四.正則の正体
(今日は6月28日か…)
天保八年六月二十八日は太陰太陽暦の暦法(和暦)で新暦に換算すれば1837年7月30日になる。
この時期であれば前世では夏と呼び 学校ではもう夏休みに入っている頃。
ならばこの時代でも昼過ぎは相当暑いはず…だがここ数日は平成の夏と比べ涼しいというよりむしろ肌寒いと感じられた。
昭和30年代の夏休みを思い起こせば「涼しい午前中に宿題を終えるのよ」と母がよく言っていたが、確かに午後になれば31~33度になる日もあった。
しかし平成20年代になると昼時の気温「36度」は当たり前で、半世紀前の夏を知る正則にとって着実に気温は上昇傾向にあると感じた…。
(やはりCO2の問題なのか…それにしても170年前の夏は涼し過ぎる…)
一方カラクリ人形造りは新たに志津江を迎え急ピッチに進み始めた。
分担は、正則がジャイロのギヤレーション造り、正次郎は人形の首から上と挟み箱、志津江は衣装と小間物が担当だ、三人それぞれが得意分野で競うため当然全体の出来進捗は早まっていった。
そんな或る日、この屋の主人の庄左右衛門が離れに訪れた。
それは3人が朝餉を済ますとこぞって目を輝かせ離れに急ぐ姿を訝しみ(3人は一体何をしているのか…)と思ったからだが。
正次郎ならいざ知らず、娘の志津江までもが朝餉もそこそこに離れに飛んでいく、普段なら朝餉の後かたづけやら洗濯・縫い物と女中任せにすることなく家事全般を老女と共に仕切っていた勝ち気の志津江が、その殆どを老女に委ね朝から離れに入り浸っているのだ。
(一体朝から何をしているのやら、特に志津江には注意しておいたはずだが…)
初めのうちは仲が良くてよろしいと感じていた庄左右衛門だが、きょうは夕餉の申ノ刻を過ぎても志津江が母屋に戻らぬのはおかしいと思い、少々叱らねばと離れに訪れたのだった。
離れに続く渡り廊下に 庭の下草辺りから緩やかなる涼風が流れていた、それはほどよい涼しさで 頬を撫でられると実に心地よかった。
五月の雨で雑草は延びきり そろそろ庭師を入れなければと思いつつ廊下を渡って離れの一室に足を止めた、この離れは以前独身の家臣住居用に造作した建屋である、だがその家臣らも妻帯し母屋の東側に設けられた長屋に移った、ゆえに今は四室有るこの離れも庭に面した一室のみを正則が使っていた。
庄左右衞門は襖に手を掛け耳を澄まして中の様子を覗った。
(んん、三人ともこの部屋にいると思ったが…人気は無いようだ)
暫く佇むも部屋内から声は洩れ出てこない、庄左右衞門は首を捻るも襖を静かに開けた、そして部屋内を一瞥したとき庄左右衛門は固まってしまった。
それは行灯に照らされた部屋内がさながら仕事場と見間違うほどの状況になっていたからだ。
正則はヤスリで小さな金属片を慎重な面持ちに磨いており、また正次郎は手と顔を砥の粉にまみれさせ球形の固まりと格闘している、志津江は志津江で行灯横で小さな布きれを一心不乱に縫っている、そして辺り一面は切屑・紙屑・砥の粉が散乱し、さながら陶器工房か建具屋の作業場現場に映ったのだ。
庄左右衛門は暫く声も出ず立ちつくしたが、急な訪問を知った3人の眼差しで我に返った、「父上…」口火を切ったのは志津江であった。
その声で一瞬に雷が落ちた、「馬鹿者!お前ら全員そこになおれ!」
その声に全員飛び上がり 我がちに襖前の庄左右衛門の足下に殺到し、正座に膝を抱えて平伏した。
「お前ら一体このありさまは…」
言うと志津江に向き直り「女の分際で何をしておるのか!」と一喝した。
正次郎がすかさず「父上、申し訳御座いませぬ」と返す、流石叱られ慣れた正次郎である、意味無く謝るのも速かった。
だがこの即答が火に油を注いだ、「正次郎!きさま何度言ったら分かるのか、以前にも申したはず、武士たるもの訳もなく即答に謝るなとな」と怒声を込め正次郎を睨み付けた。
さすが一刀流免許皆伝、その眼光の鋭さと挙動は後世の会社の上司が部下を叱責する比ではない、抜き身の刀を襟口に突きつけられた想いに等しかった。
正次郎は情けなくも小さく「ひぇぃ」と声を発し正則の背に回り込み震え始める。
正則はこの屋の主人を好々爺と見て少々侮っていた、しかし鉄砲組頭の職を全うするだけあってその胆力は尋常ではないと理解しまた恥入った。
