四十五.南支那攻略の章3
午前6時10分、ヘリ艦載空母海鷹の戦闘ヘリ30機は連合艦隊後方に位置する敵艦14隻の動きを封じるため高度500・速度250km/hで敵艦へと向かった。
向かうこと5分足らずで北上する敵戦列艦14隻を発見、戦列艦は縦1列で日本連合艦隊を追尾していた。
戦闘ヘリ30機は戦列艦左側方500m 高度500mで1列編隊を組み敵上空に進入する、そして戦列艦と並行して並んだときホバリングに移った。
戦闘ヘリはそのまま機首だけ90度転回し戦列艦方向に向ける、ホバリングから戦列艦速度に合わせ横スライドに流し始めた。
戦列艦乗組員らは突如側方上空に現れた夥しい数の飛翔体に眼を剥いた、上海からの情報で空飛ぶ飛翔体兵器のことは聞いていたが、しかし目の当たりにするのは初めてだ。
即座に右舷側の砲眼が開かれ砲が突き出されていく、そして飛翔体に狙いを定めようと砲迎角が上げられていった、しかし途中迎角限界に達し断念された、飛翔体高度は戦列艦から45度の迎角に位置していたからだ。
戦列艦の兵等は砲撃を諦め最新鋭のエンフィールド銃の応戦に切り替えた。
この銃は先込め式小銃で口径は14.7mm、3年前にイギリス軍の制式小銃として採用された最新銃で、使用する実包には工夫が有り、黒色火薬一発分を牛・豚脂が塗られた弾丸と共に紙で包み、その表面を蜜蝋と牛脂の混合物で塗り固めた水気に強い実包だ。
この実包を銃に装填する際は、口で実包の端を食いちぎり火薬を銃口から注ぎ、次いで紙に包まれた弾丸を銃身奥までサク杖で押し込む、そしてニップルに雷管を被せ射撃するのだが、問題はせっかく蜜蝋で固めた実包を破って火薬を取り出さねばならず…雨中での火薬着火性は火縄銃とそれほどの差は無い。
戦列艦から斜め45度に位置するヘリを狙うためエンフィールド銃を携えた兵およそ400が甲板上へと飛び出した、だが雨は本降りへと変わり照準を付ける兵らの目に容赦なく降り注ぐ。
ヘリは雨に曇り見失いがちになるが、それでも一斉射撃を開始する…しかし雨が降る中 銃口は濡れ装填した火薬に不発が続出してくる、また射撃しても高度500に達したときにはさすがのエンフィールド銃弾でも威力は半減しヘリ装甲に跳ね返されていった。
「攻撃開始せよ!」その声がヘリ砲手のヘッドホンを震わせた。
戦闘ヘリ底部に装備された20mm高速機関砲が一斉に吼え始める、撃ち出される弾は20mm×102mmの徹甲焼夷弾だ、毎分2000発 銃身焼けを防ぐため自動的に3秒発射されると休止する仕掛けだ。
敵艦1艦に対し戦闘ヘリ2機が20mm徹甲焼夷弾を連続して叩きこむ、狙いは敵艦砲門付近に集中させた、敵の砲火薬誘爆を誘うためだ。
敵戦列艦は次々に誘爆を起こし艦中央当たりを破壊させていく、また誘爆を起こさずとも徹甲焼夷弾は木造艦の外皮を貫通し船底で破裂噴炎を起こすため火災は免れない。
この攻撃により戦列艦は次々に炎に包まれ、兵らが甲板上を右往左往する様子が見て取れた。
ヘリ攻撃で戦列艦の多くは航行不能に陥り艦隊の進行は止まった、戦闘ヘリは全弾撃ち尽くし使命を果たすと一斉に機首を北に向けヘリ艦載空母海鷹への帰還を開始した。
途中、戦艦長門及び巡洋艦筑波・生駒の3艦とすれ違った、命令は敵艦殲滅である…火災で自由のきかない戦列艦は これら3艦が放つ大口径榴弾を受けたならひとたまりもなく それはもはや餌食に過ぎず、戦闘ヘリの乗員等は何も知らず死地に赴く敵兵を想い…憐憫の情に顔を一様に曇らせた。
