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三十五.ペリーの失意

 浦賀水道を4隻の艦船がタグボートに曳航され浦賀水道を抜け品川港へと向かっていた、4隻はアメリカ海軍の旗艦サスケハナとミシシッピ・プリマス・サラトガである。


今、この4艦の後方には戦艦 長門の威容が聳え立ち、その退路を断ちながらこれら4艦を品川港へと曳航しつつあった。


先頭を曳かれる旗艦サスケハナ艦上には日本海軍海兵隊80が警備のため残留し、武装解除されたアメリカ海軍船員らはその船室に軟禁状態となっていた。


またペリー代将以下 各鑑の艦長と同行を志願した士官らは既に戦艦伊勢に収容されアメリカ艦隊4隻に先行すること2時間、今まさに品川港の第三埠頭に着岸するところであった。


戦艦伊勢に収容されたアメリカ士官ら12人は艦橋内に設えられた上級士官居室の4室にそれぞれ軟禁状態となり、サスケハナ艦長のペリー代将と部下2名は宛がわれた一室の窓から品川の街を感嘆の溜息を漏らしながら見ていた。


しかしペリー代将だけは依然ソファーに深く身を預け静かに瞑目している。

彼はこの二日間あの急襲劇を何度反芻しただろう、しかし幾ら反芻したとて今更どうにもなる話ではないが…。


ペリーは日本開国任務が与えられる1年前、日本遠征につき独自の基本計画をウィリアム・アレクサンダー・グラハム海軍長官に具申していた、そこで彼は長官に胸を張ってこう申し添えたのだ。


「いくら未開の日本人と言えど蒸気船ぐらいは知っていよう、しかし直に蒸気船を目に焼き付ければアメリカという近代国家の軍事力が如何に強大であるかが理解出来ようというもの、その衝撃は抗う気力さえ消失せしめましょう」


「また中国人に対し功を奏した砲艦外交は、さらに未開の日本人には恐怖させる効果は絶大であり友好に訴える外交よりどれほど多くの利が得られましょうや」


などとグラハム海軍長官に胸を張って具申したことが昨日のように思い出された。

(しかし…この無様過ぎる逆転劇、長官に一体どんな顔で報告したらいいのだ…)


抗う精神を打ち砕くほどの恐怖、体験した者しか感じることのない未知文明への怖れ。長官にどう説明しても意気地無さのみが露呈する顛末にペリーの胸は痛んだ。


(何が未開だ、何が辺境だ…アメリカなど日本に比べれば呆れる程の後進国ではないか、しかしどうしてこの程度の情報が掴めなかったのか…)

ペリーは恥じ入る前に情けなかった、狂ってしまえばどれほど楽かとも思う。



 ペリーに同行した若き士官トーマス・ニコルソンはもう1時間近くも窓に齧り付いていた、それは見るもの全てが驚異的で見飽きることが無かったからだ。


港に並ぶ巨大な鋼鉄戦艦や商船、埠頭左側に並ぶ数知れない陸揚げクレーン群、舗装された広い道路を猛烈に疾駆するトラックや乗用車、遠くに見えるビル群やそれらを縫う様に走る列車。


最も驚いたのは羽田沖航行中に見た巨大な飛翔体であった、空から降りてくるもの、また空へと消えていくもの、それらはけたたましい轟音を残し恐ろしい速さで視界から消えていった。


あのとき艦上を覆った蜻蛉状の飛翔体とは異なり 目の前に飛び交う飛翔体は鳥のような翼を持ち速度も桁違いに早いと感じた。

あの巨大な飛翔体の中には何人の人が乗っているのか…そう思うと自然に胸が躍り それは静めようもなかった。


トーマスはエドガー・アラン・ポーが好きで、中でも小作品であったが「The Balloon-Hoax・軽気球夢譚」は軽気球に乗って大西洋を75時間で横断する物語で…読み進む内に胸躍り、あっという間に読んでしまった事を思い出した。


今まさにその時と同様の感情で窓に齧り付いているのだ。

しかし先程見た飛翔体らは挿絵等で見た気球の形状とは全く異なっていた、トーマスはこれまで空飛ぶ乗り物とは静かで優雅な乗り物と想像していたが、その想いをぶち破る荒々しさとスピード感に完全に圧倒されていた。


(あの速度ならパリ-ロンドン間は1時間とは係らない…あぁぁ乗ってみたい、何としても空を飛んでみたい…)


トーマスには今 目の前に広がる全ての光景はSFの世界であった。

鳥や蜻蛉の形をした空飛ぶ乗り物、煙を上げず街を縫う様に疾駆する列車、馬に曳かれることなく自在に走り回る車、そして近代的なビル群や看板、巨大な軍艦や商船、また対岸に果てしなく広がる工場群、これまでニューヨーク・ロンドン・パリ・イスタンブールという世界の主要都市を見てきたが…今 目の前に広がる世界は比較不能の桁違いさに映っていた。


そんな超先進的都市が突如東洋の最果てにSF小説の如く出現したのだ…。

トーマスはまるで夢でも見るように幾度も目を擦っては窓に広がる光景に見とれていた。



 暫くして景色が止まった、そして軽い衝撃のあと船の微細な機関振動が鳴り止んだ。

トーマスは窓から眼下を見下ろす、接岸した埠頭には異形な兵が100余りと轅やハーネスのない黒塗りの馬車が10台ほど一列に停まっているのが目に入る。


やがて複数の足音がドア前に鳴り響いた、ペリーはその音にようやく我に返り 立ち上がりざまにペリーを凝視する部下らを見つめた。


部下2人は弾かれたようにペリーの横に並んだ、やがてノブが回り静かに扉が開かれていく。


濃紺のスーツを着た精悍な顔立ちの男2名が部屋に入ってきた。

男二人はペリー准将の前へ進むと丁寧にお辞儀し、初老の男が流暢な英語で喋り始めた。


「日本にようこそ、ペリー代将におかせられては遠路はるばるアメリカよりの航海、さぞやお疲れで御座いましょう、これより我が国の迎賓館へと御案内申し上げる」と再度丁寧にお辞儀する。