正則は1尺ほども躙り寄り深々と平伏すると。
「今般この仕儀、全て私めの短慮によるもの、この部屋を借用致したは私めで お子たちに咎は御座いませぬ、ここは平に御容赦のほどお願い申し上げまする。
この部屋すぐにもかたづけ致し、片づけ次第大屋敷に参じ 事の顛末を申し上げまするゆえ御叱りの儀 しばしの御猶予お願い申し上げまする」と答えた。
庄左右衛門は正則の淀みない答弁に返す言葉がすぐに思いつかず、その待てと言う意味合いを印象に捉え「わかった…」と答えてしまった。
その時 庄左右衛門は掴んだ襖を穴があく程強く握っていたのに気づき、フゥーッと力を抜き、「正次郎!志津江!二人とも今すぐ書斎へ来い」そう言うと音を立てて襖を閉めた。
3人は沈黙して見つめ合う、だが体はピクリとも動かなかった、庄左右衛門の一喝はそれほど3人を凝固させてしまったのだ。
「兄上がいけないんです、こんなに散らかして…正則様をご覧なさい、きちんと机の上に布を引いて作業されているでしょう」
「うるさい!部屋が散らかってるから父上が怒ったと思っておるのか、叱責の原因はお前だ、お前が離れに無断で来ているから父上は怒っているのだ」と正次郎もやり返す。
志津江はみるみる涙目になり大粒の涙を零し静かに泣き始めた。
「ふん、また泣いて親父に許して貰うのか」正次郎は憎まれ口を叩く。
正則はやれやれと想い、ゆっくり立ち上がると無言で辺りのゴミを拾いだした。
戌の刻、正則は掃除を終え母屋に向かった、家人らはもう寝てしまったのか母屋は静まりかえっていた。
仄暗い廊下を進み庄左右衛門の寝所の前に立つも部屋内から漏れる灯りは無い。(もう寝てしまったのか…いやそれはないだろう、まだ書斎にいるのだろうか)
そう思い書斎へ向う。
廊下を曲がり5間ほど進むと書斎と思しき襖から僅かな光が漏れていた。
(やはり書斎であったか)部屋の前へ進むと立膝をつき静かに襖を開けた。
「遅くなり誠に申し訳御座いませぬ」と一礼し部屋に入って襖を閉めた。
「正則殿か、近うに来て下され」の言葉で庄左右衛門の前へとにじり寄り平伏する。
「そう畏まらず顔を上げて下され、先ほどは子供らの体たらくに怒りを覚え つい怒鳴ってしもうた、けして貴殿を叱ったわけでは御座らぬ、子供らが貴殿の御迷惑を顧みず部屋を散らかし放題、それがイカンと先ほども二人にきつく叱っておきましたゆえどうかこの通り二人を許して下され」と庄左右衛門は頭を下げ礼を返した。
この対応に正則は拍子抜けした、それは先の庄右左衛門の怒りの程を考えれば この屋敷からの即刻放逐は免れまいと思っていたからだ。
この屋敷に庇護されてから三ヶ月近くが経つ、傷も癒え全快したというに一向に出ていく気配をみせぬ正則に業を煮やすは当然のこと、遅きに失したことを悔やみつつ早朝にも出て行けるよう先程掃除のついでに荷物を纏めたところでもあった。
「ところで話しは変わるが正則殿はカラクリに長けていると聞いたが 以前どこぞの藩校でカラクリの教鞭でも執られていたのであろうかの」と唐突に聞いてきた。
この抜き打ち的な質問に正則は窮した、どう答えてよいものやら咄嗟に返答が返せずいつものごとく安易なる反射で返した。
「わたくしめ、ご存じの如く未だ記憶が戻らずそのことにつきましては御容赦下さりませ」と…。
そのとき庄左右衛門の貌が一瞬歪んだ…。
「正則殿、いつまで同じ返答を返すのじゃ、拙者の目を節穴と侮っておるのか!、おぬしがが正気なことぐらいは初めから分かっておるわ!」
庄左右衛門は正則の目を射貫く鋭さで正面から見据えた。
以前より庄左右衛門には既に見抜かれているだろうと薄々は感じてはいた、だが庄右左衛門が演じる好々爺に図々しくも乗っかり胡座をかいていたことは否めない。
「申し訳御座りませぬ、庄左右衛門様の御厚情に甘えつい長居を致してしまいました、今すぐにでもおいとまいたしますよってどうか御容赦下され」
と額を畳に擦り平伏し後方に下がって立ち上がろうとした。
「正則殿!、それがしおぬしに出て行けといつ言うたかよ、おぬし一人ぐらい養うは造作もないこと、儂が怒っておるのは三ヶ月も経とうというにおぬしが本性を表さぬことよ、これは儂を侮っているゆえではないのか!」
