六.カラクリの完成
思いがけない志津江との道行きは、少年のころの初恋の切なさを思い出させ正則にとって五十年ぶりに胸の高まりを覚えるひとときでもあった。
そんな溶け入るような時間は瞬く間に過ぎ 気がつけば屋敷の門前に立っていた。
二人は暫し見つめ合い残念そうに握り合う手を解くと門横の潜り戸を開けた。
屋敷に入ると老女が玄関先までやってきて「お嬢様、お付きの女中を先に帰すなんてはしたない、それと若い殿御とお二人でこんな時間まで…」と御機嫌斜めの様子。
「こんな時間って、まだ出てから一時半も経っておりませぬ、沙和殿は何に付けても大袈裟です、正則様の前で失礼でしょう、下がりなさい」と今日はいつもと違って高飛車な志津江である。
二人は母屋で軽い昼食を済ませると志津江は着替えのため母屋隣の中屋敷に戻り、正則は離れに向かう。
自室に戻ると正次郎はいなかった。
やはり辺りは散らかし放題である、正則は買い求めた亜鉛・赤銅の巻物と礬油を机に置き再び周囲を見渡し溜息をついた。
部屋を片付け 巻いた亜鉛板を平に伸ばし始めたとき正次郎と志津江が部屋に入ってきた。
「兄い聞きましたよ沙和殿に、何でもお付きの者を返しての二人道行きとしゃれ込んだとか、兄いも隅に置けやせんね、こんなおぼこい志津江を出会茶屋にでも誘ったんですかい」とニヤけて言う。
「そんなんじゃ有りません」とふくれ面で返す志津江。
「はいはいご馳走様、ところで兄い見慣れぬ物が有りますが人形の部品ですかい」と聞く。
「いえ、これは殿様から頼まれたもの、御二方には申し訳ないが先にこれを仕上げなくちゃなりませんので今日より五日ほどこの部屋を遠慮して頂きたいのですが」
「兄いそんなぁ、カラクリ造りが先でしょう」
「そう申されても…殿はお急ぎの様子、何でも幕府の大事な品とか、分かって下さいな」
「兄上、正則様がお困りでしょう、我慢なさい」と助け船を出してくれた。
「チェッ、お前は何かというと兄いの側に付くんだから、お前惚れてんだろう」といじわるを言いながら「兄い五日ですね、仕方無いなぁ」と志津江に背を押され渋々部屋から出て行った。
彼らが出て行った後、正則はボルタ電池の絵図面をざっとポンチ絵で描いてみた。
容器は底が平らな直径九寸の花器が部屋にあったのでそれとした、しかしボルタ電池など作ったことがないからどれほどの電圧が出せるか皆目見当が付かない。
(取り敢えず各々20尺の長さを買ってきたが、全然足りないかもしれない、問題は電圧…パソコンも復活させたいから最低15ボルト以上は出したい、それとセパレーターは何を使うかだ、薄手のポリプロピレン不織布なんか有れば最高だが、んなもの有る訳ないし、まっ長く使うわけでもないからサラシで代用するか)
正則はぶつぶつ独り言を言いながらまずは赤銅板を三尺程の長さに切り始めた。
作り始めて三日が経った、以外と簡単にできたと花器にセットされた複数の電堆を見つめた、その電堆を各々直列に結線し、導線の絶縁として膏薬紙を半寸幅に切ったものを螺旋に巻いた。
(なんかまるで小学生の夏休み工作だな)とその出来の汚さに思わず苦笑した。
(まっ、電気さえ出力すれば見た目なんぞは…ククッ 杉板で作ったこの蓋を被せるとまるで鍋焼きうどんの鍋だな)
予め用意した水で薄めた礬油電解液を花器に注ぐ、すると部屋中に酸の匂いが立ちこめる。
(うゎ)慌てて蓋を閉じ、紐で結んだ。
(さー出来た、どれどれ…何ボルトあるのかな)
用意したテスターのクリップを蓋端から延びるプラスとマイナスの導線に挟んでメーターを注視する。
(おっ、18.3Vも有るじゃない…こりゃぁ成功だ!)
