四十八.ヨーロッパ進出の先駈け
翌日、正則は代々木の空軍基地に来ていた、隣は陸軍の第二師団が広大な練兵場を擁しており その練兵場横に空軍基地が併設されていた。
本日は元帥閣下がテスト飛行に臨席されるとあって基地内はおおわらわである。
朝早くから清掃・滑走路の周辺に伸び放題の草刈りやテント設営に多くの兵が駆り出されていた。
正則は10時に飛行場縁のテント横に車を乗り付けた、車から降り立つと江川中将以下 空軍の士官らに敬礼で出迎えられた。
それらに敬礼で返すと早々にテント内に設えられた椅子に案内される、空は快晴である。
「閣下、あれに御座います」と横に並んだ江川が指差した方向に銀色に光り輝くJ9-03Xの機体があった。
「ほーう、実証機にしては美しいフォルムよのぅ、諸元を教えてくれぬか」
「はっ、諸元は複座で乗員は2名、全長は13.10m、全高4.6m、翼幅10.0m、翼面積31.0平方米、空虚重量3,600kg、最大離陸重量7,000kg、動力はJ9アフターバーナー付きターボファンエンジン約48.38kN × 2
性能は最大速度マッハ1.2、高度約10,000mでの水平飛行/クリーン時巡航速度マッハ0.85、航続距離約1,600km、実用上昇限度約15,200m、上昇率4,160m/min」
「分かった、5年前 試験飛行だけで終わったレシプロ戦闘機「隼」の倍の速度か…こりゃぁますます無用の長物よのぅ」
「閣下、そんな昔のことを…もう勘弁して下さりませ」
「よしよし、もう言わぬから早々に飛ばして見せよ」
「それでは」と言うと後方に詰める士官に命令する。
暫くしてエンジンに着火されたのか高い金属音が基地内に轟く、機体はゆっくりと滑走路右端へと進んでいく。
やがて滑走路端でターンすると滑走路中央に位置決めした。
音が次第に大きくなっていく、そして緩やかに前進を開始した。
速度は徐々に上がり正則が見る正面ではランディングギヤ前輪はもう浮いていた。
そして滑走路端まで一気に進むと機体はほぼ30度の角度で大空へ舞い上がっていった。
その爆音はやはりレシプロエンジンとは桁違いである、正則はその音を昔を懐かしむ思いで聞いた。
J9-03Xの機体は陽に一瞬キラリと光り点ほどの大きさになった。
「やはり早いのぅ…テストパイロットは新沼の小倅と聞いたが、そうか」
「はっ、新沼正一郎中尉が志願したので御座る」
「ほーっ、あの坊やがのぅ、知らぬ間に立派な男になったものよ…」正則は出された双眼鏡を覗きながら機体を追いかけていた。
そして双眼鏡では見えぬ距離に飛び去り爆音も消えた。
「閣下、あと二分ほどでマッハ1.2の速度でこちらへ返してきます、恐ろしいほどに速いよって見失いませぬように」江川は言うと己も双眼鏡を手に持ち、テントの正面に走り出た。
正則もそれに倣って椅子を立ちテントから出た、そして双眼鏡を機体が飛び去った方向に構えた。
「おっ、見えた」正則は笑みを浮かべながら現れた黒点を見詰める、高度は500m程であろうか。
黒点は徐々に大きくなる、その速度はやはり尋常では無かった 20秒ほどで基地真上まで来ると凄まじい音を轟かせ一瞬で北の空へ飛び去った。
(んん…やはり凄い、これを西洋の連中が見たらどう思うであろうか…。
量産実機のJ10-01FXはこれ以上の速度だろう、それに今 開発中の各種ミサイルを装備したならもう恐れるものなど何も無いといったところか、しかし隼と同様に相手になる敵機がこの世には存在しない、やはりこの開発も隼の時と同様に陸軍辺りの反対で潰れるじゃろう、まっ100年がとこ早いということか…)
正則は僅か25年で日本の航空技術がここまで進歩したことに正直驚いていた、確かに正則がこの時代に持ち込んだ航空技術資料は膨大な量に及んだが…彼らがそれを咀嚼し己のものにしたとしても航空機技術は総合技術である、材料工学・工作技術・流体力学・航空工学・電子工学、いずれの技術も等速に進化しなければ成り立たないのだ。
しかし…武器開発に関しては同レベルの仮想敵がいてこその競争、特に戦闘機などはその機能上 敵戦闘機以上の性能を模索し開発するにある、だがこの時代…後は言わずもがなであろう。
1865年8月、正則は九段下の陸軍参謀本部に来ていた、そこで陸軍参謀総長の新沼中将と西アジア攻略の諸問題について話し合っていた。
「新沼よ、植民地経営もそろそろ頭打ちとなってきたのぅ、先日小池と会ったがアジア一帯の植民地に売れるものは安いものばかりで高級品は全く売れないという、以前の英国が清国を嘆いたのと同様じゃのぅ、やはりヨーロッパ・アメリカに販路を求めんと日本はジリ貧よ。
して、地中海南域の侵攻は昨年初めから開始しもう1年半以上も経っておるというに、未だバクダート辺りで停滞しておると聞くが…お主ら大本営は今まで何をしておったのか」
