四十六.南支那攻略の章4
午前8時30分、第二戦隊の香港九龍攻略隊は、第一・第二戦隊が出撃したのを見計らい船首を北に緩やかに取り 長門を先頭に20ノットの速度で進み始めた。
右に南Y島の西端がくっきりと見えてきた、その奥には香港最大の榕樹湾要塞が待ち構えているだろう。
榕樹湾要塞は香港諜報によればイギリスが3年前に建てたマーテルロー様式の3階建要塞で、構造は円形を成し厚いレンガの壁で頑丈に造られ、32ポンド艦砲程度には充分耐えられる強度を有するという。
要塞は南西守備要塞と西北守備要塞が50mの距離を置き2棟そびえ、西博寮海峡へ侵入する全ての艦船が視野に収まる高みに築かれていた、そして西博寮海峡を挟んだ7km沖の喜霊洲の大砲台と協力し海峡を航行する不審船1艦たりとも見逃さない体勢を敷いていた。
その要塞1階部分は弾薬庫と資材貯蔵庫、2階は居住区で調理と暖房のため暖炉が壁に設置されていた、そして3階部分には高初速・長射程で定評のある68ポンドカノンロイヤル砲が回転可能な台座に2門装備されていた。
また要塞を守る守備隊は1棟につき30人の砲兵と1人の指揮官で構成される。
但し、幸いなことに68ポンドカノンロイヤル砲の砲弾は榴弾ではなく徹甲弾であった。
榴弾そのものは存在したがカノン砲の高慣性に耐えうる信管は未だ無かったからだ。
ちなみに1858年にアームストロングの後装砲がイギリス軍に採用され、その2年後に110ポンドアームストロング要塞砲が登場、前装滑腔砲時代に終わりをつげたようにもみえたが…、後装砲特有の尾栓の複雑化に伴う強度不足により欠陥事故が頻繁に発生、再び前装砲に戻る羽目となった、ゆえに高威力の後装施条砲の実用はさらに後年となり、ヨーロッパに於いて榴弾が戦争に実用されるのは1900年まで待たねばならなかった。
戦艦長門は西博寮海峡に今まさに進入するところである、戦闘艦橋には第二戦隊司令官の藤川誠之進少将が立っていた、彼は先程から双眼鏡で右手の榕樹湾要塞を見ていた。
距離およそ5km、長門の前備主砲の射程圏内に収まったとの報告を受けたばかりである。
波は静まり夏の煌々とした陽射しは要塞を明るく浮き上がらせていた、言い換えれば百発百中の的とも言えた。
今頃…敵も望遠鏡でこちらを見ているはず、あと2kmも進めば口径210mmの68ポンドカノンロイヤル砲の射程に入る、そしてその砲口は先頭艦にある長門へと向けられ 敵砲兵は固唾を呑んで砲撃の合図を待っているのだろう。
しかし備える砲の性能が違いすぎた、長門の41cm連装主砲の最大射程は38kmというこの時代には有り得ぬ長射程だ、従って5kmの距離であれば要塞の何番目の窓を打ち抜こうかという程の高性能ぶりだ。
藤川司令官は双眼鏡を下ろすと隣に立つ大島参謀長に「砲撃せよ」と静かに命じた。
暫く待つうち長門の前部に構える41cm連装砲上下2基が不気味に動き出した、その動きが止まったかと見えると数秒後 大音響の火矢が連続して4発噴きだされた、猛烈な煙を吐出しながら砲身は激しく後退し巨艦を震わせた。
藤川司令官は再び双眼鏡を眼に当てる、そして小さく「おおぅ」と吼えた、その声につられるように大島参謀長も双眼鏡で要塞方向を見る、しかし要塞の台座と思しき煉瓦は僅かに見えたが…要塞本体は煙だけ残すも影も形も見えなかった。