正則はPC用ACアダプタコードを手に取り、プラグ整流変圧器に繋がるコードの根元で切断しジャック付きコードだけにした、そして切断部のビニルを剥ぎ裸線にすると電池の導線に繋ぎ、コード端のジャックをパソコンに差してPC電源をONにした。
暫くすると画面が光り出しWindowsのマークがみごとに表れた。
(やった!やりましたねぇ)
正則は小躍りしたい気持ちを抑え次にiPadに繋ぎ替える、これも同様に輝きだした。
(クーッ、俺ってサイコー)
(しかしこの電池、充電が出来るほどの持続力は有るのだろうか、途中で分極なんてことないよなぁ、取り敢えずこのまま一晩放置し、駄目だったらダニエル電池に造り替えるか…)
それから二日後の夕刻、用人・小平に庄左右衛門に面会したい旨を告げた。
半時後小平より「殿がすぐにでもお会いしたいと申されて」と返答が返った。
正則はノートパソコンとiPadを持って書斎へ向かう。
「殿、”光絵”うまく充電が出来ましたよ」と言い、スイッチを入れ庄左右衛門の前に差し出した。
「オオッやりましたねぇ正則殿、早速にも井上左太夫と田付光右衛門をお呼びしないとのぅ、それにしてもまだあれから五日、えろう早く出来ましたなぁ」
「いえ、最初のボルタ電池は分極して失敗、ダニエル電池で何とかうまく行きましたよ、それと志津江殿にも手伝っていただきましてね」
こんなとき志津江の名をさりげなく出し既成事実を醸し出しておこうとちゃっかりな正則である。
「ところで志津江は貴公が未来からやってきたことを存じておりますかの」
「とんでも御座いません、そのことは殿とあの御二方のみです」
「そうじゃな、そのようなこと志津江が知ったら…まっ知らん方がええじゃろう」
「殿、その”光絵”をもっと機能化させたものがこのパソコンです」
正則は言いながらノートパソコンの蓋を開け電源を入れた。
暫くして15インチモニターが輝きだしデスクトップ画面が現れた。
「おおっこれはまた大きな”光絵”ですなぁ、この大きな箱が機能的と申されたがどの様な…」
正則は「兵器」のフォルダを開きその中の”雷管製法”のファイルを開いた。
画面にはその製法が図と写真を交え詳しく説明されていた。
庄左右衛門はそれを食い入る様に見つめ「素晴らしい、これさえ有ればすぐにでも雷管は出来ますなぁ、正則殿これ以外に例の新式銃の製法も有るのですか」
「はい、おおよその兵器・火薬に関しては殆ど揃っております、しかし航空機の資料にはとても及びませんがね」
「航空機と申されるのは…あぁあの空を飛ぶ奴ですな」
「そうですが」
「あれは分からぬ、あれに関してはそのうち聞くとして、この箱にはどれほどの量の資料が入るものでしょうか」
「このパソコンは旧式でHDDは40GBしか有りません…それでも文字数にしたら224億文字、たぶん江戸城にある全書物はこの箱に一つ収まるでしょう、それでもまだ余裕はあると思いますよ」
「………」庄左右衛門は目を剥いた。
そののち、庄左右衛門はiPadを”小さい光絵”、ノートパソコンを”大きい光絵”と呼ぶようになった。
以後、正則はダニエル電池の電碓及び硫酸銅溶液と硫酸亜鉛溶液を定期的に新しいものに交換し、iPadとノートパソコンの充電は欠かさなかった。
また壊れていた小型プリンターを修理し、インクの試作にも取りかかっていた。
こうして正則・正次郎・志津江の3人はカラクリ人形の組立を開始し、正則はカラクリの心臓部ともいうキャリバーの組立に着手した。
キャリバー組立はまず真鍮製の地板3枚に砲金や黄玉で作った軸受け数十個を組込み、その1枚にゼンマイ・香箱車・角穴車・丸穴車を組付け、もう1枚の地板には2番車から4番車までのカナ付き歯車とテンプ・アンクル・ガンギ車・カム、また8個のギヤで構成されたギヤレーションを組み込み、3枚目にリンク等出力部品を組み込んで その3枚構成の地板を合体、銅製のリベットで慎重にカシメていった。