同刻 連合艦隊前方ではさらなる惨劇が繰り広げられていた。
攻撃ヘリにより多くの敵艦から炎が上がり、沈みかける船は8艦に及んでいた、この時 連合艦隊主力は敵艦隊との距離5km程にその距離を縮めていた。
戦艦陸奥・伊勢・日向の3万トン級戦艦3艦、巡洋艦鞍馬・伊吹の2艦、揚陸艦秋月・久留米・小倉・中津の4艦と旧式艦4艦より一斉に炎上する英仏連合艦隊に砲撃が開始されたのだ。
敵は雨止まぬ大海原遠方より海面すれすれに飛翔する超高速低弾道に対し打つ術はない、例え100門を有する戦列艦が応戦するとて5kmとは気の遠くなる距離なのだ。
何処から飛んでくる弾かも知れず戦列艦は次々に爆破されていく、それは乗組員が脱出するいとまさえ与えない連射であった。
ヘリ攻撃から10分足らずの攻防である、英仏連合艦隊26艦全ては破壊し尽くされ海の藻屑と消えたのだ。
その力の差は余りにも圧倒差と言えよう、それは海のジオラマに足を踏み入れるに等しかった。
もしハリー・パークスがこの状況を見たのなら…彼は震えながら香港太平山ビクトリアピークに白旗を掲げよと命じただろう。
だが彼はまだ知らない、刻々と迫りつつある天地を揺るがす未曾有の恐怖を…。
雨は上がり雲間には青空がのぞきはじめ、微かすかかな朝の陽射しがベランダを照らしていた。
ハリー・パークスは領事館2階のベランダで総領事のラザフォード・オールコックと 今から行われるであろう日本軍掃討戦の艦隊配置について海図を見ながら話しあっていた。
「後方 厦門アモイより迫る戦艦14艦は現在この辺り…未明に出撃した英仏連合艦隊26艦はこの辺りであろうか…」オールコックは海図を指差しながらパークスの顔を見た。
「このまま進めば7時頃にはこの辺りで海戦が開始されますな…」同様にパークスは海図に記された香港島東方20km沖のポイントマークを指差した、そして冷たくなった紅茶を飲み干す。
「日本側のビラには35艦の勢力で攻めるとあったが…上海よりの情報では どう掻き集めても上海付近の日本軍戦艦は10艦にも満たず、またその多くは長江上流の鎮江・漢口・九口へと出撃に出向いておりこちらに回航できる戦艦は2~3艦程度とあったが、情報の信憑性はどうであろうか」
オールコックは上海からの機密メールを机上に置いた。
パークスはそれを手に取るとざっと目を通す。
「さてどうでしょう…日本本土から応援が駆けつけたやもしれませぬ、であるならば35艦全てが戦艦というわけでなく 遠路を考えれば…多くの輸送船も必要かと、ゆえに戦艦は6割程度の20艦前後と推察出来ましょう」
「20艦か…当方は倍の40艦、ふむぅ…数ではこちらが勝っておるし挟み撃ちの好位置にもつけておる、さて勝てるであろうか」オールコックは考えるときの癖なのか長く延ばした鬢を指で梳ながら独り言のように呟いた。
「いや、是非とも勝って貰わねば、ここで負けたとあれば我等どの面下げて国に帰れましょうや」
「んん…しかし相手の戦艦は3万トンもあるというし、外皮は鉄の装甲と聞いておる…我等の艦載砲が通じるだろうか」依然オールコックは鬢を梳いていた。
「総領事殿、フランスでつい最近建造された装甲艦をご存じでしょうか、この艦は主に陸上砲台との交戦を想定して造られたもので、110mmの鉄板と440mmのオーク材で強固に装甲されておりました…しかし艦体は重く機関は小さいため最高速力はわずか数ノットの浮き砲台でした。