主砲たった4発でイギリスが誇る大要塞は跡形も無く消え去ったのだ、続いて左側の喜霊洲の大砲台も戦艦伊勢の35.6cm連装主砲数発で瞬く間に地上より消え去った。
第二戦隊は砲撃を終えると再び20ノットに速度を上げ北上を開始、香港島西端の青洲沖2kmを目指す。
爆撃機艦載空母「神鷹」の飛行甲板上で新沼正一郎少尉はこの砲撃を双眼鏡で見ていた。
そして戦艦長門の主砲の威力に舌を巻いていた、たった4発で煉瓦造りの強固なる大要塞が一瞬で吹き飛ばされるのを目の当たりにし…その圧倒的な力に戦慄さえ覚えた。
今朝の海戦しかり、敵の弾が届かぬ遙か遠方の安全圏で 狙撃とも言える狙い撃ち、敵艦載砲は一門足りとて撃たぬ間に成すべもなく海の藻屑と消え去った…まるで石つぶてと高性能狙撃銃の撃ち合いに似たり、技術の差は圧倒的で初めから勝負にならない。
新沼少尉は首を傾げた、何故これほどひ弱なイギリス海軍を世界中は恐れるのだと、また脆弱極まる木造帆船に時代遅れの青銅砲を載せて粋がるこの程度の連中が 全アジアを席捲し、偉そうに奴隷貿易だ植民地だと収奪の限りをつくす…、このバイキングの如き蛮行に日本はなぜ今まで黙って見ていたのかと…。
崇明島から爆撃機が大挙来襲し、絨毯爆撃を開始したなら香港・九龍のイギリス人らはこれに対抗する術などあろうか…いや 有る訳が無い、対抗する戦闘機どころか高射砲の存在さえ知らない連中に一体何が出来るというのだ。
それはもはや無知なる小動物を焼き殺すに似たり、無慈悲過ぎる行為だろう…。
新沼少尉は思う、日本は何故こうもむきになってイギリスを叩くのかと…これほどの軍事力を有する日本ならば、その一端を敵に垣間見せるだけで敵は恐れおののきこのアジアから撤退するだろうにと。
父も海軍軍令部総長の安原少将も余りにも大人げないと新沼少尉には思えるのだが。
しかし新沼少尉は知らない、彼の生まれた頃の日本は このイギリスという大帝国を前に、震えおののき為す術さえ知らぬ辺境未開の国であったことを…。
やがて第二戦隊は香港島西端の青洲沖2kmに布陣した、時間は午前9時30分。
崇明島からの来襲は午前11時と聞いていた、あと1時間半 新沼少尉は搭乗する艦上爆撃機へと歩きその勇姿を見上げた。
まだ主翼は折りたたまれているが後1時間もすれば大空に舞い上がっていよう、少尉にとっては初めての実戦である、胸の高まりは抑えようも無かった。
空母後方にカタパルト爪が見え周辺に蒸気が立ち上がっていた、各機体には最大積載800kgギリギリまで爆弾は搭載される、ゆえに200m程度の短い飛行甲板では爆弾満載状態で離陸することは困難だ。
それゆえカタパルトを使うのだが…新沼少尉はこの叩き出すようなカタパルト離陸は無様に過ぎ好きでは無かった、また発艦時の失速の危険も伴い これから戦闘に及ぼうかと言う時にいらぬ神経を使うことには嫌悪さえ覚えるのだ。
(しかし大型爆撃機による絨毯爆撃のあと…我々の出番など有るのだろうか)
もし有ったとしても市街より遠く離れた海辺の砲台、或いは爆撃をまぬがれた香港東部の小さな港の各個爆撃程度であろうと思う、父の反対をあれほどまで押し切っての出撃…それほどの価値は無いように思え意気消沈の想いで海を見詰めた。
その時 艦上に放送が発せられた「これより爆撃詳細を通達する、搭乗員らは速やかに作戦室に集合せよ」
新沼少尉はもう一度爆撃機を振り返ると踵を返した。
