三十三.黒船来航
東インド艦隊司令官ジェームズ・ビッドルが日本を去って既に7年が過ぎようとしていた、この間 日本は近代国家への歩みを大きく進め西洋列強と比べその文化・技術の水準は遜色ない大国へと変貌していた。
廃藩置県・農地解放・地租改正を通じて維新政府の財政基盤は安定し、四民平等・徴兵制度・学制の導入と文教政策に続く国民教化政策の推進、近代的な商工業育成(殖産興業)のために官営工場を建設するとともに、国立銀行を通じて政府資金を導入し民間事業者の育成にも努めた。
また財政機関・会計制度・歳計の確立と国税・関税・専売を計り日本の金融・経済・産業の近代化を推し進めてきた。
一方、内閣制度発足・大日本帝国憲法発布という近代国家形成へと進めるなか、特に富国政策は全省庁が総力を挙げ促進され、維新当時の10年前に比較すれば 今や国民総生産・国民総所得は3倍以上の伸び率を示すに至った。
この富国政策に依り、農村の生活環境は劇的に変化し人口は爆発的な増化をもたらし、都市部への人口流入は激化を辿り、東京都の人口は300万人を超える勢いにあり。
また軍事に於いてもその成長・躍進はめざましく、陸海空各師団は国中の要衝に配され、全国の将兵は70万を越え、併せて兵器の技術革新は電子技術の高度化に伴い最先端の新鋭兵器が各軍工廠で続々と生産、全国の軍施設へと普及していった。
だがここに来て日本の財政・軍事の成長戦略は頭打ちの感は否めなかった、それは小さな島国の耕地面積と資源の供給が内需に追いつかない状況になってきたからだ。
清国・朝鮮・オランダの3国だけに門戸を開くだけでは成長戦略に限りが有り、自然 開国の要求は日増しに高まり、ついには政財界より内需限界説が惹起されると開国要求を叫ぶ声は帝国議会を揺さぶるまでになってきた。
これにより開国論が国中から沸騰し、東アジア・東南アジアへの進出が次第に具体性を帯びてきた。
そんな1853年7月4日午後、アメリカ艦隊が種子島の南東80kmを東北東に向け航行中であることが、哨戒中の鹿児島空軍第二師団 第一空挺大隊の哨戒ヘリが発見、即刻東京の軍令部より統合参謀本部へと報告された。
この報告から僅か1時間半後、九段下の統合参謀本部会議場には元帥・三田正則を筆頭に海軍大臣井上左太夫中将、新任の空軍大臣江川英龍少将と3軍の士官が招集されたのだ。
3軍の将が一同に集っての統合会議は維新以来初めてのことであった、依って集った士官等の緊張は尋常ではない。
「一同の者、緊急招集にもかかわらず全員が早々に揃ったは重畳である。
本日呼び出したは、マシュー・カルブレース・ペリー司令長官兼遣日大使を乗せたアメリカ合衆国海軍・東インド艦隊が種子島の南東80kmを北東に向け航行中であり、この艦隊に対し3軍はどう対処すべきかを協議するためである。
政治的判断については明日の政府臨時閣議“国家安全保障会議”で決めもうすが、本日は軍としてこの艦隊を如何に安全に品川港へと導き、ペリー代将を無事品川に上陸せしめるにある。
知っての通り我が国は維新以来めざましい成長に陰りが生じてきている、それは内需の頭打ちにあることは諸官も周知であろう、よって今後は海外にその販路と資源供給を求め多くの国々と国交を結ぶことが今後の日本の成長戦略となろう。
儂が以前から言っておる“開国の是非は国威次第にある”の如く、我が日本帝国は武威に於いては西洋列強を遥かに凌駕する軍政・軍略・武力を有するに至り、機は充分に熟したと言えよう。
ゆえに一気に開国に踏み切り、西洋列強を牽制しつつ東アジア・東南アジアへ進出し、予てよりの計画である“亜細亜共栄圏”を実現する。
これを達成するには、我々軍人の今後の行動と作戦の如何にかかっておる。
亜細亜共栄圏(Asia Co-Prosperity Sphere)とは、三田塾に集う諸官らには今更言うまでもないが、西洋列強の植民地支配から東アジア・東南アジアを解放し、アジアに日本を盟主とする共存共栄の新たな国際秩序を建設しようという構想である。
この件は今年初めの閣議で了承され、現在その実現を目指して計画詳細が外務・大蔵・国交省で綿密に練られつつある、その実現の為には今後大国化するであろうアメリカをまずは牽制しておきたい。
しかしアメリカは我が国の国威を未だ知らず、今回の艦隊の使命は武威をもって日本を開国に導くにあり、砲艦外交で迫ってくることは明らかだ。
これを鑑みるに当方の武威をあからさまに見せ付ければ彼らは狂気に陥ることは必定、やもすれば航路途中の東海・京浜・京葉工業地帯のいずれかに大砲でも撃ちかけられたら一大事だ。
例え威力の低いペクサン榴弾といえども石油コンビナートの貯蔵タンクに命中すれば出火による被害は甚大となろう。
よって敵を狂気せしめず無事に品川沖に誘導するが肝要、そこで諸官らにアメリカ艦隊を無事品川港に誘導する策を案出して頂きたい、士官と言えど忌憚のない意見をどしどし出されよ」正則は一同を見渡し言葉を結んだ。
ここで挙手し語り出したは海軍大臣の左太夫である。
「閣議でもアメリカを驚異・驚異と馬鹿の一つ覚えの如く言うておるが、儂はそうは思わぬ 開国して間もないアメリカなど英国やロシアに比べれば恐るるに足らず、海軍が駿河沖で待ち構え、東上するアメリカ艦隊を一気に殲滅してご覧に入れる、その方が面倒無きやと存ずるが如何」
「またまた左太夫らしい乱暴な意見、儂がそちらに問うておるのはそんなことでは無い、アメリカがこれより大国化することは誰にも止められぬ。
今後、英国・ロシアという超大国と一戦交えるは遠からず、そんな折り 背後の太平洋側から急襲されるような事態となれば面倒この上ない、ならば今よりその国を手なずけておくが肝要と閣議で決まった事ではないか…それを今更覆すような強弁は慎まれよ!」
左太夫は正則の一喝にいつものように俯いてしまう、正則は想う維新の功労者として彼をこれまで極力尊重し、彼の短絡ぶりに幾度も目を瞑ってきたが…そろそろ限界であろうかと。
次に空軍大臣の江川少将が挙手し語り出した。
「まずは日本の国威を見せ付けねば今後の交渉はやり辛うなりますよって、武威の最小限の誇示は必要と考えもうす。
よって我が方の最新鋭戦艦4隻を熊野灘に集結させ、アメリカ艦隊各一隻の左側面、つまり陸側に各艦を配置し東上せしめるは狂気した際の陸への艦砲を遮断するに効果有りやと存ずる。
海軍の最新鋭戦艦は現在 金剛・扶桑・伊勢・長門の4隻、いずれも排水量38,662トン、全長220m前後と、アメリカ艦隊の旗艦である蒸気フリゲート鑑サスケハナに対し排水量で10倍、全長に於いて3倍の弩級戦艦群である、それらが陸側を塞げば彼らにはとてつもなく大きな壁を海上に立てられたのも同然。
またアメリカ艦隊の右側と後方も巡洋艦5~6鑑で塞げば彼らはこちらの意のままに導くことが出来ましょう。
例え彼らがトチ狂って艦砲したとて…当方戦艦の装甲舷側はVC鋼280mmの厚さ、パロット徹甲弾などは蚊に刺されたようなもの、強引に東上誘導出来ましょうぞ。
しかし護衛船団の三列並走は浦賀水道手前までが限界と心得る、浦賀水道を抜けるは水深からして並走体勢は困難というもの。
浦賀沖で一旦全艦停船させ、戦闘ヘリを40機ほど飛ばしアメリカ艦隊の各艦上に海兵隊を降着せしめこれを急襲、各鑑武装解除させる要有りやと存ずるが如何」
「ふむぅ、まあそんなところであろうかのぅ…しかし最後に海兵隊を降着せしめると言うが…相手は蒸気フリゲート鑑、原型は帆船よ 帆やロープが邪魔くそうてヘリからの降下は危険極まる、よって他の方法を案出せねばのぅ…」
こうして会議は江川英龍案を主導に進められ、その詳細作戦の討議に移っていった、しかし作戦のいずれも海軍の戦艦が主となって推進されるもの…海軍大臣の自分を無視して進められていく会議に 左太夫は鼻を鳴らし江川を睨み付けていた。
正則はこれに気付き、左太夫を別室に呼び懇々と言って聞かせ 今までのような短絡的言動と行動を続けるならば更迭もやむなしと恫喝した、これにはさすがの左太夫も悔い、以降の会議は順調に推移していった。
しかし短絡的な左太夫である、この時の禍根が後に江川との対立を生み、その後のロシア大戦の折りに対立は決定的なものとなり戦局に大きな悪影響を及ぼすことになっていくが…まだ正則はこの時は知るよしもない。
7月6日朝、アメリカ東インド艦隊の四隻は依然東上を続け、現在は足摺岬のおよそ100km沖を東北東に向けて航行中であると哨戒ヘリより報告された。
このアメリカ艦隊4隻の諸元は以下の如くである。
◇旗艦:サスケハナ(USS Susquehanna)
外輪式フリゲート鑑、水線長78.3m、満載排水量3,824トン、乗員300名、備砲:150ポンド砲2門、9インチ砲12門
◇「ミシシッピ」(USS Mississippi)
外輪式フリゲート鑑、水線長70m、満載排水量3,230トン、備砲:10”砲2門、8”砲8門
◇プリマス(USS Plymouth)
帆船鑑、水線長45m、満載排水量889トン、備砲:8”砲8門、32ポンド砲18門
◇「サラトガ」(USS Saratoga)
帆船鑑、水線長45m、満載排水量896トン、備砲:8”砲4門、32ポンド砲18門
これら4隻に兵1000余を満載し1列に艦隊を組み一路 浦賀水道を目指し東上中であった。
一方日本側は7月7日の深夜、弩級戦艦 金剛・扶桑・伊勢・長門の4艦はじめ初期に製造された4000~6000トン級の巡洋艦や駆逐艦など8艦も伊豆半島沖を目指し南下を開始、アメリカ艦隊との衝突は伊豆下田沖10km辺りになろうか、こうしてペリーが率いるアメリカ海軍・東インド艦隊4艦の拿捕作戦の火蓋は開かれたのだ。