(何!)と正則は身構えた、こちらに非があればこそ二十も年下の庄左右衞門に頭を畳に擦りつけ許しを請うたというに 此奴まだ言い募るか!と腹が煮えた、それは庄左右衛門に対する憤怒というより自爆に近いものであろうか。
正則とて何の因果でこんな未開の地に飛ばされ、40そこそこの若造に「お前一人ぐらい養うは造作も無い」と言われにゃならんのだ!が本音だ。
この若造が!とばかりに今度は正則が庄左右衛門の目を怒りを込めて睨み据えた。
暫くは双方の睨み合いが続いたが、先に緊張を解いたのは庄左右衞門であった。
「ほほぅ正則殿、ようやく本性を表しましたな、それが見とうて少々声を荒げもうした、御無礼の段お許し下され」と庄左右衛門はいつもの好々爺の微笑みに戻った。
その笑みに(やられた)と思った、この男 年は若いが二枚も三枚も上手、食えぬヤツめと正則も緊張を解いた、すると自然に笑みが零れてきた。
「貴殿の本性が知りとうて心にもない怒りを見せ申した 許されよ、のう正則殿ここは儂と貴殿の二人だけ、決して口外はせぬし不穏な事柄になろうも娘の命の恩人、おぬしをかばいきってみせるゆえ是非にも今宵はそなたの身の上を御聞かせ下され」と庄左右衛門は神妙な顔つきで正則を見つめた。
正則は肩を落とした、なにもかもが見透かれている…好々爺の目の奥には嘘を看破する眼力が備わっていると感じこれ以上の方便は無用と感じた。
少しの間を置き正則は静かに語り始めた。
「庄左右衛門様にはかないませぬ、もう全てを申し上げなければなりませんね。
しかし私が今から申すことは嘘偽りはありませぬが、あなたがそれを信じられるかは難しいと思います、それでもよろしいか」と少し強い口調で応えた。
「よろしいでしょう私も一角の武士のつもり、嘘が見抜けぬとは思うてはいないし この数ヶ月貴殿の観察でこの期に及んでまだ嘘を通すような御人とは思うてはおりませぬゆえ」
「分かりました、そこまで申されるのなら嘘隠しなく申しましょう。
私は…この世の者ではありません、と申せばまるで幽霊か化け物の類いに聞こえましょうが、んんどう申したらよいものか…何かを踏み違え百七十年後の世からこぼれ落ちてきたと申せばよいのか…。
正直 どうしてそうなったのか私にも今以て分かりませぬ、ですが私が百七十年後の世界からやってきたという証はいつでも披露することが出来まする」と語り「今言った私の言葉…信じることができましょうや」と結んだ。
庄右衛門は無言で正則の目を見つめる、正則も目を反らさず話を畳むように続けた。
「先ほど信じることは難しいと申し上げたのはこういった事柄だからです、もし私が庄左右衛門様でもこのような絵空事を聞かされたら信じる以前に受け止めることさえ出来ぬと思えます、それゆえいっそ記憶喪失の仮面を被りこの時代に紛れ生きていこうと考えたのです、ですが今日までどれほどあなたに真実を逡巡遅疑し悩んだか…こればかりはどうか御理解下さい」
5分ほど沈黙が続き、ようやく庄左右衛門の口が開いた。
「正則殿分かりもうした、いや分かったと言うのは貴殿の言葉が聞き取れたというほどの意味合いであって…その内容は正直さっぱり分かりませぬ。
百七十年後の世から落ちてきたとはどの様に解釈すればよろしいのか、百七十年前であれば寛文年間と理解も出来ましょうが百七十年後という概念は今まで聞いたことも御座らぬ、それは未来から来たと解釈すればよろしいのか」
「その通りです」
「んん…どうしたものやら、貴殿の目を見ていて嘘でも物狂いでもないと見て取れるが、しかし今流行の式亭三馬の戯作でも読んでいるような奇妙な気分でござる」
またもや庄左右衛門は黙ってしまった、先ほど正則が言った信じる以前に受け止めることさえかなわぬといったところか。
暫くすると躊躇する面持ちで「先ほど証拠の品ならいつでも披露出来ると申されたな、ではその品を今見せて頂こうか」
正則はこういった仕儀にいずれ至るやもしれぬと日頃よりiPadを懐に忍ばせていた。
「これです」と、懐よりiPadを取出し庄左右衛門の膝元に静かに置いた。
「あぁやはりこれであったか…」
庄左右衛門は証拠の品が出される以前より微かながら予想はしていた。
