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四十四.南支那攻略の章2

 8月23日午前6時、連合艦隊後方に位置するヘリ艦載空母「鷹盛」から発進した哨戒ヘリから緊急連絡が入った、「艦隊後方約25kmの位置に英国艦隊14隻を発見!」の報である、敵の発艦基地は昨日商船を追い抜いた清国南岸に位置する厦門港であろうか。


この報に接した連合艦隊司令長官 宮本海軍中将は首を捻った、厦門に残存する英国勢力は3艦程度と聞いていたからだ、清国のイギリス拠点である長江沿いの鎮江・漢口・九口の敵艦は一昨日のヘリ攻撃で沈没か航行不能と連絡を受けている…残るは厦門・天津・営口の3拠点の戦艦のみ、天津・営口の情報は無かったゆえそこからの援軍か或いは広東から厦門に走った戦艦が我々が通り過ぎるのを見計らい後方より挟み撃ちを掛ける作戦か…。


(木造帆船如きが、小癪な真似を…)中将の顔に不気味な笑みが宿った。


連合艦隊は既に香港島まで30kmの距離に迫っていた。


(さてどうする…後方の敵は無視してこのまま進むか、それともここで迎え撃つか、しかし挟み撃ちとなれば敵は必ずや前方からもやってくるはず…)


中将はやおら立ち上がると控える士官に、「すぐにヘリを飛ばし前方香港島までの海域を哨戒せよ」と命じた。


30分ほどで哨戒機より連絡が入った、連合艦隊前方12kmの位置にイギリス戦艦14隻とフランス戦艦12隻が迫っているという、戦艦はいずれも3層砲列の1等戦列艦が大半を占めるという。


(やはり敵は挟み撃ちにする作戦か…しかしフランスまで出てこようとは、ちとまずいのぅ)


中将は連絡士官にフランスの参戦を大本営へ至急知らせ作戦続行の可否を求めよと命じ艦橋に出た。


双眼鏡を片手に艦橋の縁まで寄り双眼鏡を目に当てた、しかし雨雲が低く垂れ込めているせいか敵艦影は目視できなかった。


(後方に14艦、前方に26艦…この海域に残存する英仏の全勢力が集まったというわけか…予想外の戦艦群じゃなぁ…)


暫くの間 前方に目をこらし波のうねり 風の強さを観察していた、そして敵戦艦数の予想外の増加に 立てた作戦がそのまま適用できるかを考察し始めた。


(敵は1等戦列艦が殆どと言ったな…さすれば乗員800前後 2000トン以上の戦艦ということになるか…)


1850年代、3本マストの大型戦列艦は時代遅れとされその姿を消しつつあった。

そして代わりに新たな蒸気戦艦にその座を譲りつつあり1856年はその端境期と言えよう、しかし極東アジアに於ける戦艦は未だ帆走戦艦が主役でありアジアの後進国には充分通用する強力戦艦でもあった。


戦列艦は非装甲の木造艦で砲門の数でおよその等級は決まる、今回は1等艦と言うならば砲門数は3層砲列100門以上であろう、しかし撃ち出される弾は未だ炸薬が詰め込まれた榴弾は少なく依然徹甲弾が主流だ、また砲眼の制限により砲の迎角は低い。


因みに最大級の1等戦列艦諸元は以下の如くである。

甲板長:65m 全幅:16m 乗員:1,000名 排水量: 5,100ton

武装:118門

上砲列:12ポンド砲34門 中砲列:24ポンド砲34門 下砲列:36ポンド砲32門

その他:8ポンド砲18門、36ポンドカロネード6門


暫く待つ内、大本営より作戦続行の命が下った。

中将はそれを聞くや後ろを振り返り 控える士官に「戦闘ヘリは今何機有る」と聞いた。


「はっ、ヘリ艦載空母の鷹盛と海鷹にそれぞれ30機づつ搭載しておりもうす」


「分かった、では鷹盛の30機を前方へ、海鷹の30機は後方へ飛ばし敵戦艦を出来うる限り叩いて進行を止めよ、弾は徹甲焼夷弾を搭載!。

それと戦艦長門及び巡洋艦筑波・生駒の3艦はこの海域より後進し、戦闘ヘリが進行を止めた後方敵艦全てを殲滅すべし!」


命令は即座にヘリ艦載空母の鷹盛と海鷹、そして戦艦と巡洋艦に伝えられた。

やがて空母から戦闘ヘリが次々に飛び立ち全ヘリが雲間へと消えたとき、それは連合艦隊が香港島まで僅か20kmと迫った位置であった。



 この時代、清国はイギリスを始めとしてフランス・ロシア・アメリカ・オランダ・ドイツ・ベルギー・イタリア・オーストリアとまるで砂糖に群がる蟻の如く西洋列強からの侵蝕を受けていた。