「閣下、現在 西アジア攻略の陸軍第一軍団は先月初めバクダートを攻略し現在オスマンの都イスタンブールへと侵攻を開始しておりまする。
しかしながら…ロシアの介入 またエジプトの支援凄まじく、敵の兵力は我が方の十数倍をもって肉弾戦で反撃に出たため兵の消耗著しく遅々として進みませず…。
現在カズィアンティブ辺りで足止め状態に御座る。
為に、第一軍団の3万を割いて黒海とカスピ海に挟まれた領域に兵を展開、ロシアの南下を阻止し また陸軍第三軍団5万がペルシャ湾から侵攻し、アラビア半島全域を占領下に収めたよって第一軍団に合流させもうした。
一方、昨年秋 紅海より侵攻を開始した陸軍第二軍団の兵6万はエジプト・トリポリ・モロッコに侵攻中で、カイロを陥落し現在はバンガージ・トリポリ・アルジェ・タンジェを包囲、陥落は時間の問題で御座る。
よって来週8月19日をもって西の第二軍団の3万と東の第一第三軍団8万でカズィアンティブのオスマン・ロシア・エジプトの連合軍を殲滅致しもうす、閣下申し訳御座りませぬが今月一杯で西アジア全域を陸軍の占領下に置きますよって何卒今しばらくのご猶予を御願い申し上げます」
「新沼よ、そんなことはお主より聞かぬとも分かっておるわ、儂が言いたいのは陸軍だけでこの西アジアを制覇しようとするお主や安原の作戦立ては無理がありゃせんかということよ、海軍・空軍をもっと活用すれば1年半もの長き戦いも将兵5000余も失わずに済んだであろうに…。
お主らが陸軍のみで成し遂げたいと思う気持ちは儂にも分かる、しかしお主等は陸軍を代表する前に3軍を指揮する大本営の統帥ということを忘れとりゃせんか、昨夜 井上と江川の両大臣がお主らの暴走を止めてくれと嘆願にきおった、しかし儂は新沼と安原にもう暫く任せてみよと言い、愚図る二人を何とか返したが…結局明け方まで眠れんかった。
西アジアの侵攻目的は地中海の制海権と豊富な石油資源の独占にある、またこの地をヨーロッパ侵攻の足場として大いに活用したい。
その為には海軍がスエズ運河及びジブラルタル海峡そしてイスタンブールを抑え、空軍がアルジェ・トリポリ・カイロ・レバノンに空軍基地を設営し制海権・制空権を強固なものにしなければならない、そんな折り お主らの陸軍だけが突出し戦功を独り占めしてみよ、海軍も空軍もそっぽを向くというものよ、それとも何か…ヨーロッパ侵攻もお主ら陸軍だけでやると言うのかよ」
「いえ、そんな気は毛頭御座いませぬ…」
「であろう…、ならば今より海軍・空軍に援助して貰え、お主らが左太夫を嫌っておるのは分かっておるゆえ儂から奴には釘を刺しておく、ええか明日の10時ここに左太夫と英龍を呼ぶでな、儂も参加するゆえ忌憚なく討論することよ、分かったな」
「はっ、分かり申した…」
1865年10月10日、陸軍第一・第二・第三軍団は西アジア全域を占領し、進駐軍八万余を各拠点に駐屯せしめ主力はイスタンブールに進駐した。
そして西アジア各所に空軍基地が設営され始め、頓挫していたスエズ運河の工事が再開された、日本からも建設大手3社が膨大な建設機械を携え紅海をスエズへと北上した。
12月2日、ジブラルタル海峡右岸タンジェに設けられた日本陸軍の大要塞より対岸のスペイン ジブラルタル要衝であるタリファ要塞に向け数10発の220mm榴弾が撃ち込まれた。
これを開戦の合図とし、日本海軍の戦艦10、巡洋艦16、駆逐艦18、その他航空母艦・揚陸艦・輸送艦等々その数50有余の艦隊がジブラルタル海峡より侵入し地中海の南岸アルジェ・チェニスへと向かい、また日本の管理下にあるスエズ運河より30有余の艦隊がベイルート・キプロス・イスタンブールへと向かった。
そしてアジア各地の空軍基地より50機を超えるH-20B大型戦略爆撃機と50機のJ10-01FX新鋭戦闘機が地中海沿岸の各地に新設された空軍基地に飛来した。
時を同じくして同盟国オランダに新設されたハーグ日本空軍基地へカラチより飛び立ったH-52B大型戦略爆撃機20機も到着した。
これによりヨーロッパ攻略の準備は整ったのだ、まずはフランスと大英帝国に降伏勧告を行いこれに背けば容赦なく叩きつぶす、これに加勢する国あれば各個撃破する構えだ。
兵器・火薬の量は20年に及ぶ備蓄で憂いは無かった、また兵は本土から30万の将兵を派遣し50万として各拠点に配備を終えた。
12月24日、オランダハーグ空軍基地から4機の大型戦略爆撃機が飛び立った、2機はフランスに2機は英国へ、爆撃機には大量のビラが積載されていた、降伏勧告状であり、それぞれフランス語・英語に翻訳されたものだ。
そして午後4時、クリスマスで賑わうパリとロンドンの街に大量のビラが雪と共に静かに舞い降りたのだった。