それは正則が瀕死の重傷で邸内に担ぎ込まれた際、身寄りの手掛かりは無いかと大きな皮製箱を調べたが、そこから出てきたものはこれまで見たこともない奇異な品々ばかりで、特に扁平なるiPadは木製とも金属製とも判別できぬ素材で、表面の漆黒に光るギヤマンの平坦さは鉄砲頭という職、また近代銃器を研究する者にとって我国では到底工作出来ぬ代物であろうと庄左右衛門でも理解できた。
それゆえ門前で倒れし者は日の本の民に非ずか、または御禁制の密貿易を生業にしている者かもしれぬと当初は疑念を抱いていた、しかし数ヶ月の間 正則を観察するに不審な挙動は微塵もなく、人品骨柄卑しからぬ人物と理解していた。
「庄左右衛門様はこれをご存じでしたか」
「さよう、悪いとは思いましたが貴殿の身寄りを探す手掛かりとして一度拝見させて頂きました」
「そうでしたか…ではこの器具がどんな働きをするかここでお見せしましょう、どうか驚かないでください」と念を押しつつスイッチを入れた。
iPadの画面は眩しいほどに光り出した、それは近くの行灯を凌駕する明るさだ、この電灯のない時代、正則も夜の暗さに慣れたせいかiPadの画面がこんなにも眩しかったのかと驚いた。
だが正面で見ていた庄左右衞門の驚きはその比ではない、急に光り出したiPadを見るや体をのけぞらせ二尺余りも後ずさった、だがすぐに危険物ではないと分かったのか恥じ入るように再び座布団の上に座り直した。
「正則殿、これは行灯の類いか、それにしても明るい…これほど薄い板のどこにロウソクが仕込んであるのやら、まるで手妻を見るようじゃ これは凄い!」
と目を輝かせ先ほどの醜態は何処へやらiPadを手に取るや光る画面を触ったり裏に返したり、ついには座卓上の書類を照らし「夜というに昼と同様にこんな細かい文字が難なく読めるとは…これは便利な代物じゃ」と喜んだ。
(この程度で驚かれては…この先を続けてよいものか…と思案してしまう)
だが百七十年後から来たことを証明するには21世紀の科学の一端でも見せねば収まらないであろう。
正則は意を決し画面をタッチした、そして保存ファイルより以前撮った曼荼羅寺公園の藤の優雅な花房を映し出した。
「ほぅ…何とこの薄板は行灯じゃのうて錦写し絵(幻灯機)であったか、それにしても美しい藤じゃのう、儂が以前 神楽坂の茶屋で見た錦写し絵は「外連物」で絵が面白く動いたが…これは動かぬようじゃのう」
(そうか…この時代にはもう幻灯機が芝居小屋で上演されていたんだ、ならば動画を見せても驚くことはあるまい)
正則は藤の花の画像を消すと数あるファイルよりライセンス国産化された複座型F-15DJ戦闘機の動画ファイルをクリックし音量を落としてその動画をモニターに映し出した。
だがこの時代の錦写し絵は和紙に書かれた静止画複数枚をカラクリ仕掛けで切替え鯨油ランプで映し出すだけの単純なもの、現代の動画とは比べものにもならぬ御粗末さ、それゆえ庄左右衞門は今まで見たこともない精緻かつ余りのリアルさにまたもやのけぞり、その音の迫力に目を剥いた。
「こ、これは何と…」と悲鳴に近い声を上げた。
それでも庄左右衛門は恐怖にのけぞった体勢を気力で引き起こすと、気丈にもiPadを手に取り その裏を返して首をかしげた、その所作はまるでチンパンジーと同じで不可思議なるものへの好奇心は人間も猿も同様と正則は思った。
だがさすが庄左右衞門、その不可思議をすぐに受け入れiPadを返すと両手でしっかり握り画面を食い入るように見つめだした。
動画は離陸する映像から機内の計器群とパイロットからの視界状況が映し出され、空と地上が目まぐるしく交差する映像に庄左右衛門は唸った。
そして20mmバルカン砲の連射、サイドワインダーの発射映像に庄左右衛門は息をするのも忘れたようだ。
次に米国のステルス爆撃機の攻撃映像、巡航ミサイルトマホークの発射とその巡航飛翔や着弾の破壊力、また大陸間弾道弾ミニットマンの核爆発の凄まじい映像に続き世界の先端産業の数々、特に車・航空機・ロケット・半導体製造の動画を見せ、最後に日本の名所風景や夕日に映える東京の高層ビル群などを映しだし、およそ四半時ほども説明を加えながら見せた。
庄左右衛門は終始手に汗し目は画面に釘付け状態であった。
