四十.黄浦江の攻防
長江はチベット高原を水源域とし大陸の華中地域を緩やかに流れ東シナ海へと注ぐ、全長は6300kmと長大で最下流部の異称である「揚子江」の名で広く知られている。
上海はこの長江支流の黄浦江を遡ったところにあり、アヘン戦争を終結させた1842年の南京条約により条約港として開港し栄えていた。
ここにイギリスやフランス・アメリカなどの上海租界が形成され大陸の窓と例えられるまでに発展したのだ。
その上海租界の玄関口は外灘と呼ばれた。
この外灘は黄浦江の要衝にあり、香港を拠点とする英国東インド・中国艦隊の上海駐隊基地として多くの戦艦を擁し大英帝国の威信を内外に誇示していた。
この外灘の一等地に拠点を構えるのが英国駐 上海総領事館である、この領事館を中心に英・仏・米共同租界が形成され産業・経済の中心として繁栄を謳歌していた。
上海はこの時代 東洋で最も短期に発展した都市と言えようか、その発展の原動力は運河状に長江そして東シナ海へと注ぐ利便性の高い黄浦江有っての隆盛とも言えた。
この利便性の高い黄浦江河口は長江河口右岸へ繋がり、その正面を塞ぐように形成された沖積島があった、崇明島・横沙島・長興島の3島である。
三つの沖積島の中で最も大きい島が崇明島であり面積はおよそ1225平方km、東西80km南北15kmの長方形を成し、沖積島特有の山も丘もない標高3m~4mの平らな島である。
故に飛行場建設には最も適している島と言えよう。
第一次上海攻略機動部隊は1856年7月22日午後12時50分、この崇明島東端 東シナ海に面した陳家鎮の砲塁・堡塁を艦砲射撃し僅か1時間足らずで攻略を果たした。
攻略後 それぞれの部隊は陳家鎮南の小さな港と その南の小島である横沙島・長興島の浦に分散投錨しそれぞれの島へと上陸を果たした。
陳家鎮に上陸した兵およそ2000は陳家鎮東端のイギリス軍堡塁と砲塁を徹底的に破壊し次いで陳家鎮の村へと進撃、民家へ逃げ込んだイギリス兵の掃討に及んだ。
しかし村の西側に深く広がる鬱蒼たる雑木に紛れ、およそ100の敵兵は島西方へと逃げ散った。
工兵施設科の兵等は島へ上陸すると大量の建設機械・資材を陸揚げし破壊された堡塁跡をブルトーザーでならし其処へおよそ1000人余を収容出来る幾つもの大型テント・トイレ・シャワー場・食堂の設営に取りかかっていった。
また崇明島攻略部隊は砲兵隊と合同で戦闘車・自走式野砲を携え崇明島完全攻略のためイギリス兵が逃げ散った島西方へと進撃していった。
その他、横沙島と長興島に於いても同様の設営と島攻略が始まり、イギリス軍の全面反攻が予想される48時間後を目処にこの3島を完全攻略し、上海の入口黄浦江河口を完全封鎖する作戦を遂行していったのだ。
長興島・黄沙島ではイギリス軍の反攻はほとんど無きに等しく、翌日昼過ぎには2島の攻略を終えた。
そして上海入口といえる黄浦江河口に対し、その対岸である長興島の西果園圩に砲塁6基を築き52口径155mm榴弾砲を上海中心に向け6門配置したのだ。
この榴弾砲は有効射程30kmと長射程の最新砲であり上海全域を完全に射程圏内におさめたことで上海攻略の掩護砲塁と言えよう。
一方、前線基地の各施設を完了させた工兵施設科の兵等は次いで崇明島に2500m級の滑走路及び飛行場施設の建設に力を注いでいった。
また陳家鎮より西方へ逃れたイギリス兵を追う島攻略合同部隊は2日の後、島西端の躍高新村まで進み、途中多少の抵抗は有ったものの予定通り崇明島の完全攻略を終えた。
これにより長江河口の3島は第一次上海攻略機動部隊が完全に抑えた形となり、黄浦江奥に基地を構えるイギリス海軍主力部隊は上海から海へ逃げることはほぼ不可能になったのである。
