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四十七.南支那から全アジア攻略へ

 広東市街上空では26機の大型爆撃編隊が南から北へ大量の爆弾を雨の如く降らせながら通過し、東に大きく旋回を始めていた。


爆撃機が通過した後は街は火の海と化していた、1000発をも超える500kg重量の焼夷弾をこれでもかとぶちまけたのだ。


爆撃機は東莞上空に差し掛かるとここでも残る爆弾全てをばらまき東の空へ消え去った。


この一部始終を戦艦陸奥の戦闘艦橋から見ていた連合艦隊司令長官 宮本海軍中将は「終わったな…」と独り言のように呟いた。


宮本はこれ以上の攻略は不要とさえ感じた、あの炎の下に人間が生存するとはとても思えなかったからだ。


宮本が若かりし頃の文政12年3月21日昼前の事だ。、

神田佐久間町二丁目の材木商尾張屋徳右衛門の材木小屋より出火した炎は西北の強風にあおられ日本橋・京橋・芝一帯、およそ9平方キロを焼き尽くし翌朝鎮火した、大名屋敷73・旗本屋敷130・町屋の類焼は約3万軒、船や橋も多数焼失し2800余名が焼死した、世に言う文政の大火である。


宮本の家は風上であったため難を逃れたが、目の前でこの大火を経験したのだ、その炎は天を焦がし数町離れていても炎が発する高熱は見物する者等の皮膚を焼き 髪が焦げるほどであったという。


今まさにその大火以上のものが目の前に現出している、それはたった数分で人の住む世界を灰燼させる劫火なのだ。


人とは何と恐ろしい物を創り出すのだろう、この広東の天を焦がす炎に文政の大火が重なり 暫しのあいだ宮本は身の毛がよだつ思いに打ち震えた。


彼は双眼鏡を下ろした、再び肉眼で獅子洋の両岸を辿るように視線を走らせた。

(命令は殲滅か…ならば致し方なし)

宮本は静かに振り返り「予てよりの作戦に従い全攻撃機を発艦させよ」と言い放った。


暫くするとヘリ艦載空母鷹盛、爆撃機艦載空母雲龍などから次々に攻撃機・爆撃機が飛び上がっていく。


それら銀色・漆黒・迷彩色を施された各機体は獅子洋両岸へ殺到すると一気に加速し遡上していった、数分後 霞の彼方に黒煙が噴き上がり 次第にその黒煙は大きく左に曲がりながら燃えさかる広東上空へと繋つながっていった。




 1856年9月末までに日本連合艦隊は上海・寧波・広東・香港・鎮江・漢口・九口・天津・営口・厦門・福州など清国の英仏拠点全てからイギリス人フランス人を放逐せしめた。

またその余勢を駆り電撃の勢いで東南アジア一帯に侵攻を開始、シンガポール・シャム・仏領インドシナ・スマトラ・ボルネオ・ルソンに展開する列強勢力を駆逐していく。


日本連合艦隊主力が日本に帰着したのは翌年の1月であった。

英仏本国からの艦隊来襲をインド洋モルディブ海域で待ち伏せたが、英仏諜報員の情報から両国の出撃は来年3月頃になりそうと知れ、兵3万を東南アジア一帯に駐屯せしめ主力は一旦日本に帰着したのだった。


1857年1月、日本政府はアメリカ・ロシア及びその他の列強に関して18世紀末から東アジアに外交の拠点を持ち、19世紀を通じ東アジアで隠然とした影響力を持っていることを憂い、上海・天津・漢江・温州に拠点を構えるアメリカ・ロシア・ドイツ・ベルギー・イタリア・オーストリアに対しても強烈な圧力を加えだした。


これによりアメリカ・ロシア以外は1月末までに同地を放棄し本国へと引き揚げたがアメリカとロシアの2ヶ国は日本側の圧力は不当とし、頑として清国退去を認めず居座った。


2月2日、日本政府と清国政府は共同の公式文書をもって清国に拠点を構えるアメリカ・ロシアに対し国外退去を求める勧告を表明した、勧告文書末尾には「2月15日までに清国を退去しない場合、これを宣戦布告と見なす」の1条を付け加えたのだ。