キャリバー上部にはジャイロ格納部が有り、縦軸にジャイロコマ2個が相対に配置され4番車の高速軸から太鼓歯車とドライブシャフトにより各々が連結された。
正則は組立てられたキャリバーAssyがジャイロコマを除き意外と軽量に出来たことに喜んだ、しかし胴回りがカム径とゼンマイ径が大きくなりすぎ…ちょっと太り気味の飛脚人形になることは残念であった。
次にゼンマイを巻きキャリバーギヤを動作させながら軸受けの隙間調整と各歯車の当たり調整という仕上工程に入っていく、軸受けの隙間調整には細目ネジを介した調整機構が欲しいところ、しかしこの時代 ネジと言えば火縄銃の尾栓ネジぐらいなもの、江戸時代とは「ねじの無い文化」と言われるのも頷けよう。
正則は当初ねじ切り工具であるダイスと、ねじ穴を穿つハンドタップを作ろうと試行し、まずはタップのリード切りをヤスリ加工で行い焼きを入れ、下穴をあけた厚板の真鍮板にタッピングを行ってみた。
ところが途中から動きが固くなり行きも戻りもできず、遂には折れてしまった。
正則はこれに腹を立て、何度もタップを造りチャレンジするも真鍮板は嘲笑うかのように数本のタップをいとも簡単にへし折っていった。
これにより真鍮程度の軟質材料でも、タップとなればミクロンオーダーのピッチ精度が必要と分かった、しかし如何にも悔しい こうなれば工作機械を作り高精度なタップやダイスを必ずや造ってみせると真鍮板を睨み、折れたタップを叩き付けた。
それゆえ軸受けの隙間調整は手の押し感覚と膠接着という原始的工法に頼るしか手は無かった。
それは膠が固まり初めたころホイールを廻しつつ軸受けをテコで押し付け、絶妙なる隙間を見つけたら膠が固着するまで辛抱強く待つという気の遠くなるような手法で進めたのだ。
また歯車も当たりの固いところはヤスリで慎重に転位加工し、軸受け調整を含めキャリバー機構の単体調整だけで十日ほども費やし何とか終えることができた。
正則にとり、けして満足のいく仕上がりとは言えないが、正次郎と志津江にとってこれほど精巧に作られた金属構造物などこれまで見たことも無かった。
全体を金色に染め、所々に黄玉が光り、細部に渡って精巧に仕上げられたメカニズム、正次郎と志津江の二人は この驚異とも言える複雑怪奇な構造物をいとも簡単に作り上げていく正則の技を その隣で畏敬の眼差しをもって傍観するしかなかった。
そして組立を開始してから半月、ようやくキャリバーの試運転に入った、その試運転とはジャイロ効果によるキャリバーの自立性試験である。
それは走る人形が一瞬片足立ちになるとき人形に自立性がなければ即転倒となろう、これをジャイロの効果で補うというものだが…ジャイロを搭載するキャリバーAssyが人形の走行タイムである50秒間 見事自立してくれるか試験するのだ。
正則は青紫に光るゼンマイを巻き上げキャリバー頂部の起動ボタンを押す…すると低い金属音から高音なる金属音に変化しジャイロホイールはうなりをあげて回転を始めた。
そして起動ボタンを押し十秒ほどが経った時、キャリバー両側に設けられた五対のリンクと頂部一つのリンクが突然複雑なる動きを始め、およそ1分弱でその動作は止まりジャイロのうなり音が終息すると起動ボタンが音を立てて復帰した。
(おぉ、予定した通りの動作に見えたが…さてさてリンクを人形の足に組み込んだ際、設計通りの走りを見せてくれるだろうか)
次に正則は廊下に面した障子を開け放ち、二枚の障子を外すとその左右二本の柱にコマヒモを渡し綱渡りのヒモのようにピンと張った。