香港・マカオ・広東についてはイギリスとフランスが縄張りを巡らしている為か残る西洋列強等は天津・上海・漢口を拠点化しつつあった。


なお清国での租界形成は上海では早くから進んでいたが、香港・マカオ・広東に英仏租界が形成されるは1860年代に入ってからである。


広東領事ハリー・パークスは領事館2階の窓から南シナ海に繋がる珠江の堤を見ていた、堤沿いは小雨に煙り遠く南シナ海は朧に霞んで見えた。

時刻は午前6時 空はどんよりと黒ずみパークスの心象を映しているようでもあった、そして手には一昨日の昼過ぎ 空から雪のように降ってきたビラが握られている。


ビラには、8月23日朝 日本帝国連合艦隊は戦艦その他35艦の勢力をもって香港・マカオ・広東のイギリス拠点を攻撃する、よって清国及びフランスその他の外国人は速やかにその地を離れるべし、さもなくば巻き添えになろうとも日本帝国は一切保証はしない。

なお、イギリスに降伏の意思有れば8月23日午前7時、香港太平山ビクトリアピーク山頂に白旗を掲げよ。


ハリー・パークスは再び文面を読み返す、何度読み返しても腹に据えかねる文脈である、この奢りに満ちた一方的なもの言いは大英帝国の尊厳を踏みにじるに余りあると言えよう、パークスはビラを握りつぶすと床に叩き付けた、それでも腹の虫は収まらなかった。



 過ぐる7月30日、上海より急使があり日本軍の来襲により上海駐東インド中国艦隊は全滅し、総領事のチャールズ・グレインと艦隊司令官アラン・マクレガー准将及びその兵2000余が俘虜になったと報告があった。


この時パークスはまさかと思った、東の辺境 豆粒ほどに小さい島国にどうしてそのような力があろうか、この大清帝国でさえ膝下に組み伏せる帝国精鋭軍がよもや黄色土人づれなどに負けるわけがないと…。


しかし翌日、上海より戦火を逃れたイギリス商船2隻が広東に帰港、上海情報がさらに詳しく報告され、事ここに至れり上海の崩壊は明らかとなったのだ。


即日ラザフォード・オールコック英国総領事は広東駐東インド中国艦隊の司令官及び香港・広東・澳門の英国軍司令官らを交え緊急会議に入った。


会議の冒頭、上海より戦火を逃れ広東に帰着したイギリス商社員と上海領事館員より日本が宣戦布告に至った経緯、それと上海事変の日本軍攻撃の顛末が語られた。


日本軍の来襲規模・兵装・戦艦、そして空飛ぶ兵器の詳細が語られていくなか特に二万を超える完全武装兵の上陸、三万トンを超える鋼鉄装甲戦艦の出現、それと空を高速飛翔する驚異の兵器の話に至り会議場は震撼した。


語る4人の報告はほぼ一致し、紛れもない事実として会議に臨む者等の怯えは隠せなかった、しかしパークスだけは依然「あり得ぬ話」と納得はしなかった。


今まで日本がそれほどの軍事国家であるいう話など聞いたことも無いし、大英帝国を上回る軍事技術を何故東洋辺境の地などで独創出来ようかと。


彼は皆に向かい「必ず何処ぞの国が陰で糸を引いているはず!」と言い放った。

すかさずオールコックが「パークスよ、では陰で糸引く国は何処であるかと」と問う。


「そ…それはロシア以外には考えられぬ、彼の国はクリミア戦争で我が国とフランスに遺恨を残しておるゆえ意趣返し…」


オールコックはそれを遮るように「パークスよ、ロシアにそんな技術が無いことぐらい判っておろう、それと4ヶ月前に講和会議でパリ条約を批准したばかりではないか…ロシアにそんな余力などもう残ってはおらんよ」


「………………」

パークスは返す言葉が無かった、正直クリミア戦争が終わったばかりなのだ、今更英仏に戦争を仕掛ける愚行など有り得ないからだ。


「そんなことより上海の俘虜救出に向かわねばならん」

オールコックは艦隊司令官マイケル・シーモア少将の方を向いた。


「分かった、これより戦支度し明朝出撃致そう、それにしてもアラン・マクレガー准将程の者がそう易々と黄色い猿に遅れをとるとは俄に信じがたい…」司令官の顔は曇った。


その時、臨席していた商社員が「それは無謀で御座る、上海入口の長江河口は今や日本軍が完全封鎖しております。

河口には1万トン級巡洋艦・駆逐艦数隻と先の空飛ぶ飛翔兵器の基地、また長興島西果園圩には最新鋭の砲塁が6基も築かれ長江を遡上する船は蟻の子一匹通さぬ厳重な構えとなって御座る、いまや河口付近に繋がる東シナ海の制海権は日本が握っておりまする」


「それと、日本軍はこの地及びシンガポール・インドをも引き続き攻略すると公言しておりました、このアジアより英国を完全に駆逐することが目的であるとか…」


「何と…我が国をこのアジアから駆逐するとな!」オールコックは絶句し額を抱えた。


「この全アジアから英国勢力を駆逐…馬鹿げたことを!フランスが黙って傍観する訳がない、アメリカ・ロシアとて同様のはず、そんなこと世界の状況に無知なる辺境の土人づれでも分かろうというもの、公言でなく広言であろうが!」