これにより、英仏が全く歯が立たなかった日本の宣戦布告を受け反撃に及ぶ度胸など有るはずも無く、2月末アメリカとロシアは渋々国外退去勧告に従い本国へと引き揚げていった。


これにより残るはイギリス植民地牙城とも言えるインドとビルマを残すのみとなった。

大本営は1857年4月20日、東京・名古屋・大阪・呉・長崎・佐世保の陸軍・空軍・海軍の主力部隊を佐世保に終結させた。


それはインド攻略及び英仏連合艦隊をインド洋に迎えるべく日本連合艦隊を再編するためだ、集められた艦隊は42艦という前代未聞の大艦隊となり 将兵5万余と大量の兵器を満載し4月25日佐世保より出撃していった。


5月10日、日本連合艦隊はインド洋モルディブ諸島沖で英仏連合艦隊と激突、僅か2時間余りで敵艦およそ48艦を海の藻屑に葬り、22艦を拿捕し完全勝利を収めた。


そして計画通り5月15日インドマドラス州、16日ボンベイ州ムンバイ、17日ベンガル州、18日ビルマ州ミャンマーのイギリス植民地4拠点へ計7万の日本将兵が上陸を果たし、それぞれの牙城を攻略すべく進撃していった。



 翌年1858年2月、インド・ビルマ攻略を終え、イギリス人をこの地域より完全に駆逐した、これにより日本海・黄海・東シナ海・南シナ海・ジャワ海・インド洋の全域を制海権に収め これにより西洋列強の船をこの海域で見ることはもはや無かった。


しかしオランダ1国のみは日蘭和親条約の有効性により排除はしなかった、これは軍部がオランダ如きは人畜無害と評したからでもある。


1858年5月から開始された日本のアジア一帯におよぶ植民地政策は、東アジア・東南アジア・インド・オーストラリアにまでおよび、この地域に於ける日本人入植者は1961年末までにおよそ200万人を数えた。


それによりこれら地域より産出する豊富な資源は続々と日本に輸出され資源枯渇に喘いでいた官民は潤い、植民地政策の成功にやがて日本は空前の景気に沸き立つことになっていく。


日本がこれら植民地に対し行った各政策とはイギリスがインドに対し行った方法を模倣したものと言えようか。


例えば輸出について言えば、輸出国(植民地)が輸出で潤った黒字を自国通貨に交換させず「未収金」を「外貨建て」で保有させた場合、企業で考えると売上を回収できないまま「売掛金」が「貸付金」として短期の流動資産から長期の固定資産に移った状態となる。


会計上は「売上」として計上されても、実際には売上代金は手元にないゆえ売上高が上がっても手元の流動性は増えない、つまりキャッシュフロー上は苦しくなる。


また「長期貸付金」についても、金利以上の為替損失が発生したり格下げなどにより「引当金」を計上しなければならなくなるが、これはそっくりそのまま国単位に当てはめることが出来るのだ。


ヨーロッパ列強がかつて宗主国として君臨した「植民地主義」を考察すれば、類似する幾つもの事例が見つかる、つまり極めて巧妙に仕組まれたマクロ経済政策により、植民地の国内政治に合う通貨制度を採用させ見えないように富を移転する方法であろうか。


これは植民地銀行を設立したり、中央銀行を設立し金融の支配権を握るという手の込みようなのだ。


そして見えないにように『富』を植民地から宗主国へ移動し、その富で今度は植民地に投資を行い植民地支配を広げ強化し完全支配へと置換して行く方法論だ。


植民地は植民地の金で宗主国に買い上げられていく、この現象を『黒字亡国』と言い宗主国である大英帝国と植民地時代のインドを例に考えれば分かり易い。


イギリスの植民地であったインドは香辛料などの原材料を輸出してイギリスを相手に多額の黒字を計上した。その輸出代金は自国通貨のルピーではなくイギリスの通貨ポンドを使って決済された。