正次郎と志津江は今から何が始まるのかと息を呑んで見つめるなか、正則はおもむろにキャリバー本体を手に取り、ゼンマイを巻いて起動ボタンを押した。
次いでジャイロが組込まれたキャリバーAssyを30度ほど斜めに倒し、先ほどと同様に各リンクが動き出したのを確認すると渡された紐の中央付近にそのまま傾いた状態でキャリバーAssyを無造作に乗せ 手を放した。
それを見ていた二人は「あっ!」と叫び、思わず目を閉じた。
ヒモの四尺下には障子の敷居がある、そこに落下すればキャリバーAssyは粉砕されよう、さすれば一ヶ月半にわたる苦労は水の泡…そう感じたからこそ目を閉じたのだ。
だが…衝撃音は二人の耳には届かなかった。
二人は恐る恐る目を開けた、するとキャリバーAssyは正則が乗せたときの危うげな傾きのまま、ただ一本の紐の上で姿勢を崩さずまるで空中に浮くように静止していたのだ。
その光景を二人はどんな想いで見ているのであろう…それを面白く思いながら正則もドヤ顔で見つめている。
およそ一分弱、リンク動作が止まりキャリバーAssyがヒモ上でふらつきだしたのを確認すると正則はAssyを両手で掴んでヒモから下ろした。
ジャイロ効果は満足のいく結果に終わった、これなら走ったところでまず倒れることはなかろう、だがジャイロ効果が強すぎても走る人形の体勢が一定形に保持され過ぎて人間味は失われよう、それでは成功とは言えまい。
(まっ、人形に組み込んで走らせるしか判断のしようがないな)
そのとき正則の懸念顔に対し端で一部始終見ていた正次郎と志津江はまるで手妻でも見たように暫くは声も出せずその場に固まっていた。
正則はそれに気付き二人に微笑みながら声を掛けた。
その声に正次郎は我に返り「あ、兄い、なんというか…このカラクリはなぜ倒れて落ちなかったのかもう訳が分からん、たぶんその理屈を教えられても理解は出来ないけど…」
正次郎は想った、自分より二つ三つ年長なだけの青年が過去にどんな教育を受けどんな修練を積んだらこんな凄まじい物が創り出せようかと、もうそれは想像の埒外と本能が教えていた。
しかし正次郎の良いところはそれら埒外の事柄を いとも簡単に受け入れられる性格にあった。
「まっ、難しいことは兄いに任せ、さて俺が作ったこの脚にそのカラクリを組み付けてみようよ」と言いつつも体が不自然に震えているのは隠せなかった。
その後、キャリバーAssyに胴皮が被せられ、脚や腕そして頭が出力リンクに組み込まれた、ここでいよいよ志津江の登板である。
志津江は人形の骨格に下着を着せ次いで上着を着せた、また腰下には股引を四幅袴の下に履かせ脚絆と地下足袋を履かせる、そして前掛けと笠を結んでから挟み箱を持たせていよいよ完成形だ。
「出来たぁ」3人は目を輝かせ人形を見つめた。
足裏を少し大きめに作ったゆえ立ちの姿勢でも展示が出来た。
「それにしてもいい造りだなぁ」と正次郎。
「ちょっと太り気味ね」と志津江。
「飛脚さんて…毎日走っててこんなに太るものかしら、やっぱりおかしいわね」
「うるせぇ!、休み明けの飛脚と思え」と正次郎が志津江を睨み付ける。
「怖い兄上、見たまま言っただけなのに…」
「まだ言うかこいつ」と志津江にちょっかいを出そうとする正次郎を押さえ正則は人形を取り上げる。
「さて、走らせてみましょう」と言いゼンマイを巻く。
最近正則は志津江をいじめる正次郎が憎く思える時がある、以前は仲の良いじゃれ合いの兄妹喧嘩と傍観していたが、あの道行き以来 志津江が少しでもいじめられると妙に腹が立った、この感情を惚れた証とでもいうのだろうか、近頃正則は20代の青臭い感情になりつつあるようだ。
