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四十九.英仏の降伏

 ロンドン・タイムズの記者トマス・チェーニーはロンドンブリッジを北に向かって歩いていた、明日はクリスマスというに街に賑わいはなく雪空と同様 街は灰色に沈んでいた。


以前であれば前方に交差するテムズストリートの両側には盛大な市が並び、年の瀬の賑わいを呈していた、しかし今はその陰さえ無い。


アジア植民地支配を日本に奪われ早や9年が経つ、それまで植民地主義一辺倒で我が世の春を謳歌していた英国経済は経年と共に破綻の一途を辿った、栄枯盛衰は世のならいと言うが…大英帝国の落日は釣瓶落としの如く10年を待たなかった。


橋の右手に見えるロンドン塔の森はおどろに黒く、記者トマス・チェーニーの今の心情を投影しているかのようだ。


昼過ぎから降り出した雪はロンドンの街を白く染め抜きだした、彼は今朝 妻に頼まれたクリスマス用の雉肉を求めるため下町へと足を向けていた。


橋を吹き抜ける風は冷たく、トマスは橋の中頃で立ち止まると外套の襟を立てトップハットを真深く被った、テムズに吹く風は強く黒い川面に荒波を立てている、その黒々とした流れはコンスタンティノープル南のボスポラス海峡を思い起こさせる。


ロンドン・タイムズ社が海外特派員を戦地に送るようになったのはクリミア戦争の頃からであろうか、トマスはこれまでに上海・広東・インド そしてコンスタンティノープルと海外特派員として9年にわたり戦地を渡り歩いた、そして先月初めコンスタンティノープルが日本軍の手に陥たのを機に編集長ジョン・ダレンはこれ以上の在留は危険として彼に戻れのメールを送った。


トマスはロンドンに帰ると一躍時代の寵児に祭り上げられた、それは日本を最も知るイギリス人とされたからだ、ロンドン・タイムズの読者には政治家も多く、彼らは軍人らの歪曲された戦況報告よりトマスが伝えるありのままのアジア戦況の方が腑に落ちた、それは戦争背景また日本の異常躍進について彼なりの洞察・論評を加え執筆したからであろう。


やがて講演に呼ばれイギリス国民の世論にも大きな影響を与えた、だが記事に出来ない裏話や真の戦況、また不甲斐ない軍部の行状記事を掲載するうち…今月に入り軍部より講演が差し止められ、彼の書く記事に検閲さえ入るようになってきた。


編集長ジョン・ダレンは報道の自由を主張し、果敢に軍部に抗議を行ったが元来ロンドン・タイムズは保守系新聞である、オーナーのジョン・ウォルター3世は官僚や軍部からの圧力に屈し先週の初めジョン・ダレンを更迭、編集長の椅子に保守的なロバート・バーンズを据えたのだ。


また記者トマスも姉妹紙である日曜版「サンデー・タイムズ」へ人事異動になった。

トマスがサンデー・タイムズに初出社した日 暖かな窓際に席が与えられた、その日から就業時間いっぱい新聞の端から端まで読む日々が続く。


会社にいても仕事は与えられず、上司は彼の存在すら気付かぬ風を装う、それは人事異動になったとき既に解っていたこと…つまりは自主退社してくれと言っているようなものだ。


トマスはロンドン市街の北ワーシップストリートに古いFlatを借り妻と二人で暮らしていた、また実家はロンドンの街から北に30kmほど離れたエンフィールドに年老いた父と母が農業を営んでいる。


先週 彼は会社を辞め妻と共に実家に帰ると手紙を出したばかりである、トマスは今年49歳になった…もう潮時かと思っていた矢先の左遷人事でもあったのだ。


ロンドン最後のクリスマス…妻は雉肉と言っていたがトマスは奮発して雁丸ごと一匹を購入した、とても二人で食べきれる量ではないが こんな贅沢はこれが最後と思えたからだ。


大きな雁を小脇に抱え家路を急いだ、途中ふと思い出したように立ち止まる…昔 雁の肉を焼いた時 オーブンに雁の油がこびり付き掃除が大変だったと妻がこぼしていたのを思い出した。