午前11時東の空に轟音が轟いた、艦上から見る東側はビクトリアピークに遮蔽されているため轟音の主は見えないが明らかに爆撃機の編隊音と分かった。
そして数十秒後 突如ビクトリアピーク山頂より爆撃大編隊が飛び出すように現れた、編隊は艦隊頭上を飛び越えると内16機が小さく右旋回を始め遠方深圳上空辺りをこえるとまた大きく右旋回し大型爆撃機の底部が開いていく、そして大量の爆弾をばらまきながら香港方向に引き返してきた。
高度700程の低空である、次第に爆弾の落下がはっきりと見え始め、その後には数百メートルも噴き上がった凄まじい黒煙が後を追う様に走って来る、編隊はまたたく間に九龍市街上空から香港島のビクトリアピークをかすめ南方へと消えていった。
投下された爆弾は500kg爆弾であろうか、破裂と同時に白い閃光を発し次いで赤火が舞い上がると黒煙が数百m上空へ噴き上がる、それが数百mの幅で霞の彼方より噴き上がりながら凄まじい勢いでこちらに押し寄せてくるのだ、その様は恐怖という形容は拙劣に過ぎようか、艦上で見詰める兵等の口は大きく歪み声にならない悲鳴を上げていた。
飛行甲板で出撃のため爆撃機の操縦桿を握る新沼少尉も この絨毯爆撃には体が引けるほどの恐怖を感じた、西九龍5km沖に停船するこの母艦でさえその衝撃波で大きく揺れ、為に少尉は操縦桿にかじり付いたほどでだ。
投下された爆弾の数は1千数百発に及び、爆撃編隊が通過した街々はまるでベルトを燃やしたように帯状な巨大な炎を上げていた、あの吹き荒れる地獄の業火の下では虫一匹たりとも生残る事は出来ないだろうと新沼少尉には見えた。
午前11時40分、街の火災が下火になったのを見計らうように出撃命令が下された、
巡洋艦鞍馬、揚陸艦小倉・中津・天草が進撃を開始する、遅れて戦艦長門・伊勢、ヘリ艦載空母の海鷹、爆撃機艦載空母神鷹などが発進した。
そして西九龍沖1kmと迫った所で各鑑は停船し、揚陸艦小倉・中津・天草の数隻は転回を始め船尾のゲートが開けられていった。
暫くして艦内からエア・クッション型揚陸艇が次々に滑り出てくる、その揚陸艇には軍用トラック・戦闘車・自走榴弾野砲が満載であり、次々に兵を乗せた上陸用舟艇も滑り出てきた。
また兵員輸送の大型ヘリも続々と発艦し遅れて爆撃ヘリ・戦闘ヘリも飛び立ってい行った。
新沼少尉は爆撃機の操縦席でその光景を見ていた、こんなちっぽけな街に一体何千人が上陸するというのだ。
大本営が言う「殲滅」という命令はこんなにも容赦の無いものなかと戦慄を覚えずにはいられなかった。
その時空母の飛行甲板前方に掲げられた離陸表示灯が黄色く点滅しだした、発艦の合図だ、彼はスロットルを2/3に倒し椅子に背中を強く押し当て発射に備える、黄色の表示灯が赤に変わった、その刹那 背中を蹴られる様な加速度が襲う、彼はそれに耐えつつエレベーターを軽く引く。
カタパルトに弾かれるように海上へ突出した瞬間 フルスロットルに倒す、機体は一瞬沈むもエレベーターの軽い引きで機体はフワッと浮き上がり徐々に高度を上げていった、Gは軽減し左手に燃えさかる街並みが見えてくる、彼はそれを横目に見ながら機体を大きく傾かせつつビクトリアピークへと駆け上がっていった。
彼の任務は香港島東部の港湾ドックで現在イギリス戦艦2隻が修理中との諜報に基づき その戦艦爆破と柴湾周辺の港湾施設破壊にあった、爆装は250kg爆弾2発と翼下に60kg爆弾5発を積んでいた。