ゼンマイを巻きあげ畳の上に人形を立たせた、おもむろに起動ボタンを押し運転準備に入る、そしてギヤ音が高音になり音が安定したとき人形は軽く前傾姿勢となり、前方に倒れると思った刹那 右足が出て軽妙に走り始めた。
3人は目を見張る、人形は1間ほど走ると前傾姿勢を徐々に起こしつつ停止した、そして曲がれ右をして先と直角に向き再び前傾姿勢をとり走り始める、しかしその走りは軽快な走法とはとても言い難い、それはドタドタといった足踏みにしか見えなかった。
そしてこのターンを3回繰り返し元の位置に戻ると人形は停止した。
正則は正直ガッカリした、想像ではもっと軽快な走りを見せてくれると思っていたからだ、しかし倒れず走り終えたことだけを考えればほぼ成功とも思えた。
正次郎は畳に伏せ人形が走る際に両足が完全に宙に浮く瞬間を見ていた、それでも倒れない人形に舌を巻いた、ただもう凄いと想うばかりで声も出なかった。
だが一方 志津江の方は醒めたものである、得てして女性はこんなものであろうと想う、過去にもそのような経験は何度もあった、その一つとして以前国産初のジェット練習機の初飛行を終えたとき、男性の技術者は皆感動に震えていたが女性技術者らは「無事成功しましたね」の一言だったのを思い出したからだ。
志津江は「フフッ体型と走りは案外似るものですね」と言い、もう終わったという顔付きで「さぁ夕餉の支度をしなくては」と正則の顔を見つめてから部屋を出て行った、それは正則と一緒なら興味の無い事でも打ち込める女性心を如実に顕していると言えようか。
志津江の態度にあっけにとられた二人は思わず顔を見合わせた、そして大笑いし再び人形を見つめた。
こうして人形の試運転は終わった、以降はさらに軽量化・コンパクト化していけば人形はスマート且つ軽快に走ることは出来よう、正則はこの試運転のさなか人形の走り動作を見ていて既に改良箇所と改造工夫はつけていた…しかし正則の悪い癖で試運転で問題が見つかり、その解決方法が脳内で完全具体化した瞬間、その物への興味は失せるという癖である。
正則は志津江とまでは言わないがオモチャ造りの熱はもう冷めていた、それより今の脳内には既に工作機・発電機・銃器・航空機造りの夢が大きく膨らみ、人形造りに熱意を注ぐより日本の早期先進工業化に傾注すべく重工業にこの技術を生かしたいと思い始めていたのだ。
ただ歴史を変えてしまうこれらの行為は神を恐れぬ所行、歴史を変えることで自己の存在さえ危うくなる行いとも考えたが…技術馬鹿と自認する正則、そのような危惧感よりこれから造る数々のアイデアに耽る想いの方がはるかに勝り、危惧感などはすぐにも消失していった。
それから五日が経った夕刻、鉄砲組物頭の井上左太夫と田付光右衛門が再び屋敷を訪れた、正則は直ちに客間に呼ばれ井上と田付の両名に引き合わされ、約束通り二人にiPadを見せることとなった。
正則からiPadを手渡された二人は交互にそれを手に取り、裏返したり振ったりまた目を近づけその材質を見極めようとした。
「ふむぅこれは一体どんな材料で出来ているのやら、この固さは木材ではないな…さりとて金属にしては軽過ぎる、強いて言えば樫材の漆塗りに近いと思うが、田付殿はどう見る」
田付は手渡されたiPadを裏返し「んー手触りは上質な漆塗りと思うが、おや…裏に文字らしきものが見えるが、これは外国語じゃろうか読めんな。
それとこの表の板状のギヤマンはどうしたことか、これほど美しく平らなものが出来ようか、それと手前に貼ってある薄い柔らかなもの 紙のようじゃが透けて見えるぞ、んん全てが不可思議としか言いようがない…」
「御二方、外観などは取るに足らぬ事、正則殿二人に光るところを見せてあげなされ」言われて正則はiPadを手に取り電源を入れた。