妻はそれ以降二度と雁は焼こうとせず クリスマスは雉肉が定番になっていた、ゆえに雁を見せたら妻は怒るだろうと予想され、彼は躊躇し歩みを止めた。


その時、戦地で何度も聞いたあの忌まわしい爆音が聞こえた、トマスの心臓は瞬時に凍り付く、まさかと思うもトップハットの庇を曲げ空を仰いだ。


「あぁぁぁ」思わず声にならない悲鳴が口を突いて溢れる、あの広東やインドの街々を火の海に変えた日本軍の飛翔兵器だ、それも当時より一回り大きい。


(あぁぁ終わった…)直感的に感じた、あれに対抗する術など全く無いことを彼は知っている、広東・インド・コンスタンティノープルであの飛翔兵器の腹から無造作にバラ撒かれた爆発物は恐るべき破壊力で街々を焼き尽くしたのだ。


数分後にはロンドンの街は火の海に沈むだろう、彼は雁を放り出し全速で走り出した せめて死ぬときは妻の側そばで死にたかった、雪が降りしきるシティー・ロードを全速で駆け抜けワーシップストリートの入口へと飛び込む。


そのワーシップストリート両側には多くの人々が家から出て空を見上げていた、彼はその人々に向かい「逃げろ!」と思わず口を突いて出るのを嚥下した、見上げる人々の誰一人としてあの飛翔体の恐ろしさは知らないはず…いや、むしろ知らない方がいいのかもしれない。


あの爆音が聞こえたら、逃げたとしてもこの十数キロ四方は一瞬で火の海になろう、いらぬ事を知り逃避に足掻くより何も知らぬまま蒸発した方がいいと感じたからだ。


妻が待つFlatはもうすぐそこだ、しかし歳には勝てず今にも倒れそうに息が上がっていた、彼はとうとう耐えられず街路樹に手を突き息を整えた、その時 前方の薄明かりに雪に交じって夥しい数の紙片が舞っていた。

(あっ、爆音が消えている…)

反射的に空を見上げる、先程まで見えていた飛翔体がいつしか消えていた。


(あぁぁ助かった…)飛翔体は爆弾でなくビラを撒いて消えたと理解した。

街路樹に背中を預け舞い上がるビラを呆然と見詰める、すると眼に大粒の涙があふれ出す。その時1枚のビラが涙に貼り付いた、トマスはそのビラを手に取り見詰めた、しかし涙で文字が歪み読めなかった、それでも歪んだ文字を辿りつつ、頭では明日の朝 妻がどんなに嫌がろうとも父母が待つエンフィールドに帰ろうと心に決めたのだった。



 テムズ川の畔に建つウェストミンスター宮殿(議事堂)には朝から雪が降っていた。

この時期 議会は冬休みに入り閑散としているはずが今朝に限り議事堂前に続くウェストミンスター橋は馬車でごった返していた。


昨夕のビラ騒ぎで緊急招集が掛けられたのだ、議会は早朝より始まり庶民院と貴族院は別々に日本軍の要求事項を審議し始めた、しかし途中 亡国の大問題であるとして両院別個の審議はまどろっこしいと庶民院議員らが貴族院議事堂になだれこみ喧々がくがくの軍部追求怨嗟に変わっていった。


与党自由党の首相ジョン・ラッセル伯爵は今年10月に2期目に帰り咲いたばかりであった、初め彼は議員等の意見に耳を傾けていた、しかし審議が始まってから5時間近くが経とうというに一向に進まず、遂に大声を張り上げた。


「議員諸君、日本軍は目の前に迫っておる!、こんなとき軍部の責任を追及して何になる、諸君等はビラを見ただろう、要は降伏するか迎え撃つかの二つに一つじゃ、これ以上の討論は無用 よって今から決を採る、降伏か戦争か!。


言っておくが フランスはもうあてにならんぞ、それとオランダが昨日我が国とフランスに宣戦布告してきおった、諸君等 これらより判断し降伏か戦争かを決せよ、議長!決を採ってくれ」


「待った!、首相 戦って勝てるか負けるかも分からんのに採決など出来るか、国の責任者なら敵の詳細情報を我々にもっと知らせるべきではないのか!」

庶民院の一人が怒りに肩を震えさせ叫んだ。


「何を言っておるか!朝から何度も言っておろうが、日本軍は地中海以南全てのアジアを占領し、この地域に50万の駐屯兵を置き、且つ東アジア・東南アジアに兵力70万、さらに本国には100万の兵を未だ温存しておると聞く。


諸君等も新聞で読み また昨夕ロンドン上空に現れたから見たであろう、あの巨大な飛翔兵器がオランダに20、地中海沿岸に80ほどが我が国とフランスに向け飛翔する準備が整えられたと言う。