数分で香港島の東端が見えた、彼は柴湾を探す 予め頭に叩きこんだ地図からすぐに柴湾は知れた、機は一旦 藍塘海峡へ抜けると左エルロンを踏み込み機体を大きく倒しながら柴湾を正面に望む位置へと旋回していく、すると正面に諜報通りのスループコルベット艦2隻がドックに並んでいた。
新沼少尉は急降下に移る、耳奥にキーンと気圧音が走った。
目標艦まで距離800、後部座席の伊藤飛行兵曹長に「用意!」と叫ぶ、照準器を覗いていた伊藤曹長は「おおっ」と応えながらギリギリまで引きつける、そして限界点で爆弾投下ハンドルを引いた。
そのラッチ音と機体が一瞬フワっと浮く感覚に新沼少尉はエレベーターを目一杯に引いた、機体は唸りを上げスループ艦マストを擦過した、一瞬で艦を飛び越えると眼前には大潭山が大きく迫って来た、新沼少尉は祈る気持ちでエレベーターを引き続ける、機体は山の斜面をギリギリ這うように擦過し大空へと飛び抜けていった。
後方で破裂音が轟く、伊藤曹長はそれを見て「着弾!」と叫んだ、新沼少尉は緊張に青ざめていたが その声に一瞬引きつるような笑みが零れた。
新沼少尉は機体を大きく左に傾け先と同コースに乗った、そして次のスループ艦を狙い再び藍塘海峡へ飛び込んでいった。
午前11時、パークスは馬車で獅子洋左岸の石楼に来ていた、最近造られたばかりの石楼砲台を見るためだ。
石楼は獅子洋が珠江口に注ぐ河口から30kmほど遡さかのぼった所に有り、そこに砲台が4基築かれていた、そしてその4門の砲口は獅子洋下流へと向けられていた。
パークスはそれを頼もしげに見詰める、もし海戦で英仏が遅れを取ろうとも敵がこの獅子洋をさかのぼり広東に肉薄することは絶対に不可能と覚えた、それほどにこの砲台の威容は頼もしげに見えたのだ。
「まだ海戦の結果は分からぬのか」と出迎えに出た砲台管理官にパークスは問う。
「はっ、いまだその報告はここには来ておりませぬ」
「遅いのぅ…もう3時間以上も経とうというのに」パークスは目尻に皺を寄せ、苛つきを隠せぬ顔で獅子洋下流域を見つめた。
そのとき、その下流域上空に幾つもの黒点を認めた。
初めは渡り鳥と思い眼を再び砲塁に転じた、その時微かすかな爆音が聞こえた パークスはもしやと…と先程の南の空を振り返った。
(やっ、あれは鳥などではない!)戦慄が脳裏を突き抜けていく。
黒点はますます大きくなっていく、そして獅子洋の河口上空辺りで黒点の一部は左方向に分かれ 残りの黒点は右手広東方向へと向かっていく。
数分後黒点は明らかに飛翔兵器と分かるまでの大きさに近づいていた、その時 左手 深圳辺りに黒煙が噴き上がった、その巨大な黒煙は香港島へと向かっている。
パークスはその光景に眼を剥いた、即座に飛翔体からの爆弾投下と理解出来たのだ。
(ということは…)
パークスは今まさに右手上空を通過中の数十もの飛翔体に眼をやった、それは巨大な飛翔体でありその翼は優に40mほどもあろうかと見えたのだ。
次いでその飛翔体胴体の中央付近が開くのが見えた、飛翔体群はあきらかに広東に向かっている、その機影が小さくなりかけたとき北の天が一瞬明るく輝き 次第に北の台地そのものを覆い尽くすような巨大な黒煙が舞い上がった。
巨大なる黒煙は真っ赤な炎へと変わっていく、その様はパークスの眼には地獄の業火に映ったのだ。




