五十一.連合艦隊 死の彷徨
深夜、ボスニア湾の暗い海に再び雪が降り始めた、気温も急激に下がり 甲板上の氷面に再び雪が降り積もっていく。
翌日、吹雪の勢いはさらに増し艦橋外に出られる状態には無かった、またボスニア湾の平均深度は55mと浅く例年は6月頃まで氷に閉ざされた海峡だ。
日蘭連合艦隊は時折船底を擦る不気味な音と薄氷を砕氷する音に恐怖し船の速度は5ノットまで下げられた、また艦隊の先頭には小型駆逐艦が回航し薄氷を割りつつ水深を測りながら北上していく。
夕刻、先頭を進む駆逐艦より海の氷厚が急激に増大したとの連絡が入った、その報に外を見ると夥しい数のアイスパックが海上一面を覆い尽くしていた。
ボスニア湾の平均塩分濃度は全海洋平均の31.9パーミルに比べ26パーミルとかなり低い、その理由は流入河川が多いこと、また高緯度地帯に位置し水温が低いため蒸発量が少ないこと、外海である北海への主な出口がカテガット海峡しかなくこれが隘路となり海水循環を阻害していることがあげられる。
この低水温と低塩分濃度のため北緯60度以北のボスニア湾は10月から6月頃までは凍結する、しかし今は5月…氷も薄くなっているはずがこの異常気象で再び凍り始めたのであろう。
外気は氷点下24度まで下がっていた、ボスニア湾奥 ルーレオ-付近の到着は明け方と計算されていた、あと僅かな距離だ、ここでロシュセン中将は迷った…本能は引き返せと叫んでいる、しかし海軍大臣井上左太夫に進言した手前ここで引けばメンツが立たない。
午後11時、先頭駆逐艦より氷が厚くこれ以上の水深測定は不能との連絡が入った、中将は窓に寄り外を見た、しかし窓外は氷に閉ざされ何も見えなかった。
ロシュセンは仕方なく扉を開け士官にサーチライトで海を照らせと命じ艦橋に出る、艦橋上は凄まじい雪嵐だ、それでも何とか手摺りを掴み海を見た…海上は真っ白に凍結していた、それは昔見た北氷洋の海と重なった。
艦船廻りの海は完全に凍りついていた、戦艦・巡洋艦・駆逐艦の馬力をもってすればこの程度の氷厚なら何とか砕氷は出来ようか、しかし輸送艦はどうだ…元々は商船改造で馬力も小さい、これ以上に氷の厚さが増せば氷に閉じ込められよう。
ロシュセンはここにきてようやく無謀な北上であったことに気づいた、彼は東京の大本営に引き返す許諾を得るべく無線通信室に回線を繋ぐよう命じた。
無線室からすぐに回答は来た「高緯度特有のサブストーム(早い変動の磁気嵐)により無線通信は不能」との回答である。
ロシュセンは受話器を置き暫く考えた、そして回りの士官等を集め「これより本来のケーニヒスベルに向かい陸軍第一軍団に合流する、全艦転回せよ」と苦渋の顔で命じた。
この命令は全艦に伝えられ各鑑はその場で展開を開始した、このとき後続の輸送艦より緊急連絡が入った、輸送艦3隻が転回不能との連絡だ。
今までは戦艦らが割った氷上の開口を追随してきたが自らの転回は氷に塞がれ不能であると…。
すぐに駆逐艦が転回し輸送艦廻りの氷を粉砕すべく急行した、しかし辺りは漆黒の闇と猛烈な吹雪に遮られ輸送艦への接近は接触の危険有りとの連絡が寄せられた。
ロシュセンは頭を抱えた、またもや苦渋に満ちた顔である。
暫くして顔を上げたロシュセンは士官等を見渡し「明るくなるまでここで待機する」と静かに言い放った。
翌朝も吹雪が衰えることはなかった、しかし辺りはうっすらと明かりが射し視界は2~30mは見通せた。
だが海上は積雪で白一色である、また昨夜の航跡開口も今や氷と雪で塞がっていた。