インドがルピー現金で決済を要求してもイギリスは「現金を持っていても金利はつかない、ポンド決済システムで運用すれば金利が付くからお得ですよ」と説得した。


ルピーの為替レートはボンドに固定されていたため、イギリスはいくらインド相手に赤字を出したとしてもルピーが切り上がることはなく、高い輸入コストを負担することもなかった。


インドが輸出によって稼いだポンドの預け先は、その殆どがイギリス国内にあるイギリスの銀行だった、金本位制の下 黒字分に相当する金を保有してもよかったのになぜインドはポンドを持たされたのか…なぜ通貨植民地から逃れられないか。


インドが稼いだ黒字分はポンドのままイギリス国内に貸し置かれ、それがイギリスの銀行から金融市場を通じてイギリス経済のために活用される。


またイギリスはインドから輸入した品物で生活を豊かにすることができた、そして支払ったはずのポンドはそのままイギリスに存在する、つまり銀行預金の名義がイギリス人からインド人に変更されただけなのだ。


イギリスの銀行は預金の名義とは関係なく、預金をもとに貸出金利が得られるのだ。

イギリス人の預金は引き出されてしまう可能性があるが、インド人の預金はたまるばかりである。


輸入によりイギリスの国内生産が減ったとしても、赤字によって流入するポンドは銀行の積極的な貸出を可能にし、赤字分以上の預金、すなわち購買力を創ってサービス産業を拡大することになる。結果として輸入赤字がイギリス経済を成長加速させるのである。


もし、植民地インドが貿易取引で得た輸出代金をルピーにかえて持ちかえる、すなわち資本輸出をしなければインド人の生活向上に使うことができたはずだった…しかしそれはできなかった、これは元世で言う外国為替特別会計に実によく似たカラクリとも言えよう。


輸出で黒字を蓄積したはずのインドは結局、その黒字にふさわしい恩恵を受けることなく、輸入国のイギリスだけが繁栄を謳歌し、輸出国インドは経済が低迷したばかりか、慢性的なデフレに悩まされていった。


以上の如く大英帝国がインドに対し行った新植民地主義的経営を、日本政府はさらに研究先鋭化し植民地経営マネジメントシステムとして東アジア・東南アジア・インドに展開していった、これにより一旦は英仏列強の植民地政策より解放された国々は喜びの内 痛みに気付かぬまま日本に搾取されて行くのだ。


一方、アジアに於ける植民地争奪戦に敗北したイギリスとフランスはやがてアメリカ独立戦争と同様、それまで植民地主義で潤っていた国家財政は次第に破綻していき、ヨーロッパに於ける帝国の威信は地に堕ち、やがて没落していくことになる。




 1863年初夏、正則は久々の休暇を青山の別邸で過ごしていた。

今まで住んでいた永田町の本宅は頭上に首都高速道路が通ることになり、新たに五番町に本宅を建設中であったからだ。


青山の別邸には妻の志津江と長女の糸惠の三人で過ごしていた、長男の清太郎は軍人として上海に赴任、次男の清二郎は陸軍大学の寮に寄宿していた。


長女の糸惠は今年二十歳になり現在 空軍大臣の江川英龍の5男との間に結婚の話しが進められていた。


今日は昼前より江川英龍とその5男 英武が訪れたが、昼過ぎに糸惠と妻そして英武の三人は銀座に買い物に出かけた。


応接間では正則と英龍が婚儀についての打合せをしていたが、知らぬ間に航空談義に変わっていた。


英龍は22年前の天保14年7月 40才のとき幕府陸軍工廠で初めて模型飛行艇を飛ばした以後、航空機製造に完全に魅了されていた。


航空機が三度の飯より好きな正則とこの英龍が会えば航空機談義に至らぬはずは無く、婚儀の話しなどそっちのけで現在深川の空軍工廠で製作されつつあるジェットエンジンの話しに盛り上がっていた。