映像が終わり正則はiPadを受け取ると電源を切った。
部屋は 元の行灯の暗がりに戻り庄左右衛門の溜息音だけが深いしじまに流れた。
放心の体で正則が持つ真っ黒になったiPadの画面をなおも見続けている庄左右衛門。
「どうでしたか」と正則は問いかけてみた。
「……まるで夢でも見ているようだ」と庄左右衛門は静かに呟く。
「庄左右衛門様が今見られた映像や画像の数々は170年後の世界、その技術の一端を写したものです、さぞ驚かれたことと存じますがこれはまやかしでも幻術でもなく現実をまさに切り取ったもの、如何でしょう…これで私が170年後の世から落ちてきたと信じて頂けますでしょうか」
「んん…じゃが俄に信じることは、一晩寝て明日にでもゆっくりと考えることにしようか、正則殿 すまぬが拙者少々疲れもうした、今宵はこれまでにし御引き取り願おう」庄左右衛門の憔悴ぶりは正則から見ても痛々しいほどであった。
(軍事技術の映像は見せるべきではなかったかもしれぬ…)
正則は自分のことをもっと知ってもらおうと庄左右衛門とは夜を徹しても話をしたかった、だが庄左右衛門の憔悴ぶりを見て今宵はこれまでかと思った。
「承知致しました、それではまた明日にでも」
正則はiPadを再び懐に戻し、静かに一礼して書斎を後にした。
廊下を歩きながらふと庭の灯籠上に鏤められた星々を見た、それは今にも降りそそぐような星群である、幼かった頃…夜空はこんな星々で埋め尽くされていたなぁと思いだし、再び前世への郷愁が胸の内にこみ上げてきた。
その夜はまんじりともせず朝を迎えた正則である、朝餉に呼ばれ席に座り一同を見渡すも、自分だけでなく皆疲れ切った顔を並べていた、いつもならばこんな時には正次郎が軽口をたたき座を和ますのだが…今日ばかりは皆黙々と朝食を口に運んでいた。
朝餉が終わり茶を飲んでいるとき庄左右衛門が隣室に控えている用人を呼んだ。
「今朝は所用があるゆえ出仕は少し遅れる、脇坂殿には昼からの会議は間に合うよう行く旨申し伝えておけ」
「かしこまりました、では脇坂様にそう申し伝えますと」と用人は立ち上がったが…何か妙な雰囲気に一同を見渡し首を傾げながら部屋を出て行った。
茶を飲み終えたとき庄左右衛門が正則の方を向き
「正則殿、半刻もしたら書斎の方に来て下され」そう言うと正則が応えるのを待たずに部屋から出て行った。
正則・正次郎・志津江の3人は顔を見合わせた。
「昨夜、俺と志津江はあれから散々絞られたが…結局は志津江の泣きで離れ通いのお許しは頂けたが、今度は兄いに何か文句でもあるのだろうか。
しかし一体何だと言うんだあの暗さは、昨夜なんぞ俺に素読吟味さえ及第出来ん奴がいっぱしに女郎買いなんぞしくさってと関係ないことまでほざきやがった」と正次郎は少々鼻白んで見せた。
「いや、昨夜遅くに庄左右衛門様にお目にかかり相談した件の回答だと思いますよ、それよりお二人とも御父上のお許しが出たのならば、さっ人形造りを始めましょうよ」
そう言いながら正則は部屋を出て離れに向かう、二人もいそいそとその後に続いた。
半刻が過ぎ正則は書斎へと向かった、だが朝餉の時の親父殿の憔悴しきった顔を思い出し心は次第に憂鬱に暮れていった。
(やはり真実は言うべきではなかった、たとえこの屋敷を追い出されても嘘は最後まで通すべきだったか…)
書斎の前に暫し佇み、思い切って襖を開けた…とそのとき目に飛び込んで来た親父殿の顔は先ほどまでの憔悴陰など微塵もなく晴れやかな貌に見えた。
「正則殿、参られたか さっ早うこちらへ」と笑みまで浮かべ手で差し招いた。
(先ほどの憔悴顔は一体何だったのか…あれは彼独特のブラフなのか…)
「正則殿、あれからよくよく考えてみたが、古今東西 未来からやってきたなどそんな話しは聞いたことがない、じゃと言って正則殿が嘘をついているとは思わぬ、昨夜見せて貰った…確か”えいぞう”とかいった写し絵じゃが、あの映像はどう見ても絵空事には見えなんだし、今の世の高名な学者らが束になってもおぬしの懐にあるiPadと言うたかな、あんな物は到底造れぬ。
そこでじゃ、儂は未だもって訳が分からぬが取り敢えず信じようと思う、この結論に至ったのはいましがてじゃ…はぁ眠いわ」と言い口を押さえて苦笑した。