広東・マカオ・香港が僅か40の飛翔兵器で火の海になったことを考えれば…このたび準備された飛翔兵器100でイングランドの主要都市全ては灰燼に帰すだろう。

ゆえに日本に戦争を挑んで勝てる見込みは敵を本土に上陸させ本土決戦に持ち込むしかないのだ。


しかし兵器・火薬の先進性が違いすぎる、コンスタンティノープルの戦いでトルコ帝国に加勢した我が方の最新鋭アームストロング砲は、敵の縦横に高速移動する戦闘車威力の前に全くついて行けず全て鉄屑になった、このとは諸君等も知っておろうに、兵器・火薬・戦艦・飛翔兵器どれをとっても日本軍には勝てなかった…ならば後は肉弾戦しか無い、ロンドンの人口は現在235万人おる、敵がたとえ50万押し寄せようとも敵一人に4人もかかれば勝てる見込みは皆無とは言えんだろう…。


戦争に賛成すると言うことはロンドン市民全てを犠牲にしても勝ちたい、そんな気構えが無ければ到底勝目はない、其処の所をよくよく覚悟を決め賛否を決して戴きたい、さぁ議長、降伏か戦争か採決を取れぃ!」


首相の言葉に貴族院内は静まりかえった、彼らの顔は土気色に染まり…もはや議員等に生気の欠片さえ見えなかった。




 正則は九段下の大本営部で海軍大臣井上左太夫と空軍大臣の江川英龍、そして大本営統帥の新沼中将と安原少将ら軍首脳4人と英仏降伏後のヨーロッパ施政について話し合っていた。


「無条件降伏の申出期限を来年1月5日としたが…まだ英仏からは何も言ってこんか」

正則は窓辺に見える木々を 朝から降りしきる雪が白く染めていくのを見ながら顎を擦った、髭が数ミリ伸びていた…(今夜は家に帰るか)そんなことを考えながら安原少将を見た。


「もう4日経ちもうすが…いぜん英仏より音沙汰は御座りませぬ」安原少将も髭を擦りながら応えた。


「ふむぅ、英仏は期限ギリギリまで検討しようというのか…愚かなことを、であるならば今夜は皆 家に帰るとするか、どうやら年内の進展は無いようじゃ、しかし堀田総理はアムステルダムに向かってもう羽田を発ったころであろう、ちと早計であったかのぅ。


しかしこのヨーロッパ地図は新版を見る度に各國の領有版図はコロコロ変わり…何が何だかよう分からぬわ、奴等よほど戦争が好きと見える。


特にプロシアかプロイセンか北ドイツ帝国かよう分からぬが…幾つの公国と侯国に分割されておるやら、オーストリア帝国とハンガリー王国も取ったり取られたり、また他の国々も併合したり分裂したり、毎年のようにいさかい絶えず版図が変化しておるわ」

正則は呆れ顔で地図を見詰めた。


「元帥閣下、作戦本部の方では英仏降伏後のヨーロッパ各国への対処は練りに練られておりますゆえご安心下さりませ」新沼中将は自信有りげに応えた。


「新沼よ、儂が狙うは英仏露米の4国のみよ、後の邦などこの4国さえ抑えれば自然と付いてくるものよ」と左太夫が口を挟んだ。


「元帥閣下、降伏期限に10日の猶予はちと長くはありませぬか、オランダと地中海沿岸に控える我が艦隊は出撃命令がなかなか出んことに焦燥頻しきりとの連絡が入っておりもうす、江川よ お主の所も同じじゃろう」相変わらず乱暴な口利きの左太夫である。


「いえ、空軍は出来ることなら無慈悲な空爆は避けたいと存ずる、英仏が降伏すれば数百万の一般市民が助かるというもの…」英龍は地図を見ながら静かに応えた。


「ふん、お主は坊主かよ ここで慈悲など見せたら奴等はいずれ蜂起するに決まっておろうが、儂は紅毛なんぞ根絶やしにしてもかまわぬとさえ思っておるのよ。


それとここで戦争を止めたら折角苦労して運んだ数十万tonに及ぶ武器火薬は誰が本国に持って帰ると言うのだ、儂んとこの海軍であろうが…人の苦労も知らんでぬけぬけと…」


「お前ら寄ると触ると諍いしおって、左太夫よお主の喧嘩相手は光右衛門からいつ江川に変わったのだ、まったく…お主は幾つになっても変わらぬ いい加減自重したらどうだ」正則は左太夫を睨み付けた。