「ジェットエンジンは18年前より開発を進め8年前には初期型のターボファンエンジンを造り、その後 戦闘機用エンジン要素の研究を開始、高推力重量比を目指してエンジンコア部である高温化燃焼器・高温化高圧タービン・軽量圧縮機の研究を進め、J1からJ8までの実証エンジンを経てようやくアフターバーナーを備えた推力重量比8程度、2基搭載時の推力合計約10tonを叩き出す優れもののJ9エンジンを完成したので御座るよ」


「ほーっ、儂が元世で最後に関わった先進技術実証機ATD-Xに搭載のXF5-1と同性能を出したとは凄いことじゃのぅ、いや大したもんじゃて」


「いえ、これも閣下のXF5-1資料があったからこそで御座る、あれが無ければ材料・加工法の研究は進まず、未だレシプロエンジンの開発に拘っていたことでしょう。


今は量産実機に搭載するJ10エンジンを製作中で御座る、これはハイパワースリムエンジンを目指し、ファン3段、圧縮機6段、高圧タービン1段、低圧タービン1段で構成され、推力は15トン級となっておりまする。


このエンジンは、ファンと高圧コンプレッサー部は部品点数を極限に減らし、且つ高い効率を得るため立型同時5軸マシニングセンターでブレードとディスクを一体加工で作るブリスク構造と致しました。


また航空機用エンジンの熱効率向上策の一つに圧縮機タービン部の効率を上げ、エンジン内部におけるエネルギ損失を減らすことが挙げられますが…。


最も効果的な向上策は、圧力比とタービン入口温度を上げることです、高圧タービンはベーンとロータシュラウドにはタービン入口温度の上限を最大限に引き上げるため高い耐熱性を有するセラミックマトリックス複合材(セラミックマトリックスにシリコン・カーバイドを混合)を採用。


また温度・応力両面から見て最も過酷な条件に曝されるは第1段高圧タービンブレードであるため、これらの材料はクリープ破壊および熱ひずみによる疲労破壊の起点となるタービンブレード長手方向に垂直な結晶粒界を無くした一方向凝固合金、または高温での転位の発生・消滅源として考えられている結晶粒界自体を完全に無くした単結晶合金(SC: SingleCrystal)を採用する予定であります。


これによりタービン入口温度を1,800℃以上にすることが可能になってきました、また圧縮機において軸長をJ9との比で約10%短縮することにより圧縮機体積を削減し更なる軽量化が可能になりもうした。


今テスト中の実証機データー取得後はいよいよJ10-01FX量産実機です、予算もたんと付きましたよって来年以降には実機をヨーロッパの戦地で飛ばすことが出来ましょうぞ」


「そうか それは楽しみじゃ、しかし未だ西洋では飛行機の存在さえ無い時代…そんな時代にジェット戦闘機など本当に必要かのぅ、儂にはお主の趣味の域と感じてならぬが…」


「閣下、そうおっしゃいますな、人は飽くなき技術を探求するもの、そこにその技術が見えておるのにそれを見ない振りは出来ぬと言うもの、その辺りは閣下が一番ご存じの筈…」


「そうよのぅ、お主には見抜かれておるわ ふふふっ、しかし…その戦闘機1機で大型爆撃機が2機も出来るというのに…勿体ない限りじゃて。して、実証機の方のテストは進んでおるのか」


「はい、もう60時間ほどの実証を終え改良も加えた機が明日にも音速を超える予定です」


「そうか、わしも是非見てみたいもの…どうじゃろう休暇も飽きたによって明日は儂にもそのテスト飛行を見せてくれぬか」


「そりゃもう、閣下に見て頂ければ嬉しい限り、是非おいで下さい」


「よし分かった、こりゃぁ明日が楽しみじゃ…」

正則はその昔 元世で初飛行を迎えるときと同様の興奮が胸奥から湧き上がり暫し年齢を忘れ心躍らせた。

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