パークスは唇を震わせ拳で机を叩いた。


「いや日本は真剣に考えているやもしれん、矮小な国土しか知らぬ土人づれに世界の秩序・常識など通用すると思ってはならん、そうアメリカのインディアンを当てはめれば納得出来ようというもの…」


結局会議はめいめいの意見で紛糾し、結果 救援は棚上げされ海防に主力を傾注することに纏まった。


東洋辺境の日本情報に薄いことが、行き着くところ…蛮刀を腰に差す蛮夷民族との情報のみがクローズアップされ、ヨーロッパ文明に染まった者等の想像の埒外へと流れ、詳細なる対処分析は葬り去られたのだ。


しかしパークスだけは会議以降日本の情報収集に精力的に動き回った、どうしても空飛ぶ飛翔兵器が東洋の虚仮威し凧と決着するには余りにもリアルに過ぎたからだ。


人の多くは有り得ぬ事象・現象に出会いその理解を超えると神秘で片付けようとする、しかし唯物論者のパークスはその逆であった、神秘という言葉さえ嫌悪を覚えるのだ。


パークスは日本情報を得ようと清国人の多くに接した、また日本をよく知るオランダ商人・ポルトガル商人にも会った、しかし半月にわたる情報収集の結果 分かったことは日本の情報がこの20年間ポッカリと空白状態にあると言うことだけだった。


(この20年で一体日本に何があったというのだ…)パークスは頭を抱えた。


1853年7月アメリカのペリー代将の訪日、同年8月ロシアのプチャーチン海軍中将の来日、この2件の詳細を知るものは広東にはいなかった、また唯一英国人で1854年9月日本に行った英国東インド中国艦隊司令ジェームズ・スターリングは日本から帰ると狂人扱いされ、その部下と共に本国へ送還され翌年ロンドンの病院で狂死したと記録にある。


当時ジェームズ・スターリングの治療に当たった精神医の記録が若干残されており、医師は狂人として接したのか記録は荒唐無稽感に満ちあふれたものだった。


しかしパークスはここに書かれた記録がもし紛れもない事実としたら…そう考えると全身に粟が立ち体が無様に震えた、何か巨大な黒雲に呑み込まれる恐怖 パークスは本能的に怯えたのだ。


時は無為に過ぎていく、あれから二十日以上が過ぎた…日本が攻めてくる緊張感は次第に薄れていく、現に領事館内でもあれは日本の広言に過ぎないといった憶測が流れ始めていた。


しかし沿岸の防備は着々と進み、南シナ海に面した海岸には幾つもの砲塁が築かれ殆ど完成をみていた。

またインド洋及びマラッカ海域に散っていた多くの戦艦も呼び寄せられ、澳門と香港島を結ぶ海域には常時20艘を超える戦列艦が昼夜を分かたず哨戒にあたっていた。


そして8月21日、空から大量のビラが降ってきたのだ、パークスは見なかったが多くの領事館員ははっきりと飛翔体を認め、その飛翔体は信じられない高速であったという。


飛翔体は香港太平山の山頂遙か上空に現れたと見るや みるみる近づきビラを大量に降らせながら香港・深圳・東莞・広東・佛山と左回りに大きく弧を描き南シナ海へと消え去った、その時間は僅か40分足らずであったという。


飛翔体が通過した距離は何と300km、それを僅か40分足らずで通過するとは恐るべき飛翔速度である。


パークスは震撼した、今度はビラという紛れもない証拠が残されたからだ、またこれを撒いた高速飛翔体をどうして凧などと言う虚仮威しとして処理出来ようか。


ようやくオールコックや軍部もただならぬ事態と気付き始めた、今回はビラであったが…もしこれが爆弾であったなら防ぎようが無い、戦慄はもはや止めようもなかった。


オールコックは即日広東駐フランス領事に会い、今回の事態を説明し援助を申し出た。

この事態はフランス領事館と広東駐在フランス軍の間でも問題となっており参戦可否は紛糾していた、それは上海では中立の立場を取ったからだ。


オールコックは日本の野蛮性を説き、中立を守ったとしてもこの広東に居座る限りいずれ貴国にも宣戦布告は下されるはず、自国のみ戦火を免れるなど有り得ず!、と強く言い放った。


これにはさすがのフランス総領事も折れ、助成すると約した、結局 香港・澳門・広東から避難したのは清国人と一部の外国商人ばかりだった。


また東インド中国艦隊司令官マイケル・シーモア少将は戦艦11隻を厦門に走らせた、日本艦隊は必ず台湾海峡を抜けてくるはずと読み、香港島手前で挟み撃ちにする作戦を立てたのだ。


そしてとうとう8月23日、決戦の朝を迎えるのである。

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