多分日本軍もこれと同様に陸上攻撃を主とした浮き砲台でありましょう、であるならば機敏なる動きの戦列艦の方に分があると言うもの、のろのろ艦の浮き砲台など止まっている的に似たり、集中砲火で蜂の巣に出来ましょうぞ」
「そうであればよいが…それと空飛ぶ飛翔兵器じゃがビラが撒けると言うことは爆弾も撒まけるということではないかのぅ、もしそうであればエライことになるぞ」
「総領事、ビラの重さであれば空もとべましょうが…爆弾ともなれば重さが違いすぎまする、まさか何千キロもの爆弾を積んで空を飛ぶなど有り得ぬ事、鷲が砲丸を掴んで空を飛ぶようなもの、それは庶民が好む風刺漫画に似たり…」
その時 南の空に遠雷の微かすかな轟きが二人の耳に感じられた。
「おおっ、始まったようじゃなぁ、ここからは見えぬか」
言うとオールコックはベランダの南の端へ歩き香港島の東の辺りを見詰めた。
「総領事、ここからだと150kmも彼方ですぞ それに海戦の海域は丁度 馬鞍の山並みに隠れる位置、ここから見えるはずは御座いませぬ」
パークスはオールコックの肩口から遠い海を見ながら声をかけた。
1856年8月23日午前6時50分、日本連合艦隊の諸艦は英仏連合艦隊を香港島20km沖で壊滅させ各鑑意気揚々と合流点を目指していた。
旗艦陸奥を先頭に艦隊は再び艦列を整え始めた、海域では未だ海が燃え おびただしい数の英仏兵が波間に漂っていた、ある者は原型を留めず ある者は腹や背中を見せ浮いている、しかしボートや板に掴まり生存する者も多く 日本海軍の病院船は それら生存者を引上げ治療を施すためこの海域に留まることになった。
午前7時、再び艦隊は動き出した、すでに雨は上がり 雲間には青空が少しのぞき遙か前方に香港島が薄明かりに浮かび上がっていた。
艦隊は速度を25ノットに上げ香港島南にある南Y島の沖5kmを目指す。
日本連合艦隊はこの南Y島沖で3戦隊に分け、第1~3戦隊として香港・広東・マカオの3拠点をそれぞれ正面から上陸侵攻する作戦である。
そのころ上海の長江河口にある崇明島空軍基地では出撃準備におおわらわであった。
21日の夕方、本土より大型輸送艦4隻が崇明島に寄港し膨大な量の爆弾が届けられた、またその翌日には大型爆撃機・中型爆撃機が続々と基地に降り立った。
その数35機…日本中の爆撃機がかき集められた感があった。
崇明島にあらかじめ配備されていた大型爆撃機5機を含め 40機の爆撃機には500kg及び1000kg爆弾が次々と搭載されていく、そして23日午前8時 爆弾を積み終えた40機の爆撃機は滑走路横に1列縦隊に並び 出撃の命令を待ったのだ。
一方東京九段下の大本営では、今週初めより香港マカオ広東の攻略は早期戦の方向に傾きつつあった、それは広東諜報員からの連絡で上海事変の報が英仏本国へともたらされたことにより英仏との全面戦争が早期化する可能性が指摘されたからだ。
これにより大本営はアジアに於ける英仏の拠点機能を早期に削ぐ作戦へと変更を始めた。
それは英仏本国から急ぎ大艦隊が押し寄せようともアフリカ回航13,000海里(24,000km)の距離、当然2ヶ月近くの遠洋航海で敵は疲労困憊の極にあるはず、そのような状態で期待した拠点支援が受けられないと分かれば彼らの戦意喪失は如何ばかりか。