「しかし正則殿…落ちて来たということはいずれ帰るということじゃろうか」
「いえ、そればかりは私にも分かりません、170年後の私の世でも未来に行ったとか過去に戻ったなんて事象は聞いたこともありません、物語なら有りますが…ですから今はそのようなことは一切考えないようにしているのです、考えないようにするためカラクリ造りに没頭しているのかもしれませんが」
「そうでしたか、この数ヶ月さぞお苦しみなされたことでしょうなぁ、あの二人にも昨夜決してお邪魔せぬよう手伝ってあげなさいと言っておきました、どうぞ心置きなく続けて下され。
それと作るには金子が御入りでしょう、必用であればいつでも言って下され、取り敢えずここに十両用意しました、どうぞ心置きなく受け取って下され」と正則の膝元に紙にくるまれた金子が差し出された。
「えっ、そんな大金…」
正則は躊躇した、一体この金子の意味するものとは…見当がつかない。
だが正直 金は欲しかった、カラクリ造りの材料を調達するにこれまで親父殿から戴き貯めてきた小遣いは既に底をついていた。
(しかし10両とは法外な、1両でも多すぎるのに…)
「庄左右衛門様お心遣い誠に有り難う御座います、しかし10両は多すぎますが」
「なに、息子や娘があれほど世話になっておるし、正次郎から部品調達に金がかかり正則殿が心を痛めておると聞きましての、十両など小遣銭程度、さっ遠慮せずに貰って下され」
そう言うと金子の包みを正則の懐にねじ込んだ。
「さて厭な話しはこれまでとし、そうとなれば貴殿にはお聞きしたいことが山ほどあるんじゃ」と庄右左衛門は目を輝かせた。
「昨夜も寝床で貴殿が百七十年後の技術者であったなら それは凄いことじゃと思いましてな、そこで光絵の”えいぞう”の中に武器らしき物がいろいろ有りましたが、中でも移動しながら大筒を撃っていた車が気になっての あれは何というものでござろうか」
「あれは私が設計したものではありませんゆえ詳しくは申せませぬが、89式装甲戦闘車と言い、御隣の清国で春秋時代に登場した戦車は馬に曳かれますが、あれは自走ができ、兵員を輸送する車に武装と装甲を施した車とお考え下さい」
「ほぉそれで馬や牛が引くでもなく独りでに走っておったのじゃな、確か外皮は鎧のようで…いささか重そうな造りでしたな」
「はい、今時の大筒弾丸程度なら当たってもびくともしませんよ」
「こりゃますます驚いた、砲弾をくらっても壊れませんか、ではどのような武器をもって武装しておるのかの」
「主武装はいずれも砲塔に装備され、79式重MATを2基、35mm機関砲と74式車載の7.62mm機銃を装備しております」
「ちょっと待ってくだされ、そんなにせわしのう話されても言葉の意味が分かりませぬ、まず一言一言意味を解説して話して下さらんかの」
「これは失礼しました、私は武器技術にも目が無くてつい力んでしまいました、では解説しながら説明していきましょう」
結局89式装甲戦闘車の構造、武器一式を理解して貰うのに一刻以上を費やしたが、庄左右衛門には半分も理解できたかは定かではない。
庄左右衛門は理解できぬも職業柄だろうか目を輝かせ170年後の未来兵器の説明に聞き惚れていた。
「正則殿、未来の武器のほんの一端は何となく分かりもうしたが、拙者は勤めがら海外の進んだ銃器に関心を持っておりまするが、現在はほんの僅か長崎の出島から漏れ出る程度の情報しかなく常に渇望を覚える有様で…。
拙者はいま幕府で使用している瞬発式火縄銃の軽量化に傾注しておるところでござるが、以前より“火打ちからくり”という仏蘭西のマスケット銃とやらの点火方式に興味を覚え調べておりまするが、なにせ詳しい事が書かれた書物はなく、出来ればこの機会に是非知っておきたいのじゃが正則殿はこの銃器について詳しい構造をご存じなかろうか」
正則は以前、民需航空機の設計製造に従事する傍ら、ライセンス生産のマクダネル・ダグラス社製 F15戦闘機の装備にも係わっていた、中でも装弾数940発のJM61A1バルカン機関砲に興味がわき構造や技術を調査するとともに、当時他の戦闘機の火器や先ほどの戦闘車搭載武器なども調査したり、古今東西の銃や火薬の歴史・製法の文献なども飽きずに読み漁ったものだ。