7月25日朝8時、第一次上海攻略機動部隊は長興島の西果園圩沖に集結した、その浦から黄浦江河口までは約7kmの距離にある、朝9時戦艦長門を旗艦として扶桑・伊勢そして巡洋艦2隻、戦車揚陸艦2隻・強襲揚陸艦2隻がその後に続き黄浦江河口を目指した、いよいよ上海攻略の幕が切って落とされたのだ。
艦列は注意深く長江を渡河し黄浦江河口に迫った、そして河口が目前となったとき前方800mにイギリス帆走フリゲート艦4隻が河口を塞ぐ様に横向きとなり立ちはだかっていた。
この4艦は日本艦隊を威嚇するが如く側舷に居並ぶ無数の砲門を陳列し、通れるものなら通ってみよと言わぬばかりの臨戦態勢を布いている。
旗艦長門の戦闘艦橋には機動部隊司令官の藤川少将が立っていた、そして隣に立つ大島参謀長に双眼鏡を渡しながら「帆走戦艦たった4杯で我が軍を迎え討とうと言うのかょ、日本も舐められたものだ」と嘆息した。
その時、黄浦江河口右側の岸辺から幾条の煙が噴き上がった、そして数秒後シュルシュルという奇っ怪な音と共に長門の前方200m付近に大きな水柱が数柱立ち上がった。
「おっ、撃ちかけてきたな、やはり帆走戦艦は虚仮威しで敵の主力は河口岸辺の砲塁陣地のようだ…おや…あれは呉淞砲台か」言いながら参謀長から双眼鏡を受け取ると藤川少将は煙の噴き上がった方向を望む。
「たしか呉淞砲台には阿片戦争当時に清国が残したという800ポンド巨砲があったと聞くが…今でも使用に耐えるのであろうか」藤川少将は砲台を探すように双眼鏡を左右に動かし始める。
「司令官殿、この時代に前装の800ポンド砲は幾ら何でも…、諜報に依れば英国の旧式砲である80ポンド前装式滑腔砲が18門ほど呉淞砲台に装備されていると情報を得ております、よってあれは80ポンド砲でありましょう」
「そうか…80ポンド砲のぅ、して射程は如何ほどじゃ」
「はっ、何せ旧式砲のためギリギリ1200mと聞いておりますが」
「たった1200か…分かった、では二発ほど様子見で砲台付近へ撃ち込んでみよ…それと進路を塞ぐ目障りな帆船4鑑もついでに沈めてしまえ」
「分かりもうした!」言うと参謀長は横に並ぶ連絡士官に命令を伝えた。
暫く待つうち長門の艦前部に構える40.6cm連装砲上下2基が不気味に動き出した、そして上段1基が動きを止めると数秒後 大音響の火矢が放たれた、猛烈な煙を噴き出し砲身は激しく後退しその衝撃を緩和する、それでも口径40.6cmの主砲の発射衝撃は33,800トンの巨艦を大きく震わせた。
そして数秒と経たぬ内 河口右側の岸辺に大爆発が起こった、続けて2発目が発射される…先より少し左に爆煙と炎が上がった。
次弾の爆発は誘爆を起こしたのか連爆状に炎が右へと走った。
「どうやら敵の火薬庫付近に命中のようです」双眼鏡を覗きながら大島参謀長は司令官に淡々と視野状況を説明していく。
続いて連装砲1基目2基目が時をおかず連射された、今度は弾道が低いせいか火矢となった光跡が前方のイギリス海軍帆走フリゲート艦4隻に次々と吸い込まれていくのが見えた、その刹那 巨大な炎が噴き上がり遅れて大音響の爆音が海面に轟いた。
戦艦長門の40.6cm主砲から発射される弾速はマッハ2を超え、その砲弾はおよそ1トンもの重量である、まるで小型乗用車をマッハ2の超音速で叩き付け、同時に弾内部の大容量炸薬を破裂させる…その破壊力は想像を絶するものと言えよう、1500ton級の帆装戦艦如きを粉砕するには余りにも勿体ない砲弾といえようか。
現に先程まで威容を見せていた4隻が浮いていた黄浦江河口にはその陰さえ見えなかった、フリゲート艦4隻は完全粉砕され海の藻屑と消え失せたのだ。