午前10時、輸送艦近くの小型駆逐艦が救難に向かうべくスクリューを起動させた、しかし艦はスクリューを空転させるばかりでビクとも進まない。
この期に及び操船手は震撼した、辺りの氷が知らぬ間に凸凹状態になっていたのだ、これはボスニア湾最北端カーリクス辺りで出来た厚さ1mを超える夥しいアイスパックが南下し、艦の周囲に氷結したものと思われる。
ロシュセン中将はこの報に驚き、直ぐさま全艦に砕氷前進を試みるよう指令した。
1時間後、全ての艦より報告が寄せられた、輸送艦・病院船以外は前後進を繰り返せば低速であるが何とか砕氷前進は可能との報告だ。
しかしこのまま吹雪が続き、氷の厚さが増せばそれも困難となろう。
ロシュセン中将は即座にこの海域より脱出を試みるべく全速南下の命令を下した。
揚陸艦よりエア・クッション型揚陸艇4基が滑り降りた、輸送艦・病院船周囲の氷を爆破するためだ。
揚陸艇4基は次々に小型爆薬を艦の廻りに敷設し爆破させていく、また戦艦及び駆逐艦は前後進を繰り返しながら広範囲な氷の砕氷を開始した。
5時間後、日欄連合艦隊42艦は戦艦の内 最強馬力を誇る金剛(蒸気タービン4基4軸 136,000馬力)を先頭に速度16ノットで南下を始めた。
時間は午後5時、吹雪は一向に衰えず前を走る艦に距離を開けすぎると前艦が砕氷した海が再び閉ざされる危険がある、そのため輸送艦・病院船の操舵手は必至に戦艦との間合いを詰め追尾した。
午後8時、外気温は氷点下27まで下がった、現在位置はスエーデン東岸ビューデオの30km沖と推定された、この海域は小島が多く水深もかなり浅いと予想され、操舵手は戦艦金剛の吃水9.6m以下にならぬ事を神に祈りながら操舵に集中した。
砕氷音が次第に大きくなっていく、艦に激突する氷の厚さがどんどん厚くなっていくのがこの音の高まりで分かった、この不気味な音が吹雪の音と相まって船員を恐怖のどん底に陥れる、最新鋭戦艦といえど砕氷を目的に舳先は造られていない、長時間にわたり厚氷の夥しい衝撃に晒されればいつかは破壊する、また氷によるスクリュー破損も同様だ。
金剛の舳先或いはスクリューが破壊されれば万事休すだ、ボスニア湾奥の酷寒の海に閉じ込められる不安に船員等は一様に怯えた。
午後11時、戦艦金剛の船底に不気味な怪音が走り艦は大きく揺れた、次いでスクリュウが空転し激しい飛沫が立ち上がる。
操舵手が一番恐れていた座礁だ、舳先から30mに渡り海底の浅瀬に乗り上げてしまった、またさらに悪いことが続く、後続の戦艦伊勢が金剛の座礁停止を避けられずその後ろに突っ込んだのだ。
不気味な破壊音が氷上に響き渡った、8番目を航行する旗艦長門にもその破壊音は届いた。そして矢継ぎ早に司令長官代行ロシュセン中将に事故報告がもたらされる。
戦艦金剛座礁及び艦後部中破浸水、次艦伊勢の艦前部中破するも浸水は無し、3番艦の輸送艦霧島は前部大破浸水大との報告である。
猛烈な吹雪で艦間距離を誤り、接近しすぎた3鑑の玉突き事故だ。
ロシュセン中将は頭を抱えた、己が代将の任に就いてからやることなすこと全てが裏目に出る…操船に長けた日本兵は高熱で寝込み、現在操船は若い日本兵と未熟なオランダ兵が代行していた。
これからさらに悪いことが続く予感にロシュセン中将は怯えた、正直代将を放棄したかった、しょせんは帆走艦程度の艦長である 最新鋭の大型装甲戦艦を含む42艦もの大艦隊を操り指揮するは無謀の極みと感じ始めていた。
だが悲観に暮れている場合ではない、早期にこの海域を脱出せねば全艦隊は氷漬けとなろう、ロシュセンは士官等に曳航ロープはどれほどの用意があるかと聞いた。