「火打ちからくりと申しますのはフリントロック式と言いまして仏蘭西人のマーリン・レ・ブールジョワによって1620年と言いますから日の本の年号で言うと元和6年頃になりますか、そのころに開発された方式で、火縄の代わりに“火打ち石”を使った点火方式です。
詳しい構造は省きますがこれは火縄のように常に火を用意しなければならないとか雨の日は使えないというような問題を解決した方式として当時としては画期的な銃と言えましょう」
「ふむぅ…元和と言えば二百年以上も昔のこと、そんな昔にそれほど優れた銃が外国には有ったのか…」
「いえいえ百年前の享保の頃にこの発火方式のマスケット銃は長崎より幕府に送られていますよ、何でも幕府は火縄からこの火打ち式に換えようと試みたのですが日本の火打ち石は火花の出が悪く不発ばかりで使い物にならなかったとか、また火縄より雨には強いという触れ込みでしたが、実際は火縄とさして変わらなかったようですよ」
「左様か、いやはやこの時代の事なのに拙者より貴殿の方が詳しいとはお恥ずかしい限りにござる」
「庄左右衛門様、ここだけの話ですが…いや、これは言わぬ方が…」
「正則殿、そこまで切り出して口を閉ざされるは聞かぬ訳には参りませぬぞ」
「そうですね…」
武器歴史の博学をほめられつい口が軽くなったのを悔いた。
後世の歴史・科学をこの時代の者に知らせると後の歴史が歪み、元の世界に戻れなくなると昔SFの漫画本で読んだことが有ったが…。
この世界に落ちた当初、何が「現実」かということを数日考えたことがあったが、見る物や触れる物の実感を確信したときこれを「現実」と定義する概念、これって本当に正しいのだろうかと。
夢で頬を思い切り抓ってみたら飛び上がるほど痛かった思いがある、深い夢は現実や非現実の区別さえ付かないと正則は思う、いわんや実像の消去や再生を繰り返す「時間」という概念や、それらを繋げた歴史等々は何が何やら理解の埒外であり、今や正則は哲学的に言えば自己の今の「存在」すら疑わしいと思える境地にあった。
そんな想いが手伝ったのか正則は一瞬躊躇するも(こんな夢か現実かも解らぬ朧な世界…現世に帰れるわけもなし、暴露してその後の歴史が変わるなら それも歴史であろうよ)と想った。
「ではお話しましょう、しかし他言は無用に願います」
想いとは裏腹に何故か釘を刺す自分を訝しく感じながらも語り始めた。
「20年後に 日の本の年号は安政と相成りますが、そのころ外国では銃用雷管が発明されます、これは衝撃が加えられることで発火し、その発火が本火薬を着火させ爆発させるものです。
この雷管を用いた方式は雷管式あるいは管打式と呼ばれ後世の銃を一新させていきます。
また雷管の造りと本火薬との組み合わせで各種の実包が生まれました、ベルダン型・ボクサー型・ピンファイヤー型、特にこのピンファイヤー型は仏蘭西のルフォーシュという人が発明したもので、金属製薬莢側面に雷管ピンが突出した構造で、これを叩いて爆発させる方式です。
しかしこの方式は薬莢側面にピンが露出しているため誤って触れたり落としたりすると暴発の危険があり 後に同国のフロベールがリムファイア式を考案しさらに後年センターファイヤー式に引き継がれていきます」
「……正則殿、もそっとゆっくりお話し下され、何を言ってるのか先と同様全くついてはいけませぬ」
「速かったですか、これは申し訳ない」
「正則殿、雷管とはなんぞや、薬莢とはなんぞや、そのあたりを話して頂かないと分かりもうさぬ」
「分かりました、では火縄銃を例にとりながら説明しましょう。
まず雷管ですが、火縄銃では火薬の粉を筒先から入れ次いで鉛の玉を紙又は薄皮にくるんでカルカ棒で押し込み装填しますよね。
次に火蓋を開き火皿(銃身内部まで小穴が通じている)に口火薬を入れ、安全のため火蓋を閉めておけば たとえ火縄が燃えていても銃は安全に携行出来ますね。
次に銃を発射する場合、火蓋を開き引金を引いて火皿の口火薬に火縄押しつけます、すると火皿の口火薬が燃えその火は小穴を通って先に装填した銃身内の火薬に燃え移りドカンとなるわけですが、これですと雨が降る屋外では火縄は消えるし火皿の口火薬も濡れてしまいます、そこで雷管の登場です。