「オ…オオッ」
二人はその輝きにのけぞり井上などは半間も後方に飛び退いた。
「これこれ、何も取って食われるわけじゃなし、お二方はちと大げさですぞ」
庄左右衛門は自分が見せられたときの常軌を逸した興奮を棚に上げ二人の驚きを窘めた。
二人は恐る恐る机上に置かれたiPadに近寄る。
そして光る画面に震えながら触れる「おお、熱くないぞ井上殿」
言われて井上も躊躇の仕草で画面に触れる、すると画面が瞬時に切り替わった「こ、この絵は触れるだけで変わるのか…」
正則は少々呆れ顔で先を進めようとした、そして今夜も長くなりそうだなと覚悟を決め生あくびを噛み殺した。
まずは画面をタッチし、ファイルから”10式戦車”を選びその動画を映し出す。
泥道を高速で疾駆する様や車体の動きに左右されない砲塔の動き、的であるトラックを1発で木っ端微塵に破壊する120mm砲の威力とその速射状況、12.7mm重機関銃の凄まじい破壊力、映像はおよそ5分程も続いて終わった。
この公開されてない映像は友人が担当する「防衛・宇宙事業統合推進プロジェクト室」の極秘ファイルを内緒でコピーしてもらったもので、内容は砲塔内部の構造、最先端防衛電子機器、速射マガジンの装填方法など普通では決して見ることが出来ない極秘の映像でもあった。
見終わった二人は声も出せずただ唸り、消えた画面をいつまでも見続けている。
「どうじゃ御二方、驚かれたであろう。
無理も無い、儂じゃとて見てからの数日は飯も喉を通らんかったからのぅ、ハハハッ」
さて、ボゥといつまでも感心しとらず先を見ようではないか。
正則殿、あの”大きい光絵”も持ってきてくれたらしいが、それもこの御二方に見せてくださらんか」
言われて正則はiPadの電源を切り、ノートパソコンを二人の前で開いた。
「…………」
二人は萎縮したように正則が事務的に進めるパソコン起動の手の動きを黙って見つめていた。
画面にはAR-18を模したと言われる豊和工業製の89式5.56mmアサルトライフルが映し出され正則は仕様表をクリックした。
口径:5.5mm 銃身長:420mm 全長:916mm 重量:3.5kg 発射速度:850発/分
と仕様諸元表が出た。
正則はミリ寸法を尺に替えながら出来るだけ詳細に説明していった、そして画像説明だけでは理解しがたいだろうと自衛隊の実写映像をモニターに映し出した。
映像は分解組立動画から単発・速射打ちの動画、的を破壊する威力と実包の玉込操作まで、アサルトライフルの殆どを網羅したファイルであった。
次に見せたのは実包関連のファイルで、薬莢の深絞りプレス機の説明動画や画像で各種実包の断面詳細とその製法、雷管製法と雷管装填の安全組込法、各種無煙火薬の製法や化学式等々、今見てもすぐには理解できないとは思ったが後々必ず必要になると考え参考程度に見せた。
その後、最新銃器の構造図や設計図、ガンドリル工作機・ライフリングブローチなど銃器専用の各種工作機械の構造等を画像と動画で紹介していった。
おおよそ3時間にわたるプレゼンは終了した。
そして雷管製法に関しては二人の目の前でA4サイズに切った麻紙6枚に既にモノクロに特化改造したプリンターで印刷し、欲しがっていた左太夫に手渡した。
左太夫にしてみれば画面に見えている文字や図が現実にそのまま紙に写し出されていくさまは恐怖に近い光景で、恐れ多い文書でも受けとるような仕草で恭しく押し頂いた。
二人はその後 借りてきた猫のように押し黙り、正則を恐れるように目も合わさない、それを見かねた庄左右衛門は「これこれ、あんなに見たがっていた”光絵”の感想も言わずに黙り込むとは正則殿に失礼ですぞ、ほれ各々方 分からぬ事があれば質問したらどうじゃ」