輸送艦には曳航用の強靱なワイヤーロープが各艦500m程積載されているが、現在それを下ろすクレーンは凍結し可動不能、この吹雪では融かすことさえかなわずとの回答だった。
すぐに士官等が集められ戦艦金剛を座礁から引き出す対策会議が開かれた、しかし案は出されるも数日かかる策ばかりである。
2時間に及ぶ会議は無駄に終わった、会議途中外気温は氷点下30度まで下がり艦後方の砕氷した海は閉ざされつつあるとの報告が何度も寄せられる、この報告に士官等の不安は募り会議は上の空と化していった。
ロシュセン中将は遂に苦渋の決断をした、戦艦金剛と輸送艦霧島は放棄、全艦元来た海路10km後方まで一旦後退し迂回してボスニア湾中央の水深ある海域を南下するとの結論を下したのだ。
即時、金剛と霧島の乗組員は各艦に分乗され、全艦に転回命令が下された。
各鑑は艦間を広げつつ転回を開始する、また先と同様輸送艦と病院船廻りの氷は揚陸艇が氷を爆破し転回を可能にした。
今度は旗艦長門が先頭艦となりその後に40艦が続く。
またもや恐怖の北上である、乗組員等は士官らの無能ぶりに呆れると共にいつ氷に閉ざされるか不安に怯え、吹きすさぶ氷上をいつまでも見詰めていた。
ここ東京の九段大本営部通信室にフランス占領軍司令部を経由した、スエーデン政府外交部からの「謝罪要求書」がRadio faxで届けられ、直ぐさま軍首脳らが招集され緊急対応会議が開かれた。
この謝罪要求書を前にして、怒り心頭に達した正則が声を荒げ井上左太夫海軍大臣を責め始めた。
「貴様、独断で何と言うことをしてくれた、誰がスエーデンを挑発せよと命じたのだ!」
「そ…それは、挑発ではなく演習が主目的で…」
「たわけ!演習ごときにバルト海際奥のルーレオ-まで行く必要があるかよ、明らかにスエーデン政府への挑発であろうが、貴様 儂がそんなことも分からぬボンクラとでも思うたか!」
「………………」
「陸軍参謀総長の新沼と海軍軍令部総長の安原!お前等は一体何をしておった、海軍部の圧力に抗しきれず暴挙を許したお前等も同罪だ!」
「元帥閣下、申し訳御座いませぬ…まさか艦隊がストックホルムを包囲する暴挙に出るとは思いませなんだ…」安原少将は項垂れた。
「これではスエーデンとノルウェーを敵に回したも同然じゃ、儂はお前等に何度も言ったはずじゃ、デンマーク・スエーデン・ノルウェーの3国は必ず中立に回るか同盟を申し出るはずとな、それを無策な挙に出おって…どうしてくれようか。
直ぐさまスエーデンに特使を派遣し詫びを入れよ、それと艦隊には即時ケーニヒスベルグに向かえと打電しろ、で 艦隊は今どの辺りにおるのじゃ」
「それが…どこに居るやら分かりませぬ、ストックホルム沖でスエーデン海軍に包囲され北へ向かったことはスエーデン政府外交部の謝罪要求書により判明したのでござるが…」
「分からぬとは何事ぞ!漁船でもあるまいに、40艦を超える大艦隊の所在がしれぬとは…無線は通じぬのか!」
「はっ、磁気嵐がひどく…またケーニヒスベルグより偵察機3機を飛ばしたのですがいずれも猛烈な吹雪に遮られ艦隊の所在は未だ掴めませぬ」新沼中将は苦渋に満ちた顔で正則を窺った。
「春と言うにボスニア湾は吹雪とは、して彼の地の気温はいかほどなのじゃ」
「はっ、高度5000mで氷点下62度、海上では氷点下30度と予想されまする」
「そのような季節外れの異常気象、彼らは冬の装備など用意しておらんだろう…それを厳寒な北の海に行かせるとは、ええい腹が立つ、何が演習だ死地への旅ではないか、左太夫!貴様覚悟しておけ。
おい地図は無いのか、ボスニア湾の地図じゃ、そんなもん会議の前に用意しとけ!」
正則の怒りは軍首脳らを怯えさせ、左太夫に至っては消え入りたいがごとく身を縮ませ項垂れていた。
「ボスニア湾の塩分濃度は低い、よって氷点下30度ならば今頃艦隊は氷に閉ざされ身動き出来んぞ、これはまずい…下手すれば艦隊は全滅の憂き目に遭うやもしれん」
「それで救難には向かったのであろうのぅ」
「はっ、ドーバー港より救援船が向かったのですが…残念ながらストックホルム以北のボスニア湾は厚い氷に閉ざされ戦艦をもってしても砕氷困難と現在バルト海のゴットランド島まで後退し待機しておるよし、なおゴットランド島まで後退した理由はフィンランドのトゥルクからロシア艦隊およそ30がバルト海入口周辺の警戒に出張ったためであります」
「何とロシア艦隊が…これはただならぬ事じゃ、スエーデンへの刺激がフィンランドまで脅かす結果となったのか…、これでは日蘭連合艦隊はボスニア湾奥に袋の鼠じゃぞ、下手をするとロシア本土戦前にボスニア湾で開戦になるやもしれぬ…」
5月22日、日蘭連合艦隊はスエーデンのウーメオー沖40kmを南下していた、この辺りはボスニア湾では最も狭く、島々に遮られた隘路は広いところで30kmに満たない。
連合艦隊はその隘路中央を速度10ノットで南下していた、氷は1mを超えいつ止まるかしれない航行に船員等の怯えは頂点に達していた。
氷の無い海に出るにはまだ500kmもあり…それは気の遠くなる距離に感じられた。
5月23日、吹雪が止み11日ぶりに空は晴れた、しかし気温は氷点下25度まで上がったが依然外には出られなかった、艦上には4mを越える雪と氷に埋め尽くされていたからだ。
また除雪に出る者はいなかった、多くの兵が肺炎と凍傷で寝たままだ、しかし食料だけは豊富に積み込まれていたため飢餓の憂いが無いだけ幸いである。
5月24日午前11時、無線が使えぬためケーニヒスベルグへ連絡機を飛ばそうと航空母艦の飛行甲板除雪が各鑑の健康な者らを募って開始された
午後2時、氷に固まった雪は岩の様に固く滑走路の除雪はようとして進まず午後5時に打ち切られた。
翌朝も空は晴れ外気温は氷点下20度まで上がり、右にスエーデンの山々が映えた、またフィンランドの深い山も左目前に映えこの海域が如何に隘路であるかが分かり、且つロシア領フィンランドの西端まで僅か20kmの海域を航行していることに驚いた。
午前9時、温度が多少上がったことから除雪作業は開始された。
午前10時、突如左右数百メートルの距離より砲撃音が殷々と轟く、艦隊の兵等はその音に驚愕し窓辺に殺到した、しかし窓は氷に閉ざされ何も見えなかった。
一体何処の国の砲撃なのか…音からして最新の元込め旋条式加農榴弾砲と分かる。
しかし海上は氷に閉ざされいるはず、であるならば攻撃は艦船からではないのか…。
兵等は怯えた、この熱ではとても応戦は叶わない、それでも兵等は軍服に着替えふらふらの体で廊下に崩れ出た、そして甲板へとよじ昇る、その間砲撃は鳴り止まず艦は大きく揺らいでいた。
必至の体で各持ち場に就いた兵等は早々に銃座・砲塔を駆動させようと藻掻く、しかしこれら油圧機関はびくとも動かない。
作動油の暖機運転も無く、さらに全ての艦載砲・機関砲は完全に雪深く埋もれ岩のように凍り付いていたのだ。
仕方なく兵等は小銃を手に甲板上に山のように凍り付いた隙間から海上を窺った。