雷管とは衝撃で簡単に爆発する特殊火薬を小さな薄手金属容器に入れ、水が入らないよう密閉封入したものと考えて下さい。
この雷管ですが、火薬より先に筒先から入れます、次に火薬と玉を一緒に包んだ紙袋、これを“紙薬莢”と言いますが、紙薬莢の火薬側から筒先に入れ銃身底まで棒で押し込みます、これで銃身筒内は雷管・火薬・玉の順番になりますね。
この銃身筒の底には細い穴が有り、この細穴にぴったり合う鉄の棒が差し込まれています、この棒の両端は片方は雷管に触れ、もう一方は銃把側に露出しています、そこでこの銃把側の棒露出部を思い切り叩けば(撃鉄)その衝撃は雷管に伝わり雷管は衝撃で起爆します、その火が紙薬莢内の火薬に燃え移りドカンいくわけです」
「いやぁなるほどよう解ります、雷管ねぇ…水が染み込まない容器に特殊火薬を封入したものをいうのですな。
しかし叩いたくらいで爆発する…そんな火薬など見たことも有りませぬが…」
「はいまだこの日の本には有りません、しかし後年には我国でも造られるようになります、しかし当初は爆発性の高い火薬のため製造途中誤って暴発し有能な人物が幾人も亡くなっています。
この雷管に使う特殊火薬は雷酸第二水銀やアジ化鉛、トリシネートなどがありますが、いずれも軽い衝撃で爆発します、製法については庄左右衛門様が知りたいと申されるなら今ここで御教えできますが…どう致しましょう」
「それは是非とも!まだ外国にも無いような技術であれば是非にも知りたい。
最近日の本の沿岸にちょくちょく露西亜・米国の船が出没するようになりましてな、六年前に露西亜船が蝦夷に侵入し土地の役人と交戦に至ったし、今も亜米利加のモリソン号が浦賀港に侵入し浦賀奉行が砲撃をしたばかりです。
今まで日の本を脅かすものは少数の艦船や兵の進入程度でした、しかし清国と英国のアヘン戦争のことを考ればいつ外国から大挙して攻められても不思議ではありませぬ、そんなとき小さな小舟と二百年も前の旧式火縄銃で応戦したところで全く勝ち目の無い事ぐらいは子供でも分かろうというもの。
幕府の海防方も最近は慌ただしく大船建造を論議しておる真っ最中で、我が鉄砲組も対岸の火とばかり静観するわけにもいかず、先頃若年寄堀田摂津守様から鉄砲組と鉄砲御用人、鉄砲御側衆に対し長崎で外国新鋭銃の調達を打診せよと申されたばかりにござる。
実は、本日も昼からこの用人・側衆と我が鉄砲頭など三十人ほどが集まり近代銃の情報交換と調達についての緊急会議が予定に入っておりますのじゃ。
もし貴殿に雷管どころか、今以て世界の何処にも無い新式銃の構造と製法がお分かりなら是非にもうかがいたいところ、特に先ほどの七.六二みり機銃と申されたか、連発に発射が出来る銃なんぞ…そんな夢のような銃が有れば我が国にとって千人力いや万人力でござるよ」
「庄左右衛門様、銃の構造・製法はいつでもお教えしますし絵図面も描いて差し上げます、しかし今の日の本では造る手段が全くと言っていいほど何も無いのです。
私が今造っているオモチャカラクリにしても、部品一つから手作りに頼らなければなりません、ましてや銃ともなれば精度もしかりですが大量生産しなければ何の効果もありません。
まずは造る手段を先に整備し、銃器職人も揃えなくてはなりません、それには数年の歳月と数万両の資金が必要になりましょう。
それと問題なのは私の存在です、そんな百七十年も未来の銃火器と近代火薬を知る私をどの様にして幕府に知らしめるのです、たとえ私が表に出ず殿が代理で進めたとしても誰がそれを信ずることが出来ましょうや」
「ふむぅ…それもそうですなぁ…」
とは言いつつもそんな事など意にも介せず、庄左右衛門は次々と武器に関する質問を投げ掛けてきた。
特に小銃や大砲の銃身加工に興味があるらしく、やたら加工法に傾注し質問をぶつけてくる、だが工作機械の概念すらない庄左右衛門に加工法の説明は困難を極め、一時ほども費やしたとき「これはいかん!つい話に夢中になってしもうた、拙者はこれより登城せねばならぬ、話の続きは今宵またお聞かせ下され」
庄左右衛門は慌てて立ち上がると正則を頼もしく感じたのか…正則を睨め上げ独りごちに頷き部屋を出て行った。