それに促されようやく井上が口を開いた「いやはや…何と申してよいのやら、浅尾殿が百七十年後の未来から落ちてきたことはこれで認めまする…しかし」
「しかしとは何じゃ、おぬし達まるで正則殿を亡霊か物の怪なんぞ見るような目をしてからに、ほら手も足もあるんじゃからそんなに恐れることは無かろうが」
「殿、先ほどまでのこと御二方には俄には信じられぬ想い、殿も最初はそうではございませんでしたか、ここは暫く安静に御話を変えられたら如何でしょう」
「そうじゃの、儂も偉そうなことは言えぬ正則殿の言うとおりかもしれん、では話を変えよう、御二方 例の件じゃが…あれは若年寄格では稟議は無理らしい、早々にも老中を集め上様御臨席の上で協議することに決まったぞ。
ただ上様は去る四月に隠居なされ次期将軍・家慶様の就任は来月になるらしい、よって来月まで待たれよと本日承ったばかりじゃ」
「来月ですか」と井上は少し元気を取り戻し話に乗ってきた。
「組頭殿は御先手鉄砲組頭19名の了承は取り付けたと先日申されたが…あれから焦臭い半端物は出てきませんかね」
「まっ、先手組の事は拙者に任されよ、それより貴公ら持筒頭と鉄砲百人組頭の抑えは完璧なのかよ」
「それはもう間違いは御座いませぬ、軽輩と言えど我らの意に逆らう者などおりませぬ、そこは安心して下され」と田付光右衛門もようやく喋り始めた。
「さすれば後は老中留守居支配の鉄砲玉薬奉行と鉄砲箪笥奉行をどう押さえ込むかじゃな、ふむぅこれは摂津守様を担ぎ出すより他は御座らんじゃろう。
よし、あすより儂がその工作に当たろう、それと資金の捻出の方もお任せ下され。
貴公らは現状通り持筒頭と百人組の抑えをな、それと立地場所の洲崎弁天東部の測量が滞っておると聞くが遅くとも師走までには終わるように進めて下され」
3人はようやく緊張がほぐれたのか正則の存在さえ忘れ、以降どう聞いても謀議としか聞こえぬ内容まで喋り出した。
「おおそうじゃ、正則殿の事をほったらかしで申し訳ない、儂らの話は要領を得んと思うが おいおい詳しく聞かせますよっての。
それから貴殿の身分じゃが儂もあれからいろいろ考えておったが…いつまでも我が家の居候殿では外聞も悪いし何よりも事が興せぬ、初めは貴殿が元の世界に戻ってしまうのではないかと思ったが この数ヶ月その兆候が無いことを鑑みてどうじゃろう、もうそろそろこの世に留まる覚悟を決めては下さらぬか」
正則は矛先が急に自分に変わったことに戸惑いながらも。
「はい私はとうにこの世界に留まる覚悟はできております、そしてこの世界で前世では出来なかったことをやってみたいと今では考えておりまするが…。
しかしそうは言っても元の世界に戻れるのであれば正直戻りたいが本音でござる、ですがこの数ヶ月 己の身を注意深く観察すれど その兆候は毛筋ほども感じられませぬ、ゆえに先日も殿に申した上げた通りもう考えないようにしております。
私がこの世界に落ちたのは…この世界が私という技術者を必要としたからと今は考えるようにしておりまするが」
その言葉を聞いた3人は先程来の沈んだ表情から喜びに満ちた破顔に変化していった、特に井上などは正則の手を取って「あぁぁ嬉しや」と喜んだ、この変わり様は一体どうしたことか。
「はぁ、儂ら正直貴殿が帰りたいと申したらどうしようかと考えておったのよ、計画はどんどん進むに肝心の貴殿が居ないとなれば儂ら腹を切ったくらいではもう収まらんのよ」
「あ…あのう計画とは…」
「よいよい、その件は今度じっくりお聞かせ申すゆえ、それより酒じゃ今宵は計画六分は成功じゃて正則殿さえ残ってくれればの、さぁ大いに呑もうぞ皆の衆」
それから遅い祝宴が開かれた、そして技術話は何処かにうっちゃた形に宴はますます盛り上がっていった。