順番が前後したが、人は他人の話をよく聞かない。行動したほうが良いということだろう。人なんざ体験しないとわからないし、動かすのは難しい。
レオナルド・ダ・ヴィンチは『食欲なくして食べることが健康に害あるごとく、欲望を伴わぬ勉強は記憶をそこない、記憶したことを保存しない』と言い。
イギリスには『馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない』ということわざがある。結局、本人にやる気がなければどうにも成らないってことね。(;´д`)トホホ…
・『人は普通オルガンに向かうようなつもりで人間に向かう。なるほど、これはオルガンである。しかし奇怪な、定めない、変わりやすいオルガンで、このオルガンでは和音が出せまい。【鍵】がどこにあるかを知る必要がある。』断章111
「人なんて気まぐれさ。同じ様な対応しても、いつも反応が変わりやがる。ああ、人付き合いって、めんどくせぇ」――こう、解釈してよろしいでしょうか?先生!!
今も昔も、人間関係って面倒くさいって思うものの様だ。
・『ある作者たちは自分の著作のことを「私の本、私の注釈、私の物語」などという。自分の家に住んでいて、いつもいつも「ウチでは」を口にしている俗人の匂いがする。
「私どもの本、私どもの注釈、私どもの物語」などと言う方が良かろう。なぜなら、普通そういうものの中には、彼らの財よりも一掃多くの他人の財が入っているのだから。』断章43
……実はこれ、パスカルの言葉ではないらしい。パンセにいつの間にか書き加えられていた文言だそうだ。
でも、なるほど……自分自身で書いてみて思うが、結局の所、人からもらったものを文章の序列を入れ替えたりして、私の小説・意見を作っているんだから、「私の――」というのは、いささか気恥ずかしい。
パンセ断章345にて『思考に人間の偉大さがある』という言葉があるが、似たような文言に『人間の偉大さは恐怖に耐える誇り高き姿にある』帝政ローマのギリシア人著述家:プルタルコスの言葉。……ジョジョの奇妙な冒険にも使われた言葉だが、なるほどこれを捩ったのかもしれない。
シェイクスピアだって、その物語には元ネタが確かに伺える。
ならば、人の言葉は後世に伝わり、使われていく流れを考えれば、「私ども」という言葉が正しいと思える。
・『体の栄養は少しずつとるものだ。栄養をたくさんとったとて、わずかしか実にならない。』断章356
勉強の一夜漬けとか、過食とか、いっぺんたくさんってダメってこと。少しずつ継続しよう。……私は……テスト勉強とかで一夜漬け大好きだったけどΣ(´∀`;)
・『考えをかきしるしていくと、その考えが折々逃げてしまうことがあるが、このことのおかげで私は、私のいつも忘れている私というものの頼りなさを思い出すことが出来る。これは私の思い出すことのできなくなった考えと同じ様に私にとって教訓的である。なぜなら私は、ただ私というもののむなしさを知ろうとのみ思っているのである。』
なるほど……「メモをしておかなければ忘れてしまいますよ」とはルイス・キャロルの作中の言葉だ。
歴史に名を連ねる天才様でも色々と忘れるんだって。そして自分は頼りない。って……。何だ、彼らも同じじゃないの。そう思えてホッとする。
どこか遠い空の果てにいるのではなくて、地続きで先を行っているだけなんだ。追いかければ、近づくことが出来る。そう思える。思えない?
まだまだパスカル先生、パンセのネタ、いっぱいある。
パンセ(フランス語)……パンジー:英語圏では思考・瞑想。
花言葉は、自分のことを考えなさい(仏)