「それではお手荷物を持たれてどうぞこちらへ」と若い男がドアを開けた。

それに促されるようにペリー代将以下士官らは鞄を抱え男らの後に続いた。


埠頭に降り立つと、既に9人のアメリカ海軍士官等は一様に怯えた表情でペリー代将を待っていた。


代将は彼らに近づくと威厳に満ちた顔で一同を見渡し、そして…

「我々はアメリカ合衆国の面目を失うことなくこれより開国交渉へと向かう、よってこれよりは貴君等 威厳をもって事に当たるべし」と大きく叫び敬礼した、しかしその威厳も士官等には空虚なものにしか感じられなかった。


やがてアメリカ海軍士官らは十台の車に分乗を促され埠頭を後にした。

車列は綺麗に舗装された広い道路に出る、その速度は今まで経験のない速さだ、しかしそんな速度でありながら車内は静寂で揺れさえ感じなかった。

(一体どの様な仕掛けでこの馬車は動いているのか…)


トーマス・ニコルソンはペリー代将の横に座っていた、流れる車窓を見…そして時折代将の横顔を観察した。

代将は船内での憔悴しきった顔とは対照的に、今は威厳に満ち 鋭い眼差しは真っ直ぐ前を見詰めている。


トーマスは安堵した、それは船内での代将の憔悴ぶりは尋常ではなかったからだ、この港に着くまでの間は食事も摂らずただ壁ばかりを見詰め譫言のように何かを喋っていた。


当初 トーマスは余りの衝撃で代将は狂ってしまったのかと思った、「指揮無き将は兵を見殺しするに値う」と口癖のように言っていた代将は何処に行ってしまったのかと…。


代将不在のまま惨めに死を待つのか…日本人の武士道と残酷性は上海でさんざん聞かされた、ゆえに死を待つ船員の不安は尋常ではなかった、自然 軟禁状態の船倉内で船員同士の喧嘩は日常化し、あわや暴動という直前にこの港へと連れられてきたのだ。


しかし予想に反し日本側の対応は非常に丁寧であった、それらから推しはかるにすぐに処刑は無いと思え、また代将が正気に戻った感慨と相まって…車窓から降りそそぐ日差しがこの上なく温かいと感じられた。


トーマスはようやく緊張を解き上質な皮シートと心地よい揺れに身を委ねた、するとすぐに睡魔が襲ってくる、この二日間恐怖からくる緊張で殆ど眠ってはいなかった。


しかし代将の手前 寝るわけにもいかず、極力想像をめぐらせては睡魔と戦った。

やがてビル群の中へと車は入って行く、道の両側に並ぶビルは頂上が見えない程の高層で まるで峡谷隘路を馬車で行くが如し、その隘路は暫く続き一瞬にして視界は大きく開けていった。


正面に荘厳な城壁が迫ってきた、大門や白壁の櫓が鮮やかに浮き上がった。

トーマスは腹に力を入れペリー代将の横顔を見た、代将は静かに笑顔で頷きトーマスの膝を軽く叩いた。




 それから二日後、アメリカ艦隊4隻は品川港より曳船に曳かれ浦賀水道へと消えた。

ペリーらは開国を促すフィルモア大統領親書、及び信任状、覚書などを手渡し 逃げるように帰って行ったのだ。


日本側は和親条約・修好通商条約締結のつもりで交渉会議に臨んだが、アメリカ側は今回は親書を手渡すだけの用意しかないゆえ来年再度訪れると言い残し去って行ったのである。


結局もてなしの晩餐会も辞退され、拍子抜けの感に政府や軍部も軍船4隻も率い遠路アメリカからの来たというに…彼らは一体何しに日本へやってきたのだと首を捻ったものだった。


しかし正則派の政府首脳の者等には分かっていた、日本は彼らの思惑と余りにも桁違いだったのだと。

彼らは極東での出遅れを取り戻すべくイギリス・ロシアに先んじ砲艦外交で一気に手付かずの日本に踏み込み、開国・条約締結の先陣を切り 一手に濡れ手で粟というべき利権を我が物とするため勢い込んだが…自国より遥かに進んだ文明を目の当たりにし、また軍事力の圧倒差に恐れをなし尻尾を巻いて逃げ帰ったのであろうと。


まだ内乱に明け暮れる途上国アメリカが、これほど文明の進んだ先進国と国交を結べば逆に呑み込まれてしまう危うさ、ペリーであればそれぐらいは察しが付くというもの。


ペリーは来年再び来ると約したが…100% 来ないと正則は読んでいた。


しかし、この誠に小さな島国が今まさに世界に覇を唱え動こうとしている時…日本の財政・金融・軍事の成長戦略はここに来て頭打ちの状況となっていた。

資源供給が内需に追いつかないという閉塞状況…この打開は多国との国交・通商に活路を開くべきと内閣審議で決まったものの…いざ開国を唱えれば今度は相手が拒否してくる、外交とは厄介なものと正則は途方に暮れた。


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