「武器火薬はロシア戦にできる限り温存したいと考えており申す、彼の國は宣戦布告したとしても英仏の如く膨大なる植民地を失った訳でも御座らん、よって俄然立ち向かってきましょう、ロシアの版図は広う御座る 幾ら武器火薬があっても足ると言うことは御座らぬよって」安原少将は左太夫に言い聞かせるように応えた。


「そうじゃのぅ、ロシア戦は苦労するであろう…まっ雪解けを待って6~7月頃よりの侵攻となろうか、それまでにはヨーロッパは完全に管理下におかんとのぅ、それと空軍はロシア国境近くに最低4箇所の空軍基地は必要であろう、また海軍はバルト海を抑えサンクトペテルブルグを早期に攻略せねばのう。


しかし…もしロシアを攻め立てている最中 後方の全ヨーロッパ諸国が蜂起したならば流石に日本とて持ちこたえることは出来ぬであろうよ、よって現存のヨーロッパ侵攻部隊50万とは別にヨーロッパ各拠点を抑える兵は必須であろう、そのところは新沼よ 当然考慮しておるわな」


「はっ、充分に配慮しておりもうす、来年2月にも精鋭40万の陸軍部隊を輸送する準備をそれがしと安原少将で現在進めておりまするよって。


それと米国が南北戦争を終え、最近何やら日本を窺っておる気配頻りであるとボストンの諜報員から連絡が入り、先月20人の諜報員をフィラデルフィア・ニューヨーク・ワシントンに送り込んだばかりです、よって本土防衛にも相応の兵の温存が必要かと計算しておりまする」


「アメリカがのぅ、しかし南北戦争が終わったばかりで彼の國は相当疲弊しておろうよ、儂の見立てでは…日本に攻め来るは最低5年は無理であろう、よってこの間にアメリカを潰したいと儂は考えておるのよ」


正則は言いながら何故か拳を強く握った、彼は昔からロシアとアメリカだけは例え無条件降伏したとて絶対に許さぬと思っていたのだ。

それは元世の日本が味わった戦後の惨めすぎる辛酸を彼の国民らにも味あわせずにはおかないと思っていたからだ。


あの第二次世界大戦末期、日本が負けを認め投降したにもかかわらず中国・朝鮮・北方に於いてロシアが強行した無慈悲すぎる殺戮報復、そして抗うことも敵わぬ一般市民を劫火に焼き尽くした無差別空襲と 見せしめのように原爆を投下したアメリカ。


この二ヶ国のみは誰が何を言おうと絶対に許さぬつもりだ、この時代に落ち発狂の思いに耐え忍んだのは この二ヶ国に報復する機会が必ずやってこようと…またそれに向かって己が持つ全技術を総動員してその機会を掴むべく「希望」にすり替え堪え忍んできたことを…。


それがすぐ目の前にやってきた…しかし最近はその日が近づくにつれ次第に虚しさが募っていくのに何故か惑う正則でもあった。



1866年1月1日、オランダ・アムステルダムにおいて、オランダと日本の首脳が集い、英仏戦争の戦後処理についてアムステルダム会談が行われた。


この席上で、総理の堀田正衡とオランダ首相ヨハン・ルドルフ・トルベッケの名において英仏に対し発される無条件降伏などを求めた全13箇条から成るアムステルダム宣言が英仏に発せられた。


1866年1月5日、英仏はアムステルダム宣言の受諾をオランダの日本公使館を経由し日本側に通告、このことは翌1月7日に英仏の国民にも発表された。


1月10日、イギリスドーバー港に停泊する日本海軍の戦艦長門の甲板上で日本政府全権の外務大臣 大内貫太郎と大本営全権の新沼親太朗 及びオランダの首相ヨハン・ルドルフ・トルベッケ、そして英国の首相とフランス親政全権代表 また英仏軍部代表が宣言の条項の誠実な履行等を定めた降伏文書に調印した、これによりアムステルダム宣言ははじめて外交文書として認定されたのである。


1866年1月25日、日蘭連合軍司令部がアムステルダム宣言の執行のためロンドンとパリに設置された。

同年2月には占領下に置かれたイギリスとフランスを管理する為の最高政策機関として日本・オランダで構成された「ヨーロッパ委員会」が設けられ、日蘭連合軍最高司令官総司令部はヨーロッパ委員会で決定された政策を遂行する機関という位置づけになった。


日蘭連合軍総司令部は、イギリス・フランスを軍事占領すべくイギリスに23万、フランスに24万の兵を派遣し実質的な軍事占領を行うことになり、1875年の日英・日仏講和条約までこの占領政策は続けられたのである。

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