艦隊は雨のように降り注ぐ敵砲弾をものともせず黄浦江河口に殺到した、両岸からはさらに勢いを増し砲弾が降り注いだ、艦隊は高速で河口へと突き進んでいく。
進入する河口幅はおよそ800m、艦隊はその中央を突破していくのだ。
幸い敵の攻撃砲は旧式のため 戦艦に着弾した弾は厚い装甲に次々と跳ね返されていく、しかし艦橋の脆弱部やアンテナなどに当たれば被害は甚大である。
戦艦長門・扶桑・伊勢より両岸に向けて艦砲射撃が開始された、しかし余りにも敵陣地は至近距離のため主砲は使えず小回りのきく副砲が連射されていった。
先頭を進む長門からは口径14cm単装砲18門が両岸に向け火を噴く、また伊勢からは口径12.7cm連装砲8基16門、扶桑からは口径15cm単装砲16基16門が同時に火を噴いた。
瞬く間に黄浦江両岸の敵主力陣地は火の海へと変貌していった、双眼鏡からは逃げまどう兵や河に飛び込む兵など阿鼻叫喚の地獄絵を現出したのだ。
砲撃僅か10分足らずで両岸陣地は沈黙した、察するに壊滅状態にあろう。
ここで揚陸艦より上陸用舟艇の一部が降ろされ兵400余りが両岸主力陣地の掃討に向かった。
ようやく在上海 東インド・中国艦隊の力量が分かってきた、世界に名だたる大英帝国の海軍力とはこんなにも脆弱で前時代的であったのかと喜ぶ以前に落胆した、しかしこの油断・奢りが2時間後に惨劇を生むのであるが…。
日本の軍事技術が西洋列強に進むこと100年余ということは世界中…いやこの度の上海攻略部隊の将兵さえも気付いてはいない。
しかしこの最先端の武器を操るのは一世紀前の人間らである、正則が昔より武器頼みでは戦には勝てないと散々説いてきたのだが…敵を侮り奢りに満ちた突撃が揚陸艦1隻と兵400を一瞬に失う結果を招くとは…。
黄浦江を暫く遡上すると河は急激に左へうねる、そのうねった先に蒸気スクリューコルベット艦1隻そして3隻の帆走戦列艦が河の中央付近で先と同様 舷側を河下に向け艦側部の砲列を誇示するが如く佇んでいた。
その距離およそ2000m、イギリス戦艦が搭載する68ポンドカロネード砲の射程は360m、最も多く装備された32ポンド砲は1600m、いずれにしろ遡上する日本艦隊は未だ射程に入っていなかった。
大島参謀長は上海諜報員より送られた東インド・中国艦隊駐上海分隊の保有艦写真を見ながら「一番でかい艦を揃えたか…」と独り言のように呟いた。
前方の4隻の内、大きめの3艦が1等カレドニア級戦艦で砲120門を備えた戦列艦である、小振りな1隻は数日前東シナ海で沈めた蒸気スクリュー艦エンカウンター号と同じスクリューコルベットのスティックスと知れた。
大島参謀長は思案顔で藤川司令官を振り返った。
「あのように河の中央に佇まれるとちとやっかいですなぁ、下手に沈めればこの辺りの川底は浅く…これからの航行に支障を来すというもの、長門の主砲で完全破壊が出来れば宜しいが…」
「主砲は止めておこう、先ほどはうまく炸裂してくれたが…あの戦列艦はどう見ても古びた木造艦、下手すれば砲弾は突き抜け大穴を開け座礁状態となったらなお困る、それよりは魚雷が良かろう。
本艦にはあまり有効な装備ではなかったよって昨年外してしもうたが…後続の巡洋艦にはまだ付いておったな、あれを使え」
「魚雷ですか…あのような木造艦には1発の単価からして勿体ないのでは…」
「お主は意外とケチじゃのぅ、そんなことを言うとるから戦艦の魚雷は無意味と言われるのじゃよ、何も4発使えとは言わぬ 2発で中央2艦を粉砕せよ、さすればあのように隣接しておれば爆風で左右端の艦は船尾か船首は吹き飛ぶであろうよ」
「わかりもうした、仰せの通りに」言うと連絡士官に「後続巡洋艦に至急連絡せよ」と命じた。
後続巡洋艦1隻が艦列より100mほど横にずれた、暫く待つ内に61cm連装水上魚雷発射管より酸素魚雷が2本撃ち出された。
そして戦艦の横をすり抜け前方の敵戦列艦へと走っていく、秒速30m 敵艦まで2000mの距離…1分ほどは係ろうか。
「ふむぅ、のどかな兵器よのぅ…」
2条の航跡を見つめる藤川少将は呆れたように呟いた。
暫く待つ内、前方4艦の中央2艦が炎と共に噴き上がった、遅れて大音響の爆音が川面を震わせる。
粉砕された木片は数百メートルの高度まで噴き上がり陽に照らされてキラキラ輝きながら落ちてくる。
川面から次第に煙が薄れ敵艦の惨状が露わとなっていく、魚雷が命中した中央2艦は完全に消え その左右艦は1隻は船首をもう1隻は船尾を消失したのか逆ハの字に屹立し川面に無惨なる残骸を晒していた。
上海攻略部隊は再び動き出す、藤川少将は上海文化遺産の破壊 また仏米への刺激を憂慮し、この場限りで50mm以上の砲使用を禁止した、今後は敵に打ちかけられても機関砲・機銃で応酬するよう各艦に厳命が伝えられた。
戦艦・巡洋艦・陸揚艦にはそれぞれに25~45mmの強力なる機関砲がおよそ20門づつが装備され合わせて150門ほどが控えている。
河は大きく右へうねった、戦艦長門の前には小型揚陸艦が先行し速度6ノットで河の水深を測りながら進んでいく、このため上海市街までの河川距離およそ17kmは1時間半を要することになる。
上海市民の多くは黄浦江両岸に群がった、そしてその巨大なる戦艦に恐れ戦き目を見張った。
天を突く艦橋の最上マストまで水平線から何と40mを超える、これは7階建てのビルに匹敵する高さである、この時代これほど巨大な鋼鉄建造物など見たことのない上海市民の驚きは如何ばかりであろうか。
この巨大戦艦が艦隊を成し河を遡上していく姿は圧巻である、当然市民の中には多くのイギリス兵も紛れていたが…もはや戦意喪失の極みでもあった。
進むこと1時間半、この間 散発的に砲を撃ちかけられたが機関砲の連射でこれらをことごとく退けていった、そして河が急激に左に折れる500m手前、川底はとうとう9.5mを切るに及び戦艦長門の吃水からこれ以上の遡上は危険と判断された。
目の前1500m先の右手に外灘33号の英国駐上海総領事館が真正面に見えるポイントだ、戦艦3隻は停止し前衛主砲全てを領事館に向けその場に待機した。
巡洋艦2隻、戦車揚陸艦2隻・強襲揚陸艦2隻は戦艦の横をすり抜け突撃を敢行した、そして河が急激に左に折れた中程に掛かったとき イギリス軍は死にもの狂いの猛攻を懸けてきた、河の両岸砲塁・堡塁より有りったけの砲・小銃を撃ちかけてきたのだ。
この地区は共同租界を成し、フランス・アメリカの上海駐領事館及び商社などが密集し とても戦艦砲など打ち込めない、敵はそれを承知の上で敵橋頭堡を構築したのであろう。
特に商船改造が素人目にも見て取れる強襲揚陸艦2隻が集中的に狙われた、遠目にも艦の側舷が次々に破壊されていくのが見て取れる、艦内で上陸待機する兵らは生きた心地はしないだろう、そして次第に艦速は落ち…ついには停止、まるで敵砲の的である。
続々と強襲揚陸艦の被害状況が旗艦長門にもたらされていく。
並走する巡洋艦はその集中砲火を止めようと機関砲で反撃するも敵堡塁・砲塁は強固な要塞の如く榴弾砲でも撃ち込まねば攻撃を止めることは不可能だ。
まるでなぶり殺しを放置するが如く時間だけが無情に過ぎていく、そして遂に前衛の強襲揚陸艦1艦が夥しい集中砲火に耐えきれず一瞬大きく震えた刹那 大音響と共に大爆発を起こし黄浦江の水面に四散したのだ。