数千を超える兵と膨大な数のペクサン砲改良型野戦砲が艦両側の氷上に布陣し集中砲火を浴びせていたのだ、為す術の無い先頭艦の長門は全速に切替え海域脱出を試みた、しかしすぐ後の後続艦は輸送艦である、敵も脆弱な輸送艦に炸裂弾の集中砲火を浴びせる、瞬く間に炎を吹き上げ輸送艦は船体中央で折れると舳先と後部を海上に残し中央部は海に没した。
この海域は水深30m程の遠浅海域である、沈没船を前に後続艦は逃げようにも前方を塞がれ身動きが取れない。
その間、輸送艦・揚陸艦に次々と大口径の炸裂弾が命中していく、そして誘爆により大音響を発し横倒しに海に崩れる艦、前部を破壊され前のめりに海に突っ伏し燃え上がる艦…立ち往生した大艦隊は完全に敵の餌食と化したのだ。
そのころ命令系統も寸断され、各艦は仕方なく自力脱出を試みる。
戦艦扶桑と加賀は前艦を擦り破壊しながら斜め横に強引に抜け出す、抜け出すと同時に怒り狂った戦艦扶桑は右手の敵布陣中央ラインへ、戦艦加賀は左手の布陣中央ラインへ進路を取った、そして全速力で布陣する敵の布陣ラインに突っ込んで行く。
これには敵も驚いた、まさか味方艦を破壊しながらこの厚氷を横に切っ裂き逃れるとは予想もしなかったのだ、このとき敵艦航路に近づきすぎた布陣を悔いたが時遅しである、戦艦幅32mが不気味な音を立てながら布陣する兵と大口径榴弾砲を次々に破砕し海に沈めていく。
また傷の浅い巡洋艦・駆逐艦6隻もこれに倣い、舳先破壊などものともせず全速で砕氷しながら敵布陣後方の海を回り込んでいく、敵を氷上に孤立させる作戦をとったのだ。
敵は後退路を断たれ浮き足だった、そこへ迂回した戦艦・巡洋艦・駆逐艦が次々と突っ込んでいく、敵はがむしゃらに砲を射かけてくるがそれでも止まる兆しはなく次々に敵布陣ラインを破砕し海へと沈めていく、しかし艦も無事では済まない 艦橋・砲塔を破壊され無残な姿へと変貌していった。
1時間後、敵の殆どがボスニア湾に沈んだ、敵の生き残りは破砕された幾つかの氷に残る数百の兵のみで、これら敵兵は遮るものとてなく艦上より小銃で次々に倒されていった。
艦隊司令長官代行ロシュセン中将は動けぬ艦の兵等を動ける艦に収容せよと命じ、破壊された艦の生き残り兵の救援を促した。
午後2時、生存者の救援が終わり動ける艦を数えた。
戦艦4・巡洋艦3・駆逐艦2・揚陸艦6・空母2・輸送艦4を含む22艦のみであった、また連合艦隊司令長官 宮本海軍中将が乗った病院船は敵砲撃で大破し沈没、凍った海にその亡骸は見つからなかった。
たった数千の陸兵に日本海軍が誇る欧州大艦隊の半数近くが破壊されたのだ、この責任はスエーデン挑発と無謀な北上を進言したシェルト・ファン・ロシュセン中将とそれに乗り画策に走った左太夫にあった。
彼はケーニヒスベルグに着けば厳しい懲罰が待っていようと覚悟を決め、全軍一列となり旗艦長門を先頭にケーニヒスベルグへと全速前進で向かうよう命じた。
しかし襲ってきた敵兵はどこの国の兵なのかは分からなかった、多分フィンランドかロシア辺りの兵であろうとの観測は流れたが日本海軍の士官や兵等はロシュセン司令長官代行の無能ぶりに憤り、相手国が何処なのかなどよりオランダ将兵らへの敵意の方が勝った。
艦隊はまるで幽霊船の如く全身傷つき船足はまるで引きずるように遅かった、、ドーバー港を意気揚々と船出したあの威容は今や見る影も無い。
ロシュセンは自室のソファーに身をあずけた…そしてこの厳寒のボスニア湾北上は何だったのかと自失茫然の頭に問うた、しかし答えなど見いだせる筈もない。
この時ロシュセンは さらなる不幸がこの艦隊を襲うことを…まだ知らない。