その為には敵拠点全てを破壊し尽くすことが肝要であろう、また香港マカオ広東の清国人及び英仏を除く外国人は22日の夜までに周辺の増城・清元・江門に避難したと広東情報は伝えていた、ここにきてようやく空爆の可能性が論議され始めたのだ。
当初、無差別爆撃は人道にもとると帝国議会での承認は否決されていた、しかし一般市民が避難したこと、そして戦争の早期終結に効果が高いことを受け22日深夜 議会の多数決をもって空爆が承認されるに至った。
大本営はこの承認は当然下されるものとして20日には爆弾輸送艦の出動、そして21日には本土の殆どの空軍基地から爆撃機が崇明島を目指し飛び立って行ったのだ。
午前7時50分、連合艦隊は南Y島沖5kmの海域に停止した、連合艦隊司令長官 宮本海軍中将はビクトリアピーク山頂に白旗が掲げられていないか確認せよと命じた。
暫く待つ内、「白旗は確認できず」の報がもたらされた。
「では予てよりの作戦通り0800をもって侵攻作戦を敢行する、各位戦勝に奮闘すべし!」
全艦に艦内放送がなされると、艦隊は作戦通り3戦隊に分けられそれぞれの攻略海域へと船首を向けた。
第一戦隊の広東攻略隊は、戦艦陸奥・扶桑、巡洋艦筑波・生駒、揚陸艦秋月・久留米・津島、ヘリ艦載空母鷹盛、爆撃機艦載空母雲龍など、上陸兵はおよそ6000。
第二戦隊の香港九龍攻略隊は、戦艦長門・伊勢、巡洋艦鞍馬、揚陸艦小倉・中津・天草、ヘリ艦載空母の海鷹、爆撃機艦載空母神鷹など、上陸兵およそ5000。
第三戦隊のマカオ攻略隊は、戦艦日向、巡洋艦伊吹、揚陸艦大隅・阿蘇など、上陸兵およそ4000。
まず最初に動き出したは第一戦隊の広東攻略隊である、旗艦陸奥を先頭に各鑑がその後に続いた。
艦隊は大嶼山と桂山鎮の間を抜け珠江口に侵入、獅子洋河口に至る計画でその距離はおよそ100km、午前11時に到着予定だ。
第一戦隊は途中 珠江口左右の担杆島砲台・赤湾右砲台・碧海砲台・金星湾砲台を艦砲により撃破しながら獅子洋河口に入り、そこから艦上爆撃機及び爆撃ヘリ・戦闘ヘリを飛ばし広東市街まで続く獅子洋の両岸に点在する砲塁・堡塁を各個撃破していく。
12時、艦隊は獅子洋の遡上を開始、その頃広東市街は崇明島よりの空爆で火の海と化していよう、そして艦隊は獅子洋河口より50km遡上した左岸 湛沙尾より上陸し一気に広東を攻め落とす作戦だ。
一方、第三戦隊のマカオ攻略隊は第一戦隊と同様 大嶼山と桂山鎮の間を抜け珠江口に侵入、桂山鎮・三角山島の砲台を艦砲にて破壊しながらマカオ沖5kmへ接近、その航行距離およそ50kmと近く 約1時間半の海路である。
マカオ沖5kmの位置よりマカオの左右に築かれた大潭山と石花山の要塞を戦艦日向・巡洋艦伊吹の主砲で徹底的に破壊し尽くす、次いでポルトガル植民地時代の名残であるマカオ市街の東望洋砲台とモンテ砦の大要塞を艦砲射撃しつつ接近、澳門東岸に接岸し この地より兵4000が上陸、一気にマカオ全域を占領する計画である。
また第二戦隊の香港九龍攻略隊は上陸地点が最も近く僅か30kmの距離にある。
まず西博寮海域に侵入、榕樹湾の大要塞及び喜霊洲の大砲台を戦艦長門の41cm連装主砲と伊勢の35.6cm連装主砲で叩きつぶして北上、香港島西端の青洲沖2kmで停船し崇明島から来襲する香港・九龍の空爆を待つ。
空爆が終わるのを見計らい西九龍桜桃の海岸及び香港島北部の上環地区より上陸を開始、香港・九龍を殲滅した後その勢いで深圳・東莞を攻略しつつ広東の第一戦隊と合流する作